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シンプリストになりたいのです

おでかけ記録(旧新橋停車場)

普段、何気なく乗っている鉄道。その始まりがいつ、どこであったかってご存じでしょうか?今回はそんな鉄道の歴史に関係するスポットに行ってまいりましたよ❀

旧新橋停車場 外観

日本で最初に鉄道が開通した場所、それは東京の新橋-横浜間でした。横浜は今の横浜駅ではなく、現在の桜木町だったそうです。厳密にいうと品川-横浜(桜木町)で先に仮開業していたのですが、そこは一端おいておきましょう。

明治5年9月12日(西暦1872年10月14日)に新橋-横浜駅が開業し、それまで徒歩だと8時間かかっていた移動がなんとたったの53分で移動できるようになりました。

そんな文明開化の象徴ともいえる新橋駅の旧駅舎は大正12(1923)年の関東大震災の際に焼失し、残存していたプラットホームや構内の諸施設も昭和9(1934)年に解体されてしまいました。

その後、1991年の発掘調査で旧新停車場駅舎とプラットホームの礎石が発掘され、1996年それらが史跡として国の指定をうけました。1997年、旧新橋停車場は開業当時の写真などからできるだけ忠実に外観を再現して復元された…ということです。場所も当時と同じ場所です。

www.sanko-e.co.jp

↑復元に関してはこちらのURLを参考に

こちらは0哩標識。発掘調査によって正確な位置であると確認された車止めで、軌道部分も可能な限り忠実に再現されているそうです。0マイル、本当にここが原点なんですね。日本の鉄道はここから始まったのかぁ…としみじみ。

この線路が100年以上前、横浜まで続いていて、当時の人々を運んでいたのか…と考えると浪漫があります。きっと幕末・明治に活躍した偉人達も乗車したことでしょう。

創業当時、枕木やレールの台座は小石や砂の混じった土をかぶせられ、レールの頭部分だけだ地表にでていたそうです。わかりやすいように半分は枕木が見えるように、もう半分は埋められていました。

ブラタモリでみたやつっ!と一人喜んでいたのがこちら。I字型の双頭レールです。現在のレールの断面は下部分がどっしりとした工字型ですが、当時はI字型だったそう。使用して摩耗したら上下を入れ替えて使いまわせるようになっていたんだそうな。考えられていたのですね。

盛土式石積という構造で作られたプラットホーム。全長は151.5m、幅9.1mあったそう。駅舎よりの25mが再現されています。

基礎石には龍野藩 脇坂家・仙台藩 伊達家 両屋敷の礎石などが使われた…とあり、つい先日、仙台を訪れたばかりの私にはちょっとした運命のようなものを感じました…!あそこで見た礎石がこんな身近な場所にもあったとは…!

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正面玄関の階段の最下段として使われていた切石が今も大切に残されています。発掘調査でこの礎石の1段の高さがわかったため、それ以外の採寸もわかるようになったんだとか。

この階段も当時と同じ9段の階段です。踏みしめるように上らなくてはなりませんね。

ブルートレイン 夢の旅路へ

館内は無料の展示室になっているので、どなたでも気軽に立ち入ることができるようです。

ちなみに3/24までは「ブルートレイン 夢の旅路へ」という企画展が開催されておりました。夫が幼いころから読んでいた絵本や図鑑には、南正時さんの写真がたくさん使われていたようでとても感慨深そうに展示を見ておりましたよ。

ブルートレインとはなんぞや?レベルの私は夫から、写真1枚1枚の解説を聞きつつ今はなくなってしまった寝台列車に思いを馳せておりました。展示は写真NGでしたが、こちらだけOKとのことで記念撮影を。個人的には列車のヘッドマークがどれも素敵だなぁと思ってみておりました。北斗星とかおしゃれですよね。

常設展

続いて常設展も。常設展は一部を除き写真OKとのことです。

常設展では旧新橋停車場跡の歴史についての展示がされていて、とても興味深かったです。平面図や当時の地図など様々な文献があり、個人的には浮世絵に一番心惹かれました。狭い空間でしたが情報量は結構あって満足です!

一部はガラス張りになっていて、開業当時の駅舎基礎石の遺構を間近で見ることができます。高所恐怖症の夫はプルプルしてましたけれど、個人的には面白スポットでした。

あと見つけてうれしかったのが、崎陽軒の急須。改札鋏や工具、切符や陶器など様々な出土物に交じっておりました。駅弁といえば崎陽軒シウマイ弁当ですものね、とウキウキ。

よもやま話

旧新橋停車場跡、きっと鉄道に興味のなかった私では生涯くることはなかったであろう場所。いろんなめぐりあわせで今回訪れることになって、無料でこんなにも楽しんでいいのだろうかというくらいたくさんの見どころがあって大変満足でした。

私が尊敬してやまないのは 新撰組 三番隊組長であった斎藤一さん。慶応4(1868)年 会津藩が降伏したあとは新潟・福島・青森で謹慎生活を送られます。その後、藤田五郎さんと名前を変え、明治7(1874)年に東京に移住され、大正4(1915)年 東京にてその生涯を終えられました。

実際に乗車されたかどうか…はわかりませんが、斎藤さんがご存命の頃にあった史跡に触れることができたことがうれしくてですね。もしかしたらここに立ち寄ったかもしれない…とか、同じ場所に今立っているのかもしれない…とか、そんなふうに思うと浪漫と言いますか、もうたまらないですよね。

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昨年今野敏さんの「サーベル警視庁」を拝読しましたが、作中では鉄道にはご乗車されているようで、もしかしたらそんなこともあったのかもしれませんね。いろんな視点から楽しむことができるので、ちょっと得した気分です。

桜木町や品川駅にも同様に鉄道に関する記念碑などがあるそうで、また機会があればそちらにもうかがってみたいものですね❀今回はこの辺で、ではでは❀