SIMPLE

シンプリストになりたいのです

本・かもめ食堂

先日みた映画「かもめ食堂」がとてもよかったので、原作小説もみてみたいなと思いまして。読了いたしましたので、それについて綴っていきたいと思います。

あらすじ

ヘルシンキの街角にある「かもめ食堂」。日本人女性のサチエが店主をつとめるその食堂の看板メニューは、彼女が心をこめて握る「おにぎり」。けれどもお客といえば、日本おたくの青年トンミひとり。ある日そこへ、訳あり気な日本人女性、ミドリとマサコがやってきて、店を手伝うことになり…。

(文庫本 裏表紙から引用)

映画と本の違い

小説を読了してみたところ、映画は原作を結構忠実に作られていることがわかります。おおまかなあらすじは同じですが、ところどころ異なる点もあり、そういった違いを見つけるのも面白かったです❀

(映画については↓こちらの記事で)

yu1-simplist.hatenablog.com

映画では各キャラクターの背景が少しぼかされている状態だったように思います。少し靄がかかったと表現すればいいのでしょうか、どこか全体に霞がかかっていて、掴み切れないそんな印象がありました。

サチエさんのお父さんはどうなったの?どうしてミドリさんは遠くへ行きたいと思ったの?マサコさんの不思議な雰囲気はどうして?

それらがわからなくても何ら問題なく続いていく、それこそが人間関係だと思うんです。だって、いくら友人だって何でもかんでも事細かに知っているわけではありませんから。だからちょっと離れたところで、まるで自分も少しずつ「かもめ食堂」の常連になっていくような、そんな感覚で楽しむことができました。

小説ではサチエさん、ミドリさんのバックグラウンドがしっかり描かれていて、なるほどと思うところも多々ありました。細かい分、感情移入しやすいという印象ですね。またマサコさんも映画ではかなりファンタジーなキャラクターになっていましたが、小説ではそういったことはなく、より地に足のついた女性という印象でした。どちらが良い・悪いというわけでなく、どちらも素敵です。

どちらも そうはならんやろ みたいな、悪く言うとご都合主義的なところもありましたけれど、これは物語のスパイスとして楽しむことができる範囲だと思います。

ところで、映画で個人的に素敵だなと思ったシーンが小説にはなく、ちょっとびっくりしました。「明日世界が終わるとしたら」の会話部分は結構メインテーマにつながると思っていたのですけれど、これは映画オリジナルだったのでしょうか、興味深いです。

小説で好きだったところ

ここからは小説のなかで、ここ良いなぁと思ったシーンを抜粋していきたいと思います。

彼女の父は古武道の達人で、幼いころから自分の道場に一人娘のサチエを連れていき、熱心に指導した。そこには世界各国から、武道を習得しようという、白い人、黒い人、黄色い人たちが集っていた。

道場の壁には、「人生すべて修行」という父の筆による書が掲げてあり、これは父の口癖でもあった。

(P10より引用)

映画でも武道に関することがちらっと出てきましたけれど、サチエさんの柔軟でありながらも芯がある性格っていうのはこの辺りから来ているのかなぁと思いまして。「人生すべて修行」って、まぁよく耳にする格言ですけれど、実際に体現されている方というのは、性別にかかわらずかっこいいなぁと思います。

遠足の日、お弁当を作らなければと起きたサチエは、台所で物音がしているのに気がついた。どうしたのかと行ってみると、ふだんは瓦を割ってみせたり、弟子たちを投げている父が、その手でおにぎりを作っていた。

「お父さん」

声をかけると、彼はびっくりしたように振り返り、

「いつも自分で作って自分で食べているんだろう。おにぎりは人に作ってもらったものを食べるのがいちばんうまいんだ」

大きな鮭、昆布、おかかのおにぎりを見せた。他には卵焼きも鶏の唐揚げも何もない。サチエはそれを遠足に持っていって食べた。他の子はお母さんが作ってくれた、華やかな色合いのお弁当だったが、父が作ってくれたシンプルなおにぎりは、不格好だったけれども、サチエにとってはとてもおいしかった。

(P13より引用)

映画と小説の影響を受けて、普段は玄米しか並ばない我が家の食卓に白米が並びました。

鮭と焼きタラコとわかめのおにぎり。さすがに自分で作って自分で食べましたけれど、自宅でおにぎりを作ってみて、たまにはこういうのも楽しいものだなとしみじみ。私はこういう食欲に訴えてこられる作品に弱いような気がします。

「市場ってどうしてこんなに楽しいんでしょうかね。毎日、足を運んでも、飽きることなんてないですよね。どの場所にどんな物を売っていて、どんな人が売っていて、どのくらいの値段かもだいたいわかっているのに、どうして飽きないんでしょうか。それが不思議なんですよね」

ミドリはオレンジを手にとって匂いを嗅いだ。

「いつも同じだから、逆に飽きないんでしょう。売っている人も売られている物も、生きてるっていう感じがするし。いくら市場でも売られている物がぐったりしていたら、誰も買わないもん。空の下っていうのも、こうすかーっと抜けてていいのよね」

サチエはそういって深呼吸をした。ミドリは並べてある果物の匂いをひとつひとつかぎはじめた。

「東京にいたとき、たまーに高級スーパーマーケットで買い物をしてたんです。お給料をもらった直後なんか。ちょっとあんたたちとは違うのよって、物見遊山で来ているみたいな見ず知らずの若いOLに差をつけたい気がして。今考えてみれば、長年働いている主婦が、買い出しをしているくらいにしか見えなかったと思うんですけどね。レタス一個が八百円、キャベツが六百円、小柱がひとつ、ふたつって数えられるのが千二百円とか、すごい値段なんですよね。脳味噌の隅っこで、『高ーい、うちの近所の総菜横丁の八百屋さんや魚屋さんで買えば、この何分の一で買えるのに』って思いながら、また別の脳味噌では、高級スーパーマーケットで買い物をしている自分にうっとりしてるんですよね。でもそれは、それだけで終わりだったんですよね。ここの市場みたいに買い物をしても楽しくなかったなあ。家に帰って袋から出して見て、見栄張ったくせに、値段を見てあらためて驚いている自分がいるんですよね。でもそうしていることが、なんだかいい気分になっているっていう。変な繰り返しでした。どこかおかしかったんですよね」

ミドリは並べてある物を手にして、匂いを嗅ぎ続けた。

「そういう生活は忘れましたねえ」

サチエはあっちこっちでひっかかっているミドリを置き去りにして、さっさと市場の中を歩きまわって、目当ての野菜や果物を買い集めた。

(P87-89より引用)

シチュエーションは違いますけれど、背伸びをしている自分への優越感と、あとからくるなんとも言えない気持ち悪さって、すごいわかるなあ…って。特に20代の頃は、美容とかお洋服とかで、身の丈にあっていないものを求めて、あとからそんな自分にたいして恥ずかしくなるんですよね。

そういえば、私の物心がつく頃には、八百屋さんであるとか魚屋さんというものは周囲になかったように思います。お買い物と言えば、最寄りのスーパーで。大量の野菜や食材が山のように積み上げられていて。それに対して何らワクワクするということはなかったんですけれど。

大人になってから京都の錦市場とか漁港にある魚市場に行くようになって、ワクワクするような感覚がありました。これってきっとサチエさんが言っていることなのかなって。色とりどりの野菜や果物がおかれているマーケットとは、ちょっと色合いは違いますけれど、リアリティのあるものが売られているのってワクワクするんだなといまさらながら気が付きました。

「ごめんなさい、名乗る前にお店でどたばたしてしまって。シンドウマサコといいます。五十歳…です。ふふ」

彼女は照れたように笑った。

「何をしたいかもわからないのに、つい、ここに来ちゃったっていう感じで。いい歳をしてこんなことしていいのかなって、着いてやっとわかったような。荷物がどこかにいっちゃったのも、私のはっきりしない気持ちに、『おまえなんんか、来るんじゃないよ』っていわれたような気がして……」

そういってマサコはうつむいた。

「そんなことないですよ。仕事でやる気まんまんの人だって、荷物は無くなります」

「そうです。荷物が無くなったのと、それとは関係ありません」

サチエとミドリは暗い表情のマサコを慰めた。

「そうでしょうかねえ。何も目的がないのに、この歳になってただふらっと外国になんか来ちゃうっていうのが、身の程知らずっていうか、無防備っていうか。おまけに私、英語もフィンランド語もできないんですよ。なのに、変ですよね」

「全然、変じゃないですよ。歳なんか関係ないじゃないですか」

「そうです。私だって英語はろくにできないし、フィン語だってぜーんぜん、わからないんですから」

「でも、あなた方はまだお若いし。私は結婚せずにこの歳まで、ずっと親の面倒を見てきたものだから。頭の中が社会的になってないんですねえ、きっと。それが両親が次々に亡くなって、日々することがなくなったら、もう、自分でもよくわからなくなっちゃって」

「旅行だって結婚だって、いくつになったってできますよ。歳で区切っちゃいけません」

サチエはきっぱりといった。

「そうですねえ。だといいですねえ」

(P135-136より引用)

かもめ食堂で一番若いのは、日本からフィンランドに行ってかもめ食堂を始めたサチエさんです。彼女は38歳です。38歳で海外に行って商売を始める。なかなか勇気のいることだな…って私は思ってしまうんです。私はサチエさんより年下の34歳ですけれど、私よりサチエさんは本当に行動的でアグレッシブですごいなぁって。

よく「年齢なんて記号でしかない」って耳にしますけれど、やっぱり気にしてしまうもの。この年齢になれば就職をして、結婚をして、出産をして…。そういったしがらみのすべてが悪いとは思いませんけれど、少しでも自分の中で軽くなればいいなぁって思いながら。サチエさんの「いくつになったってできますよ」という言葉を励ましにして頑張りたいなぁと思います。

「サチエさんは、目的があるじゃないですか。でも私は何もない」

「目的がなくてもいいんじゃないですか。ただ、ぼーっとしていればいいんですよ」

「その、ぼーっというのができないんですよね。自分でぼーっとしているつもりでも、あれこれ考えてしまって、頭の中から鬱陶しいことが抜けていかないんです」

「来たとたんは無理ですよ」

「そうそう、フィンランドモードに切り替わってないですから。鬱陶しいことは忘れましょう。あまり深く考えないで、のんびり過ごせばいいんですよ。うちに来ていただくのは大歓迎ですから、いつでもいらしてください」

サチエがそういうと、マサコは明るい顔になって、「そうですね、ありがとうございます」と頭を下げた。

(P150-151より引用)

原作が書かれた頃と今現在では違うと思いますけれど、このぼーっとできないってありますよね。常にスマホであったり、何かしらが煩わしいくらいに自分に纏わりついてきて、ぼーっとできない。ゆっくりしているつもりが、あれもしないと、これもしないとって結局動き回っていて。デフォルトモード・ネットワークなんてあったもんじゃない。脳を休ませることの難しさが身に染みる今日この頃です。…という割に何も成しえていないのが一番の問題だったりしてね。

「はーっ」とため息をつき、仏頂面のおばさんが心に溜めていた黒いものを察して、リビングルームにへたり込んで暗い気持ちになった。

「東京だったらね、ストレスが溜まって、嫌になるっていう気持ちもわかるんですよ。それを、いろいろな癒し系の場所に通ったり、買い物に走ったり、セックスでまぎらわしたりするわけでしょう。でもここはこんなに緑がたくさんあって、車も人も少なくて、息が詰まるなんていうことはないと思うのに。東京に住んでいた人が、田舎暮らしで癒されたなんていっているじゃないですか。人間だから嫌なこともたくさんあるでしょうけど。自然は癒してくれないんでしょうかねえ。ちょっと意外だと思いませんか」

ミドリは首をかしげた。サチエは膝行法をはじめた。

「自然に囲まれている人が、みな幸せになるとは限らないんじゃないかな。どこに住んでいても、どこにいてもその人次第なんですよ。その人がどうするかが問題なんです。しゃんとした人は、どんなところでもしゃんとしていて、だめな人はどこに行ってもだめなんですよ。きっとそうなんだと思う」

サチエはいいきった。

「そうですね。周りのせいだけじゃなくて、自分のせいなんですよね」

(P161-162より引用)

幼いころ、お金持ちになれば幸せになれると真剣に信じていました。同時に、綺麗になれば誰からも愛されて幸せになれると。だから綺麗になってお金持ちと結婚して玉の輿に乗らないといけないって、いわゆるシンデレラコンプレックスとでも言いましょうか。でもある時、それが幻想だと気が付いたんです。お金持ちでも不幸になるし、絶世の美女でも幸せとは限らない。それは大人になってから気が付いたことでしたから、現実を受け止めるまで結構辛かったなぁと今でも覚えています。

だから国や自然に対しても似たような感覚でいて、どこにいけば幸せになれるとかそういうのってあまりないと思うんです。というか、日本という国に生まれることができた時点で結構自分は幸せなんですよね。衣食住は整っていて、娯楽があって、夜は命の危機を感じることなく眠ることができる。これって十分恵まれているんですよ。

もちろん、身体を癒すために一時的に訪れることには大いに意味があると思います。けど、だからといって、そこにいけばALL OK!なんていうことはないのだと、自戒しております。それは他者にも同じで、そんなに恵まれた環境にいられるんだからいいじゃない!ってつい思ってしまいます。けれど、相手には相手の苦労があるのだから、痛みや苦しみに寄り添うというのは環境じゃないんだなと、たまに思い出さないと忘れてしまいますからね。

マサコがフィンランドにやってきてから、二ヶ月が過ぎていた。サチエはともかく、ミドリやマサコとは、これからどうするかという話をしたことがなかった。休みの日、三人でサウナに入っていて、ふとそんな話題になった。

「私は帰らなくちゃいけないんです」

とマサコはいった。

「え、そうですか」

ミドリは驚いたようにいった。彼女はずっとここにいるつもりだった。

「『かもめ食堂』はとても楽しいし、やりがいもあるし、サチエさんもミドリさんも、とってもいい方だし。ずっといたいんですけど。そういうわけにはいかないんです」

「だって、弟さんにはひどいことをされたんでしょう」

「ええ。でもここに来ていろいろと考えてみたら、日本に帰っても住むところもあるし、海外に行けるような金銭的な余裕もあるんだから、恵まれていると思えるようになりました。フィンランドのニュースを見て、お気楽そうだなって思ったんですけど、私は経験しなかったけれど、自然環境だって結構きついんじゃないかなあ。そのなかでじっと耐えていたものが、『嫁背負い競争』とか『エアーギター選手権』とか、『サウナ我慢大会』で爆発するんですよね。いつもいつもそんなことをやってる人たちじゃないんです。彼らはじっと体に溜めていたエネルギーがあるんですよね。フィンランドの人って、ふだんの生活はとても質素で、いいなって思いました。フィンランドに来たのが、私にとっては『嫁背負い競争』みたいなものです」

マサコは笑った。

(P210-211より引用)

かもめ食堂』は映画も小説も、今の私にはとても染みる作品になりまして。これからきっとことあるごとにみることになるのかなって思っています。ついこの間食べたばかりだけれど、おにぎりが食べたくなってきたなぁ。