SIMPLE

シンプリストになりたいのです

本・育てて、紡ぐ。暮らしの根っこ ―日々の習慣と愛用品―

自分らしい生活を追い求めつつも、ふと見返すとそれが誰かのコピーであることに気が付く瞬間があります。

ミニマリストを追い求めていたころは特に。〇〇さんはベッドを使用していないから、私もベッドなんていらない。××さんは年間通して服を10着でまわしているんだから、私も服を減らさないと。△△せねば!の ねばねばにはまり込んで、息苦しさを感じたこともありました。

今は、ある程度そこから解放され、自分の快・不快を基準に生活するようになりました。そうすると自然と私の癖のようなものが出てきて、「自分らしい生活」になってきたように感じます。

今回は、そんな生活に根差した一冊を紹介したいと思います。

育てて、紡ぐ。暮らしの根っこ

食堂かたつむり』や『ツバキ文具店』など数々の著書をもつ、作家の小川糸さん。その暮らしぶりは、時間に追われたり、ものに支配されたりすることなく、心地よく軽やか。そこには、小川糸さんが試行錯誤してとどりついた、ものの選び方や時間の過ごし方、家事や仕事のルールがあります。

本書では、小川糸さんの暮らしに対する考え方や日々の習慣、愛用品を写真入りでたっぷり紹介。また、拠点を移したドイツでの暮らしや「小川糸」という名前のルーツ、作品との向き合い方にも迫ります。毎日を自分らしく、楽しく過ごすヒントがつまった1冊です。

(Amazonより引用)

そろそろ、どれだけ好きやねんという声が聞こえてきそうなくらい、小川糸さんの作品が続いております。

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今まで、『旅ごはん』『糸暦』『真夜中の栗』『昨日のパスタ』と続けてきて、今回は5作目です。だって好きなんですもん…!まだまだ暫くは小川糸さんの著書が続きそうな予感です。

これまで拝読した著書のなかにもお写真はありましたが、今回の1冊は今までにも増してお写真がたくさんでした。文章だけで想像して読むのも楽しいですけれど、こうして箸休めのようにお写真があるのもいいですね。今まで読んできたなかで話題に上がった、愛犬のゆりねちゃんや、おなべ三姉妹のお写真もみることができ、より映像がクリアになって嬉しいです。

自然であること、無理をしないこと。それが、今の私の暮らしのテーマになっています。そのためには、呼吸を整えることがとても大事だと気がつきました。

私は今、ドイツと日本を行ったり来たりしながら、自分が健やかに心地よく生きていくためにはどうしたらよいのかを模索中です。自然のリズムを意識することや無理をしないことは、ドイツ人の暮らしぶりに触れることで学んだ哲学です。

自分にとって必要な行いを習慣化することで無駄を省き、慣れ親しんだ愛用品を持つことで、自分自身がラクに、自由になれる。そのような暮らしの根っこがあれば、ちょっとのことでは自分を見失いませんし、困ったこと、大変なことに直面しても、それに左右されず、いつもの自分のまま朗らかにいられるようになりました。

その人なりの心地いい暮らしは、それぞれ違います。だからまずは、自分にとって快適な環境とはどういう状況なのか、見極めることから始めてみてはいかがでしょうか。

(「はじめに」 より引用)

それでは今回も、気になったお言葉を拾っていきたいと思います。

欲張らずに余白を残す

仕事も家事も人間関係も、”両手で持てる分”だけ。自分の許容範囲を超える量は抱え込まない、と決めています。そのために意識しているのが、心にも時間にも余白を残す、ということ。

(P16より引用)

余白があればあるだけ人はそれを埋める習性があると何かで読んだ記憶があります。棚もカレンダーも余白が残っていれば、とりあえず入れる。そうして、時間も荷物もぎゅうぎゅうになって身動きが取れなくなって、しんどくなって、何も手が付かなくなってしまう。よくあるって解っているのに、ついやってしまうんですよね。

私は時間の空白があると何か埋めないとうずうずしてしまいます。カレンダーに今日は〇〇の日というインデックスをたてることができないと不安になってしまうのです。何もできていない、なんて怠惰な人間なんだろうって。もう少しメリハリをはっきりさせたいなぁと暗中模索しています。

辛いときこそ、朗らかに笑う

「辛いときこそ、朗らかに笑いなさい。あなたよりも辛い経験をした人の希望になれるから」そう教えてくれたのは、旅で訪れたラトビアの人たちでした。

確かに現状を憂いているだけでは何も解決しないけど、無理にでも笑っていれば、その姿を見た人が、明るい希望を持てるかもしれない。過酷な歴史を持つラトビアの人の言葉だったからこそ、すとんと腑に落ちたのです。

(P22より引用)

本当に本当に辛いときは泣いて、逃げていいと思います。けれど、余力があるのであれば、笑ってみるというのは有効な手段です。笑顔になることで緊張がほぐれて、好転するかもしれません。それに、実際笑うことで免疫細胞であるナチュラルキラー細胞が活性化して、免疫力が上がるというおはなしを『はたらく細胞』という漫画で読んだ記憶もあります。ポジティブになれなくても、ポジティブなふりをするだけで変わってくることもあります。行動をすれば、心は後からついてきてくれるものです。

…といいつつ。実は私、笑顔が苦手なんです。自分の顔、特に笑っている顔がコンプレックスです。他人に評価された美醜のことなんて、ゴミ箱にポイってしてしまえばいいのに未だにできないでいます。

心掛けているのはアルカイックスマイル。口元に微笑を浮かべた表情で、モナリザのように口角が少しだけ上がっている表情です。口角に少しだけ力を入れると、口角が上がって見えます。笑うことが苦手でも、それくらいならできます。大変なときには忘れてしまいますが、鏡の自分が無表情で曇っているときは少し意識して口角を上げるようにしています。

心を潤す習い事

習い事ってしてきましたか?

最近、気になっているのが「香道」。毎朝、仏像にお線香をあげてお祈りするのですが、そこから香りの奥深さに惹かれるようになりました。お香そのものは海外にもありますが、日本の香りは奥ゆかしいというか、香り方がまったく違う。どこか日本人に響くような感覚があるんですよね。

昔の人は、香りを手紙にたき染めて、自分の分身のようにつかいこなしていたと聞きます。それだけ、香りは饒舌で奥深しいものなのでしょう。それに、「香満ちる」「聞香」のような、香道で使われる言葉の美しさも魅力的。あらためて日本を知り、見えなかったドアを開けるきっかけになるんじゃないかな、と期待しています。

(P25より引用)

香道。「道」の名前がついたものはたくさんあります。幼いころは剣道と弓道に憧れ、大人になってから茶道に興味をもち(正座が無理で諦めた)、今回「香道」というものをしりました。花にもお茶にもその道があるのであれば、香りにあってもおかしくはないかと一人納得。

香道のことは知りませんでしたが「聞香」のことは聞いたことがありました。昔、ノイタミナ枠のアニメでやっていた「モノノ怪」。そのなかでも「鵺」という作品でした。

香は”嗅ぐ”とは言わしまへん、香は”聞く”と言うでおじゃる。見たり聞いたり食べたり飲んだり…人の楽しみには事欠きませぬ。けど香りを聞くいうことほど雅なものはおじゃりませぬ。

いま思えば、この作品でいわれていた「香の道」が「香道」だったのですね。以前、お香について書いたことがあるのですけれど、いまも週に1度くらいのペースでお香を焚いています。部屋の中に滞留したよどみのようなものを、浄化してくれるようなそんな感覚が好きです。

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とは言いつつも、香道とは具体的にどんなことをするのでしょうかね。モノノ怪では組香という香りを当てて戦うといったことをしていたのですが、実際は何をするのかしんらん。アロマセラピストのような勉強をなさるのかしらん。ちょっと気になってきました。

大人になってからの習い事、悪くないなぁと考えています。

年齢に抗わない

美容については”あるがままに、何もしない”主義。年相応のサインには抗わず、受け入れることにしているので、これまで白髪染めもエイジングケアも経験したことがありません。

(中略)

正直に言うと、サバを読んで年齢を伝えたり、実年齢より若く見せたりする利点もよくわからなくて…。もちろん、体力や健康を保つためのケアは必要だと思いますが、若い頃に戻りたい、という気持ちはありません。むしろ自分の20代を思い出すと、その未熟さに恥ずかしくなってしまいます。

私には70代や90代の友人がいますが、みんな年齢にとらわれていない、魅力的な人ばかり。

(中略)

「何歳だからこれをしなきゃいけない」「何歳だからしてはいけない」と年齢に縛られる必要はありません。自由に生きる彼女たちをお手本にして歳を重ねていきたいと思っています。

以前、自分らしさについて考えるきっかけがありました。このブログを初めてよかったなと思うのが、自分にはなかった視点を他の方の意見からもらうことができること。そのとき、国籍や年齢、性別に関係なく、自分が自分であるように「自立したセクシーな女性になりたい」と思いました。この”自立したセクシーな女性になりたい”と”あるがままに、何もしない”は相反しているようで、繋がっているような気がします。あるがままに、自分らしく生きていくことができれば、その経験は自分自身の自信となって魅力的な自分になれるのかなぁって。まだまだ遠く及びませんが、そういった女性に一歩ずつ近づいていければと思います。

年齢に関してですけれど、10代より20代、20代より30代の自分の方が好きです。もちろん髪の艶や肌のハリは年々落ちていますし、体力も記憶力もそうです。ときには過去に戻ってやり直したい!と思うことはありますけれど、それは妄想として楽しむ範囲です。今まで上がってきたのだから、このまま人生を全うするまで上がっていければと思います。

身軽にどこへでも行ける

思い立ったら、いつでもどこへでも行けるように、身軽に暮らす。それが私の人生最大のテーマです。

(P46より引用)

モンゴルの遊牧民の家庭にホームステイしたことがきっかけで、そう感じるようになったそうな。私も、そうありたいと常々思っています。究極の理想は鞄1つで生活できれば万々歳。衣服も日用品も全部鞄にまとめて、それだけで生きていくことができたら、何処へだって行けます。さすがに今は実行することができませんけれど、もしかしたら何かあって実現するかもしれません。そうなったら、何処へ行ってもいいし、何だってできてしまえそう。実際にドイツと日本を行き来されていた小川糸さんだからこそ、説得力のあるお言葉だなぁとじんわり染みました。

関東に在住していますが、関西に戻るか、そのまま関東に居続けるのか。夫の職場が定めた3年の出向期間が終わりに近づくまでわかりません。いつ引っ越しになるかわからないという環境は、先行きが見えない不安もありますが、物が無駄に増えないという点ではとてもありがたいです。大きな家具を買ってしまうと次の引っ越しで大変ですから、極力買わないでおこうとなります。こうしてなるべく身の回りのものを減らしていって、家全体が身軽であるのが理想です。

何も買わないノーバイデー

お金を上手に使えば、喜びを生み出す道具になる。でもその一方で、お金を使うことは、後ろめたさや不安と背中合わせの行為でもあると思います。

(P58より引用)

お金はあくまで生きていくためのツールであって、お金のために生きているわけじゃない…と頭ではわかっていても、なかなか心で理解するのは難しいです。消費への焦燥感というのはなんともむなしいものがあります。そんな消費への不安にに振り回されないためにどうすればいいか。小川糸さんが出された答えがノーバイデー。お財布を持たずに1日を過ごす、要は1日何も買い物をしないという日をつくることです。私は専業主婦で、週3日は家から一歩も出ない日ですので、ノーバイデーは日常ですが、日常お外にでることが多い方にはとても有効なのかもしれません。私もお買い物は週に1回とか決めて、それでやりくりしてみると変わるかもしれませんね。

私たちは、つい「お金を使わないと幸せになれない」と思い込んでしまうことがあるけれど、必ずしも「消費=幸せ」とは限りません。もちろん、お金を使って素敵な服を買ったり、おいしいレストランで外食するのは楽しいこと。でも家にあるものでごはんをつくって、公園でピクニックをするのだって、充分に楽しい。お金を使わず幸せになれる方法は、たくさんあると思うんです。

(P59より引用)

私の理想の休日は、家で作ったお弁当やお菓子を持って、近くの公園にいってそこで食べて、図書館に行って読書して、夕方になったら帰ってきて、家で夕ご飯を食べて、お風呂に入って、寝るといった具合。こうやってノーバイデーの休日を楽しむ方法を考えてみると、いろいろ方法がありそうです。他にどんな方法があるのか探すのも楽しいかもしれません。

モノトーンでなくグレーでいい

海外はすぐ白黒はっきりつけたがる。反対に、日本はあいまいさを好む、と言われています。後者には、あまり良いイメージがないように思いますが、白でもなく、黒でもない”グレー”の部分を持っておくことで、気持ちがラクになることもあるのではないでしょうか。

(P144より引用)

日常的によく耳にする「行けたら行くわ」。私のなかでは「行けたら行くわ は 来ない」という解釈です。相手からするとNOとは言いづらいし、可能性的に0%ではないんだよなぁ…みたいなニュアンスで、こちらに気を使ってくれた返答なんだと解釈します。こういう暗黙の了解もきっと”グレー”。

それに人間の好みってある日突然、些細なきっかけで大きくかわってしまうことがあると思うんです。私だと推しが好きなものは自分も好きになってしまうタイプなので、嫌いだった食べ物も推しが好きならチャレンジするし、それがきっかけで食べることができるようになることもあります。逆に推しが倫理的によろしくないことをしたりして、一気に冷めてしまうと、推しが好きだったものを遠ざけてしまうことだってあります。白が黒に、黒が白になることなんて珍しいことじゃないんです。白か黒かなんて、猫の思考くらい、すぐに移ろうんじゃないのかなぁって。

けじめとして白黒つけるべきところはつけて、それ以外はなんとなくグレーで良いかなと思っています。ニュートラルなグレーが理想です。

想いは手紙にのせて

私には、もう何年も会っていないけれど、手紙のやり取りを通じて、深く結びついている友人がいます。その手紙さえ、頻繁に送るのではなく、冬にもらった手紙の返事を、春になってようやく書くような、ゆったりとしたペース。でも焦って義務的に書く手紙よりも、心から書きたいと思って綴った手紙の方が、相手にも喜んでもらえるだろうし、返事を待つ時間も、手紙ならではの楽しみだと思っています。

(P146より引用)

以前、文通がしてみたいというお話をいたしましたが、まさにこういう関係性が理想なんです。月に1通とか、季節ごととか、それくらいのペースでいいので、お互い書きたいときに書く、そんな手紙が読みたいんです。

書くときに意識しているのは、そのときの正直な気持ちを書くこと。自分の中に生まれた想いをスムーズに文字に変換したいので、ペンや便せんは、滞りなく、なめらかに書けるものを選んでいます。

手紙って不思議なもので、相手に向けて語りかけてはいるけれど、自分とも向き合わなくては書けないもの。人と面と向かって話すのとは違う、日記を書くような側面があると思います。書きながら、今の自分はこういう状況なんだな、と気づくこともたくさんあります。

(P147より引用)

手紙ではないですけれど、私にとってここがそんな場所です。文章を書きながら「あ、私この時にこう感じたんだ」とか、書いている内容から「どうしてこう思ったんだろう」と思考を深めることがあります。

できるだけここでは、華美に自分を飾らずに表現しているつもりです。もちろん、格好をつけてしまっている部分もあるでしょうけれど、それでも思考っていうのは流れ出てくるものですから、ここで書いていることは自分と向き合ってでてきた言葉なのかもしれません。そう考えると、ここは誰かへの手紙なのかもしれませんね。

おわりに

今まで文章で触れてきた小川糸さんの日常に、写真という新たな色彩を持って触れることができた本書。これは定期的に見返したくなる本でした。あと、ささやかな喜びなのですけれど、以前紹介した「白山陶器」の箸置き。小川糸さんもお持ちのようで、愛用品としてお写真がありました(P67)。

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きみたちのお仲間は小川糸のお宅にもおられるようだよ。よかったね。

自分が憧れている人がと同じものを持っているだけで嬉しいなって思うことができるのですから、自分でもちょろいなって思います。まだまだ小川糸さんが書かれた本で読んでみたい本はたくさんあります。エッセイや、小説も読みたいなって。でもあまり立て続けに読んでしまうと息切れしてしまうので、程よいペースで読んでいきたいです。

どれか一つでも、あなたにささるお話があると幸いです。