SIMPLE

シンプリストになりたいのです

本・昨日のパスタ

最近すっかり小川糸さんの書かれるエッセイにはまってしまっています。暖かくて、優しくて、癒される本です。そして、こんな暮らしがしたいなと思うことができる教科書のような本でもあります。読んでいて一番感じるのが「心地よい」という感覚です。きっと今の私には小川糸さんの作品が合っているのでしょう。

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今回も小川糸さんのエッセイを読みましたので、こちらで感想を綴っていきたいと思います。

昨日のパスタ あらすじ

ベルリンのアパートを引き払い、日本で暮らした一年は料理三昧の日々でした。春はそら豆ごはんを炊いたり、味噌を仕込んだり。梅雨には梅干しや新生姜を漬けて保存食つくり。秋は塩とブランデーで栗をコトコト煮込み、年越しの準備は、出汁をたっぷり染み込ませたおでんと日本酒で。当たり前すぎて気が付かなかった大切なことを綴ったエッセイ。

(Amazonから引用)

海と、菜の花

2020年、某流行病が原因で世間が、世界が大きくかわってしまったあの年。ベルリンのアパートを引き払い、愛犬のゆりねちゃんと帰国された小川糸さん。その2020年の1年間に綴られたエッセイです。

実は、ぜんぜん元気ではなかったのです。先月は、本当に苦しくて苦しくて、このまま自分がどうにかなってしまうのでは、と思うほどでした。

環境がかわったこと、目に見える風景、聞こえる音、空気の質感、すべての変化に心も体もついていけなくなり、ただただ喪失感と孤独感にさいなまれて、右を見ても左を見ても前を向いても後ろを振り返っても、上も下も不安だらけで、不安はやがて、得体のしれない恐怖へと膨張して、わたしはその場所から一歩も動くことができなくなっていました。

あんなに怖い時間を過ごしたのは、人生で初めてだったかもしれません。

これはまるで、大人のお化け屋敷だな、と思いました。自分の中に、これでもか、というくらい負の感情があったことに、自分でも驚きました。

(P13「海と、菜の花 3月6日」より引用)

あの頃、これからどうなってしまうのか、それは仕事のこともですし、自身の健康のこともですし、家族や、周囲の人々への心配や不安や、焦燥感のようなものが毎日のように押し寄せてきていました。私はその頃、接客業をしていたのですが、人と触れ合うこと、会話することが恐怖だった時期があります。自分がこのショッピングモールでの、この大学での感染者1人目になってしまったらどうしようか。職場にものすごく迷惑がかかるし、何より、自分が感染源になってしまったら、それが原因で命を落とす方がでてしまったら…。毎日本当に恐怖でした。

2020年6月頃にはショッピングモールは辞めることに致しましたが、それでも、不安な日々というのはずっと続いたように思います。この不安はいつまで続くんだろう、そんな漠然とした恐怖が人々の心をもむしばんでいたように思います。

火星に行く

パリ在住の辻仁成さんの寄稿が新聞に掲載されていたそう。それを読んだ小川糸さん。

誰もが当たり前と信じていた日常の営みがことごとく手のひらから奪われた。それでも、辻さん父子の関係には、崩壊ではなく、真逆の効果が生まれているという。さすがだな、と感じたのは、辻さんが息子に語ったというこの言葉。

「この宇宙船は大きなミッションを持って火星に向かっているのだ」

つまり、人類が大きな価値観の変化を求められているということ。住んでいるアパートは「宇宙船」となり、毎日のジョギングは「宇宙遊泳」、買い物は「船外活動」だという。こうして父と息子は、宇宙船の中で様々な共同生活を行い、関係性をより深めることに成功した。

それって、本当にすばらしいことだ。辻さんは、書いている。いちばん守らなければいけないのは、「生活を失わない」ことだと。

(P34~35「火星に行く 4月22日」より引用)

あの頃にこのお話に巡り合えていたらと強く思いました。なんて勇気をくれる言葉だろうって。先にも述べましたけれど、あの頃は本当に先行き不透明な毎日が怖くって、「生活を失う」という状況に近かったなぁと今にして思います。ロストしたあの時間は戻ってきませんが、これからは「生活を失わない」ことを念頭において、日々過ごしていきたいな。

叱咤激励?

なんで母には、こんなふうに優しい気持ちで話を聞いてあげられなかったんだろう、という後悔がぐんぐん湧き上がってしまったのだ。わたしがもっと寛大な心で母を受け入れていれば、お互い、あんなに苦しむことはなかっただろうなぁと思った。

おばの話はこんなに優しく聞いてあげられるのに、いざ自分の親となると、それがなかなかできなかった。ということは、人間関係においても、心地よい距離というか間が大事なんだなぁ、と痛感する。

(P39~40「𠮟咤激励? 5月11日」より引用)

難しい問題ですよね。小川糸さんのお母さまは既に他界されているそうで、だからこそ優しい気持ちで聞いてあげれば…と思えたのだと思います。

家庭の数だけ、そこに何かしらの過去があると思います。深くは述べませんが、私にもあります。私はまだ、そこまで思えそうにはなくて。まだまだ自分が幼稚な子どもであることを再認識しました。もしかしたら、相手が他界したあとにしか持てない感情というものもあるのかもしれません。

おなべさま

今回、修理をお願いしたのは、(中略)。大きさもちょうどよく、特によく手にするので、過酷な労働に耐えられなくなったのかもしれない。おなべを買ったお店に相談したら、すぐに作りての方に連絡してくださり、あれよあれよという早さで帰ってきた。

戻ってきた箱を開けて、びっくり!だって、ほとんど新品と言っていいほどの若返りぶりなのだ。ガタついていた持ち手がしっかり固定されているのはもちろんのこと、鍋の内側には錫がかけられ、色がくすんでいた外側も、ピッカピカに磨かれている。

職人さんの心意気を感じずにはいられない。元は確かに、ある程度お値段がしたけれど、こうしてしっかりアフターケアをしてくれることを思うと、決してお高いとは思わない。

こんなふうにおなべがよみがえるなら、本当に一生使うことができる。

(P79「おなべさま 8月2日」より引用)

溜息がでるくらい、素敵なエピソードだなぁと思った。職人さんの心意気が感じられるものに憧れがあります。少しお値段はするけれど、一生使うことができるようなそんな一品。そんな素敵な物に囲まれて暮らしたいのです。

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以前、琺瑯の鍋を洗うというおはなしを致しました。本当は野田琺瑯さんのミルクパンを購入したかったのですが、お財布事情が許さず…。今現在の鍋がまだまだ使えるので、買い替えは当分先ですけれど、そのときは野田琺瑯さんのミルクパンを買って、ながーく愛していきたいと思います。もちろん、今の物も大切にしていきますし、また時間を作って綺麗にしてあげないとなぁ。

養生

もうそろそろ、みなさん、疲れが出ている頃だと思う。いきなり、非日常の世界に突き落とされ、なんとかかんとか、時に自分をだましながら非日常に順応する努力を積み重ねてきた。日常生活や価値観など、様々なことが反転したのに、大丈夫、まだ頑張れる、と平気なフリを貫いて、自分よりも周りに気を使って生活をしてきた人も多いと思う。

夏も、暑かったし。乗り切らなくちゃいけないことが、次から次へとわんこそばみたいに目の前に出された印象だ。でもそろそろこの辺で休んでおかないと、心も体も参ってしまう。そうなる前に、穂高に行こうと思ったのだ。

(P110-111 「養生 10月4日」より引用)

最近は某流行病の話題も少なくなり、ふと思い出したかのように、夫の職場の方が感染したり、SNSのニュース上で目にする程度になったように感じます。あの頃は、本当に毎日毎日、四六時中そんなニュースばかりだったのに。現状を見て、やっと落ち着いたんだな、ひと段落ついたのだな、とほっとしています。

当時は本当に疲れましたね。その疲れが今になってでているような気がしなくもありません。加齢のせいかもしれませんけれど。体が重だるい感じがここのところ抜けず、私も穂高とか、養生できるところにいってリフレッシュしたいなぁとは思うものの、独り身ではないのでなかなか難しく。そういうところに行くなら一人で行きたいので、夫をおいていくという手もあるのですけれど…いろいろ悩んでしまって要検討中です。

冬支度

栗は、ほとほと世話に焼ける相手だ。まず、強力なイガに入って実を守っている。イガから取り出すのだって一苦労なのに、更に、鬼皮、渋皮と、頑丈な鎧を纏っている。しかも、すぐに実が砕ける。

最後まで綺麗な形のまま甘露煮にできるのはほんのわずかで、大抵は途中で割れてしまう。

(「冬支度1 10月12日」)

今までに読んできた小川糸さんのエッセイのなかで、度々でてくるのが山菜・味噌・そして栗。どれも私の日常にはあまり出てくることのない物なのです。けれど、こんなに読んでしまうと、潜在意識に植え付けられてしまったのか、ついつい栗を探してしまいます。

今年は私も栗の甘露煮を作ろう。実家で母にその話をしたところひどく驚かれました。実家では台所に立つことが全くなかった私ですから、想像できないのでしょう。別段、昔から嫌いというわけではなくて、あくまで実家の台所は母のテリトリーだという、ある種の縄張り意識のようなものがあっただけなのですけれど。

今は、自由に好きなものをつくることができています。巻き添えを喰らう夫には、申し訳ないと思いつつ、それでも新しい挑戦をするたびに乗ってきてくれることに感謝しています。

スーパーで栗が出るのを待つというのも楽しいものですね。

まとめ

2020年は私の人生のなかでも大きな変化のあった年でした。当時は本当に毎日が不安で大変でした。けれど今にして思えば、ささやかな日常を積み重ねてきた結果今があるわけですから、実のところ普通に生活していたのかもしれませんね。人間は悪い記憶だけ強く残るものですから。小川糸さんの本を通して、あの頃を思い出し、過去のことを今に活かすためにどうするかということをたくさん考えるきっかけになりました。

余談なのですけれど。私は好きな作家さんが見つかるとその作家さんが書いた全ての物語を見たい!知りたい!という欲が強くなるタイプです。そして、できれば刊行順にすべて読みたいと思うようになったらもう大変です。小説+エッセイやルポルタージュを全部調べ、年代順にリストを作成し、それを順番にコンプしていこうとしちゃうんですよね。その作家さんが自分の中にインストールされるまでその作業を続ける傾向にあります。

今までそれがあったのが、森見登美彦さんと青山美智子さん。そして小川糸さんもリストを作成したので、これからしばらく小川糸さんブームは続きそうです。とはいえ、積読の消費もしていかなければなりませんし、図書館で予約している図書もあります。

適度に読書欲を満たしつつ、たくさん読んでいけたらいいなぁと思います。