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シンプリストになりたいのです

読書・映画を早送りで観る人たち

映像コンテンツを観るための サブスクは何を契約していますか?この会話、きっと10年前では通じなかったと思います。

現在ではNetflixやDisney+などの様々な動画配信サービスでたくさんの映画・ドラマ・アニメが配信され、さらに雑誌や本の読み放題プランなども存在します。そのおかげで常に何かしらのコンテンツに誰もが触れることができる環境になったように思います。

私は映画マニアなわけでもありませんし、読書家なわけでもありません。人並み程度かそれ以下でしょう。そんな私でも最近、ふと違和感のようなものを感じることがありました。その違和感について、この本を紹介したいと思います。

「映画を早送りで観る人たち」著:稲田豊

本書について

いつの間にか当たり前のように実装されていたNetflixの倍速設定や、Amazon Prime Videoの10秒送り機能。使用したことはありますでしょうか?本書によると2021年の調査では20代で54%、30代で35%、40代で31%、50代でも35%もの人が、普段から倍速で視聴していたり、少なくとも倍速で視聴した経験があるということですので、別段珍しいことではなくなっていると感じます。何故そのような視聴方法をする人がいるのでしょうか。そしてどのように考えているのでしょうか。その内的・外的要因について深堀されています。今回はその中でも1章・2章について綴ろうと思う。

早送りする人たち

そもそも早送りで視聴している人たちはどのようにして作品と触れ合っているのでしょうか。いくつかパターンがあるようです。

例えばアニメ作品でも1クール全てみるとなるとかなりの時間がかかります。しかし、世間で人気がある・話題性が高いとなると見ないわけにはいきません。時間のない日々で、まだ好きではないアニメのために数時間捻出するのは難しいですよね。ならば倍速再生で観ればいいということです。これが上級者になると、話を丸ごと飛ばして、最初と終わりだけ倍速で観る、そして間はWikipediaや解説、ネタバレサイトで補完する。このシーンが良かった!という口コミがあればその主要シーンだけを等倍で確認する、そんな感じだそうです。

また推しが出演している映像作品を観る場合、推しが出ていないシーンはぶっちゃけどうでもいいと思うこともあります。そうであれば、推しが出ているシーンだけ等倍でみてあとは倍速でみてしまうという方法もあるようです。

さらにアクション映画など「ここが観たい」という映画では、淡々と日常会話をしているシーンなんかはストーリーには関係がないとスッパリと飛ばしてしまうのだそうです。

要するに必要とするシーンだけを見ているということですね。まるで懐石料理の美味しいところだけをかいつまんで食べるようだと私は思いました。

では何故そのような視聴方法を選択するのでしょうか。

・「観たい」ではなく「知りたい」

・タイパが悪い

・ラストを知ってから安心してみたい、理解しながらみたい

・また見ればいい

このような理由が挙げられていました。簡単に触れていきましょう。

「観たい」ではなく「知りたい」とは。

私たちは現在、常にだれかと繋がっている状態を維持できるようになりました。SNSは24時間更新され、LINEで常にだれかと連絡がとれるようになりました。それらには基本的に料金は発生しません。私がまだ学生だった十数年前はまだ主流がメールでしたから、グループでつながるということもなく、またメールには既読機能がありませんから既読スルーが問題になることもありませんでした。しかし今はどうでしょう。学校から帰宅してもスマートフォン上で学校でのコミュニティが継続し、勉強していても、何をしていても離脱できない状況。これが様々な年代の方にあるのだとしたら…ママ友たちの間のLINEグループ、趣味、会社、親戚…今や我々は常に「人と人とのネットワーク」を複数所持した状態で行動するようになりました。

その中で話題になる映画やドラマ。話題にあがったものを観ないわけにはいきません。だって、それが主たる会話となっているのであれば、その会話に入れない状況は避けたいでしょう。

ここで本書から少し離れたお話をしますが、よく「承認欲求」という言葉を耳にしますね。「いいね」が欲しくて過剰に演出した自分を取り繕うとか、誰かに認められたくて努力することを よくそう言います。私にはこれは生存本能だと思っています。人間にはそもそも「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」という本能があり、それらが自分を守る本能として機能しています。この「生きたい」「仲間になりたい」のために「私はこんな暮らしができるくらい有能ですよ」「仲間にしないと損ですよ!」とあらわれるのではないでしょうか。自分を仲間に入れてもらうため、それは生きるため ですもの、そりゃ必死にもなります。そして「仲間になれない状態」は命に係わる問題ということになります。疎外されては生きていけないのです。それは避けたい。先ほどお話した、話題にあがる映画やドラマを観るという心の根底にはこんなふうな気持ちもあるのではないかと推測しています。

ですからそういった作品に対して純粋に「観たい」という感情だけではなく、会話に入るために「知っておきたい」という感情があっても不思議ではないのではないでしょうか。そしてコミュニティの数だけ「知っておきたい」が存在したとしたら…。いったい何本の作品に目を通すことになるのでしょうか。

ちなみに本書の中では純粋に「観たい 作品」と「知りたい コンテンツ」という分け方をされているのも非常に興味深かったです。

タイパが悪い

タイパとはタイムパフォーマンスの略(タムパとも)で時間帯効果ということです。タイパが悪いということは時間を無駄にしたということですし、タイパが良いということは逆に時間を有効活用できたと解釈しています。

あえて年齢に触れずに話しますが、現代の人類の生活はかつての暮らしよりずっと忙しくなりました。縄文人は1日の労働時間は4時間だったのに対し、現代ではどうでしょうか。会社勤めの方であれば8時間労働+1時間休憩+通勤時間+さらに残業。学生の方でしたら学業にプラスしてアルバイトをしていたり、試験勉強をしていたりとで1日の中でも多くの時間を要しているはずです。そこから睡眠や食事、風呂などの身だしなみの時間を抜くといったいどれくらいの時間が残るでしょう。むしろマイナスだよっ!という方が多いのではないでしょうか。そんな中で、映画やドラマ、アニメを観る…となるとやはり時間が足りません。映画であれば大体120分。アニメであれば1話24分 OP・EDを抜いて20~21分くらい。最近はワンクールの話数も減っているように思いますが、とりあえずワンクール13話として260~270分前後、4時間半~5時間くらい要することになります。ドラマは見ないのでよくわかりませんが、アニメのワンクールより少し多い時間を要するのでしょうか。

さてここで、「知りたいだけのコンテンツ」にそこまで費やすことができますか?ということです。できれば短くしたいし、なんならOP・EDとかクレジットは端折りたいし、前回の振り返りシーンとか総集編とかも飛ばしたい!そう思うのは自然な流れではないかと思います。それに「知りたいだけのコンテンツ」は1作品だけとは限らないのですから、タイパよくこなしていく必要があるのでしょう。

さらに話題には旬があります。現行コンテンツは今しか話題に上がらないのです。そのたった数か月の話題の為に、いったいどれくらいの時間を準備することができるでしょうか?

ラストを知ってから観たい

昨今のアニメタイトルを見ていると、これはラノベのアニメ化だなと解るような作品が数多くあります。所謂、異世界転生ものというか、悪役令嬢ものとか、俺TUEEEE!みたいな作品が多いですよね。こういう作品、私も結構観ています。ボーっとみるのにちょうどいいのですよね。誰かが死んでしまうことも、傷ついていることも殆どないし、最後はハッピーエンドなのがわかりきっているから どうなるんだろう??みたいなハラハラもないです。心をすり減らすことなく観ることができる作品、ノンストレスな作品が増えてきているように思います。

同様にネタバレサイトが以前よりメジャーになったように思います。以前なら 倒叙ものでもないのにミステリー小説の犯人を調べてから小説を読むなんてナンセンスだ!なんて叩かれてしまいそうです。ですが、最近はグーグル検索をする際にタイトルをいれるとサジェストの2つか3つ目には「ネタバレ」があることが多いです。そのことからも、ネタバレを探すということが、当たり前になったのではないかと思います。

本書ではラストを知ってから安心してみたい学生と、犯人がわかった状態で理解しながらみたいという学生の意見について触れられています。後者は特にタイパを意識する人々であれば当然かと思います。「知っておきたいコンテンツ」を視聴するのは1回におさめたいはず。作品の中にいくつもおかれた伏線を回収しながら観るというよりは、予めこれがフラグなのだと理解した上でそれを見逃さない様に観る方がタイパはいいでしょうから。

また見ればいい

折角観るのにきちんと観ないなんてもったいない!という意見に対して「本当にみたければ、またちゃんとみればいい」という意見があります。さまざまな動画配信サービスでは、その作品の公開が終了しない限りいつでも何度でも観ることが可能です。それはまた見直すことが容易な環境になったといえるでしょう。しかし作品へのアクセスがしやすくなった半面、作品の重みが減ってしまったといえるのです。いつでも好きなように観れるという環境は、悪く言うと1回1回を適当に観ても問題なくなるということでもあります。「あのシーンよかったよね」と言われれば、そこだけをまた見ればいい。そういうことができる時代になったのだなぁとしみじみしました。

良い面では好きなシーンだけをリピート再生できるということでもあります。このシーンの推しが堪らなく良いとか、ここからここの流れが好き!みたいな「ここ」だけを何度もみることができます。まるでYoutubeの切り抜きのように、映画も良いところだけ切り取って繰り返しみることができるのです。私もお気に入りのYoutubeチャンネルをラジオ感覚で流す際はながら聞きをすることが多いですし、新しい作品をみるのには体力がいりますので、同じものを何度も観ています。この何度も観れるっていうのは、個人的には有難い機能だと思いますね。

セリフで全部説明してほしい人たち

ここで冒頭にお話した違和感とは何であったのかを綴ろうと思います。

私は別段アニメに詳しいわけではありません。好きな漫画のアニメ化であったり、このキャストなら見てみたいな…と思ったものを観るくらいですので、1クールの間でみるアニメ作品は3作品くらいでしょうか。そんな私でも思うのが、「説明台詞が多いな」ということ。

例えばツンデレなキャラが好きな人からのプレゼントに喜ぶシーンがあるとします。プレゼントに対して頬を赤らめながらも素っ気ない口ぶりで「ありがとう」と伝える。それだけで、あぁ照れているのだなとか ツンデレで喜んでいるのを上手く表現できないんだなとか、こちらはなんとなく察します。行間を読みます。しかし昨今のアニメではそこに心の声で「嬉しいっ!けれど恥ずかしくって素直に伝えられない!」みたいな心の声がすぐに追いかけてくるのです。ツンデレであれば必ず「本心」の解説がすぐに入るし、相手が好きであれば「好きっ!」とモノローグが必ず入るのです。これこそが違和感だったのです。

どのアニメを観ていても、まるで「名探偵コナン」を見ているような気分です。コナン君は犯人の手がかりをみつけると背景に一本の糸がキュピーンッと光り、そして「わかったぞ!」と心の中でつぶやくのです。それが悪いという話ではありません。ただただ違和感だったのです。これにはどういった背景があるのでしょうか。

解りやすいものが素晴らしい世の中

TwitterTikTokといった情報発信ツールはどんどん「短く」になりました。長々と文章を綴るのではなく、端的に解りやすく要点だけを伝える。長い動画ではなく、ショートムービーで楽しいところだけ見せる。しかもそれが刺激的であればなお良い。それが現在では当たり前の情報発信になっています。短い尺に情報を詰め込むのには限度があります。必然的に情報は「短く」「解りやすく」なるのです。そしてそういったものが礼賛される世の中に現在なっているということです。

そう考えると台詞が多いのも納得がいきます。今現在は自分で情報を保管して楽しむことが楽しさの主流ではなく、誰にとっても解りやすいツールが主流というわけですから。

さらにここで倍速再生の話ですが、倍速再生をしても楽しむためには映像ではなく字幕などの情報を追うことがメインとなります。台詞やモノローグがあることで、倍速で飛ばされてしまった間合いであったりが補完されるわけですから、殊更解りやすいものが求められるということですね。

解らないが通用する世の中

SNSで思ったことを簡単に発信できるようになったことで、作品に対する感想も簡単に発信することができるようになりました。それは 面白かった、ここが感動したという意見だけでは当然ありません。つまらなかったとか、ここはおかしいだろうというような批判的意見もあります。そしてその中には「よく意味がわからなかった、だからつまらない」という意見も多く発信されるようになりました。そういった意見が作者や制作陣の行動を制限するのです。先にも述べましたが、現代は「解りやすいツール」が礼賛される時代です。全てのコンテンツは商業作品ですから「わからないからつまらない」というクレームには対処しなければなりません。まるでポリコレ作品がすべての映画に配慮されていくように、どんどんと解りやすい作品がメジャーになっていくというわけです。

感想

ここ最近の私の中での違和感はこの1・2章であらかた方が付いたのでこのあたりで感想にうつりたいと思います。

私自身は映画やアニメの倍速視聴をあまりしない側の人間です。しかしながらYoutubeなどで情報収集をするときは切り抜き動画を探したり、料理動画を倍速視聴をすることも多々あります。読書でも1冊にとても時間がかかる私にはある程度その本にクオリティがあるのかの前調査も必要となります。ですから本要約チャンネルはよく見ていますし、それを参考に選書することも多々あります。映画でも、私は血肉が舞うような作品は体調が悪くなりますし、いじめや殺人なんかをテーマにした作品も精神的にダメージになるためいつでも見れるわけではありません。その作品が全体通して平和であるのかどうかの前調査は必須です。重めの映画であればエネルギーが満ち満ちているときにみる必要があります。これはメンタルを保つために重要なことですから、ネタバレを探したり、友人に聞いたりというのは私もできる状態であれば厭わないと思います。

私と倍速視聴する方々では「情報収集の対象となる範囲」が異なるだけで、やっている行動はさして変わらないように感じます。ですから、彼らの行動がナンセンスだ!とは思いません。若い方の方が倍速視聴をしている割合が多いとして、私は30代ですからる程度理解のあるケースバイケースだよね、と言える立場にいるのだと気が付きました。

また範囲が異なることで、求めているモノも異なっているのだと感じました。私が映画やアニメに求めているのは、その作品の楽しさや感動、そして学びです。要はその映画をみることで自分自身が豊かになることです。たとえば「彼らが本気で編むときは」という生田斗真さん主演映画があります。トランスジェンダーの方の苦悩を描いた映画に対してはやはり学びであったり、感動を求めて観ていました。ですから倍速視聴をしようとはなりません。ですが、これが情報収集であれば違っていたでしょう。トランスジェンダーの方の苦悩を拾うという情報収集であれば、倍速でも事足りるのかもしれません。さらに言えば「みた」という行為さえ必要であれば、尚更倍速で事足りるのです。

さらに他章でも興味深い内容がたくさん書かれていましたので、気になった方はぜひともお手に取ってみていただければと思います。

私自身、年齢の離れた方と接することは殆どありませんが、そういう「ジェネレーションギャップ」のようなものを理解しつつ、相手のことを理解できればと思います。