SIMPLE

シンプリストになりたいのです

ゼラチンで 芋ようかん をつくる

先日、人生ではじめて こしあん を作成いたしました。

夫は、家で作成した餡子に関しては、つぶあん よりも こしあん が大層気に入ったようです。次回も、こしあんがいいね とリクエストを受けました。何より、こちらでも いつも以上に嬉しい言葉や反応をいただき、ありがたい限りでございます。

こしあん作成時に小さな火傷をして痕が残りましたが、今ではこれが戦士の勲章のように感じております。

作成した こしあん の大半は、ゼラチンを混ぜて水ようかんへと変貌いたしまして。我が家のおやつとして楽しんだのですけれど、そこで夫がポツリ。

「家で水ようかんができるなら、芋ようかんもできるんやろうか?」

はい、そんなこと言われたら試さないではいられませんよね。そんなわけで、今回は芋ようかんの作り方などについて綴っていきたいと思います。

今回の作り方は普段芋ジャムを作成する作り方を少々アレンジしただけのものですので、正しい作り方などを調べたわけではありませんのであしからず。

材料

サツマイモ

砂糖

ゼラチン

あればバター、生クリーム、塩

①サツマイモを小さく切る

~1㎝くらいの大きさになるように切ります。面倒であれば、ざっくり切ってハンディチョッパーなどで細かくしてもOKです。我が家ではサツマイモが安い日に購入し、カットして冷凍しておいたものを解凍して作ります。

②鍋にサツマイモ、砂糖、水、お好みでバターや生クリームを入れて沸騰させる。沸騰したら、火を弱めて20分~30分くらい煮込む。サツマイモが柔らかくなったらOK

サツマイモの分量の1/3~1/2くらいの砂糖とサツマイモを鍋に入れます。サツマイモの全体がつかるくらいの水を入れて中火で煮込みます。灰汁が出たら取りつつ、沸騰させます。沸騰したら、火を弱め、焦げ付かないように混ぜながら20~30分煮込みます。

我が家では風味付けに余っていた生クリームとバターをちょっと入れてみました。コクがでたらいいなぁと。

サツマイモの色が透き通って柔らかくなり、水分がほとんどなくなれば、ひとまず芋ジャムが完成です!

③ボールにザルをのせ、少しずつサツマイモをこす。

欲張らずに少しずつ、芋ジャムをこしていきます。

④こした芋ジャムと、2/3くらいの水を鍋に戻し、弱火にかけます。全体が均一に混ざるように、よく混ぜます。

芋ジャムを作っていた鍋があいていたら、そこにこした芋ジャムと水を入れます。鍋の掃除にもなるので一石二鳥です。

弱火で沸騰しないように気を付けながら、よく混ぜます。

⑤水で増やしたゼラチンを鍋に入れて、再びよく混ぜます。

⑥器に入れて粗熱が取れたら、冷蔵庫で冷やして固まったら完成

水ようかんの際は、粗熱をとるまで氷水で冷やしたのですが、今回はあまり時間がなかったため省略いたしました。時間に余裕があれば、粗熱をとってから器に入れてあげた方が、均一なようかんができると思います!

よもやま話

鍋の淵に残っていた芋ジャムの皮などが入り込んでいて、これはこれでいい感じにできました❀お味もいい感じでした!…とは言うものの、実はあまり芋ようかんって食べたことがないのです。なのでこれが正解なのかは分からないのですけれど、美味しかったから有りということで。

ちなみに、こす際にわざと少し芋ジャムを残しておきました。そして、こしてできたカスの部分を再び芋ジャムにいれて混ぜれば、芋ジャムとして楽しむことが可能です。

こしあん の際も、こしてできた小豆の皮部分は別で砂糖などを入れて煮込むと こしあんつぶあんの間のようなものができます。我が家では こしつぶあん命名いたしました。

ある日の朝食。芋ジャムと、こしつぶあんをパンに塗って焼いたもの。こしつぶあん はラップに少量ずつ包んで冷凍しています。1ヶ月くらいはもつと思われます。完全に固形に凍らないので、使う際はそのままパンに乗せて、伸ばして、焼いたら一緒に解凍されるので手間もありません❀

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今回の作成方法はすべて、今まで作成してきたもろもろをアレンジして作ってみたものでございます。おうちでも簡単に、自分好みのお菓子を作成することができますので、もし興味がありましたらチャレンジしてみてくださいませ!1つ注意点をあげるとすると、芋ジャムも餡子も煮ているときに跳ねると結構熱いです。火傷などには十分注意のうえ、チャレンジしてみてくだされ~。我が家は基本的に分量は目分量で適当なのですが、それでもなんだかんだ美味しくなるので、きっと大丈夫!

暑い夏、極力お外に出たくはありませんので、おうちカフェでいろいろ楽しんでいきたいと思います❀

 

セーター を 解く

今回は、ちょっとばかし季節はずれのお話を。今から数年前…、少なくとも5年前に購入したセーターがあります。

それがこのセーター。どこにでもあるベーシックなデザインですが、全体的にゆったりとしており、また腕部分が広がっているのがお気に入りポイントでした。デザインや着心地が気に入って、2枚体制でヘビーユーズするくらい、お気に入りだったのです。

仕事、プライベートの両方で着用するため、定期的に毛玉の除去などのメンテナンスはしておりました。それでもやはり寿命はきてしまうもので、1枚は2年くらい前に、袖部分が 盛大にほつれてお別れを。残されたこの1枚も、あちらこちらにヨレや、どうしても落ちない袖部分の汚れ、毛玉除去を繰り返したため薄くなっている部分などが見受けられるようになりました。

さすがにこれを着て、おでかけすることはできない…。言ってしまえば、着ていてテンションが上がらない。自分のモチベーションが上がらない服は、どれだけ過去気に入っていたとしても、一度着なくなると、もう着なくなってしまうもので。外に着ていけない服なら、ルームウェアにしてしまえばいいじゃないか…がなんとなくできない私には、これは困った事態になりました。

着ないなら捨てればいい、でも捨てたくない。愛着というものが、私の断捨離欲を阻害して、どうにも捨てることができないのです。どうしたものか。普段であれば、もう少しすんなりと断捨離することができるのに、今回はなかなかお別れすることができません。

そんなわけで。もういっそ形を変えてしまえばいいのではないかという結論に至りました。

セーターをばらして、パーツごとに分けます。

あとはひたすら糸をマキマキマキマキしていきます。ところどころ、毛玉は回収。もうひたすらマキマキマキマキしていきます。最終的に直径15㎝と13㎝の大きさの毛糸玉が2つ完成いたしました。

本来であれば、毛糸に型がついてしまっているので、それをまっすぐにしながら伸ばすのだそうですが…。さすがにそれは面倒ですので、今回は省略いたしまして。

この巨大な毛糸玉で、冬までに何かを作成してやろうと目論んでおります。とはいえ、簡単な編み方しかできませんので、巨大なボレロを作成するか、マフラーやひざ掛けを作成するか…。毛糸の編針は実家に置いてきてしまっているので、最寄りの手芸屋さんなどで購入してから考えたいと思います。

冬までに…!あまり編み物はしたことがありませんが…!何かできるといいな!

…ということで。ここで宣言しておいたら、さすがの自堕落な私でも動きそうですからね。宣言しておきたいと思います。

最近はメンテナンスに関わるお話をいくつかしたのですが、こういう物との関わり方もあるかと。形が変わってしまっても、物とのつながりが0になるわけではありませんからね。

昔、どいかやさんの「服を10年買わないって決めてみました」という本を拝読したことがあります。ご自身が大量の衣服を既に持っているということに気がつき、それ以降10年間、新しい服は購入しないと心に決め、試行錯誤しながら10年を過ごされたというお話です。ストッキングや下着などの消耗品は購入してOKとはいえ、10年とは…!と感動いたしました。私は1年でもできる自信がありませぬ。

そして試行錯誤の10年なかで、今ある衣服をリメイクするといったお話も綴られていて「大切にする」にもいろいろあるのだなぁと再確認させられたものです。

実は私、裁縫は苦手な分野なのです。絵や料理であれば、あとからごまかす ということができます。けれど裁縫は、ごまかすということが難しいでしょう?私は器用なのではなく、ごまかすのが上手い人間なのだと自覚しております。

それでも、できることからチャレンジしていきたいという気持ちもあるのです。10年間服を買わないということが無理でも、今あるものを大切にすることはできます。

冬までに、〇〇を作成したよー!とこちらで報告できるように、頑張りたいと思います❀お裁縫も練習して、上手になりたいなぁ。

 

入れ物 も 宝物 にしたい

「これはね、おばあちゃんの代から使っているものなの」

そういった物に憧れがあります。桐ダンスであったり、着物や、装飾品であったり、物自体は何でもいいのですけれど。

先日、わしゃがなTVというYouTubeチャンネルに大塚明夫さんがゲスト出演されていました。そこで、おじい様とお父様(大塚周夫さん)の腕時計を大切にされているというお話をされていたんです。


www.youtube.com

今はもう動かなくなってしまった腕時計でも大切に保管し、そこにはたくさんの思い出が詰まっている。そんなお話を拝聴して、素敵だなぁ、かっこいいなぁと浸ったものでございます。

我が家にも、実家にも、夫の実家にもそういったものは特になく。また、我が家は子どもをもうけるつもりはありませんので、このお話は憧れのまま終わってしまうかもしれません。もしかしたら姪あたりに、何かをあげることがあるかもしれませんが、それは遠い未来の話になりそうです。

そういった憧れは、何も最近芽生えたわけではありません。ミニマリストを目指すようになった25歳くらいからですから、もう9年~10年くらいになるでしょうか。その際に、せめて自分の生涯を通して持ち続けることができるものを買おうと思い立ち、2つ木製の箱を購入したんです。

1つ目がこちら。

インターネットで購入したので、メーカーなどはわかりません。デザインやレビューを参考にして購入しました。

本来は救急箱ですが、私はメンテナンス用品を入れるケースとして使用しています。椿油やシルバー磨きなど。あとは母からもらった櫛も壊れてしまっては困るので、こちらに入れて保管しています。

2つ目はソーイングボックスです。

こちらも同時期にインターネットで購入しました。

上部が横にスライドして開閉できるようになっています。こちらはちゃんと裁縫箱としてしようしています❀あまり量がたくさん入るというわけではありませんが、木の手触りなんかがお気に入りです。

ちなみにこのソーイングボックスは、過去作成したミニチュアのモデルでもあります。

ミニチュアで制作した裁縫道具たち。こうやってミニチュアを制作することで、更に愛が深まったように感じます❀

 

救急箱もソーイングボックスも、年に1~2回は中身を出して掃除して、椿油を塗って…とメンテナンスしながら使っています。先日、シルバー磨きでお香台や夫のネクタイピンをメンテナンスしたというお話を綴りましたが、こういう風にメンテナンスしつつ物を使い続けると言うのが理想です。とはいえ、何事もメリハリが大切ですから、身のまわりで長く使い続けるものとそうでないものを区別して、厳選しているつもりです。

はてさて今回は我が家の付喪神計画の有力候補を2つご紹介いたしました。私の生涯、残り何年あるかはわかりませんけれど、この子たちを付喪神にすべくこれからも大切に、仲良くしていけたら幸いですね❀

 

本・一線の湖 の感想

前回、「線は、僕を描く」という水墨画をテーマにした小説を読了し、感想を綴りました。今回は、その続編の「一線の湖」についてネタバレを交えて綴りたいと思います。

それにあたり「線は、僕を描く」のラストの内容にも触れることになりますので、ネタバレを気にされる方はご注意くださいませ。

あらすじ

17歳で両親を交通事故で失うという悲しい過去から、自身の心の中にある真っ白なガラスの部屋にこもりがちになってしまった主人公の青山霜介。大学生になり、たまたま参加した展示会の飾り付けのアルバイトをきっかけに水墨画に出会います。

そこで水墨画の巨匠 篠田湖山に見いだされ、内弟子になることに。湖山の孫・千瑛は霜介が弟子になることに抗議し、翌年の展覧会で湖山賞をかけて勝負すると言い出します。

それから霜介は篠田湖山や千瑛、内弟子の西濱湖峰や斎藤峰栖など名だたる水墨画家から、様々なことを教わっていきます。水墨画とは、自然とは何か、内なる世界とは…水墨画を通し、少しずつ心に色を取り戻し、前に進みだす霜介。

そうして翌年の展覧会。千瑛も霜介もそれぞれの答えを水墨画に込め、それぞれが賞を受賞するのでした。

 

そんな展覧会から2年後。大学3年生になった霜介に進路という壁が迫ってきていました。水墨画家として水墨の世界で生きるのか、それ以外の道に進むのか。就職活動が始まっている時期だというのに、ただ目の前の課題をこなす毎日を送っていました。

悩んでいるかどうかすら、分からないというのが本当のところだ。進路に関しては迷い続けている。今の学生生活に不満があるわけじゃない。今の生活だって、僕にとってはようやく獲得したものだ。だから、これからどうしたらいいのか分からない。分からないまま、時間が過ぎて大学三年生になった。

(P8より引用)

千瑛はというと、その本人と水墨画の美しさが人気になり、TVや雑誌などで水墨画を広めるために忙しくしているようです。

そんなある日、霜介は初めて参加した揮毫会で大失敗をしてしまいます。

「あのね、遊ぶこともまた、自然なんだよ」

目を逸らし続けていると、先生は立ち止ったままだった。何を言っているのか、まったく分からない。今日、大切だったのは遊ぶことではなく、失敗しないことだったはずだ。

「青山君、顔をあげなさい」やっと視線が合うと、また朗らかに笑った。

「そんなに気にしなくていい。誰も何も失ってやしない。君が失敗だと思ってるものだって、今日のような場所でないと得られなかっただろう」

「そうかもしれません」

優しい言葉をかけてほしいとは思わなかった。責められたほうがずいぶん楽だったはずだ。僕は先生が何を言っているのか分からなかった。優しい言葉の響きだけを聞いていた。

「私は君にまだ大切なことを伝えきれていないのかもしれないね」

(P36より引用)

湖山先生は霜介に気にしないように諭しますが、霜介にはその言葉がなかなか届きません。

「あのね、青山君。こんなこと言うのは心苦しいが、少しの間、筆を置きなさい。悪いことは言わない。会場でも同じことを言ったが…」

と言った。僕ら二人の間に、マイクが差し込まれてその言葉だけが拾われてしまった。

「それってどういう意味ですか?」

と、人だかりのうちの誰かが声をあげた。スライドドアは閉まり始めて、手を離された。クラクションが小刻みに鳴らされている。低速で去っていくバンを見送りながら、人だかりは僕に移り、無数のマイクやフラッシュが囲んだ。

「さっきのは破門ってことですか?」

と、だれかが言って、僕は首を振った。

まさかそんな、そんなことはないだろう。

あんな優しい声で破門だなんて。

(P37より引用)

揮毫会の様子はTVでの放映もされていたため、霜介の失敗は瞬く間に人々の知るところになりました。大学でも、冷ややかな目を向けられ、こそこそと陰口をたたかれているのを耳にします。授業では親友の古前や、古前の恋人の川岸が霜介を守る壁となりましたが、それでも自身の失敗を改めて痛感するのでした。

ただただ茫然と授業を受けていると、兄弟子の西濱から連絡がありました。とある小学校で水墨画の授業をしなければならないが、体調を崩してしまいできそうになく、応援に来てほしいという連絡でした。

霜介は大学を抜け出し、西濱の指定した小学校にやってきました。そこは、霜介の母親が勤めていた小学校だったのです。数年前、母親が他界するその日まで勤めていた場所でした。

霜介は教室に水墨画の道具を準備し、西濱が子どもたちの前で水墨画を描きます。描かれたのは竹でした。

両側を丁寧に調墨された節は、水分が紙に浸透し始めると、さっきよりも鮮やかにグラデーションが現れた。ここで速度を落とし、彼は筆を置いた。手元にあった固形墨をゆっくりと磨り、説明を始めた。

「いまは最後の仕上げのために墨を磨っています。俺は仕上げの前には、なるべくこうやってゆっくりした時間を作るようにしています。すぐに終わらせられるけれど、ちょっと待つ。不思議なもので、完成の前にこの『ちょっと』を持ってるとうまく行くことが多いです。休むことが大事な意味を持つときもあるんです」

いつの間にか引き込まれ、なるほどと思いながら聞いていたけれど、こんな説明、子どもたちにわかるのだろうか。声音も違う。少しだけ、こちらと視線が合い、椎葉先生の方も見た。西濱さんは僕らにも見せてくれていたようだ。彼に見えているのは両面だけではない。本当によい仕事をする人だなと思った。

(P53より引用)

そうして、お次は子どもたちも…ということろで、西濱の体力は尽きてしまいました。西濱は別で休むことになり、霜介がクラス担任の椎葉先生とともに子ども達に水墨画を教えることになりました。

子どもたちがそれぞれ筆を持ち、挑戦する中、霜介は1人の少女・水帆に目がとまります。

「間違ってない?」私は正しいの、と訊ねられたような気がした。僕は首を振った。

「そもそも、間違いなんてないんだよ。楽しさがあるだけだ」

自分で言った言葉に、僕自身が驚いていた。かつて、僕自身が湖山先生に教えられた言葉をなぞっている。あのとき言われた『楽しさ』とは何か、ただ『面白い』という言葉だけではとらえられない物、正しさにも間違いにもとらわれないもっと大切なものを、湖山先生は『楽しさ』と表現したのかもしれない。彼女の絵を見ていると、そう思えた。

この絵の中にある時間や『楽しさ』はいま描き込まれ、繋ぎ止められた。それだけじゃない。彼女の中に、絵を描く喜びが生まれたのだ。一生懸命に絵を見ている横顔を眺めていると、それに気づいた。

(P58より引用)

彼女が描きあげた絵を、そして喜んでくれたことを霜介は忘れることはないだろうと考えます。そのあとの授業は、子どもたちが騒いだりで散々ではありましたが、それでも無事、授業を終えることができました。

西濱を車で自宅に送り届け、道具をアトリエに戻すために霜介は湖山先生のアトリエへ向かいます。そして湖山先生に今日の授業であったことを報告します。すると、小学校からまた授業に来てほしいと依頼があったことを湖山先生から伝えられます。

西濱は多忙が原因で体調を崩しているということでしばらく休養するため、もし授業をするとすれば、先生役は霜介がすることになります。筆を置いて休んでほしいと思っている湖山先生からすると心から後押しすることはできません。それでも湖山先生は霜介に授業を続けるかどうかを決定権をゆだねるのでした。

それから霜介は、授業を続けることを決め、それいことにかく子どもたちのための授業の内容を考えることに時間を費やすようになりました。子どもたちに水墨画を教えることで、忘れてしまっていたことを思い出させてくれる、そんな場所になりました。それと同時に、母親がどんな仕事をしていたのかを知っていくのでした。

授業の後、校長先生に呼ばれた霜介は校長室へと足を運びます。校長は霜介の母のことを知っており、母についての話を耳にすることになります。そして、子どもたちのクラス担任の椎葉先生も、母のことを知っている先生でした。そして霜介が水墨画の世界にいることを知り、授業を依頼してきたのでした。

「敬子先生が言っていました。誰かのすごく良いところは、実は欠点のように見えるものの中に隠れてるって。大きな可能性は簡単に見てとれるようなところには、隠れていないんだって。それは子どもたちの中では大きすぎるから、あなたが子どもに向き合う姿を見て、先生がそう言っていたことを思い出したんです」

僕もその言葉に母のことを思い出していた。母はこう言っていた。

「誰かにダメつて言われても、自分が素敵だと思ったものを信じなさい。そこにあなたの宝物が見つかるから。あなたにしか見えない宝物がこの世界にはたくさんあるから」

(P111より引用)

椎葉先生と母の思い出話に花を咲かせていると、椎葉先生は1冊の本を霜介に手渡しました。それは、学習指導計画書。霜介の母が毎日綴っていた日誌で、最期の日まで使っていたものでした。

それから霜介の日々はとても忙しいものになっていきます。大学の授業や、子どもたちの水墨画の授業、そして小学校での揮毫会、更には大学でも揮毫会をすることになります。湖山先生から筆を置くように言われてはいましたが、霜介は筆を置くことはなく、毎日水墨画を描き続け、身体もどんどんと擦り減っていく毎日でした。

また、水墨画を初めたときに湖山先生からもらった筆も壊れてしまいました。霜介は湖山先生に事情を話ますた、新しく渡された筆は、穂先が曲がり使い古した1本の筆。これでは、繊細な水墨画どころか、1本の線を描くことすら困難です。

そんなある日、霜介は右手に大怪我を負ってしまいます。

「筆はお返ししなければ、なりません」

先生は一度だけ瞬きをした。閉じて開かれた目は、さっきよりもずっと憂いを帯びていた。秋が冬に変わるような寒さを見ていた。

「どうして」

「右手がきかなくなりました。まだ誰にも言っていませんが、感覚がないんです。筆を持つことはできそうにないです」

「右手を感じないのかい?指先が消えてしまったように」

「ええ。そうです。指先が消えてしまったように。手から何かが奪われたような感じです。動きはしますが、消えてしまいました」

先生は自分の右手の指をゆっくりと握った。

「大切な筆だと言う事ですから、後日お返しします。本当に今までありがとうございました。僕の道はここで終わりのようです」

(P192より引用)

そして霜介は全身の痛みに耐え、湖山先生に感謝を述べます。

「涙をとめて、そう言ってくれれば、私も頷くことができた。君には無理をさせてしまったと自分を責めていたから」

右手で頬に触れると濡れていた。

「君はまだ、見えていない」

僕は黙って先生を見つめていた。何を言っているのだろう。

(P193より引用)

湖山先生は霜介にはまだ森羅万象が見えていないと言います。そして、もう一度揮毫会をすることを提案します。その揮毫会は、湖山先生の引退セレモニーで行うと言います。それまで湖山先生の山奥にあるアトリエで身体を休めるように勧められるのでした。

母親のことや様々なことに心の整理がついた霜介は、湖山先生のアトリエに行くことに決めます。山道を超えてやってきたそこには、ただただ美しい山と湖があり、そのすぐ近くに1軒の建物がありました。そこには、とある一人の男性がいて、その建物や周囲を管理しているのでした…。

感想

失礼な感想かもしれないのですけれど、読み終えて一番最初に頭に浮かんだ言葉は「アベンジャーズや…」でした。読み終えた方なら理解してくれるかな…と思うのですけれど、敵対している人達がいろいろな試練を乗り越えて味方になっていく。そして最後にはラスボス的な相手を相対して勝利を収める。そんな感じ。

水墨画をテーマにした小説なのに、不思議な感想ですよね。別に、ドッタンバッタン銃撃戦をしたりするシーンなんて一つもないんですよ。最後まで優しく、美しい世界でした。

この前編の「線は、僕を描く」だけでももちろん物語は完結していましたけれど、「一線の湖」を読了してみると、本当に物語が完結したんだなと感じさせられました。両方読むと、結構な分量にはなりますけれど、読んでよかったです。

個人的には霜介君が山に籠ってからの物語がすごい良いなぁと。「線は、僕を描く」では感涙ということはありませんでしたが、「一線の湖」はいくつか涙腺崩壊するシーンもありました。アトリエにいたとある人物がね、このお話が最高に良かったです。愛だなぁ…って。染みました。

ちなみに、千瑛さんと霜介くんの恋模様については特に描かれることはありませんでした。「一線の湖」では恋愛ではなく、霜介くんの進路であったり、水墨画についてがテーマとなっているので、恋愛要素は皆無です。川岸さんと古前君は良い味を出していましたけれど。

でもですね。個人的に、これもうプロポーズやん!と思ったシーンがありまして。

「私がとても残酷なことを言っているのは分かってる。でも、それも本当の気持ちだから。だから、決めたことがある。いい?怒らずに聞いてほしい」

僕は自分を押さえつけて頷いた。

「もしあなたがこれから筆を持たないなら、私も筆を持たない。あなたが描くのなら、私も描く」

「何を言っているの?描くことは千瑛さんのすべてだろう」

「違う。描くことだけをすべてにすると、描けないものがある。気づけないことがある。私はやっとそのことに気づいたのかもしれない。一つのことだけ追いかける季節が終わったのかもしれない。分かってほしい」

(P211-212より引用)

水墨画家として生きてきた千瑛さんからしたら、これってもう人生や命に関わる話なんですよね。それを託すって…もう。恋愛的な関係ではないかもしれない。でも画家としての、自分の核の部分の運命を相手にゆだねるって…!!!と、一人邪推して狂喜乱舞しておりました。いやはや尊い

よもやま話

作中で描かれている絵って、扉絵とかにあるわけではないから、ひたすら想像するしかないんですけれど。その絵が正解なのかどうかっていうのは、たぶんさほど重要じゃなくて、それが心の中に浮かんでいく過程が重要なのかなぁなんて思いました。

今までも絵画が作中に出てくる小説は読んだことがありますが、0からの想像っていうのはあまりなく。あっても、図解や扉絵で答えのあるものや、調べればすぐにわかるものばかりでしたから、答えのない絵を想像するというのも面白い作業でした。

文章としては難解になりそうなのに、そこに躍動感が生まれるところがワクワクして。だからアベンジャーズだ…なんて思ったのかもしれません。面白かったなぁ。

はてさて、次は何を読みましょうかね?

 

本・線は、僕を描く の感想

水墨画、知ってはいるけれどよくは知らない世界。美術に興味はあるけれど、どちらかというと西洋美術が中心で日本の伝統美術ってあまり知らなかったりします。

今回はそんな水墨画をテーマにした小説「線は、僕を描く」を読みました。感想をネタバレ交えて綴っていきたいと思います。

第1章 の あらすじ

主人公の青山霜介は大学1年生。同級生で自称親友の古前に誘われて、巨大な総合展示場に来ていました。「簡単な飾り付けのアルバイトだ」と聞いていたのに、蓋をあけてみると まるで話が違います。大きなパネルを何十枚も運ぶという、かなりの肉体労働。一人、また一人とアルバイトたちがいなくなり、残されたのは霜介と作業を監督する西濱の2人だけなってしまいました。

狼狽える西濱を横目に、事の発端である古前に連絡をすると急ぎ応援をよこしてくれました。駆け付けたのは、体育会系の生徒たち。おかげで無事展示会の準備を完了させることができました。

霜介たちが準備していたのは、水墨画の展示会でした。せっかくの機会だからと西濱は、霜介に展示をみていかないかと訊ねます。そして展示が始めるまでは、控室で配る予定のお弁当を食べて良いと言うのです。

しかし控室の場所がわからない霜介は道中迷ってしまいました。そこに小柄な老人あらわれ、霜介は控室の場所を訊ねます。ちょうど老人も控室に用があったようで、一緒にいくことになりました。

控室につくと老人は黒い包みの大きな重箱の弁当を2つダンボールから取り出してくれました。霜介が、これを食べてよいのかと質問すると、全く問題ないと答えます。

老人は視線をあげてこちらを見た。僕の手元を見ていて、

「きれいな箸の持ち方だね」

と、僕をほめた。そういえば、両親が生きていたときにも、そのことを両親に褒められたことがあった。僕はとても器用に箸を使うし、持ち方がきれいだと言われていた。自分ではよく分からない。

(文庫版P23より引用)

食事が終わると、老人は霜介をお供に会場へと向かいました。先ほど準備したパネルには、水墨画の掛け軸が飾られているところでした。老人は、霜介に水墨画1枚1枚の感想を求めます。霜介もそれに対して、1つ1つ思いついたことを答え、いくつもの絵画を巡っていったのでした。

「凄いね。君はプロの水墨画家顔負けの目を持っているね。なかなか鋭いところをみている」

「いえ、そんなことはまったくないです。ただ、こういう何もない場所にポツンと何かがあるっていう感覚は凄くしっくりくるんです」

「しっくりくる?君の年でそんなことを思うのかい?」

「ええ。日常というか、とてもよく知っている感覚に近いような…」

「それはどうしてかな?」

老人はとても無邪気に訊ねた。僕はなぜか、を改めて考えてみた。話しながら思ったけれど、僕はこの余白の感覚や、真っ白になって消えてしまう感覚をよく知っていた。

それはたぶん、

「僕にも真っ白になってしまった経験があるからです」

と答えた。自分でもどうしてそう答えたのか、分からない奇妙な言葉だった。それを聞くと老人は、ほんの少し目を細めて頷き、

「君はその年で、本当にいろんなことを知っているんだね。それは、もしかしたら人が一生生きたって分からないことかもしれないよ。その真っ白を心から知りたいと思う人だって、世の中にはいるんだよ」

(P27-28より引用)

そして2人は最後に1枚の絵の前にやってきました。5輪の華麗な薔薇の絵でした。墨一色で描かれたはずのその絵が、燃えるような赤を感じさせます。

「墨一色で描かれているのに、色を感じます。凄いですね」

「そうかね?どんな色かな?」

「真っ赤です。なんでだろう?赤い色を見ている感覚で墨の黒い色を見ています。赤と黒がだまし絵のように切り替わる不思議な感じです」

(P28より引用)

霜介と老人がその薔薇の絵について話していると、気の強そうな美女がやってきました。年齢は霜介の少し上くらいかでしょうか。彼女は老人の孫で、その老人を探していたようでした。そして、ちょうど彼らが見ていた絵を描いた本人でもありました。彼女は霜介を警戒しつつも、自身の絵の感想を求めます。

「絵としては本当に凄いと思いました。墨の色をこんなにも赤く感じたことは初めてです。ですが、花が強すぎて、花以外は何も見えなくなりました。ただ精巧な花が、情熱的に描かれているとしか」

僕はそのまま鋭い瞳で、突き殺されてしまうのではないか、と思った。だが、彼女は憤りを収めて真摯に言葉を受け止めて思案していた。間違いない、確かにこの美女がこのすばらしい薔薇の絵を描いたのだ。

「ですが、この会場の中で最も強く目を惹いたのも確かです」

彼女はその言葉を聞いてただ単にこちらを眺めていた。僕の目を見て、僕が真実を言っていることを確かめた後、ようやく彼女は矛を収めた。

「確かにおもしろい感想を言う方のようね。お祖父ちゃんが話し込んでしまったのも分かる気がするわ」

「そうだろう?私はこの若者を弟子にしようと思うんだ。私の内弟子としてね」

(P35より引用)

彼女は一体どういうことかと抗議し、何より霜介にとっても何のことだか理解が追いついていません。今まで霜介が好々爺だと思っていたその老人は、なんと大芸術家として有名な篠田湖山で、しかも自分を内弟子にすると言うのです。孫である千瑛は弟子入りを猛反対しますが、湖山は全く意に介していません。それどころか、すぐに霜介が千瑛を抜いてしまうかもしれないと言います。

「そこまで言うなら、勝負よ。お祖父ちゃん」

「勝負?いいだろう。いったい何をするつもりかな?」

「お祖父ちゃんがそれほどこの人に期待しているというのなら、私はこの人と水墨画で闘うわ」

「ほう。この若者と腕を競うということかな?」

「そう。来年のこの湖山賞でこの人が私に勝てたら、私は門派を去るわ。でも、私が……まぁ、絶対に勝てるけれども、勝ったときには、私はお祖父ちゃんから雅号をもらって、この道で生きていくのを認めてもらうからね。それから湖山賞ももらうわ」

(P39-40より引用)

そして霜介が口をはさむ間もなく、事が進んでいってしまったのでした。

霜介が自宅マンションの一室に帰宅すると、まるで崩れ落ちるかのように玄関で倒れてしまいました。なんとか、最後の力を振り絞り洗面台までやってくると、随分と痩せて青白い肌の青年と目が合いました。それが霜介の今の姿だったのです。

霜介は、17歳のときに両親を交通事故で亡くすという悲しい過去がありました。遺体安置所で横たわる両親はまるで人形のようで、他人事のように思え、哀しみよりも驚きの中にいました。そして、その驚きがさめないまま、両親の葬儀を終え、その後、父の兄である叔父夫婦の家に引き取られました。

新しい家で、ぼんやりとあたりを見回したとき、これまでとは少し違う窮屈な人生に気づいた。そのとき、やっと僕は独りなのだと理解した。僕にはいつもこういう間の抜けたところがある。気づくと何もかも手遅れなのだ。僕は十七歳だった。

(P43より引用)

両親の死後、しばらくは明るく振る舞えましたが、そのつけは後からやってきました。新たな生活の準備が整ったころからどんどんと調子が狂い始め、空元気すらできなくなりました。

半年が過ぎたころには、僕はほとんど黙り込んで離さなくなってしまった。僕は世界の何にも対応できない人間になっていた。食事をする気力もなく、心は動きをなくし、未来を探すことも今を感じることもなくなっていた。

(P44より引用)

そして、いつしか霜介は学校に行くこともできなくなり、叔父の家と 両親と住んでいた家を往復する毎日を送るようになりました。

混乱と苦しみが頂点に達したとき、気づくと僕は、実家のリビングにいながら、同時に直方体の真っ白な部屋の中にいた。そこは僕の心の中にだけ存在する場所だったけれど、そこでなら僕は少しだけ元気でいられた、僕は壁を少し叩いてみた。質感はガラスそのものだった。僕はそこで、壁を叩きながら、丸みのある音に耳を澄ませた。真っ白な壁に目を凝らすと、真っ白な壁は少しだけ影を伴い、次第に像を結んだ。そこでは僕の見たいものが見ることができ、思い出したいことを思い出せるような気がした。父と母との記憶が、暗いイメージを伴わずに鮮明に映った。僕が本当に安らぐことのできる場所は、この場所でみる記憶だけになった。それからは、ただ記憶を眺め続けた。ガラスの内側に映る景色だけを、ずっと眺めて過ごしていた。

(P45-46より引用)

その後、叔父の計らいでなんとか大学に進学し、大学近くのマンションで独り暮らしをするようになりました。資金は両親の遺産や、交通事故の慰謝料などから充分まかなえたのだそう。4年間、遊んで暮らしても問題ない金額が遺されていたと言います。それから大学生活が始まり、古前と親しくなったことで少しずつ外の世界と関われるようにはなってきたという状況だったのでした。

それから日も開かず、西濱から連絡がありました。湖山先生のアトリエ兼自宅に招待されたのです。広い庭はきちんと整備され、まるで景勝地かのよう。そこで霜介は長机を1つ挟んで湖山先生と向き合っていました。湖山先生は事もなげに、1枚の湖畔の絵を完成させます。

墨が紙に定着していくほんのわずかな間に、湖に引かれた墨線がじわじわにじんで湖面の光の反射を思わせ、柔らかな波を感じさせた。遠景の山は霞み、近景の木々は風に揺らぎ始めた。まるで魔法のような一瞬が、湖山先生の小さな筆の穂先から生まれていた。

(P63より引用)

霜介にはこんなことが自分にできるとは微塵も思えません。けれど、できることではなく、やってみることが目的だと湖山先生は諭します。そして、1枚、また1枚と線を引き始めるのでした。当然、そこに描かれているのは落書き以下のただの線でした。けれど、失敗してもよいという気楽な気持ちで筆を振るうのは楽しい作業でもありました。

「おもしろくないわけがないよ。真っ白い紙を好きなだけ墨で汚していいんだよ。どんなに失敗してもいい。失敗することだって当たり前のように許されたら、おもしろいだろ?」

(P66より引用)

それは純粋に絵を描くことだと湖山先生は言います。まるで天才が絵を描くときのようなその感覚は、子どものように純粋に絵を描くことなのです。その日の授業はそれで終了でした。何か技術や作法を教わるでもなく、ただただ霜介は楽しい時間を過ごしたのでした。

帰路の途中、霜介は近所のカフェに入ることにしました。そこでは同じゼミの川岸という女性がアルバイトをしていました。霜介たちが通っている大学の中では、非常に秀才で、小柄で可愛らしい女性です。親友の古前はひそかに彼女に思いを寄せているようで、そのカフェにも頻繁に来ているそうです。

そこから雑談が続き、篠田湖山やその門下の話になりました。なんと川岸が言うには、西濱という男性も西濱湖峰という有名な水墨画家だったのです。日焼けした肌に、少し汚れた作業着、頭にタオルをまいた陽気そうな男性が水墨画の世界では篠田湖山の後を継ぐと言われるくらい有名な人だと言うことに、霜介は驚愕するのでした。

2回目の授業では、斎藤湖栖という男性が対応をしてくれました。西濱とは対照的な色白で線の細い繊細そうな美男子でした。彼は西濱の後輩で、千瑛に水墨画の指導をしているようでした。

「斎藤君は、最年少で湖山賞を受賞した俊英だよ。若いが技術に関しては国内でも文句を付ける人間は誰もいないだろう。青山君も彼の水墨画から学ぶところが多いと思うよ」

(P76より引用)

人付き合いは苦手ながら、優しい人であると湖山先生は言います。彼が退室した後、湖山先生は一通り道具の説明をしたあと、霜介に墨をするように言います。しかし、何度墨をすっても「もう一回」と言われるばかり。霜介は疲れから、思考も放棄し、いってしまえば適当に墨をすりはじめたのでした。しかし、湖山先生はそれで納得したようで、逆に今度は霜介が納得できないといった顔をします。

「粒子だよ。墨の粒子が違うんだ。君の心や気分に墨が反映しているんだ。」

(P81より引用)

その墨で描かれた線は、これまでの墨でかかれた線とは全く違うものがありました。湖山先生は、力を抜くように言います。

「力を入れるのは誰にだってできる。それこそ初めて筆を持った初心者にだってできる。それはどういうことかというと、凄くまじめだということだ。本当は力を抜くことこそ技術なんだ」

力を抜くことが技術?そんな言葉は聞いたことがなかった。僕は分からなくなって、

「まじめというこのは、よくないことですか?」

と訊ねた。湖山先生はおもしろい冗談を聞いたときのように笑った。

「いや、まじめというのはね、悪くはないけれど、少なくとも自然じゃない」

「自然じゃない」

「そう。自然じゃない。我々はいやしくも水墨をこれから描こうとするものだ。水墨は、墨の濃淡、潤渇、肥痩、階調をもって神羅万象を描き出そうとする試みのことだ。その我々が自然といものを理解しようとしなくて、どうやって絵を描けるだろう?心はまず指先に表れるんだよ」

(P83より引用)

そういって、優しく霜介に水墨画と自然とのつながりを諭していきます。その日の授業は墨をすることだけでした。そして、お手本に描いた紙はすべて持ち帰っていいとのことで、霜介は紙の束を一抱えしてアトリエを後にします。

隣接している湖山先生の自宅は教室も兼ねており、内弟子たちの鍛錬の場でもありました。そこではちょうど、千瑛が絵を描いているところでした。こちらに気がついた千瑛には、以前のような剣幕はなく、冷静に声をかけてきました。

千瑛は自分の絵に足りない何かを探しているようです。そこへ斎藤がやってきました。そして、千瑛と全く同じレイアウトの絵を目の前で描き始めました。全く無駄のない動きで、出来上がった絵はまるで写真やCGかのように写実的でした。それから千瑛と自身の絵を並べ、千瑛のミスを的確に指摘します。千瑛は自身のミスを恥じているようでしたが、霜介にはそれがどこか納得のいかない出来事でした。

3回目の授業では春蘭を習いました。「蘭に始まり、蘭に終わる」というくらい、その絵には水墨画のすべてが詰まっていると言います。霜介は湖山先生が描いてくれた様子を、心の中にあるガラスの部屋に映して細かい動きまで読み取ろうとします。そしてひたすらその動きを真似てその日の授業が終わりました。授業の終わりに、湖山先生は1本の筆を霜介に与えました。これで霜介は自宅でも水墨画の練習ができるようになったのです。

練習の後、千瑛が入れてくれたお茶と、最中をおやつに3人で机を囲みます。そこで、霜介は少し前からお願いしたかったことを湖山先生と千瑛に頼みます。

霜介の大学で行われる文化祭で、千瑛の作品を飾らせてほしいというのです。千瑛の絵は華やかで、それを描いたのが同世代というのはいい刺激になると霜介は言います。湖山先生も了承し、千瑛も霜介が出展するのであればという条件付きで了承してくれるのでした。そして、湖山先生は自分の授業と追加で千瑛にも水墨画を習うように言います。2人はライバルであり、先輩と後輩。先輩が後輩を指導することは何も不思議ではありません。そして教えることは千瑛にとっても得るものがあるのです。

しかし、この話には裏がありました。実は、展示会の準備で途中から応援に来てくれた生徒たちは、古前が美女と合コンをセッティングする…という言葉につられてやってきたのでした。その約束を果たすためには、合コンに千瑛を呼ぶ必要があると古前は言うのです。

霜介はもちろん最初は断りますが、古前と途中で話に交じってきた川岸にも押され、この作戦を実行したのでした。はたして、文化祭は、水墨画の勝負は、そして霜介はどうなってしまうのか…。

好きな台詞

ここまでは1章のあらすじについて綴りました。ここまででもたくさんの素敵な台詞や描写が出てきますが、本作は1冊の中でも書き留めておきたい!と思う台詞がとにかくたくさん出てきます。

水墨画への思いや、心の中に広がる世界について…。そのいくつかをここでも書き留めておきたいと思います。

「なぁ、たとえば古前君なら食欲がないときはどうする?」

「甘いものを食べる」

いまいち意味が分からなかった。なんでそんな乙女な答えが返ってくるんだ?

「どうして食欲がないのに、甘いものを食べることになるんだ?」

「視点を変えるんだよ。食事というとたくさん食べなきゃいけないような気がする。でも甘いものだと、それほど食べなくても満足だという気もするし、ご褒美のような気もする。食べることは相変わらず楽しいことで、少しは元気になって、そのうえ、美味しいかもしれない」

(P56より引用)

古前君っなんだかんだ いいやつなんですよね。なんか憎めないようというか、こんな友だち欲しかったなって思って。古前君、他にもいいセリフがあるんですけれど、これがなぜか一番印象に残りました。

「たとえば青山君は、水墨画の技術、と聞いて何を連想する?」

僕の脳裏に浮かんだのは、湖山先生の神業のような筆さばきや千瑛の激しく情熱的な手の動きだった。

「描いている姿かな」

「そう。それなの。私たち描き手にとってもそれは同じで、絵の技術というとまず間違いなく筆さばきのことを思うのよ。でも、お祖父ちゃんが青山君に一番最初に教えたのは、墨のすり方だったんでしょう?」

「まぁ、そうだね。あとは落書きを楽しむこと」

「おそらく、その二つには凄く大きな意味があったのよ。私たちは絵を描くことを求めすぎていて、画技ばかりに目が走ってしまっている。でも、今日の揮毫会で青山君がすった墨で絵を描き始めると、これまでにできなかったようなみずみずしく高度な表現ができた。当たり前すぎて、絵の巧みな人はもうすでに問題にもしないような場所をお祖父ちゃんはきちんと見抜いている。まるで、それが私の弱点だって知っていたみたいに。私はあんなふうに墨をすれない。描こうと意識するあまり、きっと強張った手で墨をすってしまう…。あんなことを思いつきもしなかった。今日は墨のびっくりするような変化に驚きながら描いたのよ。あんなに柔らかく画仙紙に墨が広がったことなんて今まで一度もなかった」

(P169より引用)

レベルが違いすぎるので、わかるわかる~と軽々しく言えるわけではないのですけれど。私も絵を描いたことはあるので、なんとなく理解できるなぁと思いました。一時期、絵を描きたいという気持ちより、上手に描かないと…とか、塗り方はこうでなければ…!みたいに思い悩んだことがありました。スランプというほどでもないのかもしれませんけれど、そう思うと楽しく書けなくなってしまうんですよね。

楽しいか楽しくないか、ではなく上手か下手かの世界で絵を描くと、とても疲れてしまったなぁ…と思い出しました。

「センスとか才能とかってあまり関係ないのですか?」

「少なくとも最初は、あまり関係がない。できるかどうかは分からない。でもとにかくやってみる。それだけだよ」

「とにかくやってみる…ですか」

どかで聞いたような言葉だ。

「才能やセンスなんて、絵を楽しんでいるかどうかに比べればどうということもない」

「絵を楽しんでいるかどうか…」

水墨画でそれを気韻というんだよ。気韻生動を尊ぶといってね。気韻というのは、そうだね…筆致の雰囲気や絵の性質のこともいうが、もっと端的にいえば楽しんでいるかどうか、だよ」

(P173-174より引用)

気韻生動という言葉を初めて知りまして、この言葉良いなぁって思いまして。絵を描いていくうえで、この言葉をお守りみたいにしていきたいなぁ。

「必ずしも…」

湖山先生はまたそこでお茶を飲んだ。僕は言葉を待った。

「拙さが巧みさに劣るわけではないんだよ」

(P177より引用)

私の絵を描くうえで、大切にしたいなと思うのはこのあたり。決して私は絵が上手なわけではありません。描きたい絵が想像のまま描けているわけではありませんし、技術もありません。でも描いている絵は、楽しんで描きたいんですよね。

それでも誰かに何かを伝えられたらいいなぁって、絵を描くときには思います。ここをこうしたい、チャレンジしたい!みたいなの。自己満足といえばそうなのですけれど。

水墨というのはね、森羅万象を描く絵画だ」

斎藤さんと千瑛は、これ以上ないほど真剣に湖山先生の話を聞いていた。湖山先生もまた二人に語り掛けていた。

「森羅万象というのは、宇宙のことだ。宇宙とは確かに現象のことだ。現象とは、いまあるこの世界のありのままの現実ということだ。だがね…」

湖山先生はそこでため息をつくように息を放った。

「現象とは、外側にしかないものなのか?心の内側に宇宙はないのか?」

斎藤さんの眉が八の字に歪んでいた。千瑛は何を言われたのか分からないほど、言葉に迷っていた。僕にはようやく湖山先生が何を言おうとして、なぜ僕がここにいるのか、ほんの少しだけ分かるような気がしてきた。

「自分の心の内側を見ろ」

と、湖山先生は言っていたのだ。それを外の世界へと、外の現象へと、外の宇宙へと繋ぐ術が水墨画なのだ。

(P216より引用)

この著書を読んで、水墨画って凄いなぁ憧れを抱くようになったのはこの辺り。内なる声とか、そういったものを芸術に反映させることが美しいと私は感じるのです。たった1輪の花の絵を見て、楽しそうか、悲しそうか。それを技法ではなく、雰囲気から読み取る。そういう感覚って日本らしい感覚なんじゃないかなって思うんです。

「晴れ渡る青空を見て、空が泣いているように感じた」というような文面を、むかーし何かの絵本で観たんです。タイトルも覚えていませんけれど、こういう表面だけではない、その奥にあるものが水墨画の世界にあるのか…と思うと、憧れちゃいます。

「減筆とは端的に言えば描かないことです」

「描かないこと?」

「そうです、筆数を減らすこと。最小限の筆致で絵を描くことです。最小限の筆致で対象そのものの本質や生命感を表すこと、と言い換えてもよいかもしれません」

「ですが、それが最高の技術というのでは、描かないことが技術になってしまいます」

「そのとおりです。もちろん減筆そのものは技法ではありません。固有の筆法があるわけでも、これが減筆だと示せるものもありません。あえていうなら描かれなかった形こそ減筆といえるかもしれません。これはあくまで考え方であって、技術そのものではありません」

(P272より引用)

ミニマリストを目指すようになってから、埋めることよりも”余白”があることの重要性に気がつきました。それまでの私は、すべてを満たさなければならないという使命感でいっぱいで、まるで押しつぶされるように、それに負けないように、物事で自分や周囲を満たしました。

けれど、それだと身動きってできなくなるんです。精神的にも物理的にも。そうではなくて、減らしていいんだと気がついてから随分と楽になったことを思い出しました。

この減筆という技法はあくまで、絵の技法ですけれど、生きていくうえでも大切なことなのではないかなぁ。

僕はそのときになって、なぜ湖山先生が僕に、やってみることが大事だということや、自然であることがたいせつだということ、それから絵は絵空事だと言ったのか分かった気がした。

水墨画は確かに形を追うものではない、完成を目指すものでもない。

生きているその瞬間を描くことこそが、水墨画の本質なのだ。

自分がいまその場所に生きている瞬間の輝き、生命に対する深い共感、生きているその瞬間に感謝し賛美し、その喜びがある瞬間に筆致から伝わる。そのとき水墨画は完成する。

「心の内側に宇宙はないのか?」

というあの言葉は、こうした表現のための言葉だったのだ。描くこと、形作ることに慣れすぎてしまうことで絵師はいつの間にか「描くこと」の本質から少しずつ遠ざかってしまう、それが見えなくなってしまう。湖山先生は、もしかしたらそのことを伝えたかったのかもしれない。描くことは、こんなにも命と一緒にいることなのだ。

(P338より引用)

本を読んでいて、久々に”わからないけれどわかる”という感覚を持ちました。自分は経験をしたことがないことであったり、想像もできないこと。でもそれを脳で理性的に理解するというよりは、心で理解するみたいな。

これを説明しようと思うと、到底無理なんです。たとえ話もうまく出てこないですし。でも、「ほらほら、あの感覚…なんていえばいいのかなぁ。あれだよ、あれ」みたいな。私にもう少し語彙力があれば説明できたのかもしれません。想像として頭に浮かんだのは、よりよい暮らしの中で丁寧に味噌やぬか漬けを漬けるような、そんなシーンがうかびましたよ。

映画との違い

実はこの「線は、僕を描く」は映画化もされておりまして。以前、こちらでも綴ったことのある作品です。

yu1-simplist.hatenablog.com

こうして読み返してみると、結構改変されているなぁということに気がつきます。湖山先生、原作では頭髪は随分とつるつるなご様子です。やっぱり個人的には原作が好きです。なにより個人的に推してる斎藤湖栖先生は映画では出てこないんですもの…!千瑛さんが斎藤さん役も兼ねている…といったところでしょうか。続編では、斎藤さんが結構主要キャラクターになるので、続編の映画化は難しいかも?なんて思ったり。

あと、このキャラクターチェンジはやめてほしかったなぁと思ったのが、藤堂翠山先生。湖山と並ぶ、水墨画界の巨匠です。原作のイメージとしては高倉健さんのような男性。渋くて、言葉すくなで、背中で語るようなかっこいい漢でした。映画では、女性ですし、ちょっといけ好かない性格の悪そうな感じになっていたのが、安っぽく見えてなりません。

小さいところだと、翠山先生のところにはお孫さん茜さんという女性がいるのですが、原作では西濱さんがデレデレしているお相手はこの方です。映画では、牧場の女性とかだったような。大きな差ではないですが、微妙な改変があるようです。

尺の問題で仕方がないですが、翠山先生と斎藤さんに関しては、ぐぬぬ…といったところですね。

逆に増えたキャラクターだと、映画では霜介君に妹さんがいるのですが原作では両親との3人家族でした。妹さんを出したことで、霜介君に罪ができてしまっている…というのがなんとなく腑に落ちません。原作では家族の唐突の死の原因に、自分はどこまでも関与していない。あのときあぁしていれば、みたいな後悔ができない…というのは結構大きなところだと思います。

映画版では、その辺りが分かりやすく、ある意味チープに変更されているのが勿体ないなぁなんて思います。流星くんや演者さんがよかっただけにね。

感想

「線は、僕を描く」を読んだのは、実は2回目です。続編を読む前に、いろいろと再確認のために再読したのですけれど、結構忘れているところがありました。読み直しておいてよかった。

2回読んでも、水墨画の奥深さに圧倒されます。文章の意味としては理解できていますけれど、きちんと水墨画を理解できたのかといわれると、不十分のような気がします。自分の中の奥行や、水彩画への理解度が足りていないようです。まだまだ解像度が低いですね。

それでも世界観やの美しさや、心の機微を1冊を通して触れて、心地よい読了感であることは間違いないです。

もちろんこの「線は、僕を描く」だけでも物語はキリのいいところまで描かれていますし、充分楽しめます。しかしながら、続編も読んだ今となっては、これは2冊で1冊だったのだなと。ですので、もし興味を持たれた方は、両方読了されることをお勧めいたします❀

よもやま話 

水墨画には四君子と呼ばれる画題があり、蘭・竹・梅・菊の4つ。初心者はまずこの画題をマスターすべく頑張るんだそうです。そして、このそれぞれが君子として例えられているそうです。

「君子ですか?あの立派な人とか、凄い人とかいう意味の?」

「そうそう。よく知っているね。四君子はそれぞれが君子の理想の姿そのものを描いてもいるんだ。たとえば、竹ならまっすぐスタッと立っていて、折れずに柔軟というところが君子の姿、それと君子の怒りの姿だという説もある」

「怒りですか?

「そう。理を曲げず、ってことだと思うんだけど、どうだろう?高潔さといえばそうかな」

「そう言われてみれば、そのような感じが…」

「そうでしょ?で、梅は冬のいちばん厳しいときにいちばん最初に花を咲かせるので、厳しいときを耐え抜きながら、花を咲かせるというところでそれも理想の姿。君子の強さと言い換えてもいいかもしれない。菊は、これは初心者の卒業画題だけれど、これも梅に少し似ていて、厳しい寒さの中でも薫り高く咲いているところが君子の姿に似つかわしいとされている。こちらは耐える姿というよりも、どういうときも品格を失わないってことだと思う」

「では、春蘭は?」

「お待ちかねだね。春蘭は深山幽谷に孤高に咲く姿が君子の理想の姿、または風格を表すということや、たぶん俗にまみれない姿というのがあるんだと思う。言葉では簡単に言い尽くせないところがあるけれど、水墨をやる絵師の心そのものって思ってもいいかもね」

(P199-200より引用)

水墨画に触れたことがあるわけではないので、インターネットでそれぞれの絵を見てみて、この言葉に当てはめてみました。こういう植物の絵の雰囲気を人に例える、理想とするというのは、昔からされていることだったのかぁと不思議な気持ちになりました。

だからと、描いてみたい!と気軽に思えるわけもなく。ですが、一度水彩画をゆっくり見てみたいと思います。見方が変わったかもしれません。

「たった一筆でさえ美しくあるように」

(P287より引用)

次に、絵を描くときは心にとめて描いてみたいと思います。

そういえば、来年の大河「べらぼう」には浮世絵師や作家がたくさん出てくる…とのこと。興味深い内容ですから、普段全くTVを見ないのですけれど、来年は見てみようかなぁと思っています。

たまたまですけれど、「べらぼう」の主演をされるのは、映画「線は、僕を描く」の主演をされた横浜流星さん。これはご縁なのかなぁなんて思ったり。今から楽しみですね。

 

yu1-simplist.hatenablog.com

 

銅色になってしまったシルバーを磨く

メンテナンス、してますか?

たとえば靴や鞄といった革製品。汚れを落としてあげたり、ラナパーなどでケアしてあげるだけで、その物の寿命を伸ばしてあげることができます。料理で使う包丁も、ちょっと研いであげるだけで切れ味が大きく変わったりしますよね。アクセサリーもたまに磨いてあげるだけで、輝きが随分と違って見えます。

今回は、そんなメンテナンスにまつわるお話。

before

今回、綺麗にしていくのがこちら。月の形を模したお香台と、夫のネクタイピンです。

我が家では休日に読書をする際や、ゆっくりしたいときにお香を焚くことが多いです。その際に使用しているお香台ですが、窓辺においてることもあって、随分と汚れやサビが。水洗いしても落ちないので、シルバー磨きを使いたいと思います。

夫のネクタイピンも、目立って汚れているというわけではありませんが、少し曇っているような印象です。こちらもきれいにしてあげましょう❀

SILVER SPARKLE

我が家のシルバー磨きはこちら。液体に漬けるタイプです。

こんな感じで規定の時間漬けます。なかなかなスメルですので、換気は必須です。お香台は1度では入りきらないので、2回にわけることに。

右半分が漬けたところです。漬けただけでも、こんなに違うものなのですね。

漬け終わったら、水洗いします。乾いた柔らかい布で拭いてあげたら、専用のクロスで磨きます。

after

磨き終わるとこんな感じ。随分ときれいになりました❀

お香台は一目瞭然ですね。ネクタイピンも細かい傷はどうにもできませんが、細工の部分の汚れも落とすことができましたので満足です。昨年の秋から、今年の春にかけて頑張ってくれていた子たちです、夏の間はゆっくりしてくれたまえ。

よもやま話

我が家では定期的に断捨離をしますし、私自身がミニマリストを目指していたので、あまり物に対して深い愛着を持っていないと勘違いされることが多々あります。私の場合は、自分が愛着を持てるものはできるだけ長く最後まで使いたいと思っているので、今回のようにメンテナンスをして使い続けたり、リメイクをして姿が変わっても使い続けることが多いです。

捨てるか、使い続けるかのバランスが難しいところではあるのですけれど。自分が持っているコレクションなんかも、いつか こちらでつづることができたらいいなぁなんて思っています。

ちなみにお香台はこんな感じで使っています。万古焼(三重)のお店で買った小皿にお香台をのせています。この月形のお香台は、京都の清水寺に友人と行った際に、すぐ近くのお香屋さんで購入したものです。金色はたくさんあるけれど、銀色がなくて。それでお店の方に聞いて、出してきてもらったことを覚えています。

秋になると、ここにお伊勢さんで購入したうさぎさんが追加されます。これだけで、中秋の名月の飾りになるので可愛いのです。こんな感じで、長く愛してメンテナンスしつつ使っていって我が家から付喪神を生むことができたらいいなぁ なんて。そんな野望があったりいたします。今は金銭的に難しいですが、自分のなかでメンテナンスするだけの価値があるものに囲まれて生きるのが、理想かなぁ。

 

 

絵を描くということ

ふと、思ったこと。”最近、絵を描けていないなぁ”という、まぁ至ってたいしたことではないのですけれど。

今回は、私と絵について、ちょっとつらつらと綴っていきたいと思います。お目汚しも多いと思いますゆえ、ご注意を。

絵を描き始めたのは…

まだ幼い幼ち園児や小学生の頃は別段絵が好きというわけではありませんでした。上手に描けないし、何よりどう描いたらいいかがわからない。ですので、周りの子が描いている絵を真似て描いてみる程度で、さほど自分から筆をとるということはなかったように記憶しています。

そんな私が絵を描くようになったのは、中学生の頃でした。人付き合いが苦手なうえ、漫画やアニメの世界にドはまりしていた私は、キャラクターやそこから得たイメージの絵なんかを描くようになりました。もちろん独学で。

でも、「龍を描こう!」と思っても、手元に資料がありませんから、どう描いていいかわかりません。最寄りの図書館へ行って、資料を借りては模写して…としている内に、何かを見て描くというクセが付いたように思います。

これが中学2年生の頃に描いたもの。資料を参考に描いた記憶があります。なぜか今でも捨てられないんですよね。

これも中学生当時の絵。このころになると、手元にあるものを見て描く デッサンなんかもするようになって自宅にあったクマのぬいぐるみを手本に描いたのを覚えています。

ちなみにですが、クマの周りの花は授業中にひたすら描いていました…。当然勉強が身につくはずもなく…。授業中=絵を描く時間でしたので、勉強はさっぱりできません。

それからも当時の友人と絵を交換しあったり、いろいろな絵を描いていたことを薄ぼんやりと覚えています。

高校以降

高校以降になると、絵を描くと言う事はめっきり減りました。当時の友人との交換ノートに落書きなんかをすることはありましたけれど。なんとなく、高校生になり自分がオタクであることが恥ずかしかったんですよね。ですから、アニメや漫画の話は極力していませんでした。

当然、周りにばれてしまう可能性のある授業中に絵を描くことはできません。そんなわけで少しずつ、絵とは距離ができてしまったように思います。

再度絵を描くようになったのは大学生になった頃。パソコンで絵を描くことができると知ったから。ペンタブなんかで絵を描く道具が、電気屋さんや、文房具屋に置かれていて、私も欲しい!!と思ったものです。

とはいえ、貧乏大学生にそんなものを買う余裕はありません。道具は高い、ソフトも高い!なら、今あるものでやってやれ!今思えば、よくそんなことをしたなぁと思いますが、パソコンにもともと備わっているペイント機能と、マウスでギコギコ描いたものです。

それがこちら、2010年頃に描いたもののようです。確か一番最初にパソコンで絵を描いたという記念でおいておいたもの。当然線はカクカクとしているし、色も出したい色が出ていません。ぐぬぬ…と試行錯誤を繰り返して、またいろいろと絵を描くようになりました。とはいえ、飽き性な私。グラデーションなどがうまくできないストレスでしばらくすると辞めてしまったのでした。

ちなみに、↑は当時ドはまりしていた「モノノ怪」の薬売りさんを描いたもの。7/26に映画公開されるので今から楽しみでなりません。なんなら、この記事を描くきっかけは薬売りさん長らく描いていないなぁ…と思ったのが始まりだったり。

ペン型マウスを手に入れる

2013年くらいのこと。私の中で大きな変化がありました。それはAmazonを使うようになったこと!もちろん存在を知ってはいましたが、クレジットカードを持っていなかったため、使用が面倒だったのです。大学を卒業し、自分用のクレジットカードを持つようになり、スムーズにAmazonが使える…!そんなわけでいろいろと買い物の幅が広がったわけです。

そしてネットサーフィンをしている中で見つけたのが、ペン型のマウス。ペンタブは高価で買えない…けど、そのペン型マウスであれば2000円くらいで購入することができる…!そして早速購入しました。同時に自分専用のノートパソコンに、フリーで使えるイラストソフトをダウンロード。そこからまた絵を描くようになるのでした。

ペンのコツを掴みたくて、がむしゃらに描いていました。無料の写真サイトからお手本の写真をダウンロードしてそれをイラストにする…ということを繰り返して。これまでできなかったイラストが描けるようになるのがとても楽しかったのです。

模写のなかから、少しずつ自分の画風や画法が…

最初はこんな感じで色を重ねたり…ということではなく、アニメーションのようにはっきりとした色割りの絵を描いておりました。(こちらは↑るろうに剣心の志々雄さn)

描いていくとどんどんと画風が変わっていって、厚塗りで絵を描くようになりました。

もともと模写で絵を描くのが好きな私には、この塗り方があっていたようで、ここからさらに絵を描くのが楽しくなったんですよね。代わりにこの塗り方は時間がかかる…!

そんなわけで、極端に厚塗りをして描く絵と、ざぁあああっとノリで描く絵の2つを使い分けるようになっていきました。

ざぁあっと描くときは、どちらかというとイメージだけ伝えたい絵。自分の頭の中にあるものを急いで吐き出すような感覚。

春風をイメージして描いたもの。

キャラクターを描くときも、頭の中にあるイメージを描く場合は、ざぁあああっと描くことが多いです。

大人になってからの絵

絵を描くのが楽しい!となったからといって、お仕事をさぼって絵を描くわけにはいきません。そんなわけで日常的に絵を描くというフェーズから、描きたいものがあるときに描く、もしくは必要があれば描くというようになりました。付かず離れずの距離と言えばいいでしょうか。

ただ描く対象は確実に変化したように思います。昔でしたら、特定の人物やキャラクターが多かったのですが、25歳を超えたあたりから人物以外を描くようになってきました。

ブログのアイコンにもしているクジラさん。色のグラデーションを頑張りすぎて、それ以外がおざなりですが、なんかお気に入りで事あるごとに使用しています。

同時期に描いたお仲間のシャチ君。躍動感とかは良い感じに出せたと思います。しかしながらあまり使用する場所がなく。クジラ君のサブ的な場所で使うことが多いかもしれません。

あと大人になってから挑戦してみたことの1つに、有名絵画の模写があります。X(旧Twitter)でおすすめされた原田マハさんの「暗幕のゲルニカ」を読み終えて、どうしても描きたい!と思ったんです。

中学生の頃ぶりに図書館で資料を調べて、模写しました。パソコンで描いてもよかったんですけど、どうしても手で描きたかったんですよねぇ。不思議。

これがシャーペンで輪郭を模写したもの。

こちらが色を付けたもの。仕事の合間、合間に描いていましたので3日くらいかかったように記憶しています。今も手元にありますが、なんとなくリビングには飾りづらくて、自分用のクローゼットの中で、額に入れて飾っております。

最近

ここ数年で機材が変わって絵が描きづらくなってしまったこともあり、筆から遠のいている私。昨年、PCで数枚絵を描きましたがそれ以降描けておりません。また、手を慣らすのに時間がかかりそうです。

ちなみに久々に描いたのは、うる星やつらラムちゃんでした。新アニメがうれしすぎまして❀ラムちゃん、可愛かったなぁ…まだ2期を見ていないので、また時間を作って夫と見たいと思います。

よもやま話

私が高校生の頃のお話ですので、もう時効ということにしていただきたいお話が1つ。

私には2歳年下の妹がいるのですが、妹は絵がめっぽう苦手です。かく言う私もただ好きなだけで得意というわけではありませんから、妹に絵の描き方なんかを指導できるわけがありません。そんななか、母からある取引を持ち掛けられました。

「妹の夏休みの宿題の絵を代わりに描いてくれたら、好きな漫画を1冊 買ってあげよう」…なんと誘惑的な取引でしょう。即引き受けましたとも。そんなわけで、妹の夏休みの宿題の絵を描き終え、無事漫画本を購入してもらいました。

それから10年以上たった27歳のとき、事件は起きました。当時の私は地元の公共図書館でアルバイトをしていたのです。そして後輩に1人の女の子が入ってきました。彼女も地元が同じで、なんと妹の同級生。狭い世の中だなぁなんてよく話していたものです。

その公共図書館のPOPイラストや館内の飾りつけは私がだいたい描くか制作しておりましたし、工作教室の真似事もさせていただいていました。それを見た彼女があることに気がついたのです。

「もしかして、妹さんの夏休みの絵の宿題、代行しませんでした?」

最初は、そんなこともあったかもねぇなんて流していたのですが、彼女は事細かにその絵の内容を覚えていたのです。同級生とはいえ、誰かが描いた絵を覚えているなんてすごい記憶だねなんて思っていましたら。

「あの絵、美術室にしばらく飾られていたんです。妹さん、普段の絵は苦手そうだったのに不思議だなぁってずっと思っていたんです!謎が解けました!」なんて言われてしまいまして。10年越しに、ズルがばれてしまうというなんとも恥ずかしい体験をいたしました。というか、妹もそういうことになったなら教えてくれよと思うんですけれどね。

絵を入れているフォルダを見ていると、いろんな思いでが蘇ってきて面白いです。

描いた絵というのがこんな感じの絵。話が出て思い出して描いたものですけれど。確か「地球を大切に」的なテーマに合わせて描いたように記憶しています。

ここ数日で、また絵を描きたいなぁという欲求が高まってきています。「モノノ怪」の映画を見たらそれが爆発するんじゃないかなぁとちょっと期待していたり。

 

上手に描くことはできないけれど、楽しく描くことはできる。だから自分が描いた絵も愛せる。それが私の自慢です。なんてね。