SIMPLE

シンプリストになりたいのです

本・女子的生活

以前、『和菓子のアン』という小説を拝読し、その軽やかなタッチが大変気に入った坂木司さん。これは新しい好きな作家さんに追加だな、と思いつつも、この1シリーズだけで決めるではなく、他にも読みたいなと思いまして。

そんなわけで、坂木司さんの『女子的生活』という小説を拝読いたしました。あらすじをネタバレ交えて綴っていきたいと思います。

女子的生活のあらすじ

おしゃれして、好きなインテリアで部屋を飾って、(ブラックだけど)アパレル勤務♡

みきは憧れの〈女子的生活〉を謳歌していたが、ある日、マンションの部屋の前に不審な男が。「あの、ここに小川って奴が住んでるって聞いたんですけど」

マウンティング、モラハラ毒親。次々現れる強敵に、オリジナルな方法でタフに立ち向かうみき。

読めば元気が湧いてくる痛快ガールズ・ストーリー。

(裏表紙より引用)

ネタバレ交えたあらすじ

みきは大好きなミュージシャンの曲で毎朝目を覚まします。アッパー系の音楽に合わせて身支度をこなして、朝食は量り売りのシリアル。まるでお菓子のようなアップルシナモンのシリアルにヨーグルトやバナナを追加して、乙女のお腹を満たします。フレアタイプのショーパンに、エアリーな素材のブラウス、ちょっと辛いテイストを入れるためにカーキの七分袖のジャケットで引き締めて…。メイクもばっちり、ちょっと太めのヒールをはいて、鏡の前で全身チェック。これでふわふわ女子の出来上がり。

”共通の趣味”を通して出会った ともちゃんと意気投合して、はじめたルームシェア。夢の東京ライフ。2LDKの部屋には大好きなインテリアに囲まれた素敵な世界。まるで気分はニューヨーカー。けれど、そこにみきは今一人で住んでいます。ともちゃんに恋人ができたのはつい最近のお話。恋人と同居することになったともちゃんは部屋を出ていくことになったのです。2人でならちょうどよかった部屋の広さも、家賃も、一人であればそうとも言えません。みきはどうしようかと悩んでいました。

そんなある日、帰宅したマンションの廊下に男性がうずくまっているのが見えました。しかもみきの住む部屋の前に。おそるおそる声をかけてみると、男性は慌てて顔をあげ、立ち上がって言いました。

「あの、ここに小川って奴が住んでるって聞いたんですけど――」

(P18より引用) 

そして みきは男性が高校生の時の同級生である後藤であることに気が付きました。話を聞いてみると、後藤は付き合っていた彼女の借金によって一文無しになり、挙句彼女は逃走してしまって、行く当てがなく困り果てた末にここへやってきたのでした。みきは一度は断りますが、いつまでも扉の前に居座る後藤に、ため息をつきながらも家に招き入れ、夕食をとりながら話をすることにします。そこでふと、後藤は何かに気が付きました。

「いやその、え?」

混乱した表情で、後藤は私の顔を見つめた。手にはまだ、コロッケサンドを持っている。私はそんな彼を尻目に発泡酒を飲み、再び唇を親指で拭った。

「――それ!」

コロッケサンドを持っていない方の手で、後藤が私を指さす。

「はい?」

「それ――見たことある」

疑問、否定。再び疑問、そして再びの否定。困惑。逡巡、後藤の表情は、面白いように変わる。まあ、よくあることだ。ていうか、もう慣れた。

私はその顔面イリュージョンが終わるのを、ただじっと待つ。そしてショーを終えた後藤が、かすれた声で問いかけた。

「……小川?」

「はい?」

私は、後藤に向かってにっこり笑う。ようやくたどりついたな。

「……小川、幹生?」

はい。「みき」こと、小川幹生です。

(P26-27より引用)

みきはセクシャルマイノリティで、体は男性ですが心は女性のトランスジェンダー。そして恋愛の対象となるのは女性。

「わかりやすく言うと、私は女の子になって女の子とカップルになりたいの」

(P28より引用)

「まあ、身体はいつかどうにかしたいけど、手術するにはお金も必要だし。ていうか、手術するほど方向性が定まってないっていうか」

正直、これは私にもまだわからない。なぜなら私は、男の身体を嫌悪しているわけではないからだ。

(P28-29より引用)

この他、自分がいつ頃性別不和を覚えたのか、家族や職場にカミングアウトをすでにしていることなどを二人は話します。そのまま後藤は一泊し、翌朝それぞれ職場に向かいます。

これでおしまいかと思いきや、その夜再び、部屋の前には後藤の姿がありました。もともと ともちゃん が使っている部屋を自分に住まわせてほしいというのです。そしてなんだかんだで、そのまま2人の変わったルームシェアが始まるのでした。

 

1章のあらすじをざっくりと紹介してみました。2章以降は2人の新たな生活についてや、職場でのトラブルや人間関係など様々なアクシデント。それらに みきがどう立ち向かっていくのか…という物語です。

みどころ

ここからは個人的に好きなシーンを抜粋していきたいと思います。

いい時代になったんだろうな、とたまに思う。

だってちょっと前だったら、私みたいな人間は普通に就職できなかったもんね。そしたらありがちだけど水商売に走るか、自分を否定しながら「男」の顔をして生きるしかない。

でも今は思いっきり不況で、会社が気にするのは性の指向よりも賃金と労働力。だから私は、ブラック企業が溢れてる今が大好き。ある意味、すごくフラットだなって気がする。あ、「平等」だとは思わないけどね。

そりゃね、本当は健康的な感じで差別されなくなるのがいいに決まってる。でも、それがかなりの確率で絵空事だってこともわかるし。だったら、やり方次第でなんとかなる今って、結構いいんじゃないかなって思う。

スタートラインが底の方に落ちてきてくれたおかげで、私はそれなりに平等な位置からスタートできた気がする。

(P63-64より引用)

スタートラインのたとえ話を最近聞いたんです。どなたの話なのかもわかりませんがTikTokでたまたま流れてきたのを聞いただけです。

学校の体育の授業で”かけっこ”ってありましたよね。あれをイメージしてください。かけっこでは、皆で一列にスタートラインに並んで、よーいどんで走り出しゴールを目指します。しかし走り出す直前に、先生があることを言います。「毎日、両親とごはんを食べていた人は一歩前に」「塾に通っている人はもう一歩前に」「小さいころからPCやスマホに触れていた人はもう一歩前に」そうすると、最終的にはそれぞれのスタートラインはことなってくる。平等である、公平であるといったことはあり得ないんだ、みたいなお話。

ふと読んでいたら、その話を思い出しまして。みきの立場からすると、スタートラインは底辺。むしろ後ろに下がっている…みたいなことなのかなって思ったんです。「トランスジェンダーの人は一歩後ろに」「レズビアンの人は一歩後ろに」って、そんな言葉を言われているようで辛いシーンでした。みきの言う通り、健康的な感じでスタートラインが揃っていくのが理想ですけれど、現実はそうではありませんよね。難しいなぁ。

自分が、どういうジャンルにいるのかはわからない。

女の子になって、女の子と愛し合うのが理想だけれど、かといって股間のものを憎んでいるというほどでもない。できたら、女の子のものの方がいいなあ、というレベル。

いつか手術して、と思うこともあるけど、それもなんとなく思い切れない。だってこのままでも、私はそこそこ幸せだから。

(それについたままだったら、いつか好きになった女の子との間に、子供だって作れるわけだし)

普通の男の顔をして、偽装結婚だってできる。その可能性を考えると、今のままでいいような気もしてる。

宙ぶらりん。ゲイやレズになりきれなくて、でもヘテロでもない、半端物。この先どうやって生きていくのか、これっぽっちもわからない。お手本になる人もいない。それにそもそも、歳をとっても女子っぽくいられるかがわからない。

わからないことしかない。でも、それなら楽しまなきゃ損。

(P84-85より引用)

後半の宙ぶらりんからの文章がとても考えさせられました。何者にもなれない自分への葛藤。今の私の環境とちょっと似ていて、全然レベルが違うよ!って怒られてしまいそうですけれど、わかるわ なんて思ってしまいました。

「こいつはね、化け物を期待してここに来たんだよ。女になりたくて、女のなりそこないになってるような奴を見て、笑いに来たんだよ」

だって性の問題なんて、最高にジョーカーでしょ。なにをどう頑張っても「でも、あいつオカマなんだぜ」で片づけられるような、スペシャルなトッピング。

「自分より下に見て、貶めても大丈夫な相手だから会いたかった。そうだよね?」

高山田は、ぐっと言葉に詰まったような表情をする。

「でも私が案外ちゃんとした見た目だったから、くやしくなったんでしょ。だからほかの部分で、なんとかして下にしようとしてた」

学歴。仕事。恋人の有無。性生活。踏み込んで、位置する場所を知って、自分と比べた。でもどれも無理だったから、一番特徴的なところをバカにしてきた。

(P124より引用)

一昔…もう二昔くらいになるかもしれませんけれど。男性が女性の恰好をしてTVにでていると「オネエ」とまるでバカにしてネタにするという風潮がありました。ちょっとしたブームになっていたようにさえ思います。

セーラームーンカードキャプターさくらを見て育った私は、男性が女性の恰好をしているとか、逆もしかりですけど、全然違和感はなかったんですね。むしろちょっとした憧れすらありました。

当事者の方からしたら、化け物扱いされるのも、私のように憧れ、ある意味神格化する。こういった目はどちらも迷惑極まりない行為だったのだろうなと反省しているのですけれど。

あと、こういったテーマを取り扱うときにいつも思うんですけれど、性に関してどうしてここまで開示しなければならないんだろうって。身体と心の性別がどうなのかくらいはわかります。けれどトランスジェンダーだからといって、どうして手術をしたのか…とか性生活をどうしているのか…とか、質問されるんだろう。というか、そういった質問をして良いと、許されると思うんだろうって。普通の会話で、絶対しないじゃないですか?それなのに、どうしてトランスジェンダーの方ならできてしまえるんだろう…って。そういうのも、差別的なんじゃないのかな…?と思ったりします。

「受け身って、なんだよ」

やっぱり自覚ないかあ。私は盛大にため息をつく。缶に残った発泡酒を口に運ぶと、ぬるくて気が抜けて飲めたもんじゃない。

「『なんとかして、かまってかまって』って声が丸聞こえなんだよ。しかもさ、してもらったらしてもらったで、どうとでも言えるじゃん」

「どうとでも――?」

「『俺はこんなつもりじゃなかった』からの、『お前がそうするから』ね。でもって最後に、『悪いのは俺じゃない』でフィニッシュ」

一事が万事、そうなんだろ?私の突っ込みに、ミニーさんはついに音をあげた。

「許してあげる、って言ったじゃねえか…」

今にも泣き出しそうな表情で、うなだれる。

「ああ、そうだっけ。ごめんごめん。ホントのことばっか言っちゃって」

だってこういうオトコって、放っておくとすごいテンプレルート辿るでしょ。

『俺がこうなったのは、親のせいだ。社会のせいだ。女のせいだ』

今、女子っぽい立ち位置になってすごく感じるのは、マジでこう思ってる男が案外多いってこと。実際ここまでひどくなくても、合コンとか飲み会の席でぽろりともれる本音に、私はうんざりしていた。

(P151より引用)

これはね、個人的には性別は関係ないと思うんです。私もそういった考えたかをしてしまう自分がときたま顔を出すんです。それで親や夫ともめてしまうこともあるんで、自戒をこめてね。

そこでふと、思う。もしかして私は、ミニーさんのこの「俺は肯定されるべきだ」って感じが、憎らしかったのかも。

〈肯定されない方ばっか、歩いてるからかなあ〉

ヘテロの男ってだけで、生きやすい部分はある。だって女子と話してて思うのは、「私は肯定されない」ってことだから。

派手な服着たらビッチ扱いで、地味な服にしたら非モテ扱い。仕事ができれば鼻につくって思われて、できなきゃただのダメ女。

「なんかもう、どっちに転んでも文句言われるからさ、『きー』ってなる!」

これはよく、かおりや仲村さんが言う台詞。

女子の押さえつけられ感と、男子の無意味な肯定感。どっちも不幸だし、どっちも幸せ。私には、縛ってもらえる安心も、そこまでの自信もない。目の前に広がるのは、茫然とした荒野だ。

どう歩いたらいいのかのロールモデルもなく、共に歩む人もいない。そこには、道がない。でも歩くしかない。そんな感じ。

なんかさ、ちょっと泣きそうでしょ?泣かないけどね。

(P158-159より引用)

男性はどうなのかわかりかねるのですけれど、女性のはなしとしてはとても理解できるわ…!と思ったフレーズ。昔、鞄屋でショップ店員をしていたことがあるんですけれど、そこでこういうことが求められたんですよね。

好きな服を着ていくと露出が多いとか、仕事場に遊びに来ているのかって言われるし、逆に落ち着いた格好をしていくと、接客業をする気があるのか、地味だって言われるし。どっちなんだよー!みたいな。真面目に仕事をして成果を出したら 可愛げがない子って言われるし、できないときは役立たずって言われる。

どんな世界にも、性別にも、あてはまることだと思いますけど、やっぱり「きー」ってなっちゃうよねぇって。

そこまで考えて、ふと振り返る。

(――男の自殺率、高いわけで)

だって絶対、女の方が面白いもん。

ゲームで言うなら、女子の人生はイベントが多くて敵も多くて、でも味方も多い。選択肢も多くて(服だってスカートとパンツと選べるしね)、道もたっくさん枝分かれしてて、なんか色々多彩。

それに対して、男子の人生はイベント少なめ。敵と味方の多さは同じかもしれないけど、選択肢が多そうで案外少ない。道は単純で歩きやすいけど、それってゲーム的にどうなの?っていう状態。

(P276より引用)

言われてみればそうだなぁと。

「ねえ。馬鹿みたいなこと、言っていい?」

かおりが、違うマンションを見上げていった。

「なに」

孤独死とか、怖いなって思う瞬間があるんだけど」

普段だったら、思いっきり笑うところ。でも、なんとなく、「うん」と答えた。

「わかってるんだよ。結婚したって、離婚することだってあるし、自分より先に相手が死ぬことの方が多いし、子供がいたって、間に合わなかったりってこともあるだろうし」

「うん」

「なのになんで、結婚したらオールクリア、みたいな気分にさせられるんだろうね?」

ムカつくよ、とかおりは吐き捨てるように言った。

「冷静に考えたら、そうじゃないことなんて、わかりきってる。なのに、なんか考えが刷り込まれてる」

言いながら、地団駄を踏むように歩く。

「私にそれを刷り込んだのは、誰?そいつを、叩きのめしてやりたい」

(P299より引用)

まるでクレヨンしんちゃんの野原一家みたいな生活が幸せな家庭だと、ロールモデルなのだとどこか信じて大人になった私。両親がたまに喧嘩しつつも仲が良くて、子ども2人いて、ペットがいて、庭付きの戸建てに住んでいて。もちろん一家の大黒柱はお父さんで、お母さんは専業主婦で。そんな生活が幸せなんだ、あぁならなければいけないんだと思っていました。

今は少し変わって、そういった幸せもあるけれど、そうじゃないからといって幸せになれないわけじゃない。どちらも幸せな面と不幸せな面があって、どっちがいいというはなしじゃないって思えるようにはなりました。結局オールクリアになんて、ならないんですよね、結婚しても。

私たち夫婦は、子どもを産まないという選択をしました。夫婦間で話し合って決めました、子どもは産まないと。体質的に産めないというわけではありません。不妊治療などをして子どもを産みたいと思う方々が多くいるなかで、少子化と問題視される世の中で、私たちは産まないという選択をする。それに罪悪感といっていいのか、よくわかりませんが、板挟みのような、葛藤のような思いが今も纏わりついています。でも、それでも子を産みたいと思えないのです。

結婚したらオールクリア、あとは幸せな人生なんてそんなことはなくて、結婚したら次は子ども…みたいな。まるできちんとタスクをこなせていませんよ!って怒られているみたいな感覚。わかりきっていることなのに、時たま辛くなってしまうんです。だから、かおりの言葉はすごい刺さりました。

よもやま話

この小説は2016年頃に出版されたそうで。今でこそLGBTQIA+といった言葉が当たり前になりましたけれど、今と当時では認識にズレはあるように感じます。それを理解した上で、読み進めた方がいいかと思います。

引用してきたところが女性よりの意見に偏っていますけれど、もちろん男性へのフォローがある部分もありますし、なんなら女性の醜い部分をさらけ出している部分も多々あります。でもやっぱり、男と女できっかりと別れているというか、そんな雰囲気を感じました。なんとなく、どことなく、今とは違う、そんな感じ。今はもっと細分化されていて、黒と白と灰色だけじゃなくて、黒から白にグラデーションされていて、そのどこに属するのかというのも一定じゃない。そんな感じでとらえています。

それでも読んでいると面白いなと思うところが多かったです。みきの毒舌っぷりと、痛快にいろいろと解決(?)していくところが、かっこいいな、美しいなってわくわくとさせてくれました。

ちなみに2018年に志尊淳さんがみき役でドラマ化されているようで、そういえば広告をみたなと薄ぼんやり覚えています。TVを見ませんので、実際には拝見していないのですけれど。お写真を拝見したところ、本当にお美しくって。小説を読んでいるときに想像した通りのみきのイメージでしたのでびっくりしました。機会があればドラマ版も見てみたいな。

女子的生活は続編があってもいい感じに終わっているのですけれど、まだ出ていない(?)ようです。もしでるなら、そちらも楽しみたいと思います。

はてさて、次は何を読みましょうかねぇ。読む本がたまっておりますよー