SIMPLE

シンプリストになりたいのです

本・糸暦

つい先日、小川糸さんの「旅ごはん」を拝読して、やはり小川糸さんのかかれる暖かい真綿のような文体というか、雰囲気が好きだなと再確認いたしました。

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1冊の本を読むと、同時に複数の本が読みたくなるのが常です。特にこの人の雰囲気や世界観が好き!となると、その方のかかれた本を手当たり次第読みたくなってしまうのが、私の変な癖のようなものです。

そんなわけで、またも小川糸さんの著書を拝読いたしましたよ。

糸暦

絶品の山菜料理、りんごケーキ、手作り石けん、自分流の年越しなど。12ヵ月に沿って、季節を愛おしみ、旬を味わう暮らしを、等身大に綴る小川糸の歳時記エッセイ。

(Amazonより引用)

2023年4月に出たばかりの小川糸さんの著書です。ご自身のブログを拝見しているとこの時と今ではまた変わって生活をされているようですが、そのときそのときに美しく見えたもの、美味しく感じたものを綴られているエッセイです。

あぁこんな暮らし憧れるなぁ、素敵だなぁとのほほんとすると同時に、現代の生活に慣れ親しみ過ぎた私は、まだ小川糸さんがされているような暮らしはできそうにありません。山菜は苦くて食べることができないし、石けんつくりも素敵だと思うけれど薬品を自分一人でどうのこうのするにはまだ勇気がありません。

今はこうして憧れて彼岸から見ていますけれど、いつか私が糸さんと同じ年頃になったとき、同じように素敵な暮らしができているといいなと思いました。

手作り石けん

ベルリンから日本に戻って、困ったことの一つが石けんだった。向こうでは普通にスーパーに行けば安心して使えるオーガニックの石けんが手頃な値段で手に入ったのに、日本だと、それがなかなか容易に手に入らない。あるにはあるのだが、お値段もそれなりにするし、毎回遠方から取り寄せるというのも、なんだか気が引けてしまうのである。

ならば、手作りしてみようではないか、時間もたっぷりあることだし、と思い立ち、一度教室に通って手作り石けんのイロハを教えてもらったら、やめられなくなってしまったというわけである。

(P14~15「手作り石けん」より引用)

手作り石けんにはじめてであったのは、確か わたなべぽん さんのコミックエッセイでした。ぽんさんも石けんを手作りしているようで、様々なデザインの石けんを作ったというお話を拝見しました。デザインだけではなく、精油などで香りも自分の好みにできるそう。面白そうだなとは思いつつ、自分には到底できない芸当だと思っていました。

今のところ私が憧れる方の多くが、石けんを手作りをされているので、もしかしたら私の大人の階段の一段目は石けんを手作りすることなのかもしれません。今はまだ、面倒という気持ちや恐怖心が先に立っていますけれど、いづれ糸さんのように教室に参加してみたりしたいな…とも思っています。あぁでもきっと私のことだからはまってしまうんでしょうね。

麻の着物 

着物での暮らしに憧れて、でも到底自分には(手間的にも財源的にも)できないという理由から、着物にまつわる漫画を読み漁っていた時期がありました。Instagramなどで着物でのお出かけをされている方の投稿を見て、ほぉっと感嘆の溜息をついては♡マークを押すという作業を延々と繰り返しているうちに、着物熱はおさまってしまいましたが、それでもやはり憧れる生活です。

わたしが初めて誂えた着物は、小千谷縮だった。新潟県小千谷地区で誕生した小千谷縮は、越後上布を改良した麻の織物で、苧麻という意図から作られている。かつては、農閑期の冬の手仕事として折られていたそうだ。

(P40「麻の着物」より引用)

夏の着物というと木綿の浴衣が定番だが、個人的にはあまり好きになれない。まず、蒸れて暑い。それに、本来浴衣というのは湯上りに着るもの。それで外を歩くというのはパジャマで出かけるようなものだから、いかがなものかと眉をひそめてしまうのだ。

その点、麻の着物は優れている。見た目は樹ッとしているのに、身に纏うととても涼しい。盛夏の時は、中の肌着や襦袢、足袋、腰ひもに至るまで全て麻の物に揃えると、快適さはいや増しする。

(P40~41「麻の着物」より引用)

私は浴衣に対しては、パジャマだと思って眉をひそめるといったことはありません。観光地で浴衣を着つけてもらって、可愛らしい髪型をして写真を撮っていらっしゃるお嬢さんがたを見るとまぶしくも、素敵だなぁと思うばかりです。

過去のことは存じ上げませんが、自分で洗濯ができる浴衣が増えてきて、昨今ではセットアップ式の浴衣が販売されているのをよく拝見します。普段はワンピースとして使用でき、浴衣として着たいときは、襟がついた帯より上部分を羽織ると浴衣を着ているように見えるという仕組みらしいです。

さすがにそういったものを購入してまで浴衣が欲しいというわけではないのですけれど、ふともう何年、浴衣を着ていないのかしらん?と思い出してみて、もしかしたら10年以上たっているかもしれない事実に悲しくなったのです。

もう三十路を越えていますので、着物のルールを越えて着回しを楽しむというより、1点素敵な着物を誂えてルールに則って着物を楽しむ…というのが理想ですが、それもまた夢のようなお話。麻の着物は難しくても、麻のワンピースなら買えるかもしれません。幾分かマシになったような気もしますが、それでもまだまだ暑い日が続きます。来年の為にも、麻を取り入れるのはいいかもしれませんね。

ひとえの着物

先にも少しふれましたけれど、着物の生活に憧れてそういった漫画を読み漁っていたことがあるのですけれど、その時に多くでてきたのが「祖母から受け継いだ着物」でした。自分が着物を着るきっかけは大好きなおばあちゃんであったり、他界した後、それは遺産として大切に受け継がれていくといったそんなお話。

わたしの手元にある、祖母から譲り受けた、何枚かの古い着物。決して贅沢な着物ではないけれど、わたしにとっては大切な祖母の形見である。

明治の終わりに生まれた祖母は、夏の盛り以外、いつも着物を着て過ごしていた。特に、濃淡の絣の着物は、いつも着ていた祖母の普段着だった。汚れると、自分で水洗いしていたから、生地はごわつき、お世辞にも素敵な着物には見えなかった。ところが、祖母が亡くなってからその着物を洗い張りに出したところ、着物は再び新しい命を吹き込まれたように美しく甦ったのだ。

(P61~62「ひとえの着物」より引用)

もう祖母には会えないけれど、祖母の形見の着物をきることで、私は祖母と再会することができる。だから一年に一回は、祖母がいつも着ていた絣の着物に袖を通して、大好きな祖母に体ごと抱きしめられているような気持を味わうのだ。

(P63「ひとえの着物」より引用)

残念ながら、私には代々受け継ぐ着物というものはありません。母方の祖母は幼いころからよくしてくれていて、今も健在ですけれど着物を着る方ではありません。父方の祖母は例えを上げると「101匹わんちゃん」の「クルエラ・デビル」のような人でした。確かにとても高価な毛皮のコートや着物を多く持っていたようですが、私は幼いころから不仲でしたのでそれらがどうなったのか興味もありません。夫のお母さまも着物を所有していたようですが、貸倉庫に預けている間に湿気て着物を全てだめにしてしまったようで処分されたんだとか…残念です。そんなわけで、私には誰かから譲り受けた着物というものがありません。

ちなみに私が成人式で着るために親に購入してもらった着物は、その後、2歳年下の妹のものとなり、彼女の結婚式でも使用していましたから、きっと帰ってくることはないでしょう。

ひがみではなく、誰かからのそういった受け継げるものがあるという人がうらやましいなと純粋に思うのでした。

栗ごはん

今年こそは挑戦しようと思っているもの、それは栗。栗ごはんでもいいですし、栗きんとんとか、甘煮とか、もうなんでもいいのですけれど、栗を用いた料理をしてみたいのです。

…と言いますのも、秋の味覚である芋と栗が大好物でして。ですけれど、一人暮らしではなかなか消費しきれるものではありませんし、食べるにしても手間がなかなかでして。スーパーで売られている甘栗むいちゃいました的なお菓子や栗味のお菓子をいただくことはあったのですけれど…そうではなく 栗 が食べたいのです!

あなどれないものに、栗がある。栗は、何にしてもおいしい。美味しいが、食べるのには難儀する。そもそも、あのイガが曲者だ。イガから外してもなお、おいしさに辿り着くまでには手間がかかる。

(P70「栗ごはん」より引用)

もう、書き出しから 「わかるー!!」とボタンを連打したい気持ちになりました。そうなのです。何にしてもおいしいのに、イガ、鬼皮、渋皮…と向かなければならないのです。

本当に幼いころ、母方の祖父母がよく秋になると栗を出してくれました。でもその栗は鬼皮がついた状態です。それを祖父が1つずつ、専用のスプーンのようなものでむいては1つずつ食べさせてくれる。お腹部分がベロりとめくれた栗の鬼皮が薄ぼんやりと私の記憶に残っています。ある程度の年ごとになると、自分もやりたいとその専用のスプーンのようなもので栗をむこうとするのですけれど、上手くは行かなくて、いくつにも分解された鬼皮と、割れた栗の実に何故だろうかと思ったのでした。その祖父も他界し、実家では すでにむかれた状態の市販品の栗でしたので、その記憶もずーっと奥の方から引きずり出してまいりました。

母が亡くなり、わたしに栗ごはんをつくってくれる人がいなくなった時、わたしは初めて自分の手で栗を剥いた。というか、剥かざるを得なくなった。そして、その大変さを知って途方に暮れ、その場で包丁を放り出したくなったのである。

こんなに手間のかかる作業を、母は一言も文句を言わず、毎年やってくれていたのだ。

(P71「栗ごはん」より引用)

小川糸さんも栗ごはんを通して、お母さまの愛情を再確認したように、このお話を通して過去を紐解いていくうちに、母方の祖父母の暖かい記憶が思い出されました。母方の祖父母には随分と可愛がってもらいました。

私と夫の間には子どもはいません。これからできるかもしれませんけれど、できなくてもいいと思っています。子どもに栗をむいてあげるという愛情を伝えることはできないけれど、代わりに夫にむけてやってもいいのではないかと、ちょっと上から思ったりしたのでした。

味噌を作る

自宅で作れるんだ!と大人になってから知ったものは実はたくさんあります。以前かいた沢庵も、作り方さえ知っていれば自宅で作ることができる…と大人になってから知りました。

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知らなかったというよりは、そこまで発想が及んでいなかったといった方が正しいのでしょうか。市販品をわざわざ家でつくる必要性や楽しさにまで気がまわっていなかったのでしょう。味噌もその一つ。

味噌を作り始めたのは、ベルリンに住んだことがきっかけだった。それまでは、好みに合う味噌を味噌屋さんで買っていた。けれど海外となると、無添加で作られた自然な味噌は、なかなか入手できなかった。ならば自分で作ろうと、一念発起したのである。

(P74「味噌を作る」より引用)

何で知ったのかも忘れましたが、二十歳を越えてから家で味噌を作る人たちがいることをしりました。確かぬか漬けとかを家でつくっている人の特集を見た時に、同様に取り上げられていたんだったか…はて。

とにかく、家で味噌を作るということが、当時はあまり理解できなかったのです。そんなに頻繁に使うものではないし、スーパーで安くで売っているのに…と。我が家は…というか、私があまり味噌汁が好きではなくって。汁物自体あまり食べないのでそういう発想になったのかもしれませんね。今でしたら季節の梅で梅酒を作る楽しみも、お大根から沢庵を作る楽しみも理解していますから、お味噌も素敵だなぁと思えるのですけれど。

そう思うと、これが成長なのかはわからないけれど、その当時と今の私は考えていることが正反対で、同じ人間なのに不思議だなと思ったりもします。

乾燥し、少しずつ気温の下がる秋晴れの日が、味噌作りには最適だ。味噌は、未来への貯蓄であり、生きる力そのもの。だから、味噌を作る時は、自分や家族の健康と平和を祈りながら、青空の下、けがれのない朗らかな気持ちで仕込みたい。

(P76 「味噌を作る」より引用)

秋晴れまで数か月。私も味噌作りに挑戦してみようかとふと思いました。

秋の出羽屋さんへ

治樹さんが目指すのは、あったかくてホッとする料理だという。ミシュランの星には全く興味がないと言い切り、ハレよりもケの料理に重きを置く。

わたしもここ数年、同じことを感じていた。足し算の料理より、引き算の料理の方が、遥かに心身に染みるのである。

「日常的な食が、ちょっとだけ豊になればいい」という治樹さんの言葉通り、料理の世界でも、「もっともっと」を追求するのではなく、元々の素材のよさに必要最小限の手を加える手法が、これからの世の中、見直されていくだろうという気がした。だって、「もっともっと」は幻想だから。

(P160~161「秋の出羽屋さんへ」より引用)

以前拝読した土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」にも同様のことが書かれていたのをふと思い出す。

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人間はちゃんと知っていたのです。ハレとケを区別して、ケの日常はつつましく、必要最低限の食事で暮らすことが心身ともに心地よいことを、身体は知っていたはずです。…(中略)…人間が物事に立ち向かっているとき、そうしなければ力が弱まります。食べることは常に喜びですから、度を越せば体調を崩し、気の緩みにつながる。ケとハレにけじめをつけることで、そうならぬよう実践していたのです。

(「一汁一菜でよいという提案」P140より引用)

毎日がハレじゃなくていい、普段のケをつつましやかに生きて、必要最低限で、でも丁寧に生きる。それだけでいい。どれだけ華美な食事が流行になっても、それはすぐに廃れてしまって、結局はケにかえってきてしまうような感覚。私の中でいま求めているのは、ハレではなくケのつつましやかな生活なのかもしれません。

まとめ

作中に何度か出てくる山菜たち。実はあまり食べたことがありません。幼いころにフキノトウと土筆の佃煮を食べたのですが、苦みが強すぎてどうも飲み込むことができませんでした。それ以来、私は山菜が苦手なのだと葉物野菜をあまり摂らないで生きてきたのですけれど、そろそろ食べることができるようになっているでしょうか。

この「糸暦」を読んでいる間、とてもノスタルジーな気分になりました。それはきっと食材からずっとむかし、まだ幼ち園に通っていたころや小学生の頃の幼い記憶が甦ったからだと思います。栗や山菜のことなんて、すっかり忘れていたというのに。そういった自分の核を包むような柔らかい記憶を何度も思い出させてくれる、そんな暖かい作品でした。

小川糸さん、好きだなぁ。