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シンプリストになりたいのです

おでかけ記録(紅ミュージアム・常設展)

東京都港区青山にある「紅ミュージアム」に、「ミニチュア愛!」という企画展をみに行ってまいりました。副産物…と言っては失礼ですが、紅ミュージアムさんの常設展示が超絶興味深かったので、今回はそのことについて綴っていきたいと思います。

ミュージアムとは

東京メトロ表参道駅からゆっくり歩いて15分ほどのところにある「紅ミュージアム」。こちらは、江戸時代から続く最後の紅屋「伊勢半本店」さんが運営されるミュージアムだそう。

常設展 1.「紅」を知る

口紅と聞くと、まず最初に浮かぶのはスティック型ではないでしょうか。パレットから筆でとるというものもありますけれど、やっぱりスティックの下部分をくるくる回して、上に伸びていく…というあの形を思い浮かべます。

でも、よく考えてみたら口紅ができた当時からスティック型とは考えにくいですよね?昔はどんな形だったのでしょう?そもそも昔は口紅ってどうやって作っていたんでしょう?そんな不思議に迫ることができるのが、こちらの常設展です。

まずは紅について、知っていきましょう。

紅花の花びらから赤色色素を抽出して作られる「紅」。古来、染料や化粧料などに供された紅は、江戸時代に産業として隆盛を迎えます。ここでは、紅花の生産・流通をはじめ、紅粉屋の商い(広告宣伝・販売活動)、紅づくりの様子、紅にまつわる習俗を模型や動画・関連資料とあわせてご覧いただけます。

(紅ミュージアムのHPより引用)

www.isehanhonten.co.jp

紅は江戸時代の女性を女らしく演出した化粧である。当時、紅はおもに紅花から作られ、色は赤一色であった。紅花からの抽出量が少ないこともあって、「紅一匁、金一匁」といわれるほど、高価であった。

紅は皿や猪口に塗られて市販されていた。江戸後期の美容本『容顔美艶考』には、紅粉屋の店先風景が描かれており、紅を器に塗っている様子が見られる。このような高価な紅を普段使えるのは、上流階級の女性たちや富裕な商人か、遊女などであった。

(『大江戸カルチャーブックス 江戸三〇〇年の女性美 化粧と髪型』P22より引用)

つい先日、アニメ「薬屋のひとりごと」で主人公の猫猫が爪紅をしているシーンがありました。カタバミという植物から爪を赤く染めるのだそう。口紅も同様に植物から色を抽出しているとのこと。ふむふむ。

では、紅花ってどんな植物なんでしょうか

紅花は黄色から赤になる花を咲かせるキク科の1年草です。花弁から染料や口紅の元になる色素がとれることから、古くから南西アジア北アフリカを中心に広く栽培されてきました。山形では江戸時代に最上紅花の栽培が盛んでした。このため、紅花は山形県県花に指定されています。

(以下URLより引用/山形大学附属図書館)

www.lib.yamagata-u.ac.jp

タンポポマリーゴールドを足して割ったような花で、花弁がぎゅっと詰まっているのが愛らしい花ですね。とくに有名なのは山形の紅花なんだそうです。

そういえば、幼いころに植物や木の実を使って草木染をしたことがあります。布を染めるだけのはずが、爪の先についた色がなかなか取れなくって。そんな思いでがふわりとよぎります。紅花はどうやって色を抽出しているのでしょうか。

紅花から紅を作る方法は、①初夏、黄色い花びらの先が、少し赤みを帯びた頃、花びらを摘む。紅花はアザミに似て茎や葉緑に鋭いとげがあるので、薄暗く、露のあがらないうちに摘み取る。

②摘み取った花は、桶に入れて踏む。

③川で踏んだ紅花を晒し、黄色い色素を洗い流す。

④ムシロに並べて乾燥しないように水を撒く。一昼夜放置すると赤く発酵してくる。

⑤臼でお餅のように搗き、お煎餅のような形にして乾かす。これを紅餅といった。

⑥これを船で江戸や教へ運び、口紅を作ったり、着物を染める染料にした。

(『大江戸カルチャーブックス 江戸三〇〇年の女性美 化粧と髪型』P22より引用)

ここから赤い色を抽出して、紅に仕上げていくわけですね。紅ミュージアムでは映像や、実際に使っていた道具、当時の浮世絵などからどのような工程で作業をしていたのかというのがわかりやすく解説されていました。

ところで。私、この展示で解説を見ているときにとてもびっくりしたことがあるんです。最終的には、紅を皿とかお猪口とかに塗られて乾燥させるんですけれど、最終的に玉虫色に仕上げるってあったんです。玉虫色?え、玉虫色って?あのメタリックな緑色みたいな…?もしかして赤みを帯びた玉虫色なるものがあるのかしら?なんて妄想していたのですけれど。ところがどっこいです。完成した紅はね、本当にメタリックな輝きを放つ緑色なんです。質が良い紅はこのような輝きを放つのだそう。

不思議なもので水を含ませた筆で触れるとそこだけ私達が見慣れている赤色に変わるのですからとても不思議ですよね。

江戸後期の文化・文政頃(1804-30)になると、遊女の化粧を真似たのか、紅を濃く付けて玉虫色に見せる紅化粧が流行する。笹色紅といって、渓斎英泉が描く浮世絵美人にも登場している。この流行は、江戸末期の天保の改革以後廃れ、また紅を薄く付ける化粧法にもどっていったのである。

(『大江戸カルチャーブックス 江戸三〇〇年の女性美 化粧と髪型』P22より引用)

今でこそ、赤、ピンク、オレンジ、バイオレット…と様々な色がある口紅。以前モードなファッションをされている方が黒に近い口紅をされていて、それがとても似合っていらっしゃってかっこよかった記憶があります。黒もとても珍しい色だなと思ったものですが、江戸時代には緑が、それもメタリックに光る玉虫色が流行っていたのですから、何色を塗っても許されるような気がします。そんな色を塗って!と小言をちょうだいしたときは、この話をして論破してみてもいいかもしれません。

常設展 2.「化粧」の歩み

日本では今までどのような化粧の文化があったのでしょうか。江戸時代を中心にどのような化粧をしていたのか、化粧道具はどういったものをつかっていたのか、そんな化粧の歴史について展示されています。

庶民が化粧に親しむようになったのは、江戸時代のことです。経済の発展に伴い豪商が大刀する元禄期(1688-1704年)には、商品の流通網が整い、化粧品が京都や大阪に住む庶民の手に届くようになったと考えられています。その後化粧文化は江戸へ広まり、文化・文政期には、江戸の女性の間で化粧は身近な習慣となっていました。一方、化粧をする男性は公家や歌舞伎役者などに限られていたようです。

(以下URLより引用/国立国会図書館)

www.ndl.go.jp

私が学生の頃は化粧といえば、女性がするもの。むしろしていないといけないマナーの一つでしたが、最近では一般男性でも化粧をされる方が増えましたね。昔はTVに出られる方が身だしなみの一つとしてされていた印象でした。しかしここ数年は高校などでも男女ともにお化粧や身だしなみを授業の一環として取り上げるところも増えているんだとか。面白い変化です。

その文化の始まりが江戸時代とは。思っていたより、お化粧の文化は最近のものということがびっくりです。

江戸の女性が実際に使っていた化粧道具や浮世絵などの絵画資料から、赤(口紅や頬紅など)、白(白粉)、黒(眉墨やお歯黒)の三色で極めた化粧術を紹介します。

また江戸時代の「紅猪口」から昭和時代の「リップスティック」までの紅の移り変わりを概観することができます。

(紅ミュージアムのHPより引用)

これまで触れてきた紅だけでなく、それ以外のお化粧について深めることができる展示なのですが、個人的に一番興味深かったのは黒(眉墨やお歯黒)について。

お歯黒のイメージと言えば、京都の舞妓さん。舞妓さんが修行を終え、芸妓さんになるという道を選ぶと、それまで住んでいた置屋から自立して、そこで初めて一人前となるそうです。その際に、舞妓さんが芸妓さんになることを「衿替」と言いますが、その際にお歯黒をするんですよね。以前、舞妓さんが芸妓さんになられる姿を追うドキュメンタリーのようなものを拝見して、そこで初めて実際のお歯黒を見ました。あと、ジブリ映画の「かぐや姫」でも姫がとても嫌そ~~にお歯黒をしていたシーンがありました。なかなかにお歯黒は渋い味がするんだとか。ただ、お歯黒の理由って存じ上げなかったのです。

お歯黒

当時(江戸時代)の女性は結婚すると歯を黒く塗りました。黒はほかの何色にも染まらないため、貞節の証と考えられていたようです。お歯黒は「鉄奨(かね)」とも言い、お歯黒をはじめて塗る儀式は「かね付始め」などとも呼ばれました。親戚の女性などがかね親となり、お歯黒道具一式をお祝いとして贈ったり、お歯黒を塗る手ほどきを行ったりしました。

既婚女性以外も、年齢が上がると世間体のためにお歯黒をする女性は多かったとされます。また遊女や芸者もお歯黒をすることがありました。

眉化粧

公家や武家など上流階級の女性は、家に伝わる礼法にしたがい、ある程度の年齢になると眉を剃り落としたのち、定められた形の眉を描きました。上流階級の眉化粧の決まりごとは礼法書に体系化され、眉化粧だけで1冊の書物になるほど重要視されていました。一方、庶民は、妊娠後や出産後に眉を剃るのみでした。

(どちらも国立国会図書館のHPより引用)

お歯黒も眉化粧もどちらも、夫に貞節を尽くすためという当時の考え方から生まれた文化です。当時初めて日本に訪れた海外の人々はさぞ驚いたことでしょう。数多くの人が批判的な言葉を残しています。お歯黒や眉剃りをしていなければ日本人女性も美しいのに…みたいな言葉も。

幕末から明治初期に来日した外国人は、お歯黒を塗った既婚女性を見て女性差別と明治政府を批判しました。明治元年と3年に華族を対象にお歯黒禁止令が出たのですが、伝統的な風習は改まりませんでした。

明治6年3月、明治天皇と皇后は、率先して眉剃りとお歯黒を止められてから、庶民のお歯黒も授受に廃れていきました。

(以下URLより引用)

www.dent-kng.or.jp

明治6年と言うと、西暦で言うと1873年。151年前まではそれが当たり前だったのかと思うとちょっとびっくりですね。今でも私たちは、「きちんとお化粧していないしムダ毛の処理もできていないからと恥ずかしいわ…」と思うように、当時の方も「お歯黒していないし、眉もきれいに剃れていないから恥ずかしや…」なんて考えたのかしらんと妄想してみると、意外としっくりくるものでした。

この他にも、過去の化粧品の入れ物が展示されていたのですが、これが超絶かわいくてですね…!化粧水や乳液なんかが入っていた瓶だそう。

このモダンなデザイン!たまりませんっ!

時代に合わせて様々変化していくのが面白いです。

右下にある銀の缶とか今でても超絶かわいいと思うんです。ファンデーションのコンパクト見たいですよね。この他、テーマの展示があったり、実際に紅を購入できたり。企画展は有料ですが、常設展の入館は無料とのことですから、ちょっとふらっと立ち寄ってみてみるだけでもとても楽しいミュージアムなのではないでしょうか。

よもやま話

美術館から帰ってきて旅行(おでかけ)ノートを描いているとですね、どんどんとあれはどういうことだったんだろう。これはどういうことなんだろうとさらに疑問がわいてきまして。翌日、最寄りの図書館の開館早々にお邪魔いたしまして。数冊の化粧にまつわる図書を拝借いたしました。

今回のブログでは↑こちらの大江戸カルチャーブックスも参考にさせていただいたのですが、この本もとても面白くて。お化粧だけじゃなくて、洗顔・洗髪はどうしていたのかとか、化粧水は、髪型は…とかいろいろと知ることができて超絶面白い。浮世絵や図案などが多く掲載されているので、イメージしやすいのがありがたいです。またゆっくり読んでいこうと思います。

そこまで普段から化粧をするわけではありません。なんならすっぴんで近所のスーパーへいくような私ですが、これからはちょっと化粧が楽しくなるかもしれませんね。