SIMPLE

シンプリストになりたいのです

おでかけ記録(あしかがフラワーパーク②)

4/20に栃木県にある あしかがフラワーパークにいってまいりました❀

前回は藤の花の開花状況などを中心に綴りましたが、今回はそのほかの花や、お食事について綴りたいと思います。

yu1-simplist.hatenablog.com

色とりどりのお花たち

あしかがフラワーパークは藤の花だけでなく、たくさんの花が植えられていました。正面玄関から入って、右手側から西ゲートにかけては藤の花や薔薇が中心に、左手側はツツジが中心に植えられています。

正面玄関入ってすぐにはフラワーステージがあって、まるでイングリッシュガーデンのような素敵なお庭が広がっています。

ビオラが眩しいですね。とても美しいです!

写真を工夫してとると、まるで花が山の一面に咲いているようになりますね。こういう工夫をするのが楽しかったりします。

ツツジの海のエリアでは両サイドをツツジの花に囲まれます。赤・ピンク・白…とはっきりとした色が鮮やかでした。こうして歩いていると、千と千尋の神隠しの世界のようでした❀千尋みたいに走りたい…!

夫が見つけた白地にピンクのまだらが入ったツツジ。かわいい❀

我が家にはお庭がありませんのでガーデニングはできませんけれど、もしあったらこんな風にしたいななんて思ったり。素敵なお庭でした!

花より団子

美しい花もいいのですけれど、やはりお腹もすいてくるもので。

歩いて疲れた体に甘くて冷たいものを…!ということで、西ゲートの売店で藤ソフトを購入いたしました❀

ピントがずれてしまったのですけれど、薄紫のソフトクリームです。色だけかなと思いきや、ちゃんと藤の香りと甘みがありました。こちらの藤ソフトはパーク内でもいくつか販売されているようで、あちらこちらで召し上がっているところを拝見しました。見てるとね、食べたくなっちゃうじゃありませんか。甘いものがお好きな方にはおすすめです❀

パーク内にはいくつか食べ物が販売されているところがあるのですが、そこで佐野ラーメンが販売されていまして。夫はまさに花より団子なようで、佐野ラーメンを購入するため行列に並んでおりました。

私はと言いますと、休憩スペースの椅子でゆっくり読書をして夫の戻りを待つことに。たくさんの人がいる空間ですので集中してよめるというわけではありませんけれど、素敵な香りに包まれてする読書もいいものですね。

自宅へのお土産に購入したのは藤サイダー。

帰宅してから冷やして、少しだけいただきました。うっすら紫色なのが伝わるでしょうかね。香りは梅酒のような爽やかな香りで、お味はネクターをさっぱりさせたような感じでとてもおいしかったです!これは2本買えばよかった…!

よもやま話

あしかがフラワーパーク駅に帰るときに見つけたのですが、階段が大藤になっているようです。

ここもちょっとしたフォトスポットになっておりました。素敵ですねぇ❀

夫と生活するようになってから季節の花を見るように意識するようになり、今まで桜、ネモフィラ、薔薇、紫陽花…と様々な花を見てきました。そこまで植物に詳しいわけではありませんので、咲いている花の名前まではわからないのですけれど、これがスラっといえたら、また楽しみの幅は広がるのかしら?なんて考えています。植物の名前と犬の名前は見てわかるようになりたいな、なんて。

はてさて、来月はどこに行きましょうかね。

 

おでかけ記録(あしかがフラワーパーク①)

昨日(4/20)、栃木県にあるあしかがフラワーパークにいってまいりました❀

4月半ばからは随分と温かい日が続き、日中は暑いくらいの日も出てきましたね。これだけ暖かくなると、あちらこちらで花が咲いていてとてもうれしくなってしまいます。世界が色とりどりに染まるのってどうしてこんなにワクワクするんでしょうかね。

我が家ではできるだけ季節のお花を見るようにしています。昨年は、茨木県にあるひたち海浜公園にお邪魔して、ネモフィラを楽しみましたが今年は藤を見に行くことにいたしましたよ❀

yu1-simplist.hatenablog.com

あしかが大藤高尾号

おでかけするときは鉄道好きな夫が臨時特急を調べてきてくれるのですが、今回は「特急 あしかが大藤高尾号」というものに乗車いたしました。大宮-あしかがフラワーパーク駅間は止まることなく(運転停車はありますが)、一気に走り抜けるので短い時間で移動できるのでとても有難いですね。

www.tetsudo.com

あしかがフラワーパークの藤

あしかがフラワーパークから正面ゲートまで5分ほどで到着です。

入口から藤の花がお出迎え❀前もってインターネットで電子チケットを購入していたので、ほとんど待つことなく入ることができました。ちょっとだけですが割引にもなりますので、電子チケットがおすすめです!

https://www.ashikaga.co.jp/

藤の花は種類によって咲き具合が大きく異なるようですね。

濃い紫色の藤の花がきれいに咲いていました。個人的に紫色が濃いほど、藤の香りが高いように感じます。近くを通るたびに甘い香りがふわぁっと広がっていて幸せでした❀

薄紅色の藤もとてもきれいに咲いていましたよ。顔を近づけてみると、ほのかに藤の香りが❀午前中は虫たちも活発に動いているので攻撃しないように気を付けながら楽しみましょう。

施設内にはあちらこちらに藤のスポットがありまして、こちらは むらさき藤のスクリーン というスポット。壁一面に薄紫の藤が咲いていて、とても美しいです!スクリーンの裏側を歩くことができるのですが、そちらからみてもとても美しかったので、ぜひ通り抜けてみてほしいです!

ちなみに横からみるとこんな感じ。結構高いです!

あしかがフラワーパークの藤で一番有名なのは、大長藤だと思うのですがこちらはまだ早かったようです。来週の4月末からGW中が見ごろになるだろうとのこと。観光案内の方の声が漏れ聞こえてきたのですけれど、成人男性の腰くらいの高さまで藤の花が垂れ下がるそうな。これだけ大きな木で…と考えると圧巻でしょね。一面が藤のカーテンってすごそうです!

うす紅の棚 はきれいに藤が咲いていました❀なんとも愛らしい色❀すぐ下がベンチになっていてゆっくりと眺めながらお食事をとられている方も多くてなんだかほっこりしました。

とても幻想的で、個人的にはここが一番好きなスポットでした❀

こちらはツツジに囲まれた藤の木。あしかがフラワーパークは藤だけではなくツツジのエリアやローズガーデンがあります。ツツジも見ごろだったようで色とりどりのツツジの花が咲いていましたよ❀次回は藤以外のお花の写真をお届けしたいと思います!

よもやま話

藤の花と言いますと、私は奈良県にある春日大社の砂ずりの藤や萬葉植物園の藤でした。4月の末くらいからGWによく見に行っていたのですけれど、こちらもとても綺麗なんですね。まるで小さなぶどうがいくつもいくつも連なるように垂れ下がっている姿が幻想的で、まるで異世界のようでした。

ふと奈良の藤を思い出して、望郷の念にかられるとでも言いましょうか。なんだか懐かしい気持ちになりました。GWに実家に帰省する予定がありませんので、私は見ることができませんけれど。また機会があれば、春日大社の藤も見たいものです。

 

映画・アメリ

映画「アメリ」を拝見しまして、感想をネタバレを交えて綴っていきたいと思います❀

あらすじ

冷淡な元軍医の父親と、神経質な元教師の母親の間に生まれたアメリアメリは親に抱きしめられたいという願望がありましたが、父親に触れられるのは彼女の心臓検査のときだけ。そのため、アメリの心臓は緊張で鼓動が早くなってしまいます。それを父親は心臓に病があると勘違いし、アメリは学校にいくことはなく、自宅で母親からの教育を受けて育ちました。家で一人孤独なアメリは想像の世界で過ごし、そのまま成長していきます。そんな中、母親も事故で他界してしまいます。そしてアメリは周囲とのコミュニケーションをとるのもどんどんと苦手になっていくのでした。

22歳のアメリは実家をでて、モンマルトルにカフェで働きながら、古いアパートで一人暮らしを始めます。そんなある日。ニュースの内容に驚いたアメリは化粧品の瓶の蓋をあやまって落としてしまします。その蓋は転がり、1枚のタイルに当たりました。すると、タイルはいとも簡単に外れてしまうのでした。アメリはタイルの奥に空洞があることに気づきます。よく見てみると、小さな箱がおいてありました。

箱の中身は、40年ほど前に入れられたであろうタイムカプセルだったのです。そこでアメリは、持ち主にタイムカプセルを返すことができないだろうか、と考えます。調べてみると、ブルトドーという人物のものであることがわかります。そしてアメリはこっそりとそれはそれは粋な方法で、持ち主に箱を返すことに成功するのでした。

アメリは突然、世界と調和がとれたと感じた。すべてが完璧。柔らかな日の光、空気の香り、街のざわめき。人生は何とシンプルで優しいことだろう。突然、愛の衝動が体に満ちあふれた。

(本作、映画字幕より引用)

こうしてアメリは、身の回りにいる様々人に幸せを届け、逆に人を陥れようとする人をこらしめるためイタズラをするようになるのでした。

アメリはひょんなことから、不思議なノートを拾います。そのノートには、写真ボックスの下やごみ箱に捨てられている破れたり ぐちゃぐちゃに丸められたような、しかもどこのだれかもわからない証明写真が何枚も何枚も貼られているのです。持ち主はニノという一風変わった青年でした。

そしてアメリはそんなニノに恋をするのでした。

アメリ ブームっていうのがあったらしい

アメリの好きなことは、クレームブリュレの表面をスプーンで割ること。こんがりと焼けた表面がカツカツと砕けるシーンはとても印象的です。映画が公開されたのは2001年。当時はちょっとしたブームになったそうな。

まずアメリの役を演じられたオドレイ・トトゥがとてつもなく可愛らしいのです。ざっぱりと切られた前髪とボブヘアがシーンごとにアレンジされているのですが、それがまず可愛い!そしてモダンであったりポップであったり、ときにセクシーな衣装がとても印象てきでした。ちょっとタイトめなカーディガンとか超絶素敵です。あとインテリアのかわいらしさ。アメリの赤い壁紙に動物モチーフの絵画などが飾られた、お部屋がすごく良いんですよね。

どのシーンを切り取っても絵になるというのは、映画作品の物語を楽しむという点でも楽しめますし、まるで音楽を流すように、絵画を飾るように、BGM感覚で流すという楽しみ方もありそう。これは女性に人気がでて、ブームになったのも、納得です。

よもやま話

アヴァンタイトルあたりをみていて、ふと思い出したのは米津玄師さんの「MAD HEAD LOVE」という曲。全然違うんですけど、独特の世界観があるという点では似ているのかもしれません。

www.youtube.com

アメリの世界は独特という表現以外浮かばない自分の語彙力が悲しくなります。可愛らしくて綺麗で、だけどどこか毒々しい。ちょっと怖いし、気持ち悪いところもある。でも、最後までみるとほっこりというか、優しい気分になるような。そんな不思議な作品だと思いました。

実はずーっと以前から、見たいなぁと思っていたんです。でも、ちょっと雰囲気に癖があるから見る勇気がなかったんですね。見始めてみると、どんどん世界観にひきこまれて、今までの尻込みはいったいなんだったんだろうって。笑って泣いてというのな物語ではありませんし、わかりやすい作品かと言われるとそうでもない。ただ早送りで見ても、楽しむことはきっとできない作品だろうなと思いました。世界を楽しむ作品ってことなのかな。

アメリ』と『プラダを着た悪魔』はこれからも何回も見ることになるような、そんな気がしておりますよ❀

 

本・さようなら、私

小川糸さんの小説「さようなら、私(新装版)」を読みました。感想をネタバレ交えて綴っていきたいと思います。今回はセンシティブな内容を含みますので、どうぞご注意くださいませ。

さようなら、私

「恐竜の足跡を追いかけて」「サークル オブ ライフ」「おっぱいの森」の短編3つが収録された『さようなら、私』。

3つの物語の主人公は女性で、何かしらの問題を抱えて苦悩しながらも生きています。タイトルが「さようなら、私」というのは、過去の自分や今の自分との決別。すなわち、彼女たちが、今までの自分 から 新しい自分へと変化していく というのがこの本のテーマなのではないかと思います。

それではそれぞれの物語について触れていきましょう。

恐竜の足跡を追いかけて

中学時代の同級生 山田君が、22歳という若さで 自ら命を絶ってしまった。

お別れ会のために帰郷した主人公 美咲は、久々に地元の商店街を歩いていると突然頭上から声を掛けられました。そこにいたのは同級生のナルヤ。一流企業に内定をもらったと風のうわさで聞いていたはずの彼が、ニッカポッカという作業着に身を包み、土方作業員として働いていたのです。清潔で爽やかな好青年というイメージから野性的な男性へと変貌していました。

誘われて訪れた昔なじみの喫茶店で話題になるのは、やはり山田君のこと。山田君も美咲もナルヤも同じグループで、あの頃はあんなにも一緒に遊んでいたというのに高校、大学になってからはそれぞれ疎遠になっていたのでした。

ナルヤが仕事に戻るために店を去る際、美咲に自分の連絡先を書いて渡します。

「もしよかったら、俺の育ての親に、会いにこない?」

(P13より引用) 

大学生時代からアルバイトをしてようやく念願の正社員になれた出版社に、数日前、辞表を提出していた美咲。ナルヤの誘いに乗ることにしました。

しかし、行き先はまさかのモンゴルだったのです。

なんとナルヤはモンゴルの遊牧民族の男性と日本人女性の間に生まれた子でした。まだモンゴルが社会主義の時代、モンゴルの薬草を研究するためにナルヤの母は度々モンゴルへやってきていました。そんななかで遊牧民族の男性と恋に落ち、ナルヤをお腹に宿します。しかし当時は携帯電話のない時代。翌年、父親を再び見つけるためにモンゴルを訪れますが、遊牧民である彼は別の場所に引っ越していて見つけることはできませんでした。

一足先にモンゴル入りしていたナルヤと、幼馴染である男性の”秘密くん”が美咲を迎えに空港までやってきました。これから向かうのは、ナルヤと母が昔からお世話になっている夫婦のもとで、ナルヤにとって彼らは自分の育ての親でした。

空港からゲル(遊牧民族の家)まで長い道のりを車で進みます。舗装されいていない道はがたがたと揺れ、延々と同じ風景が続き、走っても走っても景色は一向に変わりません。陽が暮れかかってきたころ、ようやくゲルに到着しました。出迎えてくれた中年の男女はナルヤと美咲を快く迎えてくれます。そうして美咲はナルヤに連れられ、モンゴルの暮らしを体験してくのでした。

 

主人公の美咲は不倫の恋を経験し、その後、編集者の仕事という夢も破れてしまったことで「笑わない」と心に誓います。それが初恋の相手ナルヤの優しさ、モンゴルの自然によって、少しずつ少しずつほぐされていくといった物語。

夜空を見ているだけで、心が空っぽになる。体が少しずつ、砂のような細かい粒子となって、星達の隙間に紛れていくようだ。私は、何かに導かれるようにふらふらと辺りを彷徨い歩いた。あまりにも興奮して、目が回りそうになる。

(P33より引用) 

すべてが綺麗なだけではありません。モンゴルの肉が中心の食生活、あまり衛生的とは言いづらい環境、日本とは何もかもが異なります。それに対して、不満を募らせる美咲が幼稚にみえ、逆に優しくフォローしてくれるナルヤが大人びてみえます。このあたりの成長度合いの違いも見ていて面白いところではないでしょうか。

ここからは気に入ったシーンをいくつか。

「今度こっち来る時に、日本の包丁砥ぎを持ってきてあげたら」

悪銭苦闘してじゃが芋の皮を剥きながら、何気なくナルヤに言った。けれどナルヤからは、予想とは違う反応が返ってきた。

「俺も、一時期は同じこと考えてた。ここのあまりの原始的な暮らしに啞然として、日本から便利な物をせっせと持ってきてたんだ。もちろん、両親は喜んでくれるよ。でも、見てると結局使わないんだよね。使い方がわからないわけじゃなくて、自分達の意思で使っていないんだよ。そういうものは、彼らにとってゴミにしかならない。遊牧民っていうのは、物を持たない暮らしなんだ。とにかく、物に執着しない。彼らは、何千年とそうやって生きてきた。それを無理やり変えようとするのは、それこそ傲慢な話なんだ」

(P57-58より引用)

お湯を沸かすのも、ご飯を炊くのも、カレーを煮込むのも、同じ鍋を使っているのだ。その都度、お母さんは丁寧に鍋を洗う。なるべく貴重な水を無駄にしないよう、工夫しながら。

「私だったら、ミルクを温める鍋とか、フライパンとか、パスタ用の底が深い鍋とかいろいろ揃えてしまいそうなのに。すごくない?ねぇ、お母さんって、実はめちゃくちゃすごいよ!」

ナルヤにもこの興奮を届けたくて、声を張り上げた。それがどこまで伝わったのかはわからないけれど。

「そうなんだよな。俺ら、いっぱいいろんな道具を開発して、スイッチ一つ押せば使いこなしている気分になっているけど、壊れたらもう何にもできなくなる。こっちの人は、自分の車とかバイクが壊れたら、全部自分で直すんだよ。直すためには、きちんと仕組みとかが頭に入っていないとできない。結局、頭使って生きるのって、こういう原始的な暮らしを送っている人達の方なんだよな。一見、俺達の方が先を進んでいるような気分になるけど、どう考えても、俺らの方がアホ化している」

ナルヤが必死に伝えようとしてくれていることが、私にもなんとなくわかった。

ナルヤと熱心に話をしている間に、ご飯を炊いている香ばしい匂いが漂ってきた。見上げると、うっすらと茜色に染まり始めた空に、細長い雲が竜のようにたなびいている。その時不意に、自由ってこういうことを言うのかもしれない、と思った。遊牧民の人達の心の軽さ、それは物を持たないということで成り立っているのでないかと気づいたのだ。

もちろん、遊牧民だからと言って、全く物を持っていないというのではない。ゲルの中には仏壇だってあるし、一見生活するのには必要がなさそうな、ナルヤも含め、息子達や孫達の写真などもたくさんある。でも、きっとこの人たちは自分にとって何が大切か、必要かがわかっているのだ。そして大切だと思う物に関しては、たとえ生活必需品ではなくても、ずっと大事にする。本当に必要な物だけに囲まれた生活なのだ。

(P61-63より引用)

以前から遊牧民の方々の物を最小限に生きている姿に憧れがありました。私の身の回りにはたくさんの便利なものに囲まれています。もちろん、最低限の便利なものを手放すつもりはありません。洗濯機を手放して洗濯板で洗うとか、この暑い日本で冷蔵庫を手放すというのも、もちろんそういった方がいるのはいいと思いますが、私の中では現実的ではありません。

でもどこか、ミニマリストを目指していた身としては、遊牧民の方々のような生活に憧れのような、尊敬のような感情があります。大切な物、必要な物だけに囲まれた生活ができればいいなぁと日々痛感しておりますので、とても響く文章でした。

「これは、俺の数少ない人生経験から得た教訓だけど」

ナルヤは、丁寧に前置きをした。

「もし自分に行き詰まったら、もっと広い世界に飛び出して、自分よりも上をみるといいんだ。狭い世界でうじうじしていたら、もっと心が狭まってくだらない妄想に取りかれるだけだもん。自分のことなんか誰も知っちゃいない、屁とも思っていない世界に自ら飛び込めば、自分がいかにもちっぽけな存在か、嫌でも思い知らされるよ。そうすれば、開き直って、もっと成長できる。自分に限界を作っているのは、自分自身なんだ」

ナルヤは、わかりやすい言葉を選ぶようにして話してくれた。

(P114より引用)

最近、ちょっと考えていることがありまして。専業主婦という立場である自分への葛藤です。そろそろ環境を変えたい…でも何をしていいのかもわからない。失敗するくらいなら何もしたくない、でも何もしないというのも罪悪感がある。…そう思っていた私には、とても刺さる言葉でした。環境であったりを言い訳するのだけ上手になっている最近の自分を少しずつでも変えていきたいな…なんて。

サークル オブ ライフ

主人公の楓は、行きつけのバーでキングサーモンを食べながらふと思い出し、つぶやきました。

「そういえば私、来月取材でカナダに行くんですよ」

(P146より引用)

するとマスターは百年に一度の鮭の大産卵が見られることや、鮭の生態についていろいろと教えてくれます。

「四年に一回、生まれた川に戻ってくるんだよ。冬季五輪の年と一緒。だから俺は、冬のオリンピックがあるっていうと、落ち着かなくて。そりゃあもう、すごい光景なのよ。川面が全部、真っ赤に染まって」

「でも、どうして自分の生まれた川にちゃんと戻ってこれるんでしょうねぇ」

私の場合、鮭に関する基礎知識はかなり乏しい。知っていることと言ったら、それくらいしかない。

「それがさ、わからないの」

マスターが、自信たっぷりに断言した。

「自然の摂理なんじゃないか、って言われている一方、大陸横断鉄道を工事したからなんじゃないか、っていう学者もいて、いまだ謎なのよ」

(P148より引用)

そんな会話をしていたら、マサシ君が店に入ってきました。彼は、バーテンダー見習いで楓よりも7歳ほど若い青年です。たまたま公園で会ったことをきっかけに仲良くなり、それから交流を深める間に、恋人同士になりました。

時は流れて。出張のために楓はカナダへと旅立ちます。十時間近いフライトをおえ、バンクーバー空港へ。預けた荷物を受け取りに向かうと、一つ目の黒いスーツケースはすぐに出てきたというのにもう一つがなかなか出てきません。しばらくして、やっと見慣れたスーツケースが出てきました。花柄の布地はほつれかけ、ところどころがガムテープで補強されたボロボロのスーツケースです。楓は、自分でもどうしてこんなものを持ってきてしまったのか、よくわかっていませんでした。疲れた体を休めるために、楓はホテルへと向かいます。部屋に到着して用事を済ませると、急激に睡魔に襲われ、そのままベッドに横になりました。

それからしばらくして、携帯電話の着信音で目を覚まします。電話の相手は春子おばさんでした。春子おばさんは、母の妹です。家族関係に恵まれなかった楓にとって、唯一の家族といってもいいかもしれません。そして母親からの迷惑に楓と共に苦労した人でもあります。

楓の母は、一か月ほど前に施設で他界していました。そして、最後に楓に遺されたのが、ぼろぼろの花柄のスーツケースだったのです。

こんな時、私は決まって思うのだ。人間には、二種類いると。

親に恵まれた人々と、親に恵まれなかった人々だ。

この二種類の人達は、互いに一生、相手を理解することはできないだろう。親に恵まれた人達は、私のような親に恵まれなかった人間の苦しみや葛藤、悲しみを、心から感じることはない。哀しいけれど、そうなのだ。

(P169より引用)

私を産んだ母親は、ヒッピーかぶれだった。

十代の頃、勝手に実家を出てからは、音信普通だったそうだ。

自由や平和を掲げる集団に属し、世界中を転々としていたらしい。その都度、森の中に自分達のコミュニティを作り、自給自足の暮らしをしていたという。そして、私を身ごもった。当然、父親が誰だかなんてわからない。もしかしたら私には、まだ私が行ったことがないような遠い土地に暮らす人種の血が混ざっているのかもしれない。私は背が高いし、鼻も鉤鼻で、平均的な日本人より彫が深い。普通に町を歩いていても、よく外国語で話しかけられたりする。私はどこから来たのだろう。じっと、迷路の中を彷徨っている。

記憶の底の底の方で、うっすらとだが、森の中で暮らしていたことを覚えている。母親は私を抱いたまま、よく何か棒状のものを口にくわえていた。今から思うと、きっとマリファナか何かだったのだろう。それを、片時も手放さなかった。

(P173より引用)

そんな生活しかしらない楓はその中で成長し、大きくなっていきます。そんなある日、事件が起こるのでした。それによって楓の心には今も大きな傷が残っています。母親に助けを求めても相手にしてもらえず、今思うと半ば母親公認だったのかもしれないその行為が幾度か繰り返されました。そして楓はとにかく逃げ出そうと、自力でコミュニティから抜け出したのでした。

戸籍もない楓を日本で迎えるため、奔走してくれたのも春子おばさんでした。そしてそのコミュニティがあった場所というのが、カナダだったのです。

母親はその後、男性に貢ぐようになりました。日本に帰国し、親戚中に借金をし、それを繰り返しているうちにホームレスになって、道端で倒れていたところを施設に保護されたのです。そんな母親はもうこの世にいない。それでも楓は、ふとした瞬間に母の影におびえ、また男性との深い接触に対して恐怖するようになってしまったのでした。

そんなわけで今までずっと避けていたカナダ。仕事のためとはいえ、再び足を踏み入れることで、楓はこれまでの自分や、母親に対しての感情がすこしずつすこしずつ変化していくのでした。

「楓さん、オーロラって実際はどう見えるか、知っていますか?」

と、いきなり質問した。意味がよくわからないながらも、

「オーロラでしょ。ピンクとかエメラルドグリーンが混ざっている、光のカーテンみたいに見えるんじゃないの?」

あえてそんな質問をするということは、答えは違うんじゃないかとうすうす感じながらも、そう返事をするしかない。

「確かに、そんなふうに見える時もあるんだそうです。でもそれって場所ににもよりますが、十数年に一度くらいの特別な夜で、いわゆるオーロラとして僕達がイメージするのは、そういう特別な夜に写した写真だったり映像だったりするんだって。それだけに命をかけてるようなカメラマンが、やっと撮った奇跡の一枚だったりするんですよ。それで普段のオーロラはどうかって言うと、デジカメで撮ると確かに緑色っぽく写るんだけど、肉眼ではほとんど白にしか見えないんだって」

「えーっ、信じられないよ、今更、そんなこと言われたって」

私にとって、オーロラはやっぱり光り輝く虹色の帯だ。白かったら、何の意味もない。

「僕も、最初にそれを聞いた時、がっかりしてさ。もうあればイメージとして定着しちゃってるし。でも、実際に見ると、本当に、雪とか煙とか月明りみたいにしか見えないだって。これを教えてくれたのは、僕の姉貴夫妻で、旦那さんがどうしても一緒にオーロラを見たいっていうんで、新婚旅行に冬のアラスカまで見に行ったんだ。その結果が、さっき話した通りで。結局、自分達の住むアパートから見る夕焼けの方が、ずっときれいだって気づいたらしいんだよ」

(P199-200より引用)

 

一話目に比べ少し重い内容を含んでいながらも、どこか軽やかに進んでいく物語でした。ところどころ、いやそれは違うだろう…と思うところもありました。でもその考えは言ってしまえば、私から主人公への余計なお世話なんです。

円柱は真上から見ると円に見え、横から見ると長方形に見えます。それと同じで見る方向を変えるだけで見え方って大きく変わることもあります。それでその人の苦痛が少しでも和らぐのであれば、わざわざ忠告するのは野暮というもので。それに今まで真上からしかみていなくて、これは丸いものだ!そうに違いない!と信じ込んでいても、環境の変化などで視点が変わって、あぁ長方形に見えるという視点もあるんだ!と気が付くというのも、大切なことだと思うんです。

そういった変化で、新しい自分に前向きに変化していく姿がちょっと眩しくもあった物語でした。

おっぱいの森

夫の喧嘩して、家を飛び出してしまった 主人公の美子。スウェットパンツにTシャツというラフな寝間着のまま、行く当てもなく、近所の遊歩道に設置されたベンチでひとりうずくまっていると、色白でふくよかな女性に声をかけられました。

「いっぱい泣けばいいのよ」

(P222より引用)

その言葉につられたのか今まで我慢していた涙がとめどなくあふれるのでした。しばらくすると女性は美子を駅前の雑居ビルの一室へと案内します。奥からは女性を迎える男性の声がします。女性は”ダリア”と言うそうです。

思い切ってもう一歩足を踏み入れると、そこは、ボードに仕切られただけの簡素な部屋だった。私は瞬時に、産婦人科の待合室を思い出した。部屋の隅で回っている扇風機が、店長の机の上に置いてあるノートやメモ用紙をさらさらと靡かせている。

けれど、さっきは確かに男性の声がしたのに。私達に背中を向けて収納棚の上の方に手を伸ばしているのは、明らかに女の人の後ろ姿だ。あれ?と思った時、店長が振り向いた。

「びっくりしたぁ?そんなに口開けてぽかんと見られたら、恥ずかしくなっちゃうじゃないの」

(P226より引用)

ダリアに連れてこられたのは何かのお店のようでした。そして店長は男性だけど女性の恰好をしていて、名前は”オカマの早苗ちゃん”だと言います。ダリアは自分の仕事が終わるまで、ここで美子を預かっていてほしいと店長に頼むのでした。美子はその部屋で、店長とコーヒーを飲みながら談笑します。なぜかこの場所は美子にとって、落ち着ける場所だったのでした。

早苗さんは少ししんみりとして言った。

「あることがあってね」

たったそれだけを言っただけなのに、早苗さんはすでに涙ぐんでいる。けれど、有機を振り絞るように、言葉を続けた。

「私、もう生きるのがすべて嫌になったの。死んで、生まれ変わりたい、って思ったのよ。だけど、私が命を無駄にするような真似、できないじゃない。そうしたら、私は地獄に堕ちて、天国にいる息子とは二度と会えない、って思ったの。だから、私どうしても、死んだら天国に行って、もう一度息子に会いたいの。それで、家族をやり直したいの。

こんなおかしな商売してrけど、これはこれで、私にとっては、人助けのつもりなのよ。人によっては、風俗だとか、宗教だとか、今流行りの癒しだとか言う人がいるけど、私にしちゃあ、どれでもないの。必要とする人と、必要とされる人がいる。ここはその、仲介役みたいな所なの。あら、私ったらまた喋りすぎちゃったみたい」

(P240-241より引用)

早苗には妻子がいた過去がありました。しかし息子を失っていたというのです。その話は美子の胸に響くものでした。

美子はつい最近、産まれたばかりの赤子を亡くしていました。突然死で誰のせいでもありません。けれど美子は自分のせいだと思い、周りもそう思っているのだと思っています。この苦しみは誰にも理解されません。授乳のために腕に抱いていた我が子は、母乳でどんどんと大きくなっていきます。それなのに。まだ四十九日も過ぎていない美子が絶望の淵に立っていたからこそ、早苗の言葉が響いたのかもしれません。ダリアはそういった、どうしようもない悲しみを抱えている人を放っておけないのだと言います。それで美子に声をかけたのでした。

その日の夜、帰宅して横になっていた美子は胸の痛みで目が覚めました。我が子であるコウちゃんを失っても、美子の体はまだ母乳を用意し続けます。コウちゃんに飲まれるはずだった母乳を毎日、流しの中にひとりで絞り出していたのです。

翌日、美子は自らの足で、昨日訪れた駅前の雑居ビルに向かいます。そして店長である早苗に雇ってもらえるように話すのでした。そのお店は”おっぱいの森”でした。そして店長は美子に”サクラ”という源氏名を付けました。

来店した客は店員の胸の写真から指名をし、目隠しをした状態で個室へと案内されます。店員は客の趣くまま乳房を差し出し、客はそれに吸い付くのでした。客層は様々で高校生からサラリーマン、男性だけではなく女性の来店もありました。皆、背景に何かを抱え、ここにやってくるのです。サクラはその行為に性的なものではなく、我が子のコウちゃんへの授乳を思い出すのでした。

私は、ただぼんやりと突っ立っている夫の姿を、上から眺めた。「の」の字のつむじを見て、それがコウちゃんもそっくり同じだったことを思い出す。愛し合って、やっと授かった命だった。窓から下を見る私のそばに来て、店長は柔らかい声で言った。

「サクラちゃん、ここは決して、悲しみの背比べをする場所ではないのよ。ここはね、人生の疲れをいやして生まれ変わる、そういう場所なの。素敵な旦那さんじゃないの。あなたが捨てるなら、私がもらっちゃうわよ」

そして、私の肩をいつまでも黙って抱いてくれた。

(P271より引用)

 

小川糸さんの小説は、不思議なもので自然と涙がこぼれているということが多々あります。ごくごく普通のありふれたシーンでも、自分の中の何かが揺れ動かされて、自然とあふれ出るんです。この物語ではそういったシーンがいくつもありました。概要だけ見ると、我が子を失って悲しみに暮れる女性が風俗店て働いて、悲しみを乗り越える物語…なんですけれど、この物語は実際に読んでみないとわからないものがたくさん詰まっているように思います。

辛い内容だけれども、大切な人の死と向き合うという悲しみを優しく、どこか真綿のように軽やかに、まるで詩を読んでいるかのように伝えてくれる。そんな感じです。とりあえず、読んでみてほしいです。

よもやま話

小川糸さんの紡がれる文章は女性的な曲線美があるように思います。読んでいる最中は、わがままな登場人物たちにイライラしたりすることもあるのに、読み終えてしばらくしたら、それらがほんわりと中和して、まるで少し使いこんだ奇なり色の木綿に身を包むような、そんなベールが纏わっている感じ。これが好きなんです。エッセイも好きですけど、やっぱり小説もいいなぁ。

 

映画・ペンギンハイウェイ

あまり順位というものをつけるのは好きではありませんけれど、もし作家で誰が一番好きか?という答えを出すのであれば、迷いなく森見登美彦さんをあげると思います。すべての著書を拝読したわけではないのですけれど、読書が楽しいと思うようになったきっかけは森見さんで、たぶん私にとっての特別は生涯変わらなそうです。

森見さんの作品はメディアミックスする際、アニメとの親和性が非常に高いように思います。ファンタジーでへんてこりんな世界なのに、読んでいて光景がまざまざと浮かぶから、アニメ化されても違和感があまりないのですよね。

そんなわけで森見さんの小説をアニメ映画化した作品「ペンギン・ハイウェイ」を見ましたので、感想をネタバレ交えて綴っていこうと思います。

あらすじ

主人公のアオヤマくんは小学4年生。勉強熱心で努力を怠らず、気になることはとことん研究できる、そんな男の子。通っている歯科医院に勤めているお姉さん(特に胸)が気になるお年頃です。

そんなアオヤマくんが住む街では突如、アデリーペンギンの群れが出現するという怪事件が発生します。海がない街ですからどこからやってきたのかもわかりません。それに車にひかれてもへっちゃらで、何も食事をとりません。そしてアデリーペンギンは街から離れてしまうとゴミの姿に変身してしまうのでした。ペンギンの正体を掴むため、アオヤマくんは「ペンギンハイウェイ研究」という名前を付けた研究を始めます。

アオヤマくんは「ペンギンハイウェイ研究」以外にもさまざまな研究をしています。「お姉さん」の生態を研究していたり、「プロジェクト・アマゾン」ではその街の水源がどこにあるのかを調べてみたり、「妹わがまま記録」では妹から投げつけられた無理難題を記録しています。

クラスメイトで冒険仲間のウチダくんと一緒にとある冒険をしていたときのこと。スズキくんというずいぶんとわんぱくなクラスメイトが舎弟の2人を連れてやってきました。すぐさま逃げ出すアオヤマくんとウチダくんですが、残念なことにアオヤマくんは彼らにつかまって自動販売機に拘束され、そのまま放置されてしまうのでした。

しばらくして、そこにお姉さんが現れます。なんとか助け出されたアオヤマくん。そして、お姉さんが缶ジュースをアデリーペンギンへと変身させるところ見てしまったのです。「ペンギンハイウェイ研究」と「お姉さん」の研究がつながります。

アオヤマくんのクラスにはハヤモトさんという女の子がいます。お父さんは大学の先生をしていて、彼女も小学4年生にして相対性理論の本を読むほど研究熱心な女の子です。チェスが得意で、クラスでは誰も勝つことができませんでした。しかし、アオヤマくんが勝負に勝ったことでハヤモトさんはアオヤマくんに秘密を共有します。

アオヤマくんが通う学校の近くには森があり、そこには「銀の月」という噂がありました。なんでもその月を見てしまうと、病気になってしまうという怖い噂です。なんとその噂の元凶はハヤモトさんだったのです。

ハヤモトさんはアオヤマくんとウチダくんを連れて、森の奥へと進んでいきます。広い広い草原の中心には、謎の球体が浮かんでいたのです。ハヤモトさんはその球体が他の人に見つからないように、噂をながしていたのです。そして謎の球体に”海”と名前をつけ、研究をしていました。そしてアオヤマくんに共同研究をしないかと提案するのでした。

ちょうど夏休みにはいったことで、アオヤマくん、ウチダくん、ハヤモトさんは研究を進めていきます。やがて、アオヤマくんはお姉さんと”海”とペンギンに奇妙な関連性があることに気が付くのでした。いったいそれらは何なのか…?謎は解明されるのか…?

感想

まず、とても面白かった!作画もとても美しく、凝られているなぁと思うようなシーンも。なにより物語も構成がとてもよくて、ワクワクドキドキさせてくれるような作品だと思います。

個人的に違和感があったのは吹替キャストくらいでしょうか。主演のアオヤマくんや、子ども達はとてもよかっただけに、ところどころ「んー…違和感」と思うキャラクターもおられまして。そこが残念です。下手というわけではないんですよ。でも、キャラと声があってないというか、なんというか。ま、こればかりは好みの問題ですよね。

原作小説はまだ途中までしか読んでいないのですけれど、これは原作も読んでみて、原作と映画の違いを楽しんだり、”行間を読む”作業をしたいなぁと思いました。

この作品は子ども向けということですけれど、個人的には子どもよりも大人が楽しめる作品なんじゃないかなと思います。映画って何層にも層があって、パッと見てわかる表面の部分があって、さらにその奥に「これはあれを表していて」という考察して楽しめる部分があって、それが何層にも重なっているんだと思います。

となりのトトロ」はトトロがでてきてワクワクとか、猫バスがでてきてドキドキみたいな表面の子どもが楽しめる部分と、その奥に きっとこの家は…とか、さつきちゃんがこうしているということは…とか考察できる層があって、大人は懐かしさであったり、そういった考察部分であったりを楽しめるんだと思うんです。

アオヤマくんはお姉さんのことが気になっていて、特にお胸が気になって仕方ありません。1日のうち30分くらいはそのことを考えてしまい、研究してしまうくらいには。表面だけ見れば、そういった表現に対して、いやらしいとか気持ち悪いとか女性蔑視だ!とか思ってしまうところかもしれません。けれど、もしそれが早熟している子どもであるということを表しているとしたら?彼なりのませた見栄の1つでもあるとしたら?

実際にはどうかはわかりませんけれど、森見さんの小説も何層にも重なっているような表面だけではない作品を書かれる方です。そういったところを小説から、さらに読み取れたらなと思います。

昔からいるよ。ここは地球だもの。本当に遠くまで行くと、元居た場所に帰るものなのよ。

(作中より引用)

わかったようで、わからない。面白いけど怖かったり変だと思うところがあったり。それを考える余白のある映画なのかなと個人的には思っています。

ちなみにペンギンハイウェイとはペンギンが海から陸に上がるときに決まってたどるルートのことをいうのだそう。またひとつ勉強になりました。

今回はこの辺で❀次は何をみましょうかね。

 

本・リカバリーカバヒコ

青山美智子さんの『リカバリー・カバヒコ』を読了いたしましたので、その感想やあらすじなどをネタバレ交えて綴っていきたいと思います。

リカバリー・カバヒコのあらすじ

5階建ての新築分譲マンション、アドヴァンス・ヒル。その近くにある日の出公園には古くから設置されているカバのアニマルライドがあります。名前はカバヒコ。

ただ乗るだけの、よくあるアニマルライドだ。茶色に近いようなくすんだオレンジ色で、それもところどころ塗料が剥げている。地のコンクリートがむき出しになってまだらな灰色になっていたが、カバなので違和感はない。

楕円の大きな瞳はちょっと上目遣いで、黒目も部分的に剥げているせいでなんだか漫画みたいな涙目に見えた。口がにいっと横に大きく広がり、端っこが上がっている。上向きの鼻は盛り上がった丘のてっぺんに離れて鎮座し、なんとも間の抜けた、あきれるほどのんきな表情だった。

(P14より引用)

カバヒコには、怪我や病気など自分の治したい部分と同じところを触ると回復するという都市伝説がありました。

すっと人差し指を立て、雫田さんは言った。

「人呼んで、リカバリー・カバヒコ」

リカバリー?」

「……カバだけに」

(P17より引用)

アドヴァンス・ヒルに越してきた人々は、それぞれの問題をカバヒコに打ち明けるのでした。

ここからは各章ごとに触れていきたいと思います。

奏斗の頭

それまで住んでいた街を離れ、高校進学のタイミングで都心寄りの新築分譲マンションであるアドヴァンス・ヒルに越してきた奏斗一家。それまではのんびりとした公立中学に通っていて、授業を聞いているだけでテストの成績は優秀でした。ですので奏斗は自分は頭がいいのだ…と思っていました。

けれど高校に進学してからそれは一変してしまいます。授業にはついていけないし、テストも平均点を下回った点数ばかりをたたき出してしまいます。すべての点数と個人順位が書かれた紙を見てみると、42人中35位という結果でした。母親には平均点が低かったんだよとなんとかごまかしつつも、成績不振を原因に自分に自信をなくしてしまいました。

そんなある日、マンションの近くに日の出公園という小さな公園を見つけます。無人の公園にふと奏斗は足を踏み入れました。公園にはブランコやすべり台などのいかにも公園らしいアイテムのほかに、カバのアニマルライドがありました。よくみてみると、カバの後頭部には油性マジックで「バカ」と書かれていたのです。心を痛めた奏斗は、翌日プラモデルの塗料であるラッカーで落書きを塗りつぶそうと思いつきます。

翌日、公園には先客がいました。先客は奏斗と同じ学校の制服を着ています。よく見ると、彼女は同じクラスの雫田さんであることがわかりました。気まずさを感じ、引き返そうとしたとき二人の目が合いました。

雫田さんは気さくに奏斗に話しかけ、奏斗にカバのアニマルライドの都市伝説について話します。そして奏斗はカバヒコに成績不振の状況を打破できるようにお願いするのでした。

「頭脳修復、たのむよ、カバヒコ!」

(P19より引用)

 

第一章の主人公奏斗。彼は自分はできる人間だと思っていたけれど”井の中の蛙大海を知らず…”と言いましょうか。広い世界を知って、自分の自尊心が傷ついてしまったり、それによってやる気を失ってしまったり…と思春期の少年らしい物語です。

「ひどいな。バカって書かれてる」

僕も一緒に、その文字をのぞきこむ。

「そうなんだよ。こすってみたけど、油性ペンみたいで消えなくて。上から塗ればいいかなと思って、プラモデルに使う塗料、似たような色を持ってきたんだけど」

僕はリュックからラッカーを取り出した。透明のボトルから見えるそのオレンジ色は、カバヒコと合わせてみるとずいぶんと明るかった。これだと、逆にそこだけ目立ってしまいそうだ。それに。

「……上から何か塗ったって、その下にバカがあると思うとちょっとせつないな」

僕はそう言って、ラッカーを下げた。

消すのと、隠すのは違うのだ。そうやってごまかしても、なかったことになんてならないのだ。

(P23より引用)

雫田さんとの会話や両親との会話をきっかけに、自信や やる気を取り戻していく奏斗の姿がとても眩しいお話でした。男女の友情の芽生えというか、とにかく眩しい!青山ワールド!といった感じです。

紗羽の口

半ば強引に夫が決めた新築分譲マンション、アドヴァンス・ヒルに越してきた紗羽一家。紗羽は専業主婦をしていて、娘のみずほは幼稚園の年長さん。やっとのことで見つかった編入先の幼稚園は何かと規則の多い幼稚園でした。アドヴァンス・ヒルのあるエリアでは、マレーという大型スーパーの前にあるロータリーが通園バスの停留所となっています。

紗羽はみずほの手を引いてその停留所に向かいます。そこではママ友3人がすでにそろっておしゃべりをしていました。子どもたちを見送ったあと、お迎えの時間までマレー内にあるファーストフード店「サマンサ」でお茶をするということが度々ありました。本心では家事をするために断りたい。けれどそうすると自分がはぶられてしまい、さらにはみずほまで仲間外れにされてしまうのでは…と心配になり、断れずにいました。おしゃべりの内容は中身のない噂話ばかり。紗羽は日に日に、適当な相槌をうつことだけ上達していくのでした。

そんななかで絹川さんというママさんの話が話題に上がります。絹川さんは年長の男の子を送りに来ているのですが、挨拶以外の会話はありません。いつも背筋をピンと立っていて、なにやら仕事をしているようで、サマンサへも当然来ることはありません。そんな絹川のあることないことを想像し、ママ友たちは噂話というていの悪口に花を咲かせるのでした。

この「ママ友ごっこ」もあと半年。あと半年の我慢だ、と思っていたところでちょっとしたトラブルからママ友たちから仲間外れにされてしまいます。みずほは今のところ仲間外れにされていないようですが、あからさまに自分が彼女たちに無視されていることがわかります。

紗羽は娘のみずほを出産するまでは全国チェーンのファッションビルでショップ店員をしていました。コンテストで接客が優秀であると表彰されたこともありました。その頃は心からいえた「ありがとうございます」が今は「ありがとう」の意味が「すみません」になってしまっていました。仕事に戻りたいけれど、みずほが3歳になるまでは…と思っているうちにブランクが怖くなり、みずほが5歳になっても戻れないでいたのです。

とある日曜日、みずほは夫に託して一人買い物にいくことになり、ついでにクリーニング屋にワイシャツやブラウスなどを持っていこうと思い立ちます。日の出公園のすぐ近くにある”サンライズ・クリーニング”はいつもベリーショートの白髪のおばあさんが店番をしていて、仕上がりに少し時間はかかっても、丁寧な仕事で何より安いということで紗羽の行きつけになっていました。

店先で店主であるおばあさんと、他の客と話していると、ひょんなことからカバヒコの都市伝説のことを聞かされるのでした。

私は彼を呼んだ。そしてそっと、にいっと笑っているみたいな口を触る。

カバヒコ、お願い。ちゃんと話ができた頃の私に戻して。

ママともたちとの関係を、修復して。お願い。お願いします。

カバヒコはただ、やんわりとほほえんでいる。私はカバヒコの口を何度も何度もなでながら、涙をにじませた。

(P86より引用)

 

第二章の主人公となる紗羽。ママ友問題であったり、専業主婦であるがゆえの葛藤であったりを描いている物語でした。

個人的に一番、わかるわぁ…と共感したのはこの章でした。私も2022年9月末に図書館司書を辞め、それ以降はずっと専業主婦で仕事に就いていません。夫は私の体調面や精神面からこのまま専業主婦でいいと言ってくれていますが、それでもやはり焦燥感と言えばいいのか、このままでよいのだろうか、働けるのに働いていないというのはよくないのではないだろうか…と考えてしまうこともあります。子どもがいるわけではないから余計にそう思うのかもしれませんね。

私は、ちゃんと話せる自分に戻りたいと思っていた。

でもそれは、単に「たくさんしゃべれる」ということではなかったのだ。

本当の「話せる」って、「必要なことをきちんと伝えられる」ことなんだから。

(P90より引用)

紗羽がどんなふうに変化していくのか、とても暖かい気持ちで見ることができました。

ちはるの耳

大学卒業後、ブライダルプロデュースの会社で3年間勤めていたちはる。やっとウェディングプランナーとして認められてきたところで、ストレスが原因で”耳管開放症”という病にかかり、休職することになりました。痛みがあるわけでも、音が聞こえないわけでもありません。ただ自分の声がくぐもった耳の中でまるで反響するように不穏に響くのです。もともと細身であった体形も、今は身長160㎝に対して30㎏台にまで落ちてしまいました。

ストレスの原因はわかっていました。同業の他社から半年前に転勤してきた澄恵という女性です。ハキハキと物を言いえ、スピーディに動ける澄恵の成約率は、圧倒的にちはるより上だったのです。もちろんそれで病気になったというわけではありませんが、彼女の存在によってちはるの心に余裕はなくなってしまったのでした。

もう一つの原因は同期の洋治でした。洋治は物腰が柔らかく、人当たりのいい人でしたが、そのぶん本心がつかみきれない人でもありました。彼はちはるが休職してからも、時々連絡をよこしてくるのです。そんな優しさや笑顔の裏で、誰かを傷つけているということをちはるは洋治に言えないでいたのです。

ちはるは両親が購入した新築分譲マンション、アドヴァンス・ヒルに一緒に暮らしていました。ある日、父がスーツをクリーニングに持っていかなくてはいけなかったことを失念していたといわれます。クローゼットに押し込まれ、皺だらけのスーツはクリーニングに出した方がよさそうです。

ちはるは散歩もかねて、サンライズ・クリーニングにもっていくことにしました。スーツを預けたあと、その足で日の出公園に向かいます。公園には先客がいました。紗羽とみずほです。同じマンションで挨拶をしたことがあったので、顔を覚えていたのでした。みずほはブランコを漕ぎ、紗羽はカバのアニマルライドの背に腰を下ろしていました。ちはると紗羽の目が合うと紗羽は好意的な笑顔をちはるに向けます。そしてそのまま立ち去るわけにもいかず、ちはるは公園へと足を踏み入れるのでした。

そこでちはるは紗羽からカバヒコの都市伝説のことを教えられます。

「……樋村さん(紗羽)も、どこか」

私が曖昧に言葉を濁しながら問うと、樋村さんは遠くを見るようにしてふっとほほえみ、なんだか楽しそうに言った。

「うん、治したいところをカバヒコにリカバリーしてもらった。でもちょっと良くなったからって油断してるとぶり返したりするから、こうやって時々、触りに来るの」

メンテナンス、ってことかな。

(P117より引用)

紗羽とみずほを公園から見送ったのち、ちはるはカバヒコの前にしゃがみこみました。カバヒコの耳に手を伸ばし、そっと、そっと撫でていると、なぜだかカバヒコ自身が耳の不調に苦しんでいるような、そんな錯覚に陥りました。

つらいね、しんどいね。かわいそうに。

何度もなでながら、胸の奥からせつない想いがこみあげてきた。

会社で起きた、つらかったことが次々に思い出される。

(P118より引用)

そしていろいろな思考を巡らせる中で、自分の醜い感情に気が付いたのでした。

 

第三章の主人公となる ちはる。人間関係のトラブルや仕事のストレスがまるで雪のように降り積もって、気が付いた時にはもう身体が悲鳴をあげてしまって。耳の不調は行ったり来たりでいつまでも回復しない、回復するのかもわからないという焦燥感。

人間関係のトラブルって、自分では「逃げる」か「立ち向かう」以外の対処法はないんですよね。他人の感情や行動をコントロールすることなんて、人間にはできませんから。コントロールできないからこそつらくて、逃げたとしても立ち向かったとしても、どちらにせよそれを乗り越えるのって簡単にできることではないと思うんです。そういった”ままならないこと”とゆっくり向き合うという物語でした。

ここですっきり完結するわけではなくて、これから…という感じで終わるのが個人的によかったです。身体の不調のことも、心の不調のこともそう簡単に解決するわけではありませんから。少しずつ、少しずつ良くなっていくよという希望があっていいなぁと思いました。

勇哉の足

父親の本社勤務が決定したことをきっかけに、新築分譲マンションのアドヴァンス・ヒルに越してきた勇哉一家。それを機に、小学校を転校することになった勇哉。新しい学校は学校行事がとにかく多くて、月に1度は何かしらのイベントがあるのでした。

そして11月のメインイベント…それは勇哉が大嫌いな「駅伝大会」でした。ただ全員参加というわけではなく、クラスから3人ずつランナーが選出され、6学年が縦割りになった組対抗のレースだそうです。運動が苦手な勇哉は絶対に選手に選ばれたくはありません。3人のうち2人は立候補ですぐに決まりましたが、あと1人がどうしても決まりません。そこで担任の先生は、明日くじ引きをして決めましょうといってその場は解散するのでした。

そして翌日。勇哉は家の薬箱から湿布を盗み出し、それを足首に張り、足を引きずりながら登校しました。そしてくじ引きが自分に回ってきたとき、先生に捻挫していると嘘をついて駅伝メンバーから外れることに無事成功したのでした。

それからすぐに怪我がなかったことにするわけにはいきませんので、足を引きずった生活を続けていた勇哉。2日ほど、そんな生活をしていたら本当に足が痛くなってきてしまったのです。地面に足をつけるとズキズキと痛み、ふくらはぎや膝まで痛むようになりました。病院にいっても原因はわからず、セカンドオピニオンを受けましたがそれでも治りません。また先生によって言っていることが正反対でどうしたものかと頭を抱えることになるのでした。

病院からの帰り、お母さんが思い出したようにクリーニング屋に寄っていくといいます。サンライズ・クリーニングでは店主のおばあさんと1人の女性が談笑しているようでした。その女性は見覚えのある女性です。同じマンションに住むちはるという女性でした。

お母さんに促されちはるに挨拶をし大人同士の談笑が始まります。ふと勇哉の歩き方から足を怪我しているのかと店主に聞かれます。お母さんは原因がわからないけれど足が痛いようで…と勇哉の状況を簡単に説明すると、店主はカバヒコの都市伝説のことを勇哉とお母さんに伝えるのでした。ちはるに案内されてやってきた日の出公園。カバのアニマルライドであるカバヒコが変わらずに立っています。

右の後ろ足に手のひらを当てる。

丸みがある円柱のそこは、しっくりと手になじんだ。カバヒコの足を何度もなでながら、ぼくはお願いをした。

どうか、どうか。ぼくの足を、元どおりに治してください。

どこも痛くなく歩けるように。

(P158より引用)

数日後、勇哉はお母さんに連れられて整体にやってきました。ちはるが行っている整体を紹介してもらったようです。整体の先生は、勇哉が片方の足をかばって歩くことで、体全体に歪みが出て、筋が張ったりしているのだろうといいます。

「体と心はすぐそばにあるんだけど、頭だけ、ぽつんと遠くにあるんだよ。勇哉くんの頭は、皮膚や筋肉が緊張しているのを、痛いって間違えてるんじゃないかな」

(中略)

「なにか、体や心がどうしてもイヤだなって思ってることがあるのかもしれないね」

そう言われて、ぼくはつぶやくように「走るのがイヤです…」と答えていた。

(P162-163より引用)

 

第四章の主人公 勇哉。自分がついた嘘が原因で、本当に嘘の状況になってしまい、そこからいろいろと学びを得る物語です。

体が緊張しているのは、ずるいことしたって罪悪感でびくびくしているからだ。頭が間違えちゃったんだ。

ホントのホントは、嘘なんてつきたくなかったんだ、そうだ、ぼくは…。

そういう自分のことが、イヤなんだ…。

(P170より引用)

どうしても嫌なことから逃げたくて、嘘をついてしまうことってありますよね。私も運動が苦手ですから、体育のマラソンや水泳が本当に嫌で嫌で。中学生のとき、部活中に足を10針ほど縫うけがをしたんですけれど、それ以降はいけないとわかっていながら、傷が痛むから…と嘘をついて体育の授業をさぼったり、なにかと理由をつけて学校を休んだりしたなぁ…と思い出しました。

でも回避することは悪いことばかりではありませんから。逃げていいことは逃げていいのだと、大人になってから気が付いたものです。嘘はできるだけつかない方がいいですけれどね。

そういった記憶をくすぐられたようで、なんだか居心地の悪さを感じつつ、でも愛おしいなぁと懐かしむことができる物語でした。

和彦の目

都内の出版社である栄星社に勤務して30年。学生の頃から念願だった情報誌編集の職に就き、今では月間情報誌「ラフター」の編集長を勤めている和彦。数年前から進行していた老眼が最近の悩みです。

仕事を終え、妻の美弥子と保護猫のチャオが待つ自宅を目指しますその前に少し寄り道した場所、それはサンライズ・クリーニングでした。夜遅くでシャッターの閉じられた店舗の二階、居住スペースとなっている部屋に灯がともっているのを確認し、そのまま日の出公園へと足を向けるのでした。

自身の母親であるサンライズ・クリーニングの店主。気が強く、快活でよくしゃべる、よく働く母と、和彦は折り合いが合わずに喧嘩が絶えない親子でした。和彦は就職を機に実家を離れ、それ以降は実家に寄り付くことはなく、妻の美弥子を紹介して以来でした。そのまま月日が流れ、和彦自身も老いを感じるようになり、また妻の美弥子の両親が美弥子の兄夫婦と同居を始めたことで母のことが頭をよぎるようになりました。そして美弥子に事情を説明し、母との同居を視野に入れるようになりました。けれどあまりに距離ができていましたから、突然一緒に暮らすというのは難しいはなしです。そこで近くのアドヴァンス・ヒルに越してきたのでした。

夜の日の出公園は無人で、遊具たちが静かに並んでいます。その中にカバヒコの姿を認めた和彦。カバヒコは、和彦が子どものころに設置されたアニマルライドだったのです。和彦は遠い記憶に思いを馳せます。

「この子はね、和彦のためにやってきたカバヒコっていうんだ。あまえの一番の味方だよ。すごい力を持ってるんだよ。自分が痛いのと同じところを触ると、治っちゃうんだから。人呼んで、リカバリー・カバヒコ!」

俺が戸惑っていると、母さんは突然ニヤリと笑い「……カバだけに」と補足した。リカバリーとカバをかけているのだ。それを聞いて俺は、ぷっと吹き出した。

すると母さんは俺をすっぽり抱きしめ、「だからもう、大丈夫!」と言った。

カズヒコの味方、カバヒコ。小学生だった俺にも、母さんが即興でこしらえた作り話だとすぐにわかった。

ただ、そんなホラ話の中にあふれんばかりの愛情を感じ取っていた。それがすごくうれしかったので、以来、カバヒコは俺の相棒となった。

しかし、俺もカバヒコも、年をとった。

……親子関係をリカバリーするために、戻ってきたのにな。

(P194-195より引用)

 

最終章の主人公は和彦。これまでのすべての章で出てきたサンライズ・クリーニングの店主の息子がここにして登場です。親子関係の修復って、これまた難しい問題ですよね。34歳の若造が…と思われそうですが、まぁうちの実家もいろいろとトラブル続きです。だからこそ和彦の葛藤はとても理解できます。年老いた両親とどう向き合っていけばいいのかとか、いろいろね。

「私、チャオと暮らし始めてつくづく思うの」

チャオをなでながら、美弥子は続けた。

「与えるだけじゃなくて、受け取ることも愛情なのよね。相手を信頼して、ただ甘えるっていう。大人になればなるほど、そっちの方が難しくなるんだけど」

(P220より引用)

はてさてどんな形で親子関係をリカバリーするのでしょうか。ぜひ、読んでみていただければと思います。

よもやま話

今までいろいろな青山美智子さんの作品を読んでまいりまして。青山さんはもう、このスタイルで突き進むのだなぁ…と思いまして。違う作風も読んでみたいなと思っていたのですけれど、それも野暮なような気がしてきた本作。違うスタイルは他の方の著書で楽しめばいいだけですからね。

こういう安心感というか、実家に帰ってこたつに入ってゆっくりする…みたいな雰囲気も大切なのではないかと思う今日この頃です。

yu1-simplist.hatenablog.com

個人的にいいなと思ったところは、カバヒコって結局何もしていないんです。ただそこにいるだけで、リカバリーなんてしていないんです。

本当はただのコンクリートでできただけのカバのアニマルライドです。けれど、そこに目と鼻と口があって、まるでアニミズムのように、みんなどこかそこから表情を読み取って、自身と重ねてみたりしているだけ。本来のカバヒコは傾聴すらしてくれていないのに、通り過ぎていく人々が話を聞いてもらったような気持ちになっているだけなんです。

神様やなにかの不思議な力で問題をリカバリーするというお話ももちろん素敵なんですけれど、本作はそうじゃない。カバヒコを信じたり願ったりすることで問題の本質に自らたどり着いて、自分自身や周囲の人々によって、問題解決しているところがいいなと思いました。

神様ってそれくらいの存在でいいと思ったりもします。いてくれるだけでいいんです。聞くでもなく言うでもなく、ただそこに”存在”してくれていれば。逆に言えば自分がいると信じさえすれば、目に見えなくてもいいわけですし、勝手にご神体を決めてしまってもいいんです。個人利用の範囲でしたらね。

暖かくなってきて少しずつ読書欲も戻ってきましたので、いろいろと読んでいけたらと思います。次は何を読もうかな。

 

本・和菓子のアンソロジー

今年の2月に和菓子をモチーフにした物語『和菓子のアン』と『アンと青春』を読みました。

yu1-simplist.hatenablog.com

もうすっかり物語の世界に魅了されてしまいまして。今までデパートの地下フロアで見るのは洋菓子コーナーばっかりだったのが、すっかり和菓子コーナーも追加されています。物語もまだまだ続いていくようで、続編の3巻『アンと愛情』も近々読もうと思っています。

実はこの「和菓子のアン」シリーズ、アンソロジーも出ているそう。これもチェックしてみなくては!ということで、そちらについてネタバレ交えて綴っていこうと思います。

坂木司リクエスト!和菓子のアンソロジー

「そういえば、他の方が書いた和菓子のお話も読んでみたいですね」

すると編集者さんは、残念ながらあまり和菓子の話というのはありませんねと答えた。そこで私はつい「ないなら、書いてもらいたいなあ」と言ってしまったのです。

(本書 まえがきP7より引用)

読書家としても知られる『和菓子のアン』の著者・坂木司さんがおっしゃったこんな一言から生まれた『和菓子のアンソロジー』。和菓子をモチーフとした短編が10編、ぎゅっとお歳暮のようにつまったそんな1冊でした。

お品書きは以下の通り。

こちらの全10編です。実は皆さま名前こそ存じ上げているのですが、読んだことが一度もない初めましての方ばかりでした。アニメを見た…とか映画を見た…という方もおられますが、それはいったんおいておきまして。一気にこんなにもたくさんの人と出会えるなんて…アンソロジーってその辺の出会い系サイトよりも出会いがあるのでは…とか馬鹿なことを考えてしまいました。

それでは1つずつ触れていきましょう。

「空の春告鳥」坂木司さん

1つ目は坂木さんの「空の春告鳥」。こちらは『アンと青春』の第一章と全く同じものです。「飴細工の鳥」という言葉の意味を解明するためにいろいろ考えたり、自分を投影して思い悩んだり…みずみずしさと、どこか初々しい感じが何度よんでもたまりません。

yu1-simplist.hatenablog.com

こちらは以前、深く触れていますのでこの辺で。

「トマどら」日明恩さん

2つ目は「トマどら」。

物語の主人公となるのは宇佐見という若い男性の警察官。彼は毎月贈られてくる とある贈り物に困らされていました。重みのある白い紙箱の中身は12個のどら焼き。ちょっとした問題解決をきっかけに送られてくるようになったのですが、それは一体どうしてか…という謎解きの物語。

謎解きという点では『和菓子のアン』と同様のテイストかと思いきや、主人公が警察官であったり、男性であったりということでまた違った空気感を味わうことができます。

季節の果物が入ったどら焼きがでてくるのですけれど、とてもおいしそうでして。タイトルのトマどらとはトマト入りのどら焼きのこと。いったいどんなお味がするのでしょうかね?

「チチとクズの国」牧野修さん

3つ目は「チチとクズの国」。

自殺しようとしている男性と、その父親の物語。この物語はこれ以上設定を語ってしまうと美味しい部分を食べてしまうことになるのでこの辺りで。親子の絆や、主人公の葛藤といった軸となる物語と、水まんじゅうがいい感じに絡んでいてとても面白かったです。

「真面目に正しく生きることはちっとも悪かないよ。そりゃあれだけ騙されたら人間多少はひねくれちまうだろうけどさ。それでも俺はおまえのそういうとこが好きなんだよ。そういうところってのは、つまり親友だから無条件に信じちゃうところな。救いの手を差し伸べた人をみんな良い人だって思っちゃうところな。家族を泣かせるかもしれないけどさ、自分だって泣くような目に遭うだろうけどさ、それでも俺はやっぱり思うんだよ。騙す人間になるより騙される人間になれってさ」

「馬鹿だよ」

ぼくは吐き捨てるように言った。

「騙される人間はただ馬鹿なだけなんだよ」

「うん、まあな」

父はうつむき頷いた。

(P99より引用) 

お父さんの人情味あふれるキャラクターがとても好きです。こういう人が近くにいれば楽しいだろうなぁ…でも実の父親なら確かに恥ずかしいなぁ…でも好きだなぁって。

ファンタジーなのに、現実味たっぷりで、でも夢があって、そうだといいなぁとか思いながら楽しく読むことができるお話でした。

「迷宮の松露」近藤史恵さん

4つ目は「迷宮の松露」。

日々のあれこれに忙殺されそうになった主人公の女性。

たぶん、わたしはなにも考えたくなかったのだ。

(P119より引用)

いつまでという期限すら決めずにモロッコメディナにやってきました。メディナの入り組んだ街並みで迷子になっていれば何も考えなくていい。一日迷って、行き先を考えて、夜になったらお決まりのホテルでゆっくり休んで眠る。そんな日々を繰り返す。

そんなメディナで常連となりつつあるとあるカフェ。よく訪れているからという理由でサービスされたのは、デーツというドライフルーツになにかが挟まれたお菓子でした。ねっとりと甘いそのお菓子はまるで上等なあんこのようで、ふと祖母がお茶の時間に出してくれた松露というお菓子を思い出す。

「しょうろ?」

「松の露という字を書くんよ」

祖母は、包み紙を裏返して、そこにきれいな字で書いた。松露。

和菓子には美しい名前がついていることが多いけど、これもあまりにも美しい。あんこに白い蜜をかけたものを、松の露と呼ぶなんて。

(P131より引用)

容姿も美しく、常にしゃんと着物を着て、掃除洗濯と完璧にこなしていた祖母。そんな彼女と比べてしまう自分の存在。

「いいえ、違うんですよ。松露って、松の露じゃないんです」

「え…?」

「松露って茸なんですよ」

わたしは、ぽかんと口を開けて、彼を見た。

「茸…ですか?」

「そうです。その茸に形が似ているから、松露という名前がついたんです」

わたしはもう一度蓋をあけて、松露を見た。

「こんなふうに白くてきれいな茸なんですか?」

たとえば、ホワイトマッシュルームのような。

「いいえ、真っ黒でごつごつした不格好な茸です。味は最高においしいらいんですけど」

「松の根本に生えるから、松露と言うのよね」

(P140より引用)

美しいものだと思っていた松露が実は違ったと知る主人公はそこからまた新しい視点を得る…といったような優しいお話。全体的にしっとりとしていて情景が浮かんでくる素敵なお話でした。

近藤史恵さんはいつか読もうと思いつつまだ読めていない作家さんで、実は購入したけれど読んでいない本が何冊か。今回短編をかじってみて、とても口に合いましたので、積読も読んでみたいなぁと思います。

「融雪」柴田よしきさん

5つ目は「融雪」。

雪降る北国でも、ようやく寒さが少し緩んできた3月の半ば。今日もSon de ventというカフェで主人公の奈穂は営業を始めます。薪をくべて暖炉を温め、開店準備をしているとやってきたのは村岡亮介という男性。彼は地元の農業センターに勤める公務員で、カフェと有機栽培農家との間に入ってくれています。奈穂は涼介に好意を寄せているものの、そのままの関係性でいたい奈穂。ゆったりと時間が過ぎていきます。

その日の昼過ぎ、涼介は友人であり先輩の井村という男性を連れてランチに訪れます。農林水産省のお役人である井村は地産地消のプロジェクトの一環として、こちらにきていたのでした。和気あいあいとすすむランチ、デザートは少し早い苺を使った「泡雪羹」。そこから井村の過去の淡く、甘酸っぱい思い出が紐解かれ…。

1冊の中でもダントツでおいしそうなものがたくさん出てくるこちらの物語。私は泡雪羹をいただいたことがないのですけれど、機会に巡り合えたなら「ババロアより男前な口どけね」なんて言ってみたいものです。

それにしても北国のカフェ…憧れる!昨年見た『しあわせのパン』という映画であったり、この間みた『かもめ食堂』という映画であったり、こういうカフェが舞台となった作品ってたまりませんよね❀近々『食堂カタツムリ』を読む予定です。

yu1-simplist.hatenablog.com

この「融雪」は柴田よしきさんの著書『風のベーコンサンド 高原カフェ日誌』と続刊である『草原のコック・オー・ヴァン』が舞台なのかな?と思います。これはこちらも読んでみたいですね❀

「糖質な彼女」木地雅映子さん

6つ目は「糖質な彼女」。

人間付き合いがうまくいかず、大学に通うことができなくなってしまった主人公。昼夜逆転生活を送っていることを心配した母親が、半ば強引に連れてきたのは精神科の「ひきこもり相談室」。しかし主治医の先生は、2人になった瞬間に自分を罵倒してくるし、自分が好きなアイドルとの写真を見せびらかしてくるし。もう周囲のいろんなものが彼を貶めているような状況。イライラがつのって、つい母親を一人おいて、病院内を飛び出すも結局は迷子になる始末…。たどり着いたのは、見渡す限り人影のない、古い中庭のような場所。どうしたものかと思っていると、彼に一人の少女が声をかける。少女につれられてやってきた場所、そこは病院内の就労継続支援事業部。そこでは和菓子を作っているようで…。

和菓子といっても今回、題材となっているのは和菓子の制作について。どのよにして和菓子をつくるのか、そしてその作られた和菓子にどのように自分を反映するか。一見軽やかなお話のなかでもナイーブなテーマが詰め込まれていて、まるで求肥に包まれた餡のように食べてみないとわからないものでした。

ちょっと脱線しますけれど、私も和菓子をつくる体験をしてみたいなと思っておりまして。調べてみるとそういう体験教室もやっているようです。いつか体験することができたら、こちらでも報告できればと思います。

「時じくの実の宮古へ」小川一水さん

舞台となるのは未来の日本。そこは温暖化の影響で、生態系が激変し、まるで亜熱帯地方のような樹木や動植物が日本に生息しています。日本はどんどんと北上し、ところどころにゲーテッドシティはあるものの、それ以外の場所といえばマングローブや砂糖きびや葛といった緑に覆われています。

そんな日本で旅をする工次と父親。父親は仕事に誠実な和菓子職人でした。和菓子の「和」とは日本のことですが、その日本とは?それを表すお菓子とは一体なになのか?考えに考え抜いた結果、二人は「おかしの宮古」という場所を求めて、東北から南下し、旅をしてきました。

「なぁ工次。よく効く薬って、どんな薬だと思う?」

「薬?」工次は面食らって考える。「そりゃあ、苦い薬じゃないの。良薬は口に苦しっていうし…」

「そう思うよな。だが聞けよ、こんな話がある。むかぁしむかし、垂仁天皇に仕えた田道間守というおっさんが、病気になった天皇のために薬を取りにいった。死者の国への遠い旅だ。十年かけておっさんが取ってきたのは非時香果(ときじくのかくのみ)っつう、果物だったそうだ。…甘い甘い、菓子だったんだよ。これがお菓子ってものの起こりだとされる」

「それは…?」

話の意味を汲み取りかねて、工次は父の顔を見上げる。歌詞は景色を表す、甘いもの。それは当たり前すぎて、答えとして飲み込むには歯ごたえが足りない。

父は何も言わない。

「…それが、宮古のうまいお菓子なの?」

チョコが不思議そうに聞くと、父はあるといいなあ、と笑った。

(P250より引用)

道中増えるチョコとの3人の旅路の物語。

和菓子というモチーフからここまで壮大な物語が紡げるのか…!と、とてもびっくりいたしました。面白いと思ったのはもちろんですが、続きが読みたい!これで1冊読みたい!という作品でした。SFってあまり読んだことがないのですけれど、他の作品も気になるところです。

ところで先ほど引用であげた非時香果。一説によると、橘の実であったとされているそうで。以外と身近なものでこれまたびっくりしました。柑橘類があまり得意ではない私は橘の実も食べたことがないのですけれど『時を選ばず(非時)香る果物』って言われるととても気になるところ。いったいどんな香りがするんでしょう。

(以下URLより参照)

非時香果(ときじくのかぐのこのみ)bizenya.co.jp

「古入道きたりて」恒川光太郎さん

とある男性が体験した不思議な体験。釣りをしに山奥に入るも、大雨にふられて困っていると一軒の家を見つけます。そこで雨宿りをしていると家主の老婆の勧めでそのまま泊っていくことに。老婆によると、大昔から夏の満月の夜には「古入道」という幻や幽霊の類のなにかが現れるというのです。そして夜中に目を覚ました彼は、その古入道を目にするのでした。翌朝、老婆に古入道について質問するも、そういうものだという回答しか得られない。

「そりゃあ、もう、古入道っちゅうことくらいしかいえませんわ。すんませんけど、無学なもんでねえ。空に虹がかかるとか、春に桜が咲いたりってのと同じようなものなんです。夏の満月の夜には古入道が通過するんですわ。大昔からそうなんですわ」

(P276-277より引用)

ひとしきり古入道のことを話すと老婆は膳を運んでくる。そこには緑茶とおはぎが乗っている。

「夜船でございます」

「夜船というのは」

「牡丹餅のことを、おはぎといいますな?牡丹餅を、おはぎというのは、本当は秋だけなんです。牡丹餅いうんは、季節によって名前を変えるんです。春は牡丹餅。秋はおはぎ、夏は、夜船というんだって、わたしなんか、教わりましたがね」

「そうなんですか」

そんな話を、彼はとある男性にするのでした。そこで食べた夜船が人生で一番うまかった甘味だと…。

薄ぼんやりとホラーなのですが、全然後味の悪いものではなくて。例えば神様のお話を聞いて怖いと思わないように、『もののけ姫』という映画に出てくるシシ神様や、山犬たちに恐怖を抱かないように、うっすら、しっとりとした気配を楽しむことができました。ファンタジーが好きな人であれば、好まれるお味じゃないかしらん?と思います。個人的にはすごい好きです。

そういえば「夜船」についてですが、お恥ずかしながら存じ上げませんで。創作なのかと思い調べてみたのですが、なんと夏は「夜船」、冬は「北窓」というのですね。勉強になります。(下記URLより引用)

先日、いただいたのは牡丹餅。夏・秋・冬…と移り行く名前も含めて楽しみたいと思います。

hyoto.jp

こういうちょっとした知識をGETできるのもうれしいですね❀

「しりとり」北村薫さん

編集者の一人である向井美奈子さんと「わたし」の物語。向井さんの夫が最期にのこした不思議な俳句。その意味を探るのがメインとなるお話で、キーになるのは「黄身しぐれ」という和菓子です。

まるで実話のような、エッセイのようなそんなお話でどんどんと引き込まれてしまいました。和菓子の登場がまったく無理やりじゃないんです。こじつけ感が皆無なんです。「和菓子をモチーフとした物語ですか…そういえば以前、こんなことがありましてね」みたいな前置きが見えるくらい、すんなりと物語に入り込んでしまって自分でもびっくりです。

そういえば北村薫さんの著書が夫の本棚にあったと思いますので、今度借りて読んでみようかと思います。

「甘き織姫」畠中恵さん

ラストを飾るのは「甘き織姫」。

こちらも和菓子を絡めた謎解きのお話。伊藤はある日、新婚の若くて可愛らしくて料理の上手な妻と共に、自宅マンションで友人3人を迎えます。彼らは大学時代からの親友です。伊藤が彼らを読んだのには理由がありました。先日、御岳という同窓生から突然電話があったのですが、困ったことに無理難題を押し付けられてしまったのです。

御岳は顔だちもスタイルも抜群で家柄も裕福、おまけに頭脳も明晰、そして裏表のない性格で悪い人ではありません。けれど、ちょっと変わったオタク気質のある男性でした。そして御岳と友人達も、大学生で同じサークルで交流がありましたが、卒業して以来は年賀状だけの付き合いになってしまっていたのです。

御岳は好意を寄せる女性がいて、とある和菓子を送ります。そして、返事としてさらに和菓子が送られてきたのですが、その意味がわからないというのです。いったいどういった意味が込められているのか、伊藤に解明してほしいというのでした…。

『和菓子のアン』と同様の謎解きでありながら、また違った持ち味と言いますか、可愛らしいほのぼのとした世界観を楽しめる作品でした。御岳君のキャラクターがとてもよくって好きです、あ、でも身近にいたらぶん殴っているかもしれませんけれど。

よもやま話

はてさて、すべてのお話に触れてみましたが結構な量になりました。私が書いた分量に差はありますが、それは内容的に深堀しづらかったりして短くなっただけで長短の優劣はありません。どの作品もとても楽しむことができました。

これがもし出会い系サイトであれば、私は1人を選ぶことができずに、ひどく困惑したことでしょう。どのお話も違った味わいがありますから、それぞれですよね。

『和菓子のアン』シリーズを読んでからより一層身近になった和菓子。もともと三日月を食べていたり、餡つくりをしていたので興味はありましたが、それがどんどん深まっていくのを感じます。でも全然底が見えないんですよ。和菓子って本当に奥深くって、これは長く長く付き合って、こんな和菓子があるんだ…あんな意味が込められているんだ、そんな逸話もあるんだ…と生涯知っていければと思います。

3巻である『アンと愛情』も読むためのスタンバイはOKです。それまでに他にも読む本があるので少し先になってしまいそうですけれど、それでも年内には読めたらと思っています。次はどんな和菓子と出会えるのか、楽しみですね❀