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シンプリストになりたいのです

本・旅ごはん

別に大きな声で言うことでもないのですけれど、私は海外に行ったことがありません。ですのでパスポートも持ったことがないのです。

一時期、台湾に魅了された時期があり、いつか台湾にいってみたい!と思うようになりました。しかしついぞ叶うことはなく。それから数年経ち、流行病を越えて現在では海外旅行にいきたいという願望はなくなってしまいました。

ただもし「あなたの寿命はあと1年です」と宣言されたなら行ってみたいのがヨーロッパ。特にフランスのルーブル美術館で「モナリザ」を観てみたいです。そんな願望をふと思い出させてくれた1冊について感想を綴っていきたいと思います。

旅ごはん

あらすじ

ピンクのスープ、アーティチョークのオムレツ、崎陽軒のシウマイ…。

著者が魅了されたリトアニアや、暮らしを営むドイツをはじめとする欧州各地の料理から、身近な日本のお弁当まで、忘れられない味と人々との出会いを綴った、人気作家のおいしいエッセイ。

(Amazonより引用)

昨日「好きな作家」について綴りましたが、その中でも取り上げた小川糸さんがかかれた食事にまつわるエッセイです。ベルリンにお住まいを置いて、そこから電車で巡る異国の地や、その道中出会う食べ物がまるで温度が伝わるかのような筆致でえがかれています。

作中には初めて目にする名前の食材や、日本とは異なった名前の食材も出てきます。作中でそのまま紹介してくださっているものもありますし、写真があるものもあります。それでも更に気になるものはGoogle検索しながら、味を想像して読んだのですがどれも知らない味ばかりで興味深かったです。

ラトビア

ヨーロッパの中央に位置する、バルト三国の1国であるラトビア。豊かな自然と中世からの絢爛な歴史、文化、四季折々の風物が旅行者を魅了し、珍ねん「世界で最も美しい国」とも言われています。

fasu.jp

この著書が出版されたのが2018年3月11日ですので、この記事は当時のラトビアを知るにはちょうどよかったです。

ラトビアでは、何を口にしても美味しかった。質素ではあるが、決して禁欲的ではなく、料理に無駄がない。シンプルで、なおかつ洗練されている食事は、いかにもラトビア人の価値観や美意識を象徴していて、私が理想とする食生活だった。清らかで、美しく、神々しいのである。

(P6「キャラウェイの黒パン」より引用)

ここでは黒パンと、それに使用されるキャラウェイについて紹介されています。ラトビアの黒パンにはキャラウェイというものが欠かせないそうです。ここで初めましてのWord「キャラウェイ」。Wikipediaさん曰く、古代から使われる香辛料のひとつだそうです。ほうほう。しかも惚れ薬の材料として用いられていたんだとか…なんと興味深い。それは小川糸さんが黒パンに魅了されるわけですね。

ja.wikipedia.org

このラトビアの方はこの黒パンを旅行のスーツケースにも持って行くくらいのソウルフードだそうで、私もいつか食べてみたいものです。

どこで食べた黒パンもそれぞれ美味しかったけれど、もっとも印象に残っているのは、パン博物館でいただいたヴィヤさんの黒パンだ。

ラトビアの家庭では代々パンこね桶を受け継いで使うそうで、そのパンこね桶に残っている菌を使ってパンを発酵させている。

ヴィヤさんは、赤ん坊をあやすような気持でパン生地の面倒を見ると話していた。そして、同じパンを食べた人同士が、仲良く、平和に暮らせることを祈りながら、毎日パンを焼いているという。食卓は神様の手のひらで、パンはそのご馳走なのだと、優しい声で教えてくれた。

テーブルには、野の花が美しく飾られ、キャンドルが灯されていた。パンが痛がらないよう、必ず手でちぎって食べてください、というヴィヤさんの言葉が胸にしみる。

(P9 「キャラウェイの黒パン」より引用)

料理を作るようになって暫く、心を込めて料理をすることの難しさをしりました。正しい手順を追うことに必死になって、ヴィヤさんのような祈りをこめることはありません。せめて「美味しくなぁれ」くらいには祈ることができたらいいのにな…と普段の自分の行動をすこし改めたいと思いました。

ラトビア人はよく、自分たちの食生活に関して、美食ではないと口にする。かつては皆が農民で、食事にまで気がまわらなかった。自分たちの身近にある体にいいものを素早く調理することを最優先してきたから、食にはこだわりがないと卑下するのだ。

けれど、飽食になった今、ラトビア人の食生活こそが、美しく、理想的であるように思えてならない。質素だけれど、決して禁欲的になりすぎないラトビアの食卓は、いつも大切なことを思い出させてくれる。

(P33~34 「市場のおいしいもの」)

季節のモノをその季節に食べる。そんな当たり前なことをしなくなってしまったのが現代なのではないでしょうか。近所のスーパーに行けば、年間通して同じ食材が手に入り、季節の果物も多少高価にはなりますが購入することができる。年間通して、春の食材であるイチゴがショートケーキに乗るのが今の時代です。

それはとても有難いことで、良い時代だと思う反面。季節や旬というものが亡くなっていってしまっているようで、どこか悲しくもあります。

また「飽食」の今、食べ物は至る所にあふれていて、コンビニにいけば低価格で高エネルギー(カロリー)の食材を購入することができます。これも然りですよね。

そう思ってしまうあたり、私が求めている食生活も小川糸さんが仰っているラトビアの食生活のようなものなのかもしれません。

旅で食べた物の思い出

記憶に残るのは、案外、こんなふうに何気なく口にした食べ物だったりする。帰ってから、今回食べた中で何が美味しかったかを尋ねると、夫は決まって、オニギラーズと答える。

(P14 「アボカド納豆のオニギラーズ」より引用)

「わかるわ~」とつい呟いたのがこちら。これって私もよくあるんですよね。旅行中にはりきってあれやこれやといただくのですけれど、意外と記憶に残るのは美味しそう~!と思って買った駅弁だったりします。

料理には、常々二種類あると思っている。ひとつは、頭で食べる料理。そしてもうひとつは、体で食べる料理だ。私が好きなのは、断然後者の方である。

でもたまに、頭で食べる料理に遭遇する。南仏旅行の最終日に泊まったホテルのレストランが、まさにそういう味だった。

(中略)

確かに、どの料理も手が込んでいて、見た目にも美しく、美味しかった。けれど、後から旅を振り返って思い出そうとしても、その時、何を食べたのか、思い出せないのだ。総じて、美味しかった、という通り一遍の記憶はあるが、では、何がどう美味しかったのか、を掘り起こそうとすると、何一つ印象に残っていないことに愕然としてしまうのである。

(P61 「フランスのパスタ」より引用)

量はたくさん食べたはずなのに、どうもまだ胃袋のどこかに隙間があって、空虚感が残っている感じ。きっとそれは、胃袋に隙間ができているのではなく、心が満たされていないのだろう。いくら頭で、美味しいと思いながら食べても、体は正直に反応する。「裸の王様」みたいなもので、頭の方は頑張って美味しいと思おうとしているけれど、体は、本当に美味しいですか?と疑問を投げかけている。値段が高かったり、人気店だったりすると、悔しいから余計にその作用が働く。

(P62 「フランスのパスタ」より引用)

記憶に残りにくいお食事として「ホテルで食べた夕食、朝食」が私の中でトップです。調べていったお店で食べたご飯はどれも印象に残っていますし、雨の中寒い思いをして逃げ込むようにして入った見知らぬカフェの暖かいココアとマカロンも覚えていますし、背伸びして高級なお肉をいただいたのも鮮明に覚えています。それが不思議と、ホテルでいただいたお食事ってあまり記憶に残っていないのです。記憶にあるのはコースのような様々な食材が出てきて、どれも美味しかったのはぼんやりと覚えているのです。けれど「何処のホテルで食べた何が美味しかった?」と聞かれたら「どこかしらん?」となってしまうんです。

記憶に残っているのは幼少の頃、価値を知らずにバク食いした甘エビがとても美味しかったことくらい…今は他界してしまいましたが、母方の祖父…ありがとう。

食事ってやっぱり「食べたい」とか「美味しそう」とかいろんな何かが重なって、体が食べたい!と思ったものでなければ、満足できないのかもしれませんね。

崎陽軒シウマイ弁当

食べ物に関して自分はとても保守的なのだと実感するのは、駅や空港でお弁当を選ぶときだ。国内旅行ではたいてい、東京駅や羽田空港を利用することが多いのだが、そこには工夫のこらした魅力的なお弁当が数多く並んでいる。さて、今日こそは今まで食べたことのないお弁当に挑戦するぞ、何軒も店をハシゴしてあれこれ品定めをするのに、結局はいつも、同じお弁当を選んでしまうのだ。黄色い包み紙が印象的な、崎陽軒シウマイ弁当である。

(P125 「崎陽軒シウマイ弁当」より引用)

駅弁。関西に在住していたので、関東のお店よりも関西のお店の方がなじみがある私。新幹線であれば京都駅もしくは新大阪から乗車するのですが、どちらにもお気に入りのお弁当があります。

まず京都駅「まんざら亭」さんの「牛しぐれと出巻弁当」。もう何回もいただいている安定のお弁当。卵の甘みも牛しぐれのお味もちょうどよいい塩梅です。

manzara-nishiki.owst.jp

そして新大阪では YOKOO 大阪のれんめぐり店さんの「牛カツサンド」。牛カツも美味しいですが、タマゴも美味しいので私はいつもMIXしたものを注文します。こちらも冷めてもおいしいように濃いめの味がパンに染みて絶品なんです。

www.restaurant-yokoo.jp

基本的に決まったものばかりを繰り返し食べる習性のある私は、基本的に1度おいしい!と思ったものを毎度選んでしまいます。選ぶという作業が手間というのもあるのですけれどね。売り切れとかで購入できない時だけ、これはそういうご縁なんだわ と知って、新しいお弁当開拓をするようにしています。

ちなみに夫は毎回違うお弁当を選ぶ派です。京都駅から新幹線に乗るときは、あちらの店をみて…こちらの店をみて…結局最初のお店に戻って…と、選ぶことを楽しんでいるようです。私は店も陳列場所も把握しているので、そこに直行して購入して、そのあと夫の弁当選びを眺めるような感じです。正反対の習性のようなものをときに楽しみ、ときに「はよせぇ(早くしろ)」とイライラしてしまうのでした。

実は崎陽軒シウマイ弁当はまだ食べたことがありません。ずっと以前から名前は聞いたことがありましたし「シュウマイではなくシウマイなんだよ」というこだわりも存じ上げております。けれどなかなか横浜で下車するタイミングがなくてですね。関東から関西に戻るときは東京駅か品川駅から乗車しますから…。

いつか食べたい!と思っていて、次に関西に帰省するときや、横浜にいくときは崎陽軒シウマイ弁当が食べたいねと夫と話していたところでした。今回本の中で再会したのも何かの縁です。今度横浜にお邪魔するときは忘れずに注文したいと思います。

銀山温泉

夏が苦手な夫のため、基本的に夏場は家から殆どでないようにしている我が家。出かけるとしても室内施設を利用できる美術館や映画館といったものが多く、寺社仏閣を周るとかテーマパークへ行くといったことは殆どいたしません。

そんなわけで、夏の間は旅行もお休み期間です。その間に涼しくなってからどこに行こうか…という作戦会議を行います。現在候補にあがっているのは、紅葉を観に行くこと、そして山形の銀山温泉でゆっくりすることの2つです。

貧乏性の私はどうしてもどこかに行くとその観光地を楽しみつくさねば…!という気がムクムクとしてしまいます。帰りの電車ではクタクタになっていることも多々。最近はあまり詰め込み過ぎないように心がけていますが(夫が)、それでもやはりあちらこちらと足を延ばしてしまいます。

そんな私のしてみたい旅の1つに、温泉旅館でただただ1日ぐーたらしたいというものがあります。ちょっと良いお値段の旅館に泊まって、温泉入って、美味しいものをいただいて、寝て、気が向いたらちょっと読書したり、温泉街をうろうろしたり、地元ならではの特産品を食べ歩きして…みたいな、温泉街を満喫する旅行をしてみたくてですね。

関西にいた頃も、城崎温泉有馬温泉にはお邪魔したことがあるのですけれど、職場の慰安旅行であったりでゆっくりはできず…。玉造温泉もとても素敵な旅館と温泉だったのですけれど、ものすごい雨で温泉街を周れなかったことと、時間的にそこまでゆっくりできなかったことが悔やまれまして…。

そんなわけでいつか銀山温泉のようなところでゆっくりしたいなぁと思っておりました。

大人になってから行くようになったのは銀山温泉で、山形新幹線大石田まで行って、そこからバスで向かう。鄙びた温泉宿で、大正ロマンという言葉がまさにぴったりの風情だ。最上川の支流である銀山川の両岸に三、四階建ての古い旅館が並んでいるのだが、その建物が和風とも洋風ともいえない微妙な和洋折衷建物で、なんとも独特な郷愁を醸し出している。どこにいてもさらさらと川の音が響き、川底には川魚たちが気持ちよさそうに泳いでいる。

(P135 「銀山温泉の野川とうふ」より引用)

なんということでしょう、先ほどの崎陽軒シウマイ弁当に続き、銀山温泉までも出てくるなんて。これはもうどちらにもよばれているとしか考えられませんね。

実は、銀山温泉に来る大きな目的となっているのが、野川とうふやの生揚げなのである。ここのお豆腐が、しみじみとおいしい。きっと水がいいのだろう。清らかで、濃厚で、素晴らしいのだ。

野川とうふやは、銀山温泉の入り口近くに小さく見せを構えている。基本的に店番している人はいないので、用のある客は呼び鈴を鳴らして店の人に来てもらう。夏場は冷や奴もあるらしいが、冬場は生揚げに限る。注文すると、奥から揚げたてを持ってきて、割り箸を添えて渡してくれる。入れ物は、豆腐パックで、観光客はよく、川沿いで足湯をしながらこれを食べている。

(P136 「銀山温泉の野川とうふ」より引用)

豆腐と並び、もうひとつのお楽しみは、日本酒の「絹」だ。絹は、創業が一五九三年という山形県内でももっとも古い酒造、小屋酒造で作られている。味わい深い大吟醸で、山形県内の、しかもごくごく限られた地域でしか流通していない。この絹の三〇〇ミリリットル入りの小瓶が、銀山温泉の酒屋の冷蔵庫で売られており、夕食前の晩酌にちょうどいいのである。

(P137 「銀山温泉の野川とうふ」より引用)

こんな素晴らしい情報を知ってしまっては、試さないわけにはいきません。銀山温泉では野川とうふやさんと、「絹」をゲットしてお宿でゆっくりしたいものです。これはご縁ですね。

まぁ言ってしまえばこれはカラーバス効果。意識することで、その情報が無意識に自分の元に集まってくるという現象ですね。普段であればきっと読み飛ばしていた情報が引っかかり、自分の中で関連が深まっていく。関連が深まっている今こそ、行きタイミングなのだと思います。

リトアニア

私がリトアニアという国の名前を気に留めるようになったのは、一枚のリネンのワンピースがきっかけだった。

熟れた木苺のような色をしたノースリーブのワンピースは、さらりとして着心地がよく、洗えば洗うほど肌に馴染み、夏の定番となった。それから少しずつ、暮らしの中に麻の製品が加わった。服だけでなく、シーツや枕カバーなどの寝具類、台所の手拭き、テーブルクロス、カーテンなど、気が付けば麻に囲まれて暮らしている。その多くが、リトアニアのリネンからできている。

(P165 「ミツバチの羽音に導かれリトアニアへ 」より引用)

それにしても、あっちにもこっちにも、至るところに教会がある。もともと、リトアニアは自然崇拝の国だ。人々は、かつての日本人同様、太陽や木々、草花など、生きとし生けるものすべてに神さまが宿ると信じ、自然そのものを崇め、敬ってきた。そこへ、一三八七年、キリスト教がもたらされた。人々は自然崇拝からキリスト教への改宗を余儀なくされたのだが、そう簡単にこれまでの信仰を変えることはできない。そこで、リトアニアにおけるキリスト教は、もともとあった多神教と融合する形で独自の進化を遂げたのである。

(P167 「ミツバチの羽音に導かれリトアニアへ 」より引用)

行ったことのない国を懐かしく思うのはどうしてでしょうか。何処か日本と似たそのリトアニアの国を、この著書の中で私は何度も懐かしいと感じました。これは小川糸さんの感情なのか、それとも他の何かなのか私には解りません。けれど冒頭で書いた「ラトビア」と「リトアニア」にはとても惹かれる何かがありました。ミニマリスト、シンプリストを目指して生きている私ですからその血のようなものが騒ぐのかもしれません。

よりよい暮らしって、最終的にはこういうところに落ち着くのかな。

まとめ

小川糸さんの小説は読んだことがありましたがエッセイは初めて読んだように記憶しています。けれどどこか「知っている」というか「既に馴染んでいる」というような不思議な感覚がありました。そういった感覚含めて、小川糸さんの紡がれる文章が好きなのだと思います。他のエッセイも読んでみたいな。(また積読が増える…)

いったことのないかの国に想いを馳せて、今日はほくほくと過ごしたいと思います。