推しと一言で表しましても、私の中では2種類ありまして。それは二次元の推しと、そうではない推しです。
まずそうではない推しというのは、アイドルの方であったり、声優の方であったりで、理由は様々ですけれど定期的に変わります。だいたいは一度熱が冷めるとその推しに戻ることはありません。
次に二次元の推しというのが、漫画やアニメのキャラクターを推す場合です。二次元の推しの場合は、ハマって推して、一時熱が少し冷めて(基本的に他に浮気する)、再熱して(SNSなどでチラっとお姿を拝見して、やっぱり好きってなる)推して、また少し熱が冷めて(また別の推し熱が再熱して)、やっぱりまた再熱して…ということを繰り返しています。もちろん、再熱しない推しキャラクターもいますけれど、それは嫌いになったとかではなく、供給がストップしてしまい、再熱しないということが殆どです。
TVをみませんし、年齢と共に(?)新しい推しというものができにくくなり、また最近は推しは二次元に限るかなぁ…なんて思うようになってきて、さらに二次元推しループにハマっています。
二次元の推しにもいろいろいるんですけれど、安定して推しているのが『るろうに剣心』の斎藤一さん。漫画のキャラクターが史実の方をモデルにしているなんて…と知ったのはまだ中学生くらいの頃。そこから新選組や斎藤一という人に魅了され、大河ドラマ『新選組』、『薄桜鬼』や『PEACEMAKER』など様々な新選組をテーマにした漫画を読むようになりました。実家にいる愛犬(柴犬)のはじめさんは斎藤一さんからお名前を頂戴したもので、それくらい推しています。
最近はまた『るろうに剣心』の斎藤一さん熱が再熱しています。もう斎藤さんが理想の男性像なので、慢性的に好きなんですけれどね。来年こそは会津にお邪魔して、聖地巡礼したい…と思っています。その前にいろいろ予習しておきたいのですけれど。そんなわけで、斎藤一さんが出てこられる小説をちょこちょこ読み始めようかなぁなんて思い立ちまして。
今まではあまり読まなかった系統の1冊をややネタバレしつつ紹介したいと思います。
今野敏さん が書かれた 『サーベル警視庁』
明治三十八年七月。国民が日露戦争の行方を見守る中、警視庁第一部第一課の電話のベルが鳴った。
殺された帝国大学講師・高島は急進派で日本古来の文化の排斥論者だという。同日、陸軍大佐・本庄も高島と同じく、鋭い刃物で一突きに殺されたとの知らせが…。
第一課は、伯爵の孫で探偵の西小路や元新選組三番隊組長で警視庁にも在籍していた斎藤一改め、藤田五郎とともに捜査を進めていくが―――。
(Amazonから引用)
警察小説を読むことがありませんので、新境地なのですけれど、どんどんと読み進めることができ、とても楽しめる作品でした。キャラクターに無駄がなく、個性があり、それぞれにきちんと役割があるのもいいなと思います。
また史実の人物がたくさん出てくるのも嬉しいところ。黒猫先生こと夏目漱石(直接は出てきませんけれど)、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲、『るろうに剣心』でも登場している川路利良。
「ええ。小泉八雲先生。本名はラフカディオ・ハーン。その後任が黒猫先生なんです。
(P58より引用)
「小泉先生は、学生から親しみを込めてヘルン先生と呼ばれていました」
「ヘルン…?」
「松江の県立中学に赴任するときに、辞令にそう書かれていて、本人がずいぶんとそれを気に入ったので、そう呼ばれるようになったということです」
(P59より引用)
どこまで史実を元にしているのかは解からないのですけれど、こういった繋がりがあることを知りませんでし、そういう裏話のようなものも初めて知りました。「へぇそうなのか、史実なのか調べてみよう」と新しい発見もたくさんです。
ところで明治三十八年が舞台ということですけれど、作中に何度か電車が出てきます。
二人は四谷見附の停車場まで歩き、外濠線でお茶の水に向った。この一、二年で電車の路線はほとんど拡張して便利になり、人々の行動範囲が格段に広くなった。日清戦争終戦後の頃から産業が発展して、世の中が瞬く間に変わっていくように、岡崎は感じていた。かつては下町に密集していた住宅が、路線が延びることで、東京の北側や西側のいわゆる山の手にもできはじめた。
山の手の住宅に住むのは、産業の発展に伴って増加した会社勤めの人々だ。それはかつての商人や職人といった下町の住人たちとは全く別の回想を形成しつつあった。
(P162より引用)
明治の時代に鉄道が横浜-新橋間を走っていたのはあまりにも有名ですので、さすがの私でも存じておりました。チロリというコミックでも鉄道で移動している描写がありました。少し調べてみると明治5年9月12日に開業されたそうな。明治5年というと西暦では1872年。もう150年程になるのですね。ちなみに太陰暦を廃して太陽暦を採用するようになったのもこの年だそうで、大きな転換期だったのですね。
しかしながら電車はもっと後になってから、戦前の昭和初期ころかな?と勝手に思っていたので、明治時代にも電車が走っていたことに驚きました。
https://www.mlit.go.jp/common/000227427.pdf
(国土交通省 鉄道主要年表より)
何よりです、もうお分かりだと思いますけれど斎藤さんがかっこいい…!著者である今野敏さんの斎藤さんへのリスペクトを感じる作品でした。会津出身の岩井巡査と言葉を交わすシーンや、山縣有朋との対峙シーンはもう胸あつといいますか。「あぁ、いい!」と本を抱きしめたくなりました。
鳥居部長は、気をつけをしたまま言った。
「藤田五郎翁でいらっしゃいますね」
老人が答える。
「いかにも、藤田五郎だが…」
(P167)
もうこのシーンかっこよすぎて、何度も読み返してしまいました。もちろん、”藤田”というお名前がでた時点で、やっと斎藤さんが出ていらっしゃった!と解っているんですけれど、フルネームがでる威力…すさまじいです。
このお話が明治三十八年ですので、斎藤さんは当時62歳くらいでしょうか。現在でしたら60代、70代でも若々しい方が多いように感じますが、当時の62歳と聞くと随分とお年を召されているように感じます。けれど、眼光や身のこなしなど、老人のそれとはまったく違う芯の強さが描かれています。そこがまたかっこいいです。
岩井君が目に涙をためて挨拶するシーンがたまらなく良かったのですけれど、会津の方にとって”斎藤一”という人物がどういった人物であったのか、リスペクトを感じて感動的でした。
明治時代を舞台にした作品は今まで、『るろうに剣心』と『チロリ』くらいしかみてこなかったので、深く考えたことがありませんでしたが、よくよく考えると「文明開化」っておかしな表現ですよね。
文明…人間が作り出した高度な文化あるいは社会を包括的に指す。
(Wikipedia参照)
それまでの時代に、文明はなかったという考えがあるから、文明”開化”なんですよね。日本はフランス、ドイツなどの考えを積極的に取り入れ、それまでの”日本”というものはどんどんとなくなっていってしまいます。
「どんなに西洋の真似をしても、日本人は西洋人にはなれないというお話で…」
「うん。そいつは、俺がお訪ねしたときにもお話しされていたな…」
「何でもかんでも西洋が正しくて、日本は間違っているってのが、おかしな話だって(黒猫)先生はおっしゃるんで…。まぁ、そりゃそうでしょうが、どう考えたって、西洋のほうが進んでいるわけでしょう?」
鳥居部長が言った。
「そりゃどうだかな」
「軍隊も警察も西洋から学んだわけでやすよね」
「瓦解(明治維新)がきっかけで、日本はそういう方向に舵を切ったということだろう。そう、おめえさんが言うとおり、警察の制度はフランスから学んだ。軍隊は今はドイツ風が主流だな。そうやって、日本はなんとか列強と肩を並べようとしているわけだ。幕藩体制時代の日本の制度がすべて劣っていたとは、俺には思えねえがな…」
「でも、政府はそう考えているわけですよね」
「ふん。所詮、薩長の田舎侍が作った政府だからな。どうも野暮でいけねえ」
(P265-266より引用)
「日本人がどんなに英文学を学んだところで、英語で英国人のような文学作品を書けるわけじゃない。そのようにおっしゃっておいででした」
(P266より引用)
私自身、新しい文化が入ってくることは素晴らしいことだと思います。けれど、いままであったもの全てを否定する方法というのは、どうも好きになれません。宗教でもなんでも。どうも明治維新側を好きになれないのは、こういうところを感じるからなのかなぁと。なんでも面白いと取り入れようとしていた織田信長公とかは結構好きなんですけれどね。
「日本は変わりました」
岡崎と荒木は顔を見合った。荒木がこたえる。
「ええ、たしかに瓦解前をご存じの藤田さんからご覧になれば、おおいに変わったでしょうね」
「日露戦争が終われば、日本はさらに変わっていくでしょう。よい方に変わればそれに越したことはありません。しかし、私にはそうは思えません」
荒木がうなずく。
「たしかに、黒猫先生も先々を憂えておいででした。これから先、日本は、人と国がばらばらになるだろうとおっしゃっていやした」
(中略)
「昔、日本人は日本と一体でした。そういう時代があったのです。今の世の中、国のありようと、人々のありようが別々になりつつあります。それを近代化と呼ぶなら、私はできるだけ近代化を遅らせたい。今回の事件は、近代化が招いたようにも思えるのです」
そこまで言って藤田は、顔を伏せた。
「いや、年寄の戯れ言です。忘れてください」
(P287より引用)
国と一体であるという感覚が全くなくなってしまった現代。たった百年で時代はこんなにも変わってしまえるのだと驚愕してしまいます。もちろん、国と国民が一体であること全てが正しいとは、私も思いません。けれど、政治的なことを考えるともう少し国民と国が寄り添える関係であればと思わざるを得ないです。
「黒猫先生は何度も俺に言ったよ。これから日本は、うんと苦しむことになるだろうって。今まで、日本という国と日本人という国民とは同じものだった。この先は国民と国が別のものになっていくだろう。黒猫先生はそうおっしゃる。それはつまり、安心して暮らしていた家から放り出されるようなものだ」
(P346)
夏目漱石が言った言葉が今でもささるのはどうしてなのでしょうかね。(史実かはわかりませんけれど)
サスペンスとしては、ごくごく普通に面白い小説です。舞台が明治で、登場人物が史実の人物で。どのくらい時代考証がされているのかはわかりませんが、ざっくりとではありますが、明治という時代がこんな空気感だったのかということがわかりました。とにかく、斎藤一さんがかっこよくて…続編も必ず読もうと思います。
そういえば読みかけで止まっている、原田マハ先生の『たゆたえども沈まず』も明治時代が舞台だったような…?どうでしたかね。また、積読を消化するタイミングで読みたいと思います。