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シンプリストになりたいのです

本・人生を変える読書

堀内勉さんが書かれた「人生を変える読書 人類三千年の叡智を力に変える」という本を読みました。『どうして本を読むの?』『どんな本を読めばいいの?』というありふれた疑問への回答が詰まった1冊でした。今回はこちらの内容について綴っていきたいと思います。

人生を変える読書 はじめに

本を読むとき、様々な方法論があります。巷には「内容が100% 頭に入る読書術!」とか「忘れない速読術!」みたいな本が溢れていますが、この本はそう言った方法を綴っているのではありません。もっと前、なぜ本を読むのか、読むときにはどういったことが大切なのかそういったことが記された1冊です。

私が本の読み方でただ一点こだわっているのは、「人間」に焦点を当てた読書ということです。(中略)どのように本を読んでも構いませんが、読書する際には、自分の人生と照らし合わせて読んでもらいたい、そして少しでも生きる糧として活かしてもらいたいということです。

もう少し正確にいえば、本を読む動機づけは人それぞれで構いませんが、私が本書で訴えたかったのは、本と真摯に向き合うことであなたの人生の振り返りができ、これからの人生をどう生きるかについて考えるきっかけができるということです。そして、そのための材料が良書の中にはたくさん詰まっていますよ、ということです。

(P4より引用)

では「人間」に焦点を当てた読書というのはいったいどういうことでしょうか、先を読み進めていきましょう。

序章

「どんな本を読めばよいのか?」の答えとは

公共図書館大学図書館で図書館司書をしていた私。利用者の方からときたま「おすすめの本は何?」と質問されることがあるのですけれど、これがとても困ったものでした。そのおすすめが、例えば「本屋大賞ノミネート」などの流行本のことを指しているのか、私個人が好きな本なのか、そもそも小説なのか実用書なのか、この質問だけでは掴みかねるのです。ですから、そこからどんな「おすすめ」を聞かれているのかを質問し、それならこういう本はどうですか?と紹介するのですが、それ自体はとても作業でありました。

ただ中にはそういった輪郭が決まっていないまま、通常会話の延長のような感覚で「おすすめは?」と聞かれてしまうと、私は頭を抱えてしまうことが多々ありました。

もし、みなさんが何か具体的な目的にかなう本を求めているのであれば、各分野に定番といわれる本がありますから、それぞれの分野にくわしい人に聞いたり、書評などを参考にしたりすればよいでしょう。

ただ、もっと一般的な質問として、「どんなものを読めばよいですか?」と聞かれてしまうと、簡潔に答えるのは難しくなります。

なぜなら、その方がどのような人で、これまでどのような人生を歩んでこられたのか、その中でどのような考えや価値観を身につけて、いまはどのような気持ちで生きていて、何を求めていらっしゃるのかをまったく存じ上げないからです。

非常に突き放した言い方をしてしまえば、「本当にそれが聞きたいのであれば、自分自身の胸に手を当てて聞いてみてください」としか答えられないのです。

(P14-15より引用)

そもそも、この「どんなものを読めばよいですか?」であったり、私がうけた「おすすめの本は何?」といった質問がよくされるのはどうしてなのでしょうか?

「どのような本を読めばよいかは、どう考えても自分にしかわからないことのはずなのに、どうしてほかの人にそれを聞こうとするのだろうか」と。

その結果、むしろそうした問いの多さこそが、いまの時代がはらむ深刻な問題を浮き彫りにしているのではないかと思うようになりました。

つまり、「自分が何をしたいのかがわからない」「自分が何をするべきなのかを、誰かに教えてもらいたい」「自分が何を好きなのかがわからない」「自分が何を好きであるべきなのかを、誰かに教えてもらい」という姿勢が、世の中に広く蔓延していることの表れなのではないかと思い至ったのです。

(P15-16より引用)

アメリカの発明家・実業家であるレイ・カーツワイル博士が提唱している2045年問題というものがあります。

AI(人口知能)が人類の知能を超える技術的特異点(シンギュラリティ)を迎え、それによって生じる影響や問題のことを指します。

(以下URLより引用)

gen-ai-media.guga.or.jp

Open AIのChatGPTが話題になり、ブログをChatGPTを使って書いているという人も随分増えてきたように思います。こうしたことから、我々人間の仕事はAIに奪われてしまうようになる!と言ったことはよく耳にするのではないでしょうか。

このような「脅し文句」は、ありとあらゆるところで聞かれます。しかしながら、冷静になって考えてみると、こうした脅し文句は、たんに「強い者が勝つ」「優秀な者が生き残る」という、優勝劣敗や適者生存を別の言い方に置き換えているだけで、そこには社会や人間に対する何の深い洞察もありません。

また「自分は何のために生まれてきたのか?」「自分は本当は何がしたかったのか?」「自分はこれからどう生きればよいのか?」という、本当は誰もが心の奥底に持っている根源的な問いにもつながっていません。

(P18より引用)

この「そもそも自分というものがわからない」からこそ、冒頭で述べた「自分」に焦点をあてた読書が必要というわけですね。

読書は「自分が自分である」ためにある

「これがあなたにぴったりのものですよ」「これを選ばないあなたは損をしていますよ」「あなたが何を好きなのか私が教えてあげましょう」「私の言うとおりにしていれば大丈夫ですよ」

という、人々の不安と欲望を駆り立てる、現代資本主義社会が持つ病理が根底にあるからなのではないでしょうか。

(P21より引用)

「どんな本を読めばよいですか?」という質問に対して、私は「それは自分自身に聞くしかない」と答えましたが、本当はみなさん、もっと自分の「内なる声」に忠実に生きればよいだけのことなのです。

しかし、人々の欲望を駆り立てる、あるいは不安を煽る現代資本主義社会というシステムがそれを強力に阻んでいて、いまの世の中を生きる多くの人が、他人がよいと思うものを探し求めて右顧左眄しているうちに、いつの間にか自分が何を求めているのか、そして自分が誰なのかさえわからなくなってしまう…。

(P22より引用)

自分の「内なる声」に耳を傾けること、自分は本当は何をしたいのか考えること、そして自分とは何者であるのかを考えること。そのための助けとなる手段として、読書があります。

(P23より引用)

昨今は良くも悪くもせっかちになったなぁと思う今日この頃。人々は正解を考える前に回答を求めるようになったような気がしています。

yu1-simplist.hatenablog.com

昨年読んだ『映画を早送りで観る人たち』でも昨今では、解りやすいものが求められていることや、タイパよく効率的に正解だけを選ぶことが求められること、失敗したくないからネタバレを見てから映画を見るということなどが書かれていました。この背景には、先ほど引用した通り、現代資本主義社会による不安や、失敗が許されない社会、だから読書も映画も正しいと思われるものだけ見たい!とつながっているのだろうかと考えています。

一昔前であれば、あらかじめ指針となる答えが決められていて、この勉強をして、この大学にいって、こういう企業に就職して…とすれば一生を無事に終えることができるよというロールモデルがありました。けれど現代ではそうではありませんから、そりゃ不安にもなりますよね。

結局のところ、自分の答えというものは「自分自身で考えるしかない」ということなのですが、そうはいっても突然、「それでは自分で考えてください」と言われたところで、果たして何の取っ掛かりもなしに考えることはできるのでしょうか。

ここに、読書というものが存在する意味があります。

なぜなら、ただ「考える」といっても、人間は「考える材料」と「考える枠組み」がなければ、ものごとをきちんと考えたり、思考を発展させたりすることができないからです。

ものを考えるために、私たち人類は、文字というものを発明しました。そして私は、読書こそが、「考える材料」を集め、「考える枠組み」を構築する手段としてもっとも優れたものなのではないかと考えています。

(P27-28より引用)

本には今までの人類が残してきた長い長い歴史が詰まっています。ただ人の悩みというものは、今も昔もそこまで変わっていないのです。なぜ人は生まれるのか、なぜ私は生きるのか、そして死んでいくのか。そういった問いに対して、自分がどのように捉えるのか考えるために、情報の集合知である本はとても役に立ちます。

既にこの世にはいないであろう戦国武将に「こたびの戦の勝因は?」と聞くことなんてできませんし、今を生きる人だとしても 私がいきなりビルゲイツやマークザッカーバーグに「2045年問題についてどう思う?」と聞けるわけがありません。けれど本であれば書いてくれてさえいれば、その答えを求めることができるのですから便利な世の中です。

ここまでで「自分とは何か」を考えるスタートラインに立つために読書で「考える材料」や「考える枠組み」が必要だということに触れました。

生存本能のおもむくままに、ただ食べて、お金を稼いで、遊んで、寝る、そして死んでいくというような、ある意味で動物的に生きるというだけでも、ある程度は人生をしのげるでしょう。

しかし、人間は頭脳が極端に発達して複雑な思考ができる特殊な生きものであり、悩みもあれば不安も感じるし、本能だけでやりすこして生きることが難しい生きものなのです。つまり、難しいことを考えることができるというだけでなく、難しいことを考えないで生きることがとても困難な生きものなのです。

さらに、人間は個体としての肉体的弱さを補うために、集団をつくって生きる社会的な動物であり、一人で生きていけるわけではありません。そこに否応なく、社会性という問題がかかわってくるため、自分一人だけのことを考えながら、本能のおもむくままに生きられるわけではないのです。

(P35より引用)

もし人間がある意味で動物的に生きていけるのであれば、一人で気ままに生きていけるのであれば知識をインプットする必要なんてありません。読書だってする必要はないでしょう。ですから、そういった本能に忠実に生きたい!という方が無理に読書をする必要はないのです。というか、本を読まなくても「内なる自分」がわかっているのですから、そりゃそうだという話ですね。私はまだ「内なる自分」というものが、はっきりしていませんので、これからも読書を続けて知識を血肉にしたいと思っております。

読書なんて自分には関係ないという人もいるでしょうし、そのように考えるのは個人の自由です。また私は、体験至上主義という考え方が必ずしも悪いとは思っていません。

なぜなら、人間は読書という体験も含めて、やはり体験からしか学べないからです。いうなれば、私にとっての読書というのは、他者との邂逅であり会話そのものだということです。

一人の人間が一生のあいだに実体験できることには限りがあります。ですから、人生における体験を拡張するためのツールとして読書を使うことができれば、一生の間に体験できる世界は格段に、いや無限に広がっていくのではないでしょうか。

このように考えると、本を読まないというのはとてももったいないことです。まったく本を読まない人がいても構いませんが、もし「本は読んだほうがよいですか?」と聞かれたら、やはり「読んだほうがよいと思いますよ」というのが、私の答えになります。

(P44より引用)

第1章 人生を変える読書

ここまででなぜ読書をするのか、読書をしたほうがいいのか、どういった本を読めばいいのかについて触れてきました。お気づきでしょうか、まだ読書が始まっていないのです。この記事の文字数ももうすぐ5000文字を超えようとしていますが、ここからやっと読書が始まります。

人間は「体験」と「学習」が積み重ねられた存在

私は、人間という存在は、持って生まれたデフォルトの心身の状態に、環境を含めた多くの「体験」と「学習」が積み重ねられて形づくられる作品のようなものだと考えています。

(P48より引用)

人間というものは、遺伝やその人がもともと持っている素質にも大きく関わりますが、+αで得られる体験と学習も大きく関係しているということですね。たとえ音楽のずば抜けた才能を持っていなくても、音楽に触れることがなければ、それは気が付かれることなく散っていくことになります。音楽に触れて、練習することで、その人が音楽の才能を開花させていくことができるのです。こういった体験や学習が、先ほども述べたように「読書」を通してできることができるのですね。

もし、自分のいま住んでいる世界から、より広い世界に向かって生きていきたいと願うのであれば、読書によって自分の「体験」を拡張し、いま自分が住んでいる世界よりも高い次元から世の中を見る視点が必要不可欠になります。

(P51より引用)

よりよい暮らしを目指すようになり、地産地消であったり、そういったことに目を向ければ向けるほど、狭い世界で生きていくことがいかに難しいかがわかります。やはり印象的なのはCOVID-19でしょうか。瞬く間に世界中に広がり猛威を振るったことは、まだまだ記憶に新しく、過去のこととは到底言えません。

しかも、ウイルスだけでなく、いったんグローバルにつながった経済活動がさまざまな形で分断されたことで、食料や資材の調達、そして物価の高騰へと次々と波及していく様は、人間にとってもはや閉じた経済圏だけで生きていくのは難しいのではないかと思わせるのに充分な出来事でした。

(P53より引用)

本書にもこうある通り、私は狭い世界で生きるからいいんだー!と楽観的なことを言えるうちはいいのですけれど、いつ日本に戦争の火種が向くかもわかりませんし、流行り病であったり、震災であったり、迫るつもりはありませんけれど、そうそう楽観的でもいられないのだよというのが正直なところではないでしょうか。そしてこの不安定になりゆく今だからこそ、内なる自分について考えたり、知識をつけることの重要性があがっているのだと思います。

読書とは「自分が何を望むのか」を明らかにする作業

固有の問題を自分の力で超えていくために、手段のひとつとして人は本を手に取ります。そのために読書する人からは、「どんな本を読んだらよいですか?」という質問は生まれようがありません。

つまり、読書とは「自分で自分をつくっていく」ことであり、「自分が何を望んでいるのか?」を明瞭にするための作業に他ならないのです。

自分の身に降りかかった問題に向き合うときに、「どうして自分はこんなにひどい目に遭うのだろうか?」と嘆くだけではなく、いま自分が置かれている状況に対して、自分はどう振る舞うべきなのかを考えるということです。

(P72より引用)

まじめな方は、「自分が何を望んでいるかなんて急に聞かれても…」と困惑するかもしれませんが、「おいしいものが好き」「ファッションが好き」「ゲームが酢k」という程度のことで構いません。あるいは逆に、「飲み会は嫌い」「SNSはあまり好きじゃない」というように、なにかしら自分について考えるための取っ掛かりなどがあるはずで、そこを起点にしてください。

(P73より引用)

実際に「内なる自分」を探すために本を読もう!と思っても何から読めばいいかわかりませんよね。別に「人間はどこからきたのか」みたいな哲学書医学書を読み込む必要はありません。まず自分って何が好きだろう、嫌いだろうというところからでいいのです。少しずつ自分の輪郭線を濃くしていくように本を選べばいいのではないでしょうか。

人間の精神的三大欲求

しばしば、人間の三大欲求として、「食欲」「睡眠欲」「性欲」が言及されます。これらは肉体に起因するものですが、これに対して、私は、人間を人間たらしめている精神的な欲求というのは、「知りたい」「自由になりたい」「幸せになりたい」という三つではないかと考えています。

(P74-75より引用)

人間には「知りたい」という欲求があります。これは人間が太古の昔に自らの命を守るために必要だったものですよね。暗闇の先に一体何があるのか、この川の向こうには何がいるのか、どこにいけば食べ物にありつけるのか、そういった情報は自分の命だけでなく、群れ全体の命に関わりますから。そして、弾圧から解放されたい「自由になりたい」という欲求があり、「幸せになりたい」という欲求がある。これは本当にその通りで、歴史からみてもそうなのだろうなと思います。

習作を描くように一冊一冊を読んでいく

「自分で自分をつくっていく」読書は、当然ながら一朝一夕には成しえません。

(P83より引用)

素人が何かをしようとして、それを出た何処勝負でこなせるほど世の中は甘くはありません。ビギナーズラックというものもあるかもしれませんが、それを維持し続けることは難しいでしょう。少しずつ練習を重ねて、ようやく自分の技術になっていくのです。

読書についても同じで、一足飛びに何かの答えを求めても意味がありません。考えてもわからないことはたくさnありますが、それでも考えるのをあきらめないことが必要なのです。

幸せになるために本を読むといっても、まず自分にとっての「幸せ」が何なのかを考え、本によって疑似体験し、それを感じていかなければ、深いところに到達できません。

いわば、自分の人生の習作をひとつずつ描いていくのが、今日の一冊の読書なのです。ときには習作がうまくいかなかったように、「これはダメだったな」という本を手に取ることもあります。でも、そんな体験があるからこそ、次の本を選ぶ選択眼が磨かれていくのです。

人間は、体験の積み重ねで成り立っています。瞬間、瞬間の選択があなたおいう人間をつくっていくからこそ、「どんな本を読むか」「どの本を選ぶのか」という選択が、非常に重要なのです。

(P86より引用)

ではいったいどんな本を読めばいいのでしょうか?

これが本の不思議なところで、書かれている内容はまったく同じなのに、読む人の姿勢や心持ち、置かれている環境などが変わることで、本の持つ意味がまったく変わってくるのです。

たとえば、以前の私のように、試験のために本を読むというのは、ある意味では「人から評価してもらう」にはどうしたらよいかを考え、そのために一生懸命本を読むということです。つまり、「自分が何をしたいか」に思いが至っていません。

でも、他人のことはどうでもよいから、「自分はどう思っているんだ?」と考え、そこに焦点を当てて本を読み始めると、本の読み方がまったく変わってきます。「この本を読みなさい」と言われて読む本と、自分の心のアンテナに引っかかって、「この本、おもしろそうだ」と感じて読む本とでは、まったく別の体験なのです。出会いのタイミングも重要な要素です。

(P106-107より引用)

自分にとってどんな本が刺さるのかは、その時の自分の知識量や環境で大きく変わってきます。ただどちらにせよ、主観的に本を読むというのは非常に重要なことなのではないかと思います。

第一章ではどのような本をどのように読むのかなど、具体的に書かれていて、どこもかしこも参考になります。

第2章 生きるための読書

自分の外に対する普遍的かつ根源的な疑問

人間の普遍的かつ根源的な疑問を大きく分けると、「自分の外に対する疑問」と「自分のうちに対する疑問」だと考えることができます。

(P110より引用)

「自分の外に対する疑問」と「自分の内に対する疑問」を、読書を通じて考えていくと、どのような事柄についても、「本当にそれについて断定的に言えるのか?」という問題に行き当たります。そして、ものごとを知れば知るほど、私たちは必然的に謙虚になっていかざるをえないのです。

ソクラテスは、知恵者といわれる人物との対話を通じて、自分が無知であることを自覚している点で、自分は知恵者より優れていると考えました。

その後、このエピソードは「無知の知」と呼ばれるようになりましたが、このように、知れば知るほど、学べば学ぶほど、自分の無知を思い知らされて、自信がなくなってしまうのは当たり前のことなのです。

(P116-117より引用)

では、自信を失わないためには学ばないほうがよいのかというと、もちろんそうではありません。人は学べば学ぶほど自信を失う反面、学べば学ぶほどそんな自信のなさに対して、自分なりに対峙していく精神力や覚悟を身につけていくからです。

自分が何もわかっていないことの気持ち悪さに耐えて、足元がグラグラしていても一歩一歩前へと進んでいく芯の強さを養うこと。これこそが教養を身に着ける意味なのではないでしょうか。

(P119より引用)

自分は無知であることを自覚しているんだー!と自慢するわけではないのですけれど、本当に自分は無知であるなぁと日々思います。教養もありませんし、そもそも学校できちんと勉学を受けていませんので…。いやはや、授業中というものは絵を描く時間かもしくは寝る時間でしたので…。お恥ずかしい限りです。

そんな私ですので、自分が何も知らないということは痛感しております。ただここで問題がひとつあって、自分は無知であるからと謙虚になるひともいれば、開き直るひともいるんですよね。どちらかに良し悪しがあるわけではありませんが、私個人としては開き直らずに学びを深めていけたらなぁと思うわけで。

でも本を読めば読むほど、知らないことが増えます。わかりやすいところでいうと、知らない単語は多いですし、本書では現代資本主義社会という言葉が度々出てきますが、資本主義社会について表層部分の知識すら大変少ない私です。ちょっと読んではGoogle検索をして…また読んでを繰り返すのでなかなか先に進みません。それでも、続けていくことで教養と知識が深まっていけばいいなあと思います。

教養をどのように解釈するかは人それぞれで構いませんが、そのように教養を自分とは離れた対象物としてとらえている限りは、自分の人生と結びつけて考え、自らの血肉としていくことはできません。

私なりに考える教養の本質というのは、自分をとらえている「枠組み」をしっかりと認識したうえで、より高い次元からのメタ思考ができることです。

つまり、自分がとらわれている環境的な制約、自分をとらえている既成概念などの指向の限界を超えて、より高い次元から社会や自分を見つめ直すことができる能力のことです。そして、この能力を身につけるには、一定程度のまとまった知識と、そのうえに構築された世界観や人生観が必要になります。

(P123-124より引用)

自分はこのように考えるという枠組みがわかっていれば、そうではない考え方を理解することもできるようになります。枠組みを理解していれば、それに対して順応であることも、あえて外れていきることもできる。

私ってこれでいいんだろうか?と思うのであれば、読書して考えてみようねというお話ですね。

よもやま話

4章まである本書のうち、2章までを紹介いたしました。今回綴った内容は本当に上澄み部分だけで、本書はもっと濃い内容が詰まっています。

3章『好きから始める読書』では、実際の本の読み方について記されています。多読であったり、本の選び方であったり、具体的な本の読み方について記されていて参考になります。4章『対話としての読書』もとても興味深いないようでした。

生まれ持った「知りたい」という気持ちと丁寧に向き合い、特定の枠組みにとらわれない、自らの基軸を持った人間になること。そのようなときに、読書は自分を解放してくれるひとつのきっかけになるとお伝えしてきました。

(P224-225より引用)

特定の枠組みにとらわれなくなること、自由な発想や生き方を獲得していくこと、その中で自分なりの基軸を確立すること、これこそが読書の価値なのです。

読書は著者との対話であると同時に、それを踏まえた自分との対話であり、さらには自分を取り巻く社会との交流でもあります。

(P228より引用)

ここでは深く触れませんけれど、私が今の暮らし方の根幹ともいえるミニマリスト的な生き方は図書館で出会った1冊の本から始まりました。それまでの私は、いわゆる汚部屋人間で、片付けができなくて、生活も乱れに乱れていました。それを変える転機となったのが、本でした。

「読書をしなければ、この先生きていくことはできませんよ!」とは思いませんけれど、何か新しいものに触れることで変わることもあります。幸せに近づくきっかけが1冊の本かもしれません。だから、読んでみるといいことあるかもよ、というのが私のスタンスなのかなと思います。普段から本に触れている方も、そうでない方も、お手に本をとってみるきっかけに少しでもなれたら幸いですね❀