8月の頭に「箸置きをつかうという手間」というお話をしました。
私の心の中には良い手間とそうではない手間があって、自分が良いと思える手間はこれからもどんどんと続けていきたいなと思って書いたものです。
ふと思ったことを綴っただけですけれど、思いのほかたくさんの方の目にとまったようで嬉しく思います。あまり箸置きに詳しくない手前、「我が家のかわい子ちゃんたちを見てー!」というお話になってしまい恥ずかしい限りです。観てくださった方、本当にありがとうございます。
箸置きを眺める度に思うのですけれど、箸置きの形って本当に様々ですよね。私が持っているものだけでも鳩や鯛焼き、花…と様々です。ですが、きっと昔はもっともっとシンプルで、へこんだ丸とか、四角とかそんな形だったのかなぁと思うんです。ちょっと工夫を凝らして勾玉とか。現代のように、形や色、デザインで目を楽しませてくれるようになったのはいつからなんだろうか…誰からだったんだろうか…きっと粋な人だったんだろうなぁ…と考えると楽しくなります。
そんなわけで、気になったら調べてみたい!というのは(元)図書館司書の定めです。今回はライトめな本を読んでみました❀
食卓の小さな遊び 箸置きの世界
著:串岡慶子 さん が書かれた「箸置きの世界」をご紹介したいと思います。
四季の風物、動物、植物、紋様、縁起物まで、多種多様な「箸置き」の世界。小さくて可愛い、日本人の掌の美をめでる一冊。
(平凡社のHPより引用)
もう表紙からかわいらしい箸置きがたくさんあって胸が躍りますね❀
実は、私が箸置きと言われて一番に思い出すことは「マツコの知らない世界」です。その番組内で、取り上げられていた箸置きの回。レターケースや専用のケースに入れられたものすごい数の箸置きにとてもびっくりしたとともに、面白いなぁと思ったことを覚えています。実は、この本の著者である串岡さんがそのご本人だそうで…全く気が付かずに本を手に取りましたので、なんだか嬉しいです。ご縁かもしれませんね❀
箸置きの魅力
改めて、この著書を通じて箸置きの魅力って何だろう?と考えてみます。
箸置きは、食卓で箸を置くのに使う、小さな道具です。小さくて可愛く値段も手頃なので、自分で買ったりお土産で買ったりして多くの人は知っていると思いますが、日常的に使っている人は少なそうです。
(「はじめに」より引用)
この小さくて値段も手頃って言うところが、実は重要なんじゃないかと思います。確かに箸置きってお土産物屋さんでよく拝見しますよね。お値段は大体が500円くらいから、高くても~3000円程度でしょうか。大きさはキーホルダーと大差のない掌の上にちょこんと乗ってしまえる程度。ご当地キーホルダーも可愛いですけれど、実用性でいうと箸置きの方が便利ですし、長く使うことができるように思います。自分へのお土産でもだれかへのお土産でも、どちらでも嬉しいのがいいですよね。
箸置きを使うと、箸が取りやすく箸の位置が決まります。すると、食卓がすっきりして食事中の姿勢も正しくなるから不思議です。そして箸置きを使うとゆっくり食べるようになり、ダイエットや生活習慣病の予防にも繋がります。食卓に季節や遊びこころを添える箸置きから会話も弾み、食卓にゆとりがでて気持ちが和らいできます。
(「はじめに」より引用)
お食事の時の咀嚼回数って意識していますか?私は、結構少ない方でして。4~5回咀嚼したら呑み込んでしまうんです。ほぼ丸呑みのような食べ方は身体にはよくないと重々承知しているのですけれどなかなか治らなくて…。箸置きを意識して使うということを聞いたことがあって、口に食べ物を入れる、箸をいったん置く、咀嚼する、飲み込む、箸を持つ…という流れで食べると、咀嚼数が自然と増えるそうです。…と言いつつ、あまりできていないのですけれどね。ですが、箸置きを使うことで、その日の食事のメインを表したり、雰囲気に合わせて箸置きを選んだり、春には桜の箸置きを選んだり…というだけで、楽しくなります。「食卓にゆとり」とありますが、それが私にとって「いい手間」なのかもしれません。
箸置きの歴史
箸置きの歴史って実はあまり知られていませんよね。図書館で箸置きの本を探してみても、該当件数は非常に少なかったです。
興味は、箸置きの歴史にも広がっていきました。しかし、大学や県立の図書館で調べても、箸置きについては箸の歴史研究の後に付属的に少し示されている程度で、まとまったものはありません。諦めきれずに、古い時代の故実書や絵巻物なども探しましたが、小さな箸置きは目を凝らしても解りづらい。それでもいくつかは見つけることができ、箸置きの歴史をたどることができました。
(P34 「箸置き探偵誕生」より引用)
箸置きにフォーカスを当てて映画を観たことがないので解らないのですけれど、歴史ものの映画で箸置きってどのように扱われていたのでしょう。歴史映画で箸置きを観た記憶がありません…。今度映画を観るときは注視してみたいと思います。
市の露店の店主や骨董に詳しい友人の助言もあり、今のところ、現代のような箸置きが登場したのは、明治以降だと考えています。明治以降現代にいたるまでも、資料が少ないのは同じですが、当時の雑誌などを調べて、その変遷や使われ方を追ってみました。
(P34 「箸置き探偵誕生」より引用)
冒頭でおはなしした、現代の箸置きは明治以降からとのこと。明治と聞くと結構昔からあるのかも?と思ってしまいます。当時はどんなデザインが流行だったのでしょうかね。
歴史・古代(飛鳥・奈良・平安)
使用していた場面は限られるものの、箸が何かに置かれていたことを示す文献や絵図・写真がわずかながら残っています。そしてその何かは、歴史とともに変遷し、ときに途切れ、再登場し、形を変えつつ今につながっていることが解ってきました。
例えば、古代、神様へ供える神饌(しんせん/食事)や、天皇の食事、貴族の宴では、箸は箸台、御台、耳かわらけ、耳皿などと称されるものに置かれていました。
(P42 「古代」より引用)
中国文化の影響を受けた天皇の食事や宮中・貴族の宴会では、大きな台盤に料理を並べ、脚付きの馬頭盤に箸をさじを置きました。これも箸台の一種です。
(P42 「古代」より引用)
今の箸置きとは少し違ったビジュアルですけれど、こんなにも以前から箸置きは存在していたのですね。神様のお食事が穢れないために、というところから始まったものが、形は違えどこんなにも暮らしに浸透しきっていることになんだかびっくりです。
歴史・近世(安土・桃山・江戸時代)
千石の動乱を経て太平の世へ。近世は支配体制が再編成され、貨幣経済が発展。商工業者の生活や地位が向上し、社会が大きく変換した時代です。次第に江戸や大阪、京都を中心に町人文化が開花。人々の交流が増え、外食も幅広く行われるようになりました。
(P48 「近世」より引用)
江戸時代後期になると、宴会で大きな器にごちそうが盛られ、その傍に箸立てがあり、客人の手元にはそれぞれ小さな皿に箸が置かれている絵をいくつも見かけるようになります。
(P48 「近世」より引用)
外食が幅広く行われ、箸置きの前進となるような小皿が出現した江戸時代。きっと外食先で小皿を箸置きのように使用した人は「これはいい」と自宅でも同様のことをされたのでしょう。そして、どんどんと工夫していく人が現れて…といった感じなのでしょうか。よく箸袋で箸置きを作られる方がおられますが、実はそういった「その辺にあったちょうどいい物にのせてみた」というのが、良い感じにフィットしたのかもしれませんね❀
歴史・近代(明治~昭和20年頃)
近代の資料も限られているものの、これまでと違うのは、箸置きという言葉が登場すること、楽慶人、笹田友山、得全らによってこの時代に作られた箸置きが現存すること、そして大正の料亭の写真に箸置きが写っていることです。同年代の雑誌でも箸置きが使われています。
(P52 「近代」より引用)
やっと「箸置き」という名前が歴史上に登場した近代。長いような、意外と古代からあると考えると短いような、不思議な感覚です。
箸置きが登場した要因として、明治20年頃から銘々膳に代わって使われ始め、大正時代に普及、昭和の入って全国的になった、ちゃぶ台を上げるのは、食関連の歴史に詳しい小泉和子さん。「ひとつの食卓を何人かで囲むようになったため、とくに客に対して食卓の汚れを端につけないために工夫されたものと思われます」(『台所道具いまむかし』平凡社刊)
(P52 「近代」より引用)
それまでは1人1つのお膳を目の前に置いて、それぞれでお食事をいただいていたのが変化し、ちゃぶ台を使用するになったのがこの時代なのだとか。そうか、それ以前はちゃぶ台ってなかったのか…意外と新しいんだなぁ…としみじみ。あのレトロ感ある風貌は、大正時代からの貫禄だったのですね。
ちゃぶ台を使うとなると、お膳の端っこに箸をかけておくこともできないですし、小皿を使うことはできますけれど、その当時には皿よりも箸置きの方が便利というか、今で言うところの「映え」だったのかな…なんて思ったり。映えも古いですけれど。この料理だからこの箸置きを添えるという粋さって、これくらいの時代から始まっているような気がするんだけどなぁ…と。根拠がないのであくまで妄想です。
歴史・現代(昭和20年~平成へ)
戦時中はひっそりと鳴りを潜めてしまう箸置き。なくても問題ない物である箸置きは確かに贅沢品だったのかもしれませんね。
昭和30年以降の日本は高度経済成長を遂げ、食や旅とともに、器への関心も高まり、その波は箸置きへも及びます。箸置きが景品になったり、子ども用の箸置きが作られ始めたのもこの時代。昭和55(1980)年には、ついに巻頭特集で箸置きを取り上げる雑誌も登場。当時箸置きはゆとりの象徴でもあり、お客様用として、そして日々の食事にも使う家庭が増えていたと推測しています。
(P58 「現代」より引用)
終戦後、物のない時代から、一気に物が溢れる時代へと移り変わっていきます。その中でみんながもっているものだからと買う人もいれば、みんなとは違う、今ある物とは違うデザインが欲しい…と願う人たちががあらわれ様々なデザインが生まれたのでしょうか。
この頃の雑誌の箸置きは凝ったつくりのものが多いですが、平成に入ると傾向が変わっていきます。そのひとつが、季節を問わずに使えるシンプルなデザインのものが増えたこと。
(P58 「現代」より引用)
新感覚の箸置きが出てきたというのも納得なのですけれど、このあたりから核家族の増加などによって食事の仕方が変わってきて、家族で団らんしながらする食事から、少人数であったり、一人であったりの食事が増えてきたのではないでしょうか。そう考えると、季節ごとにデザインが異なる物よりも、年間通して使えるデザインの方が便利だと思います。
まとめ
この著書を読んで改めて、箸置きという小さな手間はゆとりであって、暮らしをよりよくしてくれるものだと感じました。長い歴史の中で姿かたちがかわって、使われ方も、接し方も変わって…。それでも今まで続いてきた箸置きという文化。衰退してほしくないなぁと思います。何気なく使っている箸置きの歴史や背景を知ることができてよかったです。
私は数多くコレクションしたりということは難しいですけれど、これは運命だ!とときめいた子がいたら、また紹介したいと思います。
おまけ
白山陶器の箸置きを紹介しましたが、この子たちも掲載されていて嬉しくなりました!
季節を問わず使える箸置き
工業デザイナーが日常使いの食器などを手がけ始めたのは昭和30年代。その流れは箸置きにも波及しました。
写真は長野県波佐見の白山陶器の製品で、奥の「はしのせ つづみ型」は昭和47(1972)年、手前の「とり型」は昭和48年の発売。「とり型」は現在まで50年以上続くロングセラーです
(P67より引用)
なんと、この箸置きにはこんなにも立派な歴史があったようです。これを読んだあと、自宅でこの箸置きを目の前にして「お前、すごいやつやったんやな」と呟いてしまうほどに。良い物であることはわかっていましたが、更にグレードがあがったように感じます。つづみ型もとてもお洒落なデザインでときめいたのですけれど、ネットショップでは見つけられず…もう販売していないのでしょうか。復刻しないのかな…?するならお仲間に入れたいと思います。