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シンプリストになりたいのです

本・真夜中の栗

読書記録用のノートによると2021年1月5日、小川糸さんの「ライオンのおやつ」を読みました。まだ若い主人公が余命宣告をうけ、たった一人、瀬戸内海にある島のホスピスで残りの日々を過ごすという物語でした。癌や死という一見すると重い重いテーマを、まったく重苦しくなくむしろ清々しく、きらきらと描いていたのがとても印象的でした。

「ライオンのおやつ」がきっかけでで、「ツバキ文具店」や「キラキラ共和国」といったほかの作品にも触れるようになったので、私と小川糸さんの縁は「ライオンのおやつ」がきっかけで結ばれたのかもしれません。結んだのは一方的にですけれど。

それからしばらく、小川糸さんの書かれる図書は読めていなかったのですけれど最近のマイブームとなりつつあるエッセイ。その中でも小川糸さんの書かれるエッセイが断トツ好きです。読み終えた時に感じるパズルのピースがうまくはまっていくような感覚がたまらなく好きです。

こちらでも以前、「旅御飯」と「糸暦」について綴りましたが、今回はまた別の本についてネタバレ交え綴っていきたいと思います。

yu1-simplist.hatenablog.com

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真夜中の栗

私の毎日はいたって平凡だ。仕事をして、料理を作る。市場で買った旬の苺でサラダを作ったり、暖房が壊れた寒い日には、キムチ鍋を囲んだり。眠れない夜には、茹でただけのの栗を食べながら窓辺で夜空を見上げ、年末にはリンゴケーキを焼きながら年越しの準備をする。誰かの笑顔のために、自分をいつくしむために、台所に立つ日々を綴った日記エッセイ。

(Amazonより引用)

どうしても、好きな作家さんを神格化してしまう傾向がある私。ベルリンにお住まいだったり、音楽活動をしていたりする小川糸さんをどこか、神秘的で、自分や周囲の人間とは違う特別な存在のように感じてしまうところがあります。そんな小川糸さんの「いたって平凡」な日常を綴ったエッセイです。今まで読んだ作品では見なかった、政治への思いや、ありふれた日常に「あぁ、本当に小川糸さんってこの時代に生きて生活していらっしゃるんだな」とぼんやりと思ったのでした。

ホッリーヤ! 2月15日

今日、『ガザに地下鉄が走る日』を読み終える。10代の頃は、自分が大人になったら、きっと世界は、もっともっと良くなっているのだろう、と思っていた。でも、現実はもっと良くなるどころか、更に悪くなっている気がする。こんな未来を期待していたわけではなかったのに。人間は、ぜんぜん進歩しないどころか、むしろ後退している。

もしこの本を、日本で読んでいたら、もっと違ったかもしれない。物理的な距離が、パレスチナで起き続けていることを、遠い場所で起きている出来事だと認識してしまったと思う。だからこの本を、ベルリンで読めて良かった。

(P35~36より引用)

私は学も教養もなかったので、幼いころは本当に世間を世界を知らない人間でした。それは子どもの頃だけでなく、成人してからも、何でしたら今も同様のように思います。

まだ小学生の頃、9.11 アメリ同時多発テロの映像をニュースで見たとき、とんでもない事故が起きたのだと勘違いしたほどに。戦争というものは、第二次世界大戦終戦したタイミングで全て終わっていて、この地球上には戦争なんていうものはなくて、過去の出来事なのだと。当時の世界の情勢も何も知らなかった私は、それからニュースでリアルタイムでどんどんと過酷になる戦場の映像を目にするたびに「戦争がまたはじまってしまったのだろうか」という不安でいっぱいになりました。実際は、そのずっと前から地球上のあちらこちらで尊い命が奪われていたというのに。

大人になってから読んだ本ですが、感覚としては長谷川義史さんの「ぼくがラーメンをたべてるとき」という絵本の感覚と言えば、伝わるでしょうか。

私がふと一服をしているその瞬間、遠いどこかの国で銃を手に戦場を駆けている子どもがいる。そして、どこかで言葉や物理的な暴力で苦しんでいる人がいる。私はそれを知らないだけ。

私は何も知らなかったから、子どもの頃に「大人になったら、世界はもっと良くなっている」と幻想を抱くこともなかったですけれど、同時にどうなっているのかと夢想することもありませんでした。これから10年後、どうなっているのでしょうか。

「ホッリーヤ」は、アラブの言葉で、自由を意味するという。

(P38より引用)

私たちの自由はどこにあるのでしょうか。

今日はもう書くのをやめた。 8月15日

そして午後は、川の水に足を浸しながら、読書を楽しむ。読んだのは、『トーベ・ヤンソン短編集』。ふと顔を上げると、切り立った高い山の頂きが目に入り、水面では、太陽の光が反射して砕けている。たえず響く水の音に癒され、もう百点満点をつけたくなるような夏の休日。冷たい水で桃を冷やしていると、その横をスーッと魚が泳いでいく。

本の中に、こんな文章を見つけた。「今日はもう書くのをやめた。」まさに、私の気持ちにぴったり寄り添う一文ではないか。たまにはこんな日があってもいい。

(P162より引用)

最近、日常的にPCと向き合うように意識しているのですけれど、たま~にそんな「今日はもう書くのをやめた!」と思う日があります。専業主婦で そんな代わり映えのない毎日を過ごしています。けれど、読書を終えた後や、映画を観終えた後、作品によっては、今はまだ書くときじゃないと思うことがあります。「名作だっ!」と思う時ほど、向き合うのに時間がかかってしまっていけません。ここに書き起こす頃には、印象だけの記事になってしまうことも多々…あらら。

あと、少し違うかもしれませんが「今日はもう読むのをやめた。」と思う日もあります。特に旅先で多いです。大自然に囲まれた場所に行って、そこでゆっくり本を読むぞ!と本を数冊旅のお供にもっていくのです。けれど、自然の雄大さや、観光地の美しさなどを観てしまうと、情報量が自分の中でいっぱいいっぱいになってしまうんです。それで、折角持って行った本も殆ど開くことなく、家に持ち帰るということがあります。あれはあれで贅沢な悩みだなぁっと思いつつ、なんやかんやで毎回同じことをしているような気もしています。けれど、持って行ってしまうんだなぁ…不思議。

始末の料理 9月22日

わたしの中で、「始末の料理」と読んでいるジャンアルがある。そこに、また一つ新しいメンバーが加わった。ふりかけである。

(P181より引用)

出汁をひいた後の食材を有効活用してふりかけをつくるといったお話。少し懐かしいなぁと思いながら読んだお話です。

実は、以前出汁をとるのにはまっていた時期がありました。最近はあまりできていないのですけれど、大豆、昆布、干し椎茸でよく出汁をとっていました。大豆は少し炒って香りがたってきた物を、昆布は拭いて、適当に切れ目をいれた物を、椎茸は傘とヘタを分離させたものを、それぞれボトルに入れてお湯を入れて一晩おけば翌朝には出汁が出ているという、簡単なものでした。

「1か月間動物性たんぱく質を摂らないとどうなるのか?」という実験をしていて、そのために植物性の食材から出汁をとるようになったのですけれど、これはこれで面白かったです。ちなみに爪も髪も肌もカサカサになり、体重はあまり変わらないという結果でした。

話を戻して、その出汁をとったあとに残った大豆、昆布、椎茸と糸こんにゃくを合わせ全て1口サイズにカットして、醤油・みりん・砂糖・酒で煮詰めて佃煮にするということを良くやっていたのですが、これぞまさに「始末の料理」だなぁと。ふと思い出したんですね。

何でも、無駄にせずすべて使い切ると、気持ちが晴れ晴れする。

(P184より引用)

これからもそんな料理を続けていきたいなぁと思います。

異国情緒 9月29日

彼女との話の中で、EUになってからドイツの異国情緒が失われた、というのがとても興味深かった。すべてが、経済、経済、で、みんながとてもイライラしているように感じるという。ある一定期間ドイツを離れて、そしてまた来ると、そういう変化がよりくっきりと感じられるのかもしれない。

(P187より引用)

読み切ったことはないけれど、大まかなあらすじだけ覚えているミヒャエル・エンデの『モモ』がふと頭を過りました。みんなが時間を盗まれてイライラしているあの感じ。今まさに、世間はずっとそんな感じで、常にイライラしている人を多く見かけます。

私は高校生の頃からアルバイトをはじめ、接客業に従事していました。接客業にとって、正月もお盆もGWも稼ぎ時で当然休みなんてものはありません。ショップ店員をしていたころは、12月31日の閉店後に正月の福袋の準備をして、1月1日のオープンから商品を売りさばいて…という生活でしたから、季節を感じるということもあまりなく。それこそ「経済、経済」な毎日でした。正月のお琴のBGMはたくさん聞きましたけれど、お正月をできるようになったのは図書館司書だけで生活するようになった30歳を迎えてから。15年近くお正月をしてこなかった私は、お正月って何をすればいいのだろうかと悩む羽目になったのです。

よく周囲に言われたことは「昔の正月はどこもお店がやってなくてね。年末に買い込んで、三が日はお参りに行くくらいで、買い物なんて行けやしなかった。今はどこもかしこも、正月からお店がやっていて、正月らしさはなくなってしまったね」という言葉。経済も勿論大切なことなのですけれど、「経済、経済、」で季節も、その国らしさも、なくなってしまっているような気がします。今年の正月は何を作ろうか、そう考えることができる今に、夫には感謝してもしきれませんね。

ライオンのおやつ

まずは、今日のやることリスト。台所の掃除、窓拭き、荷物の片付け、昆布を炊くかつおぶしでふりかけを作る、『ライオンのおやつ』のあとがきを書く。

(P193 「せっせ、せっせ、と 10月6日 より引用」)

つづいて。

今週は、インタビュー週間だ。ポプラ社から単行本を出していただくのは、6年ぶりということになる。そんなに時間が経っていたのか、と自分でも驚いた。担当編集者の吉田さんにインタビューに立ち会っていただくのも、6年ぶり。いろんなことを思い出し、感慨深い。

6年間で、おそらくわたしは、吉田さんと二人三脚で作品を作るのに、どんなテーマがふさわしいのかを、ずっと考えていたのだと思う。そこにたどり着くまでに、長く時間がかかった。そして、いきついたのが、「死」をテーマにした作品だった。『ライオンのおやつ』は、わたしにとって、長編10作目となる、節目の物語なのかもしれない。

(P196~197「6年間 10月13日」より引用)

冒頭でふれた『ライオンのおやつ』が生まれた頃のエッセイということで、とても印象に残ったお話。そうか、あの作品が生まれたのはこの頃だったのか…と。まだ某流行病が世界に脅威を示す「前」の世界に生まれていたのかと、しみじみと感じました。

ひろえちゃんと初めて会ったときのことは、今でも忘れない。2年前の初夏。紹介してくれたのは、みゆきちゃんだった。みゆきちゃんはベルリン在住の美容師さんで、わたしも、ひろえちゃんも髪の毛を切ってもらっていた。そのみゆきちゃんから、何度も、「今度紹介したい人がいるの。彼女は絵を描いててね、絶対に糸さんと会うと思う」と言われていた。ひろえちゃんもひろえちゃんで、同じように、みゆきちゃんから言われていたという。

(中略)

わたしは、ひろえちゃんを勝手に、魂の片割れみたいな人だと感じた。私は物語を「書く」人で、ひろえちゃんは絵を「描く」人。表現方法は違っても、同じ熱量で、同じ真剣さでかいていると思った。

(中略)

それから、急速に親しくなった。うちに集まってご飯を食べては、夜遅くまで、飽きもせずに話し続けた。話していた内容は、命、宇宙、生命の誕生、死。死んだらどうなるんだろう、ということを真剣に話し合っていたっけ。

ちょっと郊外のカフェまで遠足に行ったり、泊りがけで温泉に行ったり、いつも三人で一緒に遊んでいた。みゆきちゃんは何年か前にガンを患っていたけれど、私たちはそれはもう終わったこととして、普通に接していた。

みゆきちゃんの体調がよくなって、結果的にガンが再発したのは、去年の冬だった。ちょうど、3人で温泉に行った直後で、検査の結果、再発していることがわかった。それでも、わたしもひろえちゃんも、そしてみゆきちゃん本人さえ、引き続き、3人でどこかに行ったりできる、と思っていた。

(P227~230 大親友 11月20日より引用)

みゆきちゃんは、人が最期、どんなふうに死に向かうのかを身をもってわたしに教えてくれた。その姿は、少なからず、『ライオンのおやつ』に反映された。みゆきちゃんには、わたしがホスピスを舞台にした物語を書いていることを話していた。そして彼女は、「わたしは当事者だから、なんでも聞いてね」と明るく言ってくれていた。

(中略)

わたしの作品の中にも、ひろえちゃんの作品の中にも、みゆきちゃんは生きている。たとえ人が亡くなって体は消滅しても、その人の持っていたエネルギー自体は、決してなくならない。

(P231 大親友 11月20日より引用)

『ライオンのおやつ』の主人公である雫の背景に、みゆきさんという女性がいたことを知りませんでしたから、このお話はとても衝撃的というか、胸の奥がきゅーっと締め付けられるというか、そんな感覚になりました。

物語上で登場人物が亡くなるのは当然悲しいです。けれど、それでもやはりそれはフィクションで、この世界から尊い命が実際に亡くなったわけではないです。けれど、その背景に、こういったエピソードがあったのだと知ると、その登場人物の死は、よりリアルとリンクしてさらに悲しいものであるかのような感覚になります。

よく、人は2度死ぬと言われます。一度目は肉体的な死。そして2度目は自分死後、自分が忘れさられてしまったときにもう一度死が訪れると。それが本当であるのであれば、きっとこれから小川糸さんの物語が残り続け、『ライオンのおやつ』と『真夜中の栗』が読まれ続ける限りみゆきさんは生き続けることになるのでしょう。なんだかそれってすごいなぁ。

おわりに

2019年1月11日から12月21日の1年間を綴ったエッセイ。冒頭でも少しふれましたが、私は憧れの方を神格化してしまうところがありますが、その憧れの対象である小川糸さんの「いたって平凡」な日常。

映画や小説を観ていて、食事シーンがあると「あぁこのキャラクターたちは本当に生きているんだな」と思います。ジブリ作品はよだれが出そうなくらい美味しそうな食べ物がたくさんでてきますし、『この世界の片隅に』という映画でも、つつましやかな…いえ何もかもがなくなっていく生活の中で、それでもいかに食を繋げていくのかが生きていくうえで重要なことだと描かれていました。

今まで読んできた小川糸さんの作品でもたくさんの「食」に関するお話がありました。あぁ本当に現実に生きていらっしゃるんだなぁって…そんな当たり前のことをしみじみと噛み締めて読みました。

某流行病のことがあって以降、サイン会やトークショーのようなものはなかなか難しいでしょうし、ファンレターのようなお手紙を唐突に送り付けるのもなんだか気が引けてしまいます。でもいつか、どんな形でかはわかりませんけれど、小川糸さんに感謝の気持ちを伝えることができたらいいなと思います。