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シンプリストになりたいのです

おでかけ記録(旧新橋停車場)

普段、何気なく乗っている鉄道。その始まりがいつ、どこであったかってご存じでしょうか?今回はそんな鉄道の歴史に関係するスポットに行ってまいりましたよ❀

旧新橋停車場 外観

日本で最初に鉄道が開通した場所、それは東京の新橋-横浜間でした。横浜は今の横浜駅ではなく、現在の桜木町だったそうです。厳密にいうと品川-横浜(桜木町)で先に仮開業していたのですが、そこは一端おいておきましょう。

明治5年9月12日(西暦1872年10月14日)に新橋-横浜駅が開業し、それまで徒歩だと8時間かかっていた移動がなんとたったの53分で移動できるようになりました。

そんな文明開化の象徴ともいえる新橋駅の旧駅舎は大正12(1923)年の関東大震災の際に焼失し、残存していたプラットホームや構内の諸施設も昭和9(1934)年に解体されてしまいました。

その後、1991年の発掘調査で旧新停車場駅舎とプラットホームの礎石が発掘され、1996年それらが史跡として国の指定をうけました。1997年、旧新橋停車場は開業当時の写真などからできるだけ忠実に外観を再現して復元された…ということです。場所も当時と同じ場所です。

www.sanko-e.co.jp

↑復元に関してはこちらのURLを参考に

こちらは0哩標識。発掘調査によって正確な位置であると確認された車止めで、軌道部分も可能な限り忠実に再現されているそうです。0マイル、本当にここが原点なんですね。日本の鉄道はここから始まったのかぁ…としみじみ。

この線路が100年以上前、横浜まで続いていて、当時の人々を運んでいたのか…と考えると浪漫があります。きっと幕末・明治に活躍した偉人達も乗車したことでしょう。

創業当時、枕木やレールの台座は小石や砂の混じった土をかぶせられ、レールの頭部分だけだ地表にでていたそうです。わかりやすいように半分は枕木が見えるように、もう半分は埋められていました。

ブラタモリでみたやつっ!と一人喜んでいたのがこちら。I字型の双頭レールです。現在のレールの断面は下部分がどっしりとした工字型ですが、当時はI字型だったそう。使用して摩耗したら上下を入れ替えて使いまわせるようになっていたんだそうな。考えられていたのですね。

盛土式石積という構造で作られたプラットホーム。全長は151.5m、幅9.1mあったそう。駅舎よりの25mが再現されています。

基礎石には龍野藩 脇坂家・仙台藩 伊達家 両屋敷の礎石などが使われた…とあり、つい先日、仙台を訪れたばかりの私にはちょっとした運命のようなものを感じました…!あそこで見た礎石がこんな身近な場所にもあったとは…!

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正面玄関の階段の最下段として使われていた切石が今も大切に残されています。発掘調査でこの礎石の1段の高さがわかったため、それ以外の採寸もわかるようになったんだとか。

この階段も当時と同じ9段の階段です。踏みしめるように上らなくてはなりませんね。

ブルートレイン 夢の旅路へ

館内は無料の展示室になっているので、どなたでも気軽に立ち入ることができるようです。

ちなみに3/24までは「ブルートレイン 夢の旅路へ」という企画展が開催されておりました。夫が幼いころから読んでいた絵本や図鑑には、南正時さんの写真がたくさん使われていたようでとても感慨深そうに展示を見ておりましたよ。

ブルートレインとはなんぞや?レベルの私は夫から、写真1枚1枚の解説を聞きつつ今はなくなってしまった寝台列車に思いを馳せておりました。展示は写真NGでしたが、こちらだけOKとのことで記念撮影を。個人的には列車のヘッドマークがどれも素敵だなぁと思ってみておりました。北斗星とかおしゃれですよね。

常設展

続いて常設展も。常設展は一部を除き写真OKとのことです。

常設展では旧新橋停車場跡の歴史についての展示がされていて、とても興味深かったです。平面図や当時の地図など様々な文献があり、個人的には浮世絵に一番心惹かれました。狭い空間でしたが情報量は結構あって満足です!

一部はガラス張りになっていて、開業当時の駅舎基礎石の遺構を間近で見ることができます。高所恐怖症の夫はプルプルしてましたけれど、個人的には面白スポットでした。

あと見つけてうれしかったのが、崎陽軒の急須。改札鋏や工具、切符や陶器など様々な出土物に交じっておりました。駅弁といえば崎陽軒シウマイ弁当ですものね、とウキウキ。

よもやま話

旧新橋停車場跡、きっと鉄道に興味のなかった私では生涯くることはなかったであろう場所。いろんなめぐりあわせで今回訪れることになって、無料でこんなにも楽しんでいいのだろうかというくらいたくさんの見どころがあって大変満足でした。

私が尊敬してやまないのは 新撰組 三番隊組長であった斎藤一さん。慶応4(1868)年 会津藩が降伏したあとは新潟・福島・青森で謹慎生活を送られます。その後、藤田五郎さんと名前を変え、明治7(1874)年に東京に移住され、大正4(1915)年 東京にてその生涯を終えられました。

実際に乗車されたかどうか…はわかりませんが、斎藤さんがご存命の頃にあった史跡に触れることができたことがうれしくてですね。もしかしたらここに立ち寄ったかもしれない…とか、同じ場所に今立っているのかもしれない…とか、そんなふうに思うと浪漫と言いますか、もうたまらないですよね。

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昨年今野敏さんの「サーベル警視庁」を拝読しましたが、作中では鉄道にはご乗車されているようで、もしかしたらそんなこともあったのかもしれませんね。いろんな視点から楽しむことができるので、ちょっと得した気分です。

桜木町や品川駅にも同様に鉄道に関する記念碑などがあるそうで、また機会があればそちらにもうかがってみたいものですね❀今回はこの辺で、ではでは❀

 

おでかけ記録(銀座・アンリシャルパンティエ)

Whitedayのお返し、皆さまは何をもらったでしょうか?

我が家のValentineは私がチョコレートケーキを作り、それを夫と二人でいただきました。以前こちらでも、いい感じに美味しいチョコレートケーキができたと自画自賛したわけでございます

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Valentineの楽しみといえば、美味しいチョコレートが巷にあふれること。そしてWhiteDayにお返しがもらえることですよね。

今回はWhiteDayにおでかけしてきたお店について綴っていきたいと思います。

WhiteDayの恒例にしたいお店、アンリシャルパンティエ

関西に在住していた頃から恋焦がれていたお店、それが銀座にあるアンリシャルパンティエでした。

TVでたまたま拝見したナポレオンパイ。苺の艶やかな光が美しく、焼けたパイの色がとてつもなくおいしそうで香ばしそうで、いつか食べてみたい!と思っておりました。実際に昨年いただくことができたときは、夢が1つ叶った!と、それはそれはうれしかったものです。

サクサク、ザクザク、甘み、酸味、紅茶のすっきりとしたほのかな苦み。それらすべてが、ちょっと自分を大人にしてくれているようで、普段はしないおすまし顔なんかしたりして。

こんな素敵な場所が”銀座”にはあるのか…!さすが銀座!と、それはそれはおのぼりさんのような感想を抱いたのが去年の3月中頃のことでした。

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このときもValentineのお返しとして夫に連れてきてもらったアンリシャルパンティエ。実はこのとき、気になったメニューがありまして。今年はそのメニューにチャレンジしてみたいな…ということになりました❀

目の前で調理してくれる クレープ・シュゼット

2024年、WhiteDay。夫からお返しは何がいいかと聞かれ、私はアンリシャルパンティエを希望しました。昨年、隣に座られていたお客様が注文されていたクレープ。目の前で調理をしてくれるようで、それがとてつもなく魅力的だったんです。なんでもそのクレープが創業のきっかけにもなったんだとか。

本当に目の前で仕上げをしてくださります!

クレープ・シュゼットは、一晩寝かせたクレープ生地を、オレンジ果汁とバター、リキュール等で煮込んだスイーツ。調理の仕上げとなるフランベは、オーダーごとにお客様の目の前で行われ、香りを愉しんでいただきます。

(以下URLより引用)

www.henri-charpentier.com

写真撮影や動画撮影もOKとのことでフランベの瞬間をスマホにおさめることができました❀炎が揺れるのを見るとテンションが上がりますね。

バニラアイスをのせて…

なんとつやっつやなクレープでしょう。私はシンプルなバニラアイス添えを。

苺が好きな夫は季節限定のあまおうの苺がトッピングされたスペシャルメニューを。

お味の方はというと、ぷにっと弾力のあるクレープ生地の食感とそれに絡まるオレンジとバニラの味が最高でした。量的に甘いだけだと重いのかな…と思ったのですけれど、オレンジの酸味とバニラがちょうどいい感じでした。

一緒に頼んだ紅茶の芦屋プラウドも爽やかな味で苦みが少なく、クレープの邪魔をしないお味でした❀

クレープを食べた後に残るオレンジとバニラアイスのソースをパンに塗りたくって食べたい…!!!と思いましたね。さすがにしませんけれど。

よもやま話

さいころからの誰にも言えなかった夢の1つに「おひめさまになりたい」というものがありました。ドレスを着て、華やかな世界で美しく生きる女性になりたかったんです。華美な世界への憧れはいつしか薄れてしまいましたけれど、こうしてちょっとした幸せな贅沢を感じるとうずうずと欲がわいてくるもので。なんというか「おとななわたし」に近づいたような気がして、現実は到底そんなことはないのですけれど、それでも嬉しいなと思うわけです。

お味も雰囲気も当然最高だったのですけれど、こういったところも含めて幸せな時間を過ごすことができました❀

次回はこのあとちょっとお散歩をいたしまして。そちらについて綴っていこうと思います。今回はこの辺で、ではでは❀

 

家庭菜園記録(ねぎ・水菜・アボカド)

我が家の家庭菜園(?)はアボカド、ねぎ、水菜といつの間にやら着々と種類が増えてまいりました。子もペットもいない我が家では、植物の成長がまるでわが子の成長のように感じられ、夫には新しい芽を見つける度に報告するというのが最近のお決まりになっています。

先月2月中旬、種を植えた ねぎ と 水菜。

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種を植えて一か月、どのような姿になったかともうしますと…。まず水菜。

水菜といえばギザギザとした葉のイメージでしたので、若葉が丸くてびっくりしました。それ以降はえてくる芽は水菜らしいギザギザとした葉です。小さな葉がとても愛らしいですね。今は安定をよくするために土を増やし、4本に間引きして成長を見守っています。

お次はねぎ。

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3月上旬にちんまりとでてきた芽は少しずつ少しずつ長くなってきているようです。こちらも土を増量しています。また1つだけだった芽も数が増えました!今でているのは3つなのですが、1つは二股なのか別々の個体なのか…わかりませんが、とにかく伸びてくれてうれしいものです。

お次はアボカド。

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2023年7月に植えて8か月くらい経過しました。

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水耕栽培を続けてきましたが、現在は無事土の鉢にお引越し。環境がかわったからか、しばらくうんともすんとお動きがなかったのですが…。

芽が少し膨らんだようです!

新しい葉ができていますね❀なんと愛らしいこと…!

水耕栽培から土にかえると枯れてしまう…というお話もあったので、心配していたのですが鉢にも無事(?)なじんでくれたようで、特に葉が変色して落ちたりということもなく、どの葉も青々としてくれています。

この調子でこれからもそだってくれますように!今回はこの辺で、ではでは❀

 

本・人間失格

太宰治の『人間失格』を読みましたので、ネタバレ交えて綴ってまいりたいと思います。

人間失格』はどのような物語か

 

第一の手記はかの有名な台詞「恥の多い生涯を送ってきました」という男の告白から始まります。

男の名前は大庭葉蔵、東北の裕福な家庭に生まれました。葉蔵には人間というものが、まったく見当がつかないのです。周囲の人間…下男や下女、さらには家族すら理解することが出来ません。「空腹」という感覚がどんな感覚なのかすら、さっぱりわからないのでした。そんな人間の営みというものが理解できず苦悩した葉蔵は、子どもの頃にはすでに道化を演じることに徹して、ただ笑って、一言も本当のことを言わない子になっていたのでした。

家族や下男、下女の前では必死におどけ、彼らを笑わせ、道化のサーヴィスをしたのです。それは学校でも同様です。葉蔵は子どもの頃から病弱ではありましたが勉強は「できる」子でした。そのため尊敬のまなざしを向けられそうになりますが、そのまなざしすら恐怖である葉蔵は、学校でも道化に徹し、学友や教師を笑わせることで「お茶目」な子を演じるのでした。

第二の手記は葉蔵の中学生時代から始まります。葉蔵は実家から離れた東北の或る中学校に入学します。その中学校のすぐ近くに住む、親戚の家にあずけられたのです。そのころにはすっかりお道化も身について、周囲を欺くのに苦労を必要としなくなっていました。誰も葉蔵が演技をしているだなんて思いもしません。

しかし、竹一という生徒に見破られてしまったのです。葉蔵は世界が一瞬にして地獄の業火に包まれるような心地がして、それ以来、竹一がその自分自身の秘密を周囲に言いふらすのではないかと不安で不安でしょうがなくなるのです。そうしているうちに、葉蔵は少しずつ竹一との仲を深めるのでした。

そんなある日、竹一は一枚の口絵を持ってきました。「お化けの絵だよ」といってみせたそれは、ゴッホの自画像でした。

あまりに人間を恐怖している人たちは、かえって、もっともっと、おそろしい妖怪を確実にこの眼で見たいと願望するに到る心理、神経質な、ものにおびえ易い人ほど、暴風雨の更に強からん事を祈る心理、ああ、この一群の画家たちは、人間という化け物に傷めつけられ、おびやかされた揚句の果て、ついに幻影を信じ、白昼の自然の中に、ありありと妖怪を見たのだ、しかも彼らは、それを道化などでごまかさず、見えたままの表現に努力したのだ、竹一の言うように、敢然と「お化けの絵」をかいてしまったのだ、ここに将来の自分の、仲間がいる、と自分は、涙が出たほどに興奮し、「僕も画くよ。お化けの絵を画くよ。地獄の馬を、画くよ」と、なぜだか、ひどく声を潜めて、竹一に言ったのでした。

竹一から「女に惚れられる」という予言と「偉い絵描きになる」という予言を額に刻印され、東京にある高等学校へ進学するのでした。

上野桜木町にある父の別荘で暮らし、画塾にも通うようになりました。そこで堀木正雄という男と出会います。葉蔵は彼から酒とたばこ淫売婦と質屋と左翼思想とを教えられたのでした。彼の言うことには一向に敬意は感じず常に軽蔑し、交友を恥ずかしく思いながらも、遊び相手としてはいいかもしれないと考え、交友を続けていくうちに、結局は竹一同様に堀木にも打ち破られるのでした。

それから学校にもほとんどいくこともなくなり、共産主義の秘密の会合に参加しかえってクタクタになる日々の中、ツネ子という人妻に出会います。夫は今獄中にいて、彼女はカフエで働いているようです。彼女からは無言の侘しさをまとっているようで、葉蔵は自身の恐怖からも不安からも一時離れることができたのでした。

自分は、これまで例のなかったほど、いくらでも、いくらでも、お酒を飲み、ぐらぐらよって、ツネ子と顔を見合わせ、哀しく微笑み合い、いかにもそう言われてみると、こいつはへんに疲れて貧乏くさいだけの女だな、と思うと同時に、金の無い者どうしの親和(貧富の不和は、陳腐のようでも、やはりドラマの永遠のテーマの一つだと自分は今では思っていますが)そいつが、その親和感が、胸に込み上げて来て、ツネ子がいとしく、生まれてこの時はじめて、われから積極的に、微弱ながら恋の心の動くのを自覚しました。

それから、女も休んで、夜明けがた、女の口から「死」という言葉がはじめて出て、女も人間としての営みに疲れ切っていたようでしたし、また、自分も、世の中への恐怖、わずらわしさ、金、れいの運動、女、学業、考えると、とてもこの上こらえて生きていけそうもなく、その人の提案を気軽に同意しました。

そうして葉蔵とツネ子は鎌倉の海に飛び込みました。ツネ子は命を落としましたが、葉蔵だけ助かりました。病院から警察に引き渡され、最終的には実家から縁を切られてしまいます。渋田(葉蔵の中ではヒラメと呼ぶ)という男に引き取られ、軟禁状態の日々が始まります。

第三の手記は、それからの葉蔵についての生涯が綴られた手記でした。

して翌日も同じ事を繰返して、昨日に異らぬ慣例に従えばよい。

即ち荒っぽい大きな歓楽を避けてさえいれば、自然また大きな悲哀もやってこないのだ。

ゆくてを塞ぐ邪悪な石を蟾蜍(ひきがえる)は廻って通る。

上田敏訳のギイ・シャルル・クロオとかいうひとの、こんな詩句を見つけた時、自分はひとりで顔を燃えるくらいに赤くしました。蟾蜍。

(それが、自分だ。世間がゆるすも、ゆるさないもない。葬むるも、葬むらなぬもない。自分は、犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。蟾蜍。のそのそ動いているだけだ)

幸福であることですら恐怖する葉蔵は、シングルマザーやバーのマダムなどと破壊的な女性関係におぼれ、一時は結婚し幸せをつかみそうになるも、再び酒、煙草、睡眠薬、果てはモルヒネ中毒となり、狂人、廃人へと落ちてゆくのでした。

堀木のあの不思議な美しい微笑みに自分は泣き、判断も抵抗も忘れて自動車に乗り、そうしてここに連れてこられて、狂人という事になりました。いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや廃人という刻印を額に打たれる事でしょう。

人間、失格。

もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。

よもやま話

学生の頃に太宰治の『走れメロス』を国語だったか、道徳の授業だったかに読んが記憶があります。

暴君と化した王を倒すために王に歯向かい、処刑されることになったメロス。たった一人の妹に亭主を持たせて結婚式を済ませてくるために三日間の猶予を願います。約束を必ず守り、必ず帰ってくると誓い、それまでの間は竹馬の友であるセリヌンティウスを人質とし、自らが戻ってこなかったから彼を絞首刑に…というのです。

当時の私は、いあいあいあセリヌンティウスのいないところで勝手に決めたらかわいそうやん!という突っ込みが頭から離れず、感動のラストがひどく霞んでしまったのですね。そんなこんなで太宰治の作品はこの『走れメロス』を除いて読んでいなかったのです。

たまたまXで仲良くなってくださった方から『人間失格』をお勧めいただいて、そういえば昨年のやりたいことリストにも「純文学をチャレンジする」と入れておきながら(今年も入れています)、結局は果たすことが出来ないでいました。これはチャンスということで、図書館で借りて読んでみたわけです。

私の語彙力の無さ故に読みづらいところもいくつかありましたが、それでも引き込まれるような何かがありました。読んですぐに、もう一度読みたいと、再読したいと思った作品は久しぶりかもしれません。

不思議と思ったことが「美しい文章」ということ。宝石のようにキラキラしているわけでも、清流のように澄み渡っているわけでもありませんが、それでも美しいと思ったのです。これは自分でも不思議な感覚でした。太宰を読んで美しいと感じるのか…と自分の心を客観的に分析してみましたが、結局どこがというのは解らずじまいでした。

随分と以前のことですが、太宰が好きな方々が『人間失格』は自身のために書かれた作品だ!とか大庭葉蔵は自身のことだ!と言っているのを見かけました。彼らは今どうしているのかしれませんが、なんとなく意味がわかったような気はしました。これは私自身の作品だ!とは思いません。でも私も大学生くらいのころはこういった自意識に苛まれ、同じようなことを思っていたのかもしれないな、もっともっと昔、十年以上前にこの作品と向き合っていたら、私の”考え方”に大きな影響を与えたであろうことは間違いありません。

作品の中のひとつひとつを考察しても足りない、何度も読み返して、太宰を1㎎でも血肉にできることができれば、私も少しは美しい文章がかけるのでしょうか。

人間失格』を読もう

人間失格』を過去に読んだけれど、最後はどうなったかしらん?であったり、読もうと思っていたけれど、そういえばまだ読んでなかったなぁ…。なんて人もいらっしゃるのではないでしょうか。

もちろん最寄りの本屋さんや図書館で借りて読む…というのも良いですが、「青空文庫」を活用するのはいかがでしょうか?

www.aozora.gr.jp

青空文庫とは著作権が消滅した作品を無料で提供している電子書籍サービスです。

www.aozora.gr.jp

作家事のリストもあり、こちらから太宰治の作品を読むことができます。電子書籍に抵抗がない方はぜひご活用いただければと思います。

個人的には、新潮文庫に掲載されている解説がとてもよかったので、電子書籍を読んでみていいなと思われた方はそちらも読んでいただければさらにうれしいです❀

 

おでかけ記録(仙台・ずんだ餅と東照宮)

3月頭に”旅せよ平日!JR東日本たびキュン♥早割パス”というお得パスを使って、日帰り仙台旅行に行ってまいりました。前回までは伊達政宗公にまつわる瑞鳳殿、そして仙台城跡をまわってきました。

今回は伊達政宗公が生み出したずんだ餅に初挑戦し、また仙台藩に代藩主伊達忠宗公によって創建された仙台東照宮にお邪魔してきました❀

遠藤餅店

瑞鳳殿仙台城跡はJR仙台駅からるーぷる仙台で巡ってきましたが、ここからは少し移動してJR仙山線東照宮駅へ。駅から5~10分ほど歩いたところにある「遠藤餅店」に行ってまいりました。

ずんだ餅を食べるなら、カフェのような見栄えも美しいお店も良いですが、折角なら昔ながらのお店も捨てがたいなぁと思いまして。やってきたのがこちらのお店。なんと「マツコの知らない世界」という番組でも紹介されたことがあるお店だそうです。

入口には屏風のトリックアートな伊達政宗公が”づんだ餅”をお持ちです。

ところで普段目にするのは”ずんだ”ですけれど仙台市内では”づんだ”と表記されているのをよく目にしました。”ずんだ”と”づんだ”どちらが正しいのでしょうか?

もともとは東北地方の郷土料理で、近年全国でも一般化した枝豆の餅を使った「ずんだもち」。なんでも豆を売って潰すという意味の「豆打(づだ)」が訛ったのが語源だと言い、昔は「づんだ」という表記が一般的だったそうです。

 (以下URLより引用)

cp.marumiya.co.jp

本来は”づんだ”だったので、仙台市内ではそのまま”づんだ”と表記しているのですね。確かにそっちの方が老舗っぽい!

店内にはイートインスペースがありましたので、お茶と一緒に頂きました。づんだ餅と極みづんだ餅の2つを食べ比べできるそうです。

極みづんだ餅は大粒で甘み・香り・味わいが良い宮城県産の「秘伝豆」をもっとも食べごろの時季に摘みとり急速冷凍、職人がせいろで蒸して、つぶつぶの食感を残したづんだあんです。

通常のづんだ餅も宮城県内の契約農場で朝摘みされた枝豆を収穫後すぐにゆであげ、急速冷凍。職人が季節や温度に合わせて蒸し時間を調整して蒸しあげています。

極みづんだ餅は結構豆感が強く、食感のつぶつぶ感があるので好みがわかれそうなお味。個人的には通常のづんだ餅の方が、甘みや食感的にもおいしくて食べやすかったですね❀夫は両方お気に召したようです。

www.zundamochi.com

初のずんだ餅の挑戦ですが、さっぱりとした甘みと涼しげな見た目から春から夏にかけて食べるとさらにおいしそうだなぁと思いましたよ

仙台 東照宮

仙台 東照宮。実はこちらも初めて知りました。東照宮徳川家康公を御祭神としてお祭りしている神社ですが、なんと仙台にもあったとは。

東照宮日光東照宮しか存じ上げなかったのですけれど、何と全国各地に存在しているそうで。多い時では700以上、現在でも52の神社、そのほかの石碑などを含めると100以上の東照宮があるそうです。徳川家康公がいかにすごいかがわかります。

(以下URLを参考)

www.nhk.or.jp

早速お邪魔しようとしたところ、可愛い狛犬が。

寒い中ですが、マフラーをまいているようです。夏は麦わら帽子なんかをかぶるのかしらん?さぞ可愛かろう…❀

日光東照宮瑞鳳殿のような豪華絢爛な佇まいとは違い、静寂閑雅な佇まいです。足は随分と疲れて膝が笑っているような状態に近かったのですが、1段1段上ってまいりましょう。

仙台東照宮も枓栱の美しさにほれぼれしてしまします。

こちらの仙台東照宮仙台藩2代目藩主である伊達忠宗公によって創建されました。政宗公が亡くなられた後、大火や大洪水などの被害がつづき、仙台藩の財政は重大な危機に陥ってしまいました。しかし、幕府の助けなどから危機を脱することができたんだそう。そのような背景から、徳川家に対する尊崇・感謝の標として、1649年に徳川家光公に創建を願い出て直々に許可を得て、創建されました。

(以下URLを参考)

s-toshogu.jp

平日の夕方でしたがちらほらと静かにお参りをされている方が。中には観光客ではなく地元の方のような方もおられ、地元に愛されている場所なのだということが伝わってきます。毎月第4日曜日には骨董青空市が開かれ賑わいをみせるようです。京都の知恩院以来こういった場所にお邪魔できていないので、どこかで参加したいなぁとワクワク。

おまけの笹かま

仙台東照宮を後にして、仙台駅へ。新幹線の予定時刻まで1時間半以上ありましたので、最寄りのスターバックスコーヒーでちょっと休憩を。私には飲み物を、スマートフォンには充電をしてどちらもエネルギーチャージを。時間に余裕ができたとき用の文庫本は準備してありましたので、読書タイムをしばし楽しみました。

新幹線の時刻の30分ほど前になり、夕飯をどうするかね?という話題に。当初の予定では駅弁を買って帰ろうか?と思っていたのですが、お腹の好き具合的にお弁当1つとなるとちょっと苦しそう。でも何かは食べたいよね~…と駅内をうろうろ。そこで見つけました。

仙台名産 阿部の笹かまぼこー❀

ちょうどいいサイズ感にちょうどいい塩味。そんなわけで夫と1つずつと簡単なお菓子を購入し新幹線へ。もっちりとした食感といい感じの練り物の風味。練り物が大好きな私にはたまらないご褒美な味でした。夫も舌鼓をうちながら「日本酒が飲みたい」などと申しておりました。いい旅の締めとなったのではないでしょうか。

今回、初めての仙台旅行ということで瑞鳳殿仙台城跡、仙台東照宮をまわり、道中で牛たん、揚げすずめ饅頭、づんだ餅、笹かまぼこと美味しいものをいただく…という仙台と言えば!というものを結構つめこんだ旅になったように思います。体力の消耗はなかなかでしたが、それは充実していたということで、大変楽しい旅になりました。

関東に在住している間に東日本を制覇する!(関西からでも行きやすい長野県・愛知県を境としてそれより東を全部)という目標を掲げ、青森、秋田、宮城、群馬、栃木、茨城、埼玉、東京、神奈川、静岡といろいろまわってきました。あとは岩手・山形・新潟・福島・山形・千葉の6県です。すでにいった都道府県でもまだまだ見たいところはありますし、まだいっていない場所も見たいところがたくさんです。次はどこに行こうかと夫と家族会議をするのが楽しみです。

さて、次はどこになることやら~❀

 

 

おでかけ記録(仙台・仙台城跡)

3月頭に”旅せよ平日!JR東日本たびキュン♥早割パス”というお得パスを使って、日帰り仙台旅行に行ってまいりました。前回までは伊達政宗公とその息子・孫の霊屋である瑞鳳殿境内を巡り、仙台城跡へとやってきて、伊達の牛たん本舗さんとちゅんちゅん堂さんで腹ごしらえ。

今回こそ、仙台城跡を観光していきたいと思います。

宮城縣護国神社

青葉城フードコートや青葉城本丸会館などの施設を抜けた先にある宮城縣護国神社

gokokujinja.org

明治37年仙台城本丸城址に創建されたそうですが、こちらも瑞鳳殿同様に昭和20年の仙台大空襲の戦火によって焼失してしまいました。戦後復興したのが現在のお姿だそう。朱色がとても美しく映える神社でした。あちこちにおみくじがあって、和菓子の消しゴム御籤に心を奪われたり…。お邪魔しますとご挨拶をして、仙台城跡を目指します。

昭忠碑

まず遠くからでも目に入ったのは昭忠碑でした。

1874(明治7)年佐賀の乱以来、西南戦争日清戦争などに従軍した陸軍第2師団所属の戦没者に対する慰霊顕彰碑として1902(明治35)年11月に昭忠会により設立された。塔頂部に据えられたブロンズ像は、日本書紀において桓武天皇の軍を勝利に導いたとされる金の鵄(トビ)をモチーフとしている。

(以下URLより引用)

honmarukaikan.com

2011.3.11におこった東日本大震災での被害がこんなところにも。こちらの鵄、もともとは塔の上に設置されていたそうですが、震災により落下、現在は安全性を考慮して、塔の下に設置されています。

震災により高さ15mの石塔上部に設置されたブロンズ製の鵄が落下・破損する被害をこうむり、救援委員会による文化財レスキュー事業では、ブロンズ破片の回収や鵄本体の移設作業を実施しました。

(以下URLより引用)

www.tobunken.go.jp

私は幸いなことに今まで大きな震災に巻き込まれたことはありません。私の中での地震への恐怖はどうしても映像や語りから得た情報でしかありません。3.11の死者行方不明者でも全壊数でも宮城県の数が突出していたということを知っていても、あまり実感がなかったのです。

ですが実際にこうして宮城・福島・岩手では今もこうして震災の爪痕がのこっていることを知りました。こんなにも大きなブロンズが落下するほどの揺れ。どれだけ恐ろしかったことでしょう。3.11で13年目。黙祷し思いを馳せることしかできませんが、私にも何かできるといいなと思います。

史跡仙台城

それでは仙台城跡を巡っていきましょう。

仙台城は標高約115m、東・南を断崖が固める天然の要塞に建てられた山城です。そのため、見晴台からの景色は素晴らしいものでした。生憎の曇り空で若干霞がかっていますが、天候によってはまた違った景色がみえるかもしれませんね。

そして仙台城跡にきたのならば、こちらは絶対見ないといけませんね。政宗公騎馬像です。思っていたよりも随分と大きくて驚愕しました。なんと高さ2.4m、幅2.5mもあるんだそうな。近くによれば凛々しいご尊顔を拝見できます。個人的には馬のお尻の穴まできちんとつくられているところにびっくりでしたが…。360度、いろんな角度で楽しめること間違いなしです。

仙台城跡ということで、城は戦災で焼失してしまっていますが、その姿の名残を見ることは可能です。地面にはここに〇〇の間がありましたといった説明書きが張られていましたので、当時を想像しながら思いを馳せるのもいいですね。ちなみに、仙台城はとk川家康公の警戒をさけるために、あえて天守は設けなかったそう。こういったところにも、伊達政宗公の人となりを見られる気がします。

一部屋一部屋巡っていくのもたのしいです❀

現在でも当時のまま残されているものといえば、こちらの石垣。ビシッとした美しい佇まい…。

こういったカーブを石垣で描いているところも素敵でした。

仙台城跡をいろいろと観光していったん暖を求めてお土産物屋さんへ。サンリオキャラクターとコラボしているのを発見しました❀最近、じわじわ可愛く思えてきたハンギョドンがかわいい…!

あとやや凛々しめのお顔の猫さんに遭遇しました。首輪をしてらっしゃったので、仙台城跡のどこかで飼われているのでしょうか。慣れた雰囲気で城内を歩いてらっしゃいました。かわいい…!

よもやま話

伊達政宗公の存在を知ったのは、たしか中学1~2年生の頃でした。当時はまって読んでいた「SAMURAI DEEPER KYO」という漫画に出ていたのですよね。

作品の舞台は1604年。何者かに兄を殺された少女・ゆやは仇をさがしながら賞金首狩りをしていました。そこで薬売りの少年壬生京四郎に出会い、一緒に旅をすることになるけれど…といったお話。真田幸村や出雲阿国徳川家康や村正などの偉人たちが登場するなか、梵天丸こと伊達政宗も登場していたのです。KYOに出てくるだいたいのキャラクターはそうなのですけれど、出雲阿国は情報やなのですが露出度の高いセクシーなお姉さんですし、真田幸村はまるで女性かのような美男子だけど女性癖と酒癖の悪い青年でした。そんなわけで梵天丸のビジュアルはというと、体躯の良い大男で、上半身は裸で下は袴、肩にかかけられた羽織には「征夷大将軍上等」と派手に書かれた一昔前のヤンキーというか暴走族のような風貌でした。けれど人情に厚く、仲間を人一倍大切にしている、なんというか「熱い男」だったのです。上記の22巻の表紙では一番後方にいるワイルドなお兄さんが梵天丸ですね。

伊達政宗公とはそんな初めましてを得て、それからもいくつかの作品でお会いする機会がありました。そんな中でも私に一番影響を与えたのは「織田シナモン信長」でした。織田信長じゃなくて、織田シナモン信長です。なんとこちら、歴史の偉人たちが現代の犬に生まれ変わって…というお話。本能寺の変で命を落とした織田信長は、現世でシナモンという名前の柴犬として転生します。心の中は織田信長だけれども、犬としての本能に抗いつつ、犬らしさを満喫しつつ…というなんとものんびりしています。

「織田シナモン信長」には織田信長以外にもたくさんの偉人が転生しています。武田信玄上杉謙信今川義元松永久秀真田幸村、果てはマリー・アントワネットまで。しかも犬に転生するだけではなく、明智光秀はリスに、千利休はカラスに…と様々です。

そして伊達政宗はといいますと、これまたぶちゃかわなフレンチ・ブルドッグブルードラゴン・ブラッディ・ファングという本名を略して「ブーちゃん」と呼ばれていて、飼い主であるアイがシナモンの飼い主である市子と仲が良く、2匹の交友も深いため登場シーンも多いキャラクターです。

転生ものだからとあなどることなかれ、結構史実考証がしっかりしていまして、織田信長が実際はどんな人物であったか、なぜ第六天魔王と呼ばれるようになったのか…など、へぇそんな背景があったんだと勉強になります。伊達政宗筆まめであったことや、枝豆を砕いて食した「ずんだ」のエピソードなど、さすが伊達な男だなというお話が知れて結構勉強になりました。武田信玄の手紙の話とかね、上杉謙信の話とかもとても面白かったです。

そんなわけで史実の伊達政宗公はあまり深く知りませんでしたが、今回日帰り旅行するということでいろいろ仙台や伊達政宗公について調べて、自分が持っていた伊達政宗公へのイメージと実際の伊達政宗公との解離なども気づけて楽しかったです。

お話をしていたら久々に「SAMURAI DEEPER KYO」と「織田シナモン信長」が読みたくなりましたね❀アニメももう一度みたい…!

次回は仙台旅行の記録ラストです、先ほど少し触れたずんだに初チャレンジしてみましたよ!ではでは❀

 

おでかけ記録(仙台・仙台城跡で牛タンと揚げすずめ饅頭)

3月頭に”旅せよ平日!JR東日本たびキュン♥早割パス”というお得パスを使って、日帰り仙台旅行に行ってまいりました。前回までは伊達政宗公とその息子・孫の霊屋である瑞鳳殿境内を巡りました。

今回は、仙台城跡!…の前に、腹ごしらえをしたいと思います。

仙台城

仙台市内観光バスのるーぷる仙台に乗って、仙台城跡へ。バスを下車するとすぐに大きな鳥居が。この奥には宮城縣護国神社があるそうですが、青葉城フードコートなども奥にあり、鳥居を越えた先にもお土産物屋さんなど様々な建物があります。

伊達の牛たん本舗

そしてやってきました、「伊達の牛たん本舗」さん。仙台といえば、伊達政宗公!そして牛タン!花より団子な我々はまず腹ごしらえのために、仙台発祥というこちらのお店にお邪魔しました。以前からこちらのお店が気になっておりまして、来ることができてうれしいです!

www.dategyu.jp

箸袋さえ愛おしい…。伊達政宗公といえば眼帯をしているイメージですが、こちらの絵では眼帯はされていないのですね。眼帯はのちの創作なのでしょうか?

私がいただいたのは定番の「牛たん定食」。牛たん、麦ごはん、テールスープ、お漬物です。塩味・みそ味と塩・みそのミックスの三種類から選べるとのことですが、まずは定番のものをじっくり味わいたいと思い。塩を選択しました。

実は私、幼少の頃から焼き肉屋では赤身肉やカルビなどには一切興味がなく、タン・ミノばかりを食べているような子でして…。ちょっとコリっとした独特の食感がたまらなく大好きでして…。もう完璧なおいしさでした。

焼き肉などをあまり食べない(というか体が年齢とともに耐えられない)ため、久しぶりの肉!というお肉ですが、塩だからかさっぱりしていますし、肉の油もくどくないのでサラリと食べられてしまいます。

ごはんがおかわりできるとお聞きし、いやぁそんなに食べられないよと思いましたが、これはたしかにペロリといけそう。後もありますのでごはんは一膳に抑えましたが、これで後に予定がなければおかわりしてましたね…!それくらい、ごはんと牛タンだけで満足できました❀

夫は「芯たん定食」を注文していました。芯たんは、牛たんの中でも柔らかい部分を厚切りにしたもののようです。一切れずつ交換して、私もいただいたのですが、牛たんの独特の食感がありつつも、柔らかくて、まさに肉!という感じでした。

おまけに牛たんのやわらか煮。カウンター席でしたので、調理しているところが丸見えなのですが、まさかのレトルトでちょっとびっくり…。お土産用として販売されているものなのでしょうかね?レトルトでも全然いいのですが、レトルトならレトルトって書いてほしいな…ってちょっと思ったり。庶民の私からすると、いつもよりはお高いお店なので…!そこは、ねっ!と思いつつ、お肉はほろほろでとても柔らかかったので、よしとします。

ちゅんちゅん堂

塩味のあるものを食べると、甘いものも食べたくなりますでしょう?

っというわけで、こちら。伊達の牛たん店舗さんのすぐ目の前にある「ちゅんちゅん堂」さんでおやつをいただきます。

仙台城名物の揚げすずめ饅頭を。そういえば、かなり昔に広島県の宮島で揚げもみじ饅頭を食べましたが、大層美味しかったことを今でも覚えています。お味はこしあん・ずんだ・カスタードクリーム・カマンベールチーズがあるようで。私はカマンベールチーズ、夫はずんだを注文いたしました。注文してから揚げてくださるようです。

商品が揚げ終わるまでの待ち札が超絶かわいいです。水色ですがたぶん雀。愛らしいお顔ですね❀

出来上がったのがこちらです。

じゃん!ちゃんとすずめの形を残していますね!油で揚げたことによる香ばしさと、生地部分の甘み、そしてカマンベールチーズの塩味が超絶バランスが良くて、これはいくつでもいけそうなお味でした。これはどのお味もおいしいに違いないです。

軒先に飾られていた雀さん。伊達家の家紋も「竹と雀」ですので、やはり仙台城といえば雀なのですねぇ❀ちなみに揚げていないものも販売されているようです。仙台のお土産と聞くと、”萩の月”か”笹かま”しか知らない私ですが、これは新しいお土産の定番になるやもしれません。萩の月、あのふわふわがたまらなく美味しいですよね。また今度購入して食べたいものです。

次回はやっと仙台城跡を巡ります!ではでは❀