SIMPLE

シンプリストになりたいのです

本・人間失格

太宰治の『人間失格』を読みましたので、ネタバレ交えて綴ってまいりたいと思います。

人間失格』はどのような物語か

 

第一の手記はかの有名な台詞「恥の多い生涯を送ってきました」という男の告白から始まります。

男の名前は大庭葉蔵、東北の裕福な家庭に生まれました。葉蔵には人間というものが、まったく見当がつかないのです。周囲の人間…下男や下女、さらには家族すら理解することが出来ません。「空腹」という感覚がどんな感覚なのかすら、さっぱりわからないのでした。そんな人間の営みというものが理解できず苦悩した葉蔵は、子どもの頃にはすでに道化を演じることに徹して、ただ笑って、一言も本当のことを言わない子になっていたのでした。

家族や下男、下女の前では必死におどけ、彼らを笑わせ、道化のサーヴィスをしたのです。それは学校でも同様です。葉蔵は子どもの頃から病弱ではありましたが勉強は「できる」子でした。そのため尊敬のまなざしを向けられそうになりますが、そのまなざしすら恐怖である葉蔵は、学校でも道化に徹し、学友や教師を笑わせることで「お茶目」な子を演じるのでした。

第二の手記は葉蔵の中学生時代から始まります。葉蔵は実家から離れた東北の或る中学校に入学します。その中学校のすぐ近くに住む、親戚の家にあずけられたのです。そのころにはすっかりお道化も身について、周囲を欺くのに苦労を必要としなくなっていました。誰も葉蔵が演技をしているだなんて思いもしません。

しかし、竹一という生徒に見破られてしまったのです。葉蔵は世界が一瞬にして地獄の業火に包まれるような心地がして、それ以来、竹一がその自分自身の秘密を周囲に言いふらすのではないかと不安で不安でしょうがなくなるのです。そうしているうちに、葉蔵は少しずつ竹一との仲を深めるのでした。

そんなある日、竹一は一枚の口絵を持ってきました。「お化けの絵だよ」といってみせたそれは、ゴッホの自画像でした。

あまりに人間を恐怖している人たちは、かえって、もっともっと、おそろしい妖怪を確実にこの眼で見たいと願望するに到る心理、神経質な、ものにおびえ易い人ほど、暴風雨の更に強からん事を祈る心理、ああ、この一群の画家たちは、人間という化け物に傷めつけられ、おびやかされた揚句の果て、ついに幻影を信じ、白昼の自然の中に、ありありと妖怪を見たのだ、しかも彼らは、それを道化などでごまかさず、見えたままの表現に努力したのだ、竹一の言うように、敢然と「お化けの絵」をかいてしまったのだ、ここに将来の自分の、仲間がいる、と自分は、涙が出たほどに興奮し、「僕も画くよ。お化けの絵を画くよ。地獄の馬を、画くよ」と、なぜだか、ひどく声を潜めて、竹一に言ったのでした。

竹一から「女に惚れられる」という予言と「偉い絵描きになる」という予言を額に刻印され、東京にある高等学校へ進学するのでした。

上野桜木町にある父の別荘で暮らし、画塾にも通うようになりました。そこで堀木正雄という男と出会います。葉蔵は彼から酒とたばこ淫売婦と質屋と左翼思想とを教えられたのでした。彼の言うことには一向に敬意は感じず常に軽蔑し、交友を恥ずかしく思いながらも、遊び相手としてはいいかもしれないと考え、交友を続けていくうちに、結局は竹一同様に堀木にも打ち破られるのでした。

それから学校にもほとんどいくこともなくなり、共産主義の秘密の会合に参加しかえってクタクタになる日々の中、ツネ子という人妻に出会います。夫は今獄中にいて、彼女はカフエで働いているようです。彼女からは無言の侘しさをまとっているようで、葉蔵は自身の恐怖からも不安からも一時離れることができたのでした。

自分は、これまで例のなかったほど、いくらでも、いくらでも、お酒を飲み、ぐらぐらよって、ツネ子と顔を見合わせ、哀しく微笑み合い、いかにもそう言われてみると、こいつはへんに疲れて貧乏くさいだけの女だな、と思うと同時に、金の無い者どうしの親和(貧富の不和は、陳腐のようでも、やはりドラマの永遠のテーマの一つだと自分は今では思っていますが)そいつが、その親和感が、胸に込み上げて来て、ツネ子がいとしく、生まれてこの時はじめて、われから積極的に、微弱ながら恋の心の動くのを自覚しました。

それから、女も休んで、夜明けがた、女の口から「死」という言葉がはじめて出て、女も人間としての営みに疲れ切っていたようでしたし、また、自分も、世の中への恐怖、わずらわしさ、金、れいの運動、女、学業、考えると、とてもこの上こらえて生きていけそうもなく、その人の提案を気軽に同意しました。

そうして葉蔵とツネ子は鎌倉の海に飛び込みました。ツネ子は命を落としましたが、葉蔵だけ助かりました。病院から警察に引き渡され、最終的には実家から縁を切られてしまいます。渋田(葉蔵の中ではヒラメと呼ぶ)という男に引き取られ、軟禁状態の日々が始まります。

第三の手記は、それからの葉蔵についての生涯が綴られた手記でした。

して翌日も同じ事を繰返して、昨日に異らぬ慣例に従えばよい。

即ち荒っぽい大きな歓楽を避けてさえいれば、自然また大きな悲哀もやってこないのだ。

ゆくてを塞ぐ邪悪な石を蟾蜍(ひきがえる)は廻って通る。

上田敏訳のギイ・シャルル・クロオとかいうひとの、こんな詩句を見つけた時、自分はひとりで顔を燃えるくらいに赤くしました。蟾蜍。

(それが、自分だ。世間がゆるすも、ゆるさないもない。葬むるも、葬むらなぬもない。自分は、犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。蟾蜍。のそのそ動いているだけだ)

幸福であることですら恐怖する葉蔵は、シングルマザーやバーのマダムなどと破壊的な女性関係におぼれ、一時は結婚し幸せをつかみそうになるも、再び酒、煙草、睡眠薬、果てはモルヒネ中毒となり、狂人、廃人へと落ちてゆくのでした。

堀木のあの不思議な美しい微笑みに自分は泣き、判断も抵抗も忘れて自動車に乗り、そうしてここに連れてこられて、狂人という事になりました。いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや廃人という刻印を額に打たれる事でしょう。

人間、失格。

もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。

よもやま話

学生の頃に太宰治の『走れメロス』を国語だったか、道徳の授業だったかに読んが記憶があります。

暴君と化した王を倒すために王に歯向かい、処刑されることになったメロス。たった一人の妹に亭主を持たせて結婚式を済ませてくるために三日間の猶予を願います。約束を必ず守り、必ず帰ってくると誓い、それまでの間は竹馬の友であるセリヌンティウスを人質とし、自らが戻ってこなかったから彼を絞首刑に…というのです。

当時の私は、いあいあいあセリヌンティウスのいないところで勝手に決めたらかわいそうやん!という突っ込みが頭から離れず、感動のラストがひどく霞んでしまったのですね。そんなこんなで太宰治の作品はこの『走れメロス』を除いて読んでいなかったのです。

たまたまXで仲良くなってくださった方から『人間失格』をお勧めいただいて、そういえば昨年のやりたいことリストにも「純文学をチャレンジする」と入れておきながら(今年も入れています)、結局は果たすことが出来ないでいました。これはチャンスということで、図書館で借りて読んでみたわけです。

私の語彙力の無さ故に読みづらいところもいくつかありましたが、それでも引き込まれるような何かがありました。読んですぐに、もう一度読みたいと、再読したいと思った作品は久しぶりかもしれません。

不思議と思ったことが「美しい文章」ということ。宝石のようにキラキラしているわけでも、清流のように澄み渡っているわけでもありませんが、それでも美しいと思ったのです。これは自分でも不思議な感覚でした。太宰を読んで美しいと感じるのか…と自分の心を客観的に分析してみましたが、結局どこがというのは解らずじまいでした。

随分と以前のことですが、太宰が好きな方々が『人間失格』は自身のために書かれた作品だ!とか大庭葉蔵は自身のことだ!と言っているのを見かけました。彼らは今どうしているのかしれませんが、なんとなく意味がわかったような気はしました。これは私自身の作品だ!とは思いません。でも私も大学生くらいのころはこういった自意識に苛まれ、同じようなことを思っていたのかもしれないな、もっともっと昔、十年以上前にこの作品と向き合っていたら、私の”考え方”に大きな影響を与えたであろうことは間違いありません。

作品の中のひとつひとつを考察しても足りない、何度も読み返して、太宰を1㎎でも血肉にできることができれば、私も少しは美しい文章がかけるのでしょうか。

人間失格』を読もう

人間失格』を過去に読んだけれど、最後はどうなったかしらん?であったり、読もうと思っていたけれど、そういえばまだ読んでなかったなぁ…。なんて人もいらっしゃるのではないでしょうか。

もちろん最寄りの本屋さんや図書館で借りて読む…というのも良いですが、「青空文庫」を活用するのはいかがでしょうか?

www.aozora.gr.jp

青空文庫とは著作権が消滅した作品を無料で提供している電子書籍サービスです。

www.aozora.gr.jp

作家事のリストもあり、こちらから太宰治の作品を読むことができます。電子書籍に抵抗がない方はぜひご活用いただければと思います。

個人的には、新潮文庫に掲載されている解説がとてもよかったので、電子書籍を読んでみていいなと思われた方はそちらも読んでいただければさらにうれしいです❀