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シンプリストになりたいのです

映画・線は、僕を描く

水墨画をテーマにした映画「線は、僕を描く」を見ましたので、感想や原作についてなどをネタバレ交えて綴っていきたいと思います❀

映画のあらすじ

主人公は大学生の青山霜介。友人の古前にアルバイトを押し付けられて美術展設営現場にやってきました。そこでは、水墨画の巨匠・篠田湖山の揮毫会が行われることになっていたのでした。霜介の目に、1枚の椿の絵が止まります。そして、静かに涙を流すのでした。

その後、流れで揮毫会の手伝いもすることになりました。目の前に水墨画が描かれていく様子に釘付けになります。そこで、絵を描き終えた、篠田湖山に弟子にならないかと誘われるのでした。

想像さえしなかった

「私の弟子になってみない?」

真っ白な紙にある無限の可能性を、そこに一本の線が描かれるまでは

(作中より引用)

後日、借りていたハンカチを返すために湖山を訪ねることになった霜介。弟子になるのは自分には責任が重すぎると辞退します。それでは弟子ではなく教室の生徒であればどうかと湖山に尋ねられ、それならば…と了承するのでした。

「形はどうだっていい」

「いや、僕にはこんなこととてもできないです」

「できるかできないか じゃない。やるかやらないか だよ」

(作中より引用)

湖山には千瑛という孫がいて、彼女も水墨画の世界では有名な女性でした。そして霜介が揮毫会で目にとめた椿を描いたのが千瑛だったのです。湖山は千瑛に水墨画に関する道具について教えてあげるように言いつけ、去っていったのでした。

霜介の友人である古前と川岸は、その話に興味津々です。

「うまく言えないけど、あのなんもないところに何かがポツンってある感じがしっくりきてる」

(作中より引用)

そして千瑛に会ってみたいという古前と川岸は、水墨画の講義を開くから先生になってもらえないか聞いてくれと霜介に頼みます。後日、水墨画の練習ののち、弟子のひとりである西濱の料理を皆で囲みます。その時に霜介は千瑛に打ち明け、千瑛は湖山に促され了承するのでした。

講義は成功し、打ち上げを開くことになりました。千瑛と霜介が会話している最中、飲み物が入れ替わってしまったのです。お酒にめっぽう弱い霜介はそのまま泥酔。千瑛と友人の古前、川岸の3人は家まで送り届けるために霜介のすむマンションへと向かいます。霜介の部屋の一面には、湖山から教えられた春蘭を練習した紙が広がっていました。そして古前と川岸は次は千瑛を自宅まで送り届けます。

「先生。霜介のこと、よろしくお願いします。あいつが何かにやる気を見せたのは本当に久しぶりで…家族に不幸があってから、ずっと塞いだままだったから…。先生、よろしくお願いします。」

(作中より引用)

そこで初めて、千瑛は霜介の過去について少しだけ触れるのでした。実は霜介の両親と妹の椿は3年前にとある事故によって他界していたのです。それ以降、霜介は空っぽになってしまったように、塞ぎこんでしまっていたのでした。

そこから古前と川岸が水墨画のサークルを立ち上げ、時たま千瑛が講師としてやってくるようになりました。霜介も水墨画の練習を重ねていきます。様々な水墨画を知って、その世界に魅了されていくのでした。

映画の感想

喧嘩別れをしたまま仲直りをできないで、そのまま帰らぬ人となってしまった両親と妹。そのことから、空っぽに、真っ白になってしまった霜介くんが、水墨画に出会ったことで、どんどんと色を取り戻して、線という輪郭を取り戻していくという物語。

セリフ回しが、いわゆるエモイと言いますか。いいセリフがとても多い作品でした。いくつかご紹介したいと思います。

「そもそも、何にもならないかも」

「なれないじゃなくて、ならないかぁ」

「まぁ…」

「そっかぁ、まぁそうだよなぁ。でも何かになるんじゃなくて、何かに変わっていくもんかもねぇ」

「え?」

「人ってもんはさ」

まだ出会ったばかりの頃の霜介くんと西濱さんの会話です。自分が空っぽで「ならない」と考える霜介くん。そして自然の流れを理解している西濱さんらしいセリフでした。

「悪くない、でもこれは君の線じゃない」

「え?」

「私や千瑛のお手本にとても忠実だ」

「それはよくないことなのですか?」

「悪くは、ない」

「青山くん、形にこだわっちゃいけないよ。もっとほら力を抜いて」

どんどんと上達する霜介くんですが、それは千瑛さんや湖山先生の模写が上手になっているだけ。何を書くにしても自分なりの線を持たなくては、その人の絵とは言えません。絵を描くことが趣味だった私には染みるセリフでした。

「まぁ別に仙人とかじゃないからさ。でもこういうのが店にばーって並んでんの見慣れると忘れちゃわない?俺、忘れるんだよ」

「何をですか?」

「いや、こいつらだってついさっきまでは、あぁだったってことをさ」

牛乳や卵、野菜といった食品を、農場まで買い付けにいく西濱さん。それについていった霜介くんは、スーパーなどですませないのか尋ねます。するとクーラーボックスからはスーパーで購入したと思われるお肉が出てきました。すべてを農場からというのは現実的ではありませんよね。でも自分ができる範囲で、自然に触れようという感覚。水墨画のように自然を描くという芸術ではとても大切な感覚なのではないでしょうか。

時が流れ四季は巡って 景色が変われば心も変わる。心が変われば線も変わる。水墨画は自然と共にある絵画だと私は思う。だけど自然っていうものはそもそも自分の思いどおりにはならない。いわんや人の人生なんてね。だったら自然に寄り添って線を描き続ける。そういう生き方になったかな、私も。

自分の線は自分で見つける。そうして見つけた線がまた自分を描く。私がそうであったように。水墨画がきっと君の生きる力となってくれる

湖山先生の背景にどういった過去があるのかはわかりません。けれど何かあって、それでも水墨画や自然と寄り添うことで生きてこられたのだなぁとしみじみ伝わるセリフでした。この辺りは本当に染みましたねぇ。

個人的に西濱さんのキャラクターがとてもよかったです。江口洋介さんが演じられているのですが、このワイルドというか、大味な感じと言いますか。イメージしていた西濱さんにぴったりでした。ちょっとした表情で見せるところも素敵だし、目が生き生きしてるというか、ちょっとオーバーなくらいなのに西濱さんにはぴったりなんですよね。

この「線は、僕を描く」という映画には原作となる小説がありまして。2020年の本屋大賞にノミネートされている作品でした。当時は図書館関係で働いておりましたので、もちろんチェックして読了していた作品です。

原作との違いは結構たくさんあります。物語を霜介くんと水墨画に焦点当てているため、千瑛さんのストーリーは薄くなっています。短い映画にまとめるには、やむを得ない範囲かなと思います。そのことで霜介くんと千瑛さんの関係も、比較的穏やかですね。少しだけ小説についても触れてみたいと思います。

小説のあらすじ

両親を交通事故で失った大学生の青山霜介は孤独と喪失感のなかにありました。

親友の古前に半ば騙された形でやってきた展覧会場のアルバイト。簡単な作業と聞いていたのに、実際は自分の背丈よりも大きなパネルを運ぶ仕事ということで、霜介以外の面々は逃走してしまうのでした。そこで指揮をとっていた、西濱湖峰と会話し打ち解けるのでした。

アルバイトがひと段落氏、お弁当を食べに控室に向かうと、小柄な老人がいました。老人に勧められるまま、お弁当を共に食べていると箸の使い方を褒められます。そのまま、展覧会場に一緒に入ることになりました。そこで老人は飾られた水墨画の感想を尋ねます。そして霜介は水墨画の白と黒の世界に、色を感じ取ったのです。黒で書かれた花が赤く見えるというのです。

そこで老人を探していた千瑛がやってきます。なんと老人は水墨画の巨匠・篠田湖山にだったのです。そして、霜介はその場で内弟子にされてしまうのでした。それに反発したのは、湖山に孫娘にあたる千瑛でした。彼女は、霜介に翌年の「湖山賞」をかけて勝負すると宣言するのです。

筆先から生み出される「線」から生み出される水墨画で命を描きます。初心者の霜介はとまどいながらもどんどんと水墨画の世界に魅了されていくのでした。

よもやま話

小説版を読んだのは2021年2月だったようです。過去の読書記録ノートに記録されていました。当時の感想としてはこのようなことを描いていたようです。

東山魁夷の影響で日本画を観ることはあったけれど、水墨画を意識したことはなかった。春蘭の感触や香りがとてもきになった。文も世界観も美しかった。

小説という文面の世界では描かれている春蘭や菊などの実際の様子はわかりません。それでも何かを想像することができた、奥行きのある作品だったと記憶しています。

特に印象に残ったのが白と黒の世界に色を感じるということ。黒で描かれた薔薇が、真っ赤に見えるってどういう感覚なんだろう…と思いました。この体験、実は私もその後に体験しまして。とある水墨画で描かれた花に黄色い色を見たのです。不思議ですよね。

ここはこの物語の重要な点だと思っていたので、映画版では一切触れていなくてびっくりです。映像という答えを出して、そこから心で受け取るものですから、受け手によってはそう感じない人もいるでしょう。だからといって、わざとらしく一瞬黒い墨を赤くするというのも違う気がします。そう考えると、この表現は小説や、白黒で描かれる漫画だからこそできる表現なのかもしれませんね。

また映画では千瑛に水墨画を教えているのは斎藤湖栖という男性です。彼は最年少で古湖山賞を受賞した人で、まるで機械のように緻密で完璧な水墨画を描きます。完璧な技術をもって絵を描くのです。打って変わって二番弟子の西濱湖峰はというと、完璧な技術を持ち合わせているわけではありません。ですが、人を魅了させる絵を描くのでした。

この対比がまた面白かったのですが、映画版では湖栖は出てきませんでしたので、そのあたりのお話や千瑛と湖栖との物語も全てカットだったよう。私個人のイメージとしては湖栖さんは眼鏡をかけて向井理さんだったので、ちょっとみたかったんですけれどね。また映画に出演している藤堂翠山という人も原作では男性で映画では女性、人物像も随分と違っていました。そのあたりはちょっと残念ではありましたね。

それでも、水墨画に触れる映画作品としてはとても面白かったですし、興味がある方はぜひ映画も小説も見ていただきたいなぁと思います。ちなみに小説は続編がでているようで。こちらはまだ読めていませんから、また近々読みたいと思います。でも、いろいろと小説では忘れているところも多いですから「線は、僕を描く」を再読してからかな…と思ったり。読みたいもの、見たいものがたまっていきますねぇ。