SIMPLE

シンプリストになりたいのです

映画・ハウルの動く城

先月、『君たちはどう生きるか』を劇場で観ました。面白いとか、そういうの以前にすごい映画を観たというのが強く残りました。

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劇中、何度も頭を過ったのが映画『ハウルの動く城』でした。実家にDVDがありましたので、もう何回も何回もみた作品です。実家を出てからは見ていませんでしたけれど、それでももう劇中の音楽や台詞が浮かんでくるほどでした。夫はというと、ハウルは観たことがないとのこと。それならちょうどいい機会ということで、久々に見てみました。で、何回も見ている作品を同じ視点で見ても発見がないよな…ということで。今回は荒地の魔女視点で見てみようと心に決め夫と見たのでした。

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ハウルの感想の前に、少々寄り道をしますが『星をかった日』という物語をご存知でしょうか。三鷹の森美術館にある土星座で上映されている作品の一つなのですけれど、これが『ハウルの動く城』のサイドストーリーと言われています。この作品の主人公である少年・ノナがハウルであり、ふしぎな美しい女性ニーニャが荒地の魔女であるという裏設定があります。所謂2人は恋仲といいますか、そういう関係だったことが鈴木敏夫さんの口から明かされています。

実は私もまだ観たことはないのですけれど、次に三鷹の森美術館にお邪魔するときは、ぜひタイミングを合わせていこうと思います。11月からは「君たちはどう生きるか展」も始まりますし、あぁでも上映されたばかりだから当分先だとは思いますけれど。

とにもかくにも、そういうサイドストーリーの裏設定がある前提で見てみると、荒地の魔女の台詞も違って聞こえます。

冒頭、初めて荒地の魔女がソフィーと出会うシーン。荒地の魔女は店内やソフィーを「安っぽい」と言います。いきなりのdisで失礼な人だと思いました。

近づいた理由も、ハウルの心臓を手に入れるためにはハウルに近づかなければならない。けれどハウルは魔女除けのまじないをしていて、魔女である自分はハウルに近づくことはできない。それであれば、ハウルと接点のできた魔女ではないソフィーを使えばいい。それで、言うことを聞かせるためにソフィーを老婆の姿にしてしまったのだと思っていました。

ここで、視点を少し変えてみましょう。

荒地の魔女が執着しているのはハウルの心臓ではなく、ハウル本人だとしたら…。心臓って物理的な心臓の意味と、心の意味って解釈もできますよね。ハウルに対して「お前の心臓は私のものだ」という荒地の魔女の台詞は、物理的な心臓も、心も私のものだとも取れます。そんな荒地の魔女からしたら、ソフィーは恋敵のような存在かもしれません。

彼らの住む町では「ハウルに心臓をとられてしまう」という噂で持ち切りになっています。「ハウルは美人しか狙わない」とソフィーの台詞がありますが、たぶんですけれど、これの犯人って荒地の魔女ですよね。ハウルが好意を寄せている美女に対して荒地の魔女が嫉妬して、彼女が心臓を奪ったのだとしたら…。隣町のマーサ(だったか)の心臓を奪ったのは、きっと荒地の魔女なのでしょう。そして噂されるくらいなのですから、1件だけでなく過去にも何件か前科があるのかもしれませんね。ハウルの部屋が魔女除けだらけだったのは、そういう過去が原因となっているのかも。

そしてソフィーとハウルが出会います。今回も心臓をとって食おうとしたのかもしれませんけれど。自分と比べて、どれだけ高貴で若くて美しいのか…と思って見にいってみたら、化粧っ気もなく 自分を飾ろうとしない野暮ったい女性が立っていたとしたら…?荒地の魔女が言う「安っぽい」という言葉は確かにソフィー自身がという意味もありますが、ハウルの横に立つにはふさわしくない。自分の方が、高貴で美しく、更に環境も優れている…という意味かもしれません。

そんな荒地の魔女はソフィーに対して、90歳の老婆になってしまう呪いと、ハウルへの手紙を(黙って)押し付けて、帰っていきます。ここでソフィーを老婆にした理由ですけれど、荒地の魔女がソフィに唯一負けているもの。それが若さです。ならそのソフィが若くなくなってしまったら、自分の方が優れているということになりますよね。とてつもなく偏った味方ですけれど。

ハウルからしたら、自分が探し求めていた人が自分の元カノの呪いによって老婆になって現れ、しかも「お前の心臓も心も私のものだ」なんて手紙を託されていたら…しかも手紙はハウルとソフィーの手渡しで作動し、当然ソフィーの目にも入る。それを見越していたとしたら…なんてホラーなのでしょうか。(あくまで私の妄想です)

ただ荒地の魔女のターンはここまでなんですよね。あくまで『ハウルの動く城』のヒロインはソフィーですから。ここからはソフィーのターン。

サリマンの魔法によって、本来の年齢である、よぼよぼの老婆の姿にされてしまい、魔力もなく、自分の生活もままならない…認知症状態になってしまう荒地の魔女。しかもその介護をしてくれるのは、執着して、それでも結果手に入れることができなかった元カレの、現彼女。そしてそんな二人のラブラブな姿を、荒地の魔女は自分の命が終えるまで見続けなければならないのです。あぁ…なんてホラーなのでしょうか。(あくまでも私の妄想ですよ)

視点を変えるだけで、こんなにもバッドエンドな作品になるとは自分でも思っていませんでしたのでちょっとびっくりいたしました。あくまで妄想して楽しんでいただけですけれど。

実は荒地の魔女ヴィランとしてとても好きなキャラクターです。高貴で、あんなにもふくよかで、首のまわりはたゆんでいるというのに、全然不快感がありません。むしろ艶やかでもっちりとした滑らかな肌には色気すらあります。黒でシックにまとめた洋服や帽子もグラマラスで、白い肌や赤みを帯びた髪や宝石がひきたっています。言葉選びも話し方にも、知性が漂っていて…あぁこういう女性になりたいと思いました。魔女というと、ガリガリでよぼよぼのお婆さんという印象がありますが、そうではない新しい魔女像が当時新鮮だったのを覚えています。

はてさて。もう何度も見ている作品を違った角度、人格から見てみるという、変わった楽しみ方はいかがでしょうか。誰もが知っているアンパンマンバイキンマンの視点から見てみると違った変化があるかもしれません。個人的には、上司にするならアンパンマンよりバイキンマンの方が断然良いです。

もし、そういった見方をして新しい発見を見つけたら是非教えてくださいませ❀