大阪生まれの奈良育ちである私にとって”埼玉”はよく知らない場所でした。東京のベッドタウンで、声優の杉田智和さんの生まれ故郷で…とかそのくらい。ただ同じ海なし県ということで、勝手に親近感のようなものを抱いている場所でもありました。
そんな埼玉に引っ越してきて2年。草加せんべい、十万石まんじゅう、深谷のレンガ、首都圏外郭放水路…などなど、少しずつ”埼玉に関する知識”を蓄えた私。満を持して『翔んで埼玉』という映画をみました。感想をネタバレ交えて綴っていきたいと思います。
あらすじ
夏の気温の高さが全国的に有名な埼玉県 熊谷市。そこに住んでいる菅原一家は、今日は娘の結納のため大忙し。父の運転する自家用車で東京に向かいます。道中、娘の愛海は結婚を機に東京都内に引っ越し、幼い頃からの夢であった東京都民になれると浮かれ気味です。
そんななか、カーラジオでは埼玉県にまつわる都市伝説が語られはじめました。チャンネルはもちろんNACK5。埼玉県を放送対象地域とするFMラジオ放送です。
その昔、埼玉県民は東京都民から それはそれはひどい迫害を受けていたというのです。埼玉県に住む人々が東京都に入るためには通行手形が必要です。そして常にそれを身につけておかなければなりませんでした。もし、通行手形なしで東京に入ろうものなら、都内のあちこちに設置された防犯カメラに発見され、SAT(Saitama Attack Team 埼玉急襲部隊)に捕まり、強制送還されてしまうのです。
そんなある日、東京都内にある白鵬堂学院 3年A組にアメリカからの転校生がやってきました。彼は麻美 麗。丸の内にある大手証券会社 社長の御曹司で、都会的なセンスに溢れ、さらに容姿端麗でした。クラスメイトたちは彼の美しさに一目で魅了されたようです。
白鷗堂学院は東京の中でも有名な超名門校で、代々東京都知事を生み出してきたほどです。この学院ではクラスがA組からZ組に分けられており、東京都内での出身地によって決められます。A組は赤坂や青山に住んでいる生徒、B~D組までは都会の上位層、E組は田無や八王子に住んでいる生徒…のように分けられます。
そしてまるでベルサイユ宮殿のような学び舎の横に、一軒の掘っ立て小屋がありました。今にも倒壊してしまいそうなボロボロな小屋にも生徒がいるようでした。そこはZ組。Z組とは元 埼玉県人だった生徒がいるクラスです。親の仕事の都合で現在は東京都内に住んでいますが、それでも通行手形がないと生活が許されません。また保健室などは都民の生徒のために作られているため、Z組の生徒が体調を崩しても使う事は許されないのです。それでもZ組の生徒たちは、学園を卒業すれば東京都内で働く許可がもらえる ということで、今日も迫害に耐えて過ごすのでした。
この世界は”その人間がどれだけ都会的な環境で生活しているのか”が重要視され、それらは”都会指数”ではかられるのです。
白鵬堂学院では現東京都知事の息子で、次期東京都知事だと言われる壇ノ浦百美が生徒会長を務めていました。百美は、麗がZ組の生徒を庇い立てする姿に強い不快感を抱きます。そして、全校生徒の前で恥をかかせてやろうと無理難題を吹っ掛けますが、麗はそれを見事に突破するのでした。そして逆に百美は麗に心を奪われてしまうのでした。
百美は何かと言いわけをつけて、麗をデートに連れ出します。しかし、デート中に大きな警報音が鳴り響き、SATがやってきたのです。そしてSATは麗の家政婦である おかよ と彼女の息子が埼玉県民であることを発見し、捕えようとします。麗は何とか おかよ を助け出そうとしますが、逆に自分も埼玉県民であると疑われSATに逮捕されそうになってしまいます。
そしてあろうことかSATは、埼玉県の県鳥であるシラコバトの絵が描かれた草加せんべいを取り出し、麗に埼玉県民ではないのであれば踏みつけられるだろうと迫ります。しかし、麗には シラコバトの絵が描かれた草加せんべいを踏みつけることなどできません。
そう、麗も実は埼玉県人だったのですから。麗は 埼玉の通行手形制度を撤廃させようとする「埼玉解放戦線」の一員の息子でしたが、幼い頃に目的のため東京都民の元に養子にだされたのでした。東京都内にはこうした隠れ埼玉県民が、政界などに潜り込んでいるといいます。
麗はSATからなんとかして逃げ延び、池袋までやってくることができました。そんな麗を、百美はなんとかして追ってきます。愛する麗が、いままで自分が迫害してきた埼玉県民であることや、埼玉に対する拒絶反応に苦しみながらも、それでも麗を追い、そばに居たいと願うのでした。
麗は状況を立て直すため、一度埼玉に戻ることを決意します。しかしどこの県境もSATたちの警備が強化されているはずです。そこで上野駅から常磐線に乗り、茨城県に入り、そこから埼玉県に入ろうと考えるのでした。
常磐線の車内で百美はとあることに気が付きます。わざわざ茨城県まで行かなくとも、千葉県内の駅で降り、そこから埼玉入りすればいいのでは と。しかし、麗はそれを否定します。
実は、通行手形がないと都内に入ることができないのは埼玉だけではないのです。千葉も同様に通行手形が必要でした。そして千葉は、埼玉より先に通行手形制度の撤廃を狙っており、「千葉解放戦線」と「埼玉解放戦線」は犬猿の仲だったのです。もし、埼玉県民が千葉県民に捕まってしまうと、穴という穴にピーナッツを入れられ 九十九里浜で地引網を引く強制労働をさせられてしまうのです。百美は恐怖し、麗の言う通り茨城県までおとなしくしていることを決めますが、そこでヌーの群れが列車を止めてしまいます。仕方なく、麗と百美は千葉県内を移動することになってしまい…。
やがて事態は埼玉 対 千葉 の全面戦争へと発展してしまい、流山橋付近で対峙することになるのでした。
感想
その昔、東京都、埼玉県、神奈川県頭部というところが一体となって出来ていた大国があった。『武蔵国』である。時は1871年、廃藩置県により広大な武蔵国から重要都市であった東京が独立。そして同じく幕末の開港以来重要都市となっていた横浜も、武蔵国南部と相模国を引き連れて独立を果たし、現在の神奈川県となった。
まぁ簡単に言えば良いとこ取りされ、切り捨てられた余りもので出来た海なし県。それが現在の埼玉というところである。
(作品より引用)
こんな”埼玉ディスり”から始まる壮大な茶番劇。いくらフィクションで、地名は関係ないからって埼玉県民はどうして、この作品をみて怒らないんだろう?と広告CMをみたときは不思議で仕方ありませんでした。でも最後までちゃんとみたら、埼玉ってすごい愛されているんだ…と伝わってくる映画になっていて、「なるほどねぇ」というのが感想でした。
昔TV番組でみた『秘密のケンミンショー』と『ガキの使いやあらへんで』をブレンドしたような作品で、このポリコレ時代によく作ったなぁ…と思いつつ、そりゃ受けるよなぁとも思いました。その土地ならではの細かい小ネタがふんだんに込められていて、わかる人がみると面白い作品だと思います。
夜の池袋、ビルの屋上で麗と百美が話すシーンがあるのですが、背景が東武百貨店と西武百貨店の看板なんですよね。もう、普段池袋を使うことが多いので、こういうところでニヤニヤしてしまいました。
逆に言ってしまうと、この小ネタたちが身内ネタ感を増強させているんですよね。だから意味がわからないと「はて?」というシーンが多いんです。野田で「醤油の香りがする」という台詞はまだしも(千葉にある醤油で有名な街で、本当にほんのり醬油の香りがした)、十万石まんじゅうのCMネタは あんまり伝わらないだろうなぁ…って。お恥ずかしながら、私は埼玉に引っ越してくるまで十万石まんじゅうのことを存じ上げませんでした。
百美『Z組の生徒だな!都民のための校舎で何をしている』
生徒「会長!すいません…この子が急に腹痛を起こして医務室へ…」
百美『医務室を利用できるのは東京都民だけだ!』
生徒「でも すごく苦しんでるんです。お医者様に見せるだけでもお願いします…」
百美『埼玉県人には、そこらへんの草でも食わせておけ!埼玉県人ならそれで治る!』
(作品より引用)
終始、大人が真面目にやっている茶番劇なんですが、ちょいちょい深いなぁと思うところもありました。一見すると田舎(埼玉・千葉・茨城・栃木)下げ、都会(東京・神奈川)上げなんですよね。でも、後半になってくると、様子が変わってきます。
そもそも原作は、1982年に『パタリロ!』の著者として有名な魔夜峰央さんが所沢に住んでいた数ヶ月に描いたとされる未完のコミックを映画化したものだそう。当時の『ダ サイたま』という言葉や『なぜか埼玉』という歌だったりからもみられる埼玉なら下げて良いという空気感。都会信仰と田舎否定が根底にあるわけです。
当時だから許された(?)ネタをこの現代に持ってくるって、なかなかぶっとんでないと難しいだろうに…。その辺を現代パートなどを用いて帳尻合わせをうまくこなしているようで、塩梅が凄いな と。観客の多くが口に出さないだけできっと抱いているであろう出身地による階級差別を面白おかしく、ぎりぎり許されるラインを攻めているように感じました。
数年前、『月曜から夜更かし』という番組で埼玉県民の方に「ださいたま」と言ったらどういった反応をするか…みたいな企画をしていたとき、すごい不快だったんですよね。当時は埼玉県民ではありませんでしたが、品がないし、趣味の悪い企画だな…と。
『翔んで埼玉』は”映画”というフィクションの、さらに”そのなかで紹介される都市伝説”というフィクション。劇中劇のような感じでフィルターが多く、キャラクターデザインも演技も設定も現実離れしているので、私は不快感を抱くことはなかったです。
また現代パートがあることで、今現在は迫害されていないことは一目瞭然ですし、冒頭にこのようなナレーションが入ります。
この都市伝説は 埼玉県民解放を成し遂げるべく、戦いに挑んだ者たちの革命の物語なのです
(作品より引用)
ラストがある程度、示されているので安心してみられたように思います。これがラストまで一貫して埼玉下げだとフラストレーションがさすがに溜まったかな。ま、あくまで都市伝説として語られているだけなんですけれどね。
様々な理由で誰にでもおすすめ!というわけではありませんが、個人的にはまぁまぁ面白かったです❀とりあえず夫は常磐線のシーンで喜んでました。
よもやま話
埼玉に住み始めて2年と少し。十万石まんじゅうなどの埼玉ネタを拾うことができたことで、少しは埼玉県民としてのレベルが上がったような感じがして、なんだか嬉しかったです。
以前お邪魔した、首都圏外郭放水路も出てきて「あそこだー!」と嬉しくなりました。
とはいえ、埼玉県民としてそこまで”さいたま”のことを知っているわけではなく、埼玉県内の地理や特産なんかも、実はあまり知らないのですよね。これはベッドタウンあるあるだそうで、あまりその土地に愛着を持てない人が多い=土地ならではの社会問題に当事者意識が生まれない という問題にも繋がるんだとか。確かにそこまで今住んでいる場所に愛着はないなぁ…なんて思います。自発的に町のお祭りや行事に参加することもないので…。
でも埼玉には愛着があるので、次に引っ越すときも埼玉県内だと思います。何処になるのかはわかりませんけれど。夫の転勤などの関係で、自分の終の棲家がいったいどこになるのかはわかりません。けれど、奈良か埼玉がそうなると良いなぁなんて思っておりますよ。