SIMPLE

シンプリストになりたいのです

本・ゴミの王国 の感想

今でこそ、ある程度整理整頓された家に住んでいる私。しかし、昔からそうというわけではありません。幼いころから整理整頓や掃除がうまくできなかった私は、いわゆる汚部屋出身者です。

今回はそんな汚部屋に住む女性がでてくるお話『ゴミの王国』を読みましたので、ネタバレを交えながら綴っていきたいと思います。

あらすじ

主人公の日下部朝陽の部屋は、ミニマリストの部屋そのもの。家具もなにもかもが最低限で、掃除も行き届いており、床にも台所にも汚れは見当たりません。

広々と気持ち良く、清潔な空間を保つことに、何よりもせいかつ の比重をおいていた。これといった趣味も、収集癖もない。邪魔になりそうな物はそもそも最初から買わない。いわゆる、ミニマリストと呼ばれる生活様式を貫いている。

みんな僕みたいな生活をしていたら、さぞかしゴミが減って、環境にもいいはずだと朝陽は考える。商品は売れなくなるけれど、過剰に大量生産して、大量消費することもなくなる。企業は、本当に売れる、本当にいい物だけつくるようになるだろう。

――というのは夢のまた夢の話で、朝陽には到底理解できないのだが、人々は果てしない物欲にまみれているように見える。その欲望が、日々出されるゴミにあからさまなかたちであらわれるのは、なんとも皮肉なことに思えた。おいしいものをたらふく食えば、たくさんの便が出る。それと同じだ。ゴミは人々の物欲のなれの果て――排泄物のようなものだ。

(P11-12より引用)

父親は、普段は優しい父親です。けれど過剰なほどの きれい好きで、髪の毛が一本でも落ちていたり、掃除が行き届いていないことを見つけると、途端に不機嫌になってしまうような人でした。母親はそんな父親に、まるで支配されているかのように1日中 掃除をしているようでした。

当然、幼い朝陽も家を汚すことは許されません。サッカー部に入りたいと思っていましたが、土などの汚れを家に持ち帰ると父の機嫌を損ねてしまうのでは…と思い直し、自分が入りたい部活にも入れません。友人を家に招くことも、当然許されませんでした。

そんな朝陽と母親の唯一、心休まる時間は おやつの時間 でした。

「思いっきり、食べていいよ」

(P24より引用)

おやつの時間だけは、口いっぱいにおやつをほおばって、お菓子のクズが落ちても気にしないで食べて良いという2人だけの秘密がありました。しかし、その時間もあっという間です。食べ終わると母親は、おやつの時間の痕跡を消すように、入念に入念に掃除していたのでした。

朝陽は父親が嫌だと思いながらも、自身も同様に少しの汚れも許せません。まるで負のループかのように、一人暮らしを始めた一室には、父親と同様の行動をしている自分がいたのでした。

大学卒業後、就職活動がうまくいかなかった朝陽は、友人の紹介で東京都内にある民間の清掃会社で契約社員として勤めることになりました。仕事の内容はゴミの回収業務がメインです。朝陽は両親にはその事実を伝えることができず、今も別の会社に勤めていると嘘をついているのでした。

そんなある日、朝陽は自室の前で佐野友笑と出会います。彼女は半年ほど前に朝陽の隣の部屋に引っ越してきた女性です。

彼女が押している台車には、半透明のゴミ袋に入ったペットボトルの山と壊れたPCモニター、そして熱でドロドロに溶けて使えそうになり電気ケトルが乗せられています。そして何故か、彼女はそれらのゴミを、自室に運び入れようとしていたのでした。

台車を室内へ押し込もうと悪銭苦闘する友笑。扉を支えるのを手伝うために友笑の部屋の前に立った朝陽の目の前には衝撃的な光景が広がっていました。なんと友笑の部屋は全く足の踏み場もないゴミ屋敷だったのです。

ミニマリストのように最小限の物で生活し、掃除も欠かさない朝陽。ゴミ屋敷を錬成しながら生活している友笑。壁一枚を隔てて、二人は全くの正反対な生活を送っているのでした。

翌日、朝陽は自分が目の当たりにした光景についてミントに話します。ミントは、朝陽の勤める森山産業の社長の次男で、民人と書いて”ミント”と読みます。

人員が足りないときなどに収集作業を手伝いに来ますが、本業はフリーの映像作家だそう。まだ彼自身も駆け出しですが、レーベルに所属していない無名の歌手やバンドのミュージックビデオを制作しています。藝大でできたツテもあって様々な映像作品ができると依頼は引きも切らないと言います。

二人は、年齢も近いため ペアで仕事をするときには雑談をするような仲でした。

「俺が、たまにこの仕事手伝ってんのはさぁ」ミントが言った。

「人間の汚い部分まで、のぞけるからなんだよね」

狭小路地を抜け、仮置きの場所まで到達した。

「袋を持った瞬間、わかるんだよ。あっ、こいつは汚い人間が出した、汚いゴミだって」

ミントが、先ほどの老人が出したゴミ袋を、アスファルトに置いた。すると、硬質な音が鳴った。朝陽も、すぐにわかった。燃えるゴミに、ビンや缶が混入している。

(P31-32より引用)

ミントは隣人である友笑に興味を持ったようで、朝陽のアパートに来たいと言います。しかし、朝陽は自宅に人を招くことに抵抗があり、あやふやあ返事をしてその場を切り抜けるのでした。

朝陽がアパートに戻ると、ゴミ置き場の周辺に人影が見えました。朝陽が住むアパートの大家 駒形さんです。他界した夫が遺したこのアパートを大切にしており、いつも清潔にされています。

駒形さんは、軽い挨拶のあと朝陽を呼び止めました。理由は、朝陽の隣人 友笑についてでした。駒形さんも、あのゴミ屋敷について気が付いているようで、困っている様子でした。

どうしたものかと悩む2人。駒形さんはゴミ屋敷の原因は、友笑が孤独であるからだと心配しているようです。そこで、駒形さんの部屋で3人で食事会をしないかと誘われます。料理好きでもある駒形さんが手料理を振るってくれるというのです。

しかし朝陽は自宅に人を招くことに抵抗があるのと同様に、母親以外の人が作った手料理にも抵抗がありました。たとえきれい好きの駒形さんでも、朝陽にとっては耐え難いことでした。

ここでも朝陽はあやふやに回答し、その場を切り抜けるのでした。

朝陽の住む部屋は1階にあり、部屋の奥には小さな庭が続いています。朝陽はそこでゆっくりと休むのが好きでした。しかし、友笑の部屋の庭をうかがってみると、これまたどこから持ってきたかもわからない廃材や、マネキンなど謎のゴミで埋め尽くされていました。

朝陽は職場からとある薬剤を借りて帰ってきました。それは業務用の害虫侵入防止用の薬剤です。朝陽の部屋と友笑の部屋を隔てるフェンスに沿って、スプレーしていきます。薬剤で見えないバリアを張ろうと考えたのです。

しかし、部屋に戻ろうとした朝陽の耳にせき込むような声が届きます。フェンスの隙間から隣の庭をのぞき込むと、なぜか庭にマットレスが置かれ、そこに友笑が毛布を被って眠っていたのでした。

事情を聴いていくうちに、友笑がどうしてゴミ屋敷を錬成していくようになったか…という話題になります。友笑も本当はきれいな部屋に住みたいと希望しています。しかし、前の職場にいじめにあい、そこから買い物に依存するようになり、お金がなくなるとゴミを集めるようになったといいます。

「こんな生活ダメだって、本当はわかってるんです。人に迷惑かけるから、絶対にいけないって頭ではわかってるんです。でも、逃げられないんです!」

「逃げられないって、いったい、何から?」

朝陽はおそるおそるたずねた。佐野さんが、すんすんと鼻を鳴らしながら、途切れ途切れに告白する。

「私…、子どものとき…、ゴミの山から発見されて、保護されたんです」

「は…?」

佐野さんが、上唇で、下唇をおおう。朝陽はフェンスに額をくっつけ、その切なげな表情を懸命にうかがおうとした。すでに暗い。よく見えない。頭が痛くなるほど、鉄製のフェンスは冷たかった。

「嘘…ですよね?」

「本当です。私は、母親が築き上げてきたゴミの王国の、唯一生きた国民でした」

(P43-44より引用)

友笑の母は、職場の男性との不倫の末に友笑を身ごもったのだそうです。子どもができれば、一緒になれるという淡い期待は裏切られました。友笑の母は捨てられ、仕事も解雇されてしまいます。それから、友笑の母親はその町でも有名なゴミ屋敷を錬成していってしましました。近隣住民は友笑の存在に気が付いていなかったのですが、ある日、隣人がゴミ屋敷の中に子どもがいることに気が付きました。そして、4歳の頃、友笑は保護施設に引き取られ、それ以降母親と面会することもなく大人になったという過去がありました。

そんな過去を聞いた朝陽は、つい、駒形さんから3人で食事会をしないかと言われたことを友笑に話してしまいます。そしてあれよあれよの内に食事会が開催されることになりました。

駒形さんの家の食卓には、駒形さん、朝陽、友笑、そしてついでに誘ったミントの4人。朝陽以外の3人は楽しそうに鍋をつついていますが、取り箸ではなく、食べる箸で直接鍋に入れる状況…当然朝陽は食べることができません。満腹だと嘘をついて、その場を乗り切るしかありませんでした。

食事会のあと、朝陽の部屋で二次会をしようという流れになりました。半ばあきらめ、もうなるようになれという気持ちになっていた朝陽は、ミントと友笑の2人を部屋に招き入れます。

しかし、まるで監獄のような部屋に2人は驚愕します。足や手を洗いなんとか部屋に入るも、朝陽の部屋にはクッションの1つもありません。そこで、友笑の部屋からちゃぶ台やクッションを持ってこようということになりました。渋る朝陽ですが、終わったら元にもどすとミントに諭されてしまいます。そして3人は友笑の部屋に向かい、あのゴミ屋敷へと足を踏み入れることになりました。

ちゃぶ台は庭にあるということで、3人は庭に下り立ちます。そこで朝陽はふと、視線を感じます。

視線の先におそるおそる近づいてみると、そこにはペットボトルで作られた巨大な人形が3体立っていたのです。

大量のペットボトルを切り、つなぎ、成型し、等身大の人型に仕立てられている。それが、三体。

(P63より引用)

3体の人形は、1つはスーツを着た男性。その隣には、エプロンをかけた女性。そして男女2体の間に、小ぶりな女の子だと思われる人形が立っていました。友笑は、それらの人形を自分の家族に置き換えて説明するのです。

「お母さんの気持ち、すごくよくわかるんです。私たち親子は、ゴミみたいに捨てられたんです。男や社会にとって役立たずだったんです。だから、お母さんは同じように捨てられた役立たずのゴミたちを集めて、それに守られる、自分だけの王国をつくったんです。その国のなかでなら、私たちは誰に傷つけられることもなく、安心して暮らしていけたのです」

まるでおとぎ話に出てくる王国の一節を子どもに聞かせるような、穏やかで優しい口調だった。

「でも、私だけはゴミの王国から、冷たい世界に引きずり出されました」

佐野さんの表情がこわくて見られない。朝陽は、三体のペットボトル人形に視線を注ぎつづけた。

「施設で育った私は、釈迦の役に立つ人間になろうと思いました。でも、高卒で入った会社の営業事務で、まったく言われたことがこなせなくって、仕事ができないって罵倒されて、先輩たちからいじめられて。それから、一人暮らしの家も徐々に汚くなっていきました」

(P65より引用)

「この人形たちも、ゴミの王国の国民なのかな?」

ミントはクッションを胸元にぎゅっと抱きしめている。

「お母さんも、お父さんも、つくってあげたんだね」

「休みの日に暇を持て余して、ペットボトルを切ったり、つなげたりしていたら、いつの間にかできていました。できあがったら、ちょっとすっきりしたかもしれません」

佐野さんが、ため息を吐き出しながらつぶやく。白い息が空中に広がった。

「許すとか、許さないとか、私にはそういう次元を超えた、顔のない存在です。ミントさんの言う通り、私のゴミの王国の国民にくわえてあげてもいいかもしれないです」

「透明の、役立たずの、それでもここに立って、領土を守ってる国民だ」ミントが優しく頷く。

「領土」とは、この部屋のことではなく、佐野さんの心の荒れ地をさすのかもしれない。この世でたった一人のお母さん――それと同時に、四歳で生き別れた、顔のない透明な存在。

(P66-67より引用)

ミントはペットボトル人形にとても興味を持ったようでした。

後日、ミントは朝陽に新しいミュージックビデオの依頼に、友笑の作品を使いたいと言います。作品とは、もちろんペットボトル人形のこと。そして、朝陽には友笑の制作を手伝ってほしいというのです。

「もし一千万回、それ以上――億超えの再生回数いきょうなMVに友笑ちゃんの作品が使われたら、部屋がきれいいなるかもしれないぞ。人に認められて、心そのものが強くなれば、ゴミで部屋を囲って傷だらけの自分を守る必要もなくなる。朝陽としても、願ったり叶ったりだろ?」

たしかに、親子三人のペットボトル人形を衝動的につくってみたら、すっきりしたと彼女は語っていた。心の底に澱のように溜まっている鬱屈を吐き出せば、部屋の汚さも好転するかもしれない。

(P92より引用)

断ろうと思っていた朝陽も、ミントの提案を受けることにしました。そしてミントと友笑、朝陽の三人でMVを作ることになったのでした・・・

片づけられないってどういうことだろう?

部屋は心の中を表すとはよく言ったものです。

私の場合も不思議とメンタルが不安定だと、室内は散漫になり掃除も行き届きません。ある程度安定してくると、やる気スイッチも入って片付けもできるようになるのですけれど。

もちろんすべての方に同様のことが言えるというわけではありません。

片づけたいという気持ちがあっても、片づけることができないという方もおられます。ADHD(注意欠陥多動性障害)やADD(ADHDから多動性を除いたもの)の方の症状の一つとして、片づけることができないことがあります。

片付けられない症候群(ADHD/ADD)

そして本作『ゴミの王国』のヒロインである友笑がそうであったように、寂しさや過去のトラウマから片づけることができないという方もおられます。

ガランとした何もない部屋は、人によっては さっぱりしてすがすがしいと感じるかもしれません。しかしまた別の人にとっては、虚無感に襲われ、孤独を感じるかもしれないのです。

「片づけられない」と一言で言っても、理由はその人によって違うのですね。

ゴミ問題

ゴミの出し方って、きちんと守れていますか?

ゴミの分別って、私もちょっと面倒だなって思ってしまう事があります。これはプラゴミ?それとも燃えないゴミ?いっそ燃えるゴミなのかな?そう思うことが多々あります。

ゴミの分別が日本全国津々浦々統一されていればいいのですけれど、その市区町村によって違うんですもの。出し方だって違うから、もう困ってしまいます。

我が家のゴミ出しは夫が担当してくれています。家中にあるゴミを集めて、ゴミ捨て場に出すところまでが夫の担当です。夫はマメな人ですので、間違ったゴミ箱に捨ててしまうとガサゴソと本来入れるべき袋に入れ直される…ということがたまにありました(申し訳ない限りです)。

最近はややこしいものは、最初から夫に確認するようにしています。夫でも把握していなければ、市のHPを確認してみたり。

けれど、これって誰でもできるのかな?と思うと少々難しいのでは?って思うんです。「面倒くさいけど、ちゃんとやろう。わからないなら、調べよう」と思う人がいれば、「面倒くさいから、やらないでいいや。わからないなら、こっそりと紛れ込ませよう」と思う人がいることは、安易に想像できてしまいますよね。

本来入れてはいけないものを入れてしまう。例えば、スプレー缶や電池。これらは出し方が特殊なところもありますから、調べるのが面倒だからいいや。どうせバレないだろうと思っている方も、0ではないと思います。

でもたとえ自分のせいだとバレなくても、自分の出したものによってゴミ回収の方が困ったり、ゴミ収集車が壊れてしまったり、さらにはゴミ集積所を止めてしまうことだってあるかもしれない。

本書を通して、そういったところまで想像して、ゴミ出しをしなければいけないなと思いました。

ゴミ収集というお仕事

ゴミに関する問題で言うとゴミの分別だけではなくて、職業差別もあるそうです。

ゴミ収集というお仕事はいわゆる3K。「きつい、汚い、危険」に加えて「臭い」も含まれる仕事だと、本書にありました。そういったネガティブなイメージのある職業にお勤めの方に対して、失礼な発言をする人というのは少なからず存在するそうです。

さっきの中学生たちは、意識すらしていないだろう。

自分が毎日、毎日、たくさんの臭いゴミを排出していることを。

朝陽は背後を振り返った。路地のゴミはきれいに一掃されていた。

人々は、自分が出したゴミなど、まるで最初からなかったかのように生活し、また明日からもゴミを出す。

誰かがやらなければならないことはわかっていた。

(P9より引用)

「最初は、道を歩いている人に、心ない言葉を言われたこともあったよ。女なのに、よくこんな仕事できるなって。真夏もヘルメットかぶって、長袖の作業着で汗だくになって、あの人女捨ててる、絶対ああならないように勉強しようって、通りかかった女子高生たちに笑われたこともあった。だから最初は顔を下げて、誰とも目を合わせないようにして、ただただゴミに集中してたんだけど…」

(P118より引用)

大変そうだな、暑い・寒い中ゴミを回収してくれてありがたいなと感謝することはあっても、誹謗中傷するなんて…。

けれど、もし自分がゴミを出しているという意識がなければ?ゴミ収集をしていただけなければ、我々の生活はどうなってしまうのかと考えがいたらないとしたら?浅慮であればあるほど、そういったことになってしまうのかな…と考えさせられました。

フランス でストライキが起きたときのニュース映像をみて驚愕したことがあります。ゴミ収集が全くされなくなった町の路上にはこれでもかとゴミが溢れ、悪臭問題もあったでしょう。

www.jiji.com

日本で快適に過ごせているのは、掃除してくれている誰かや、ゴミを収集してくれている誰かがいることを忘れないでいたいと思います。

ジャンク・アート

アートの世界には様々なジャンルがありますが、その中の1つにジャンク・アートと呼ばれるものがあります。いわゆるガラクタや廃材を寄せ集めて、制作されたアートのことですね。詳細にいうと別物かもしれませんが、ゴミアートやリサイクルアートともいわれているようです。

友笑が作るペットボトル人形も、ゴミをアートへと昇華させたものでした。

今まで意識したことはなかったのですが、調べてい見ると様々なものをリサイクルして作品が作られているようでびっくりしました。段ボール、ペットボトル、新聞紙…。普段の生活で、私たちがだしているゴミ。それらがこのように姿を変えていると知って、勉強になりました。

recycle-art-exh.jp

感想

佐野さんの気持ちが、少しだけわかるような気がした。

役立たずで、誰からも見向きもされず、放り出されるゴミたちが、哀れで、かわいそうだ。だからこそ、僕はもとから余計なゴミを出さないように、物を極限まで減らして生活しているんだと朝陽は思った。

佐野さんと僕は、ネガとポジのように反転しているだけで、根っこは同じなんじゃないのか?

そして、佐野さん同様、僕自身も社会から有用とされる人間たちがまわすサイクルからはじき出された役立たずなんじゃないだろうか…?

(P84より引用)

ミニマリストな主人公と、ゴミ屋敷のヒロインという正反対な二人が出会い、お互いが胸に抱えているわだかまりを少しずつ解いて、いろいろな苦難がありながらも、成長し、再出発していくというお話。

テーマとして1つ目は、主人公朝陽の過剰なほどの潔癖症について。2つ目は、友笑の過剰なほど物をため込み、ゴミ屋敷を錬成してしまう問題について。そして、3つ目はゴミ問題について。

作品そのものが面白い!…というよりは、これらの問題を楽しく学べる小説、というような印象を受けました。どちらにせよ、興味深い作品であることに違いはありませんけれど。

 

一時期、江戸時代の暮らしについて調べることにはまっていたことがあります。江戸時代におけるゴミについても調べたことがあります。当時はすべてのものが循環していたとありました。

「ゴミ」の語源は木の葉や落ち葉だったという説があるらしい。時代とともに「ゴミ」の意味は拡大し、人間が出すゴミそのものも巨大な静脈のシステムを作り上げなければならないほどに増加した。

はるかむかし、人間にとってあまり使い道のない邪魔なゴミは、せいぜい落ち葉くらいだったのかもしれない。食べ終えた野菜クズ、木の実の殻、動物は土にうめる。生活に必要な道具や衣服は、修繕して使い続ける。貝塚は現在に残る、古代のゴミ捨て場だ。

いずれにせよ、缶、ビニール、プラスチック、ペットボトルといった処理に困る厄介なものを、便利さと引き換えに手に入れた人間は、もう自然には戻れないのだった。石油だって、もともとは生物由来のプランクトンの集積からできているはずなのに、なんでビニールもプラスチックも土に帰らないんだろう?

(P225-226より引用)

庶民が衣服を購入するときは、基本的には今でいう古着屋さんで買って、何度も何度も修理しながら使って、擦り切れて着れなくなったら雑巾にして、雑巾としての役目を終えたら、竈で火をおこすのに使って…その灰だって回収されて、また別のことに使用されていました。排泄物でさえ、回収されて肥料に使われたりしていたようです。

もちろんこの時代に戻ろう!と思ったわけではなくて、自分にできるゴミの削減を考えることって大切だなと思いまして。

今日もたくさんのゴミを出しました。料理をすればトレイやラップ、キッチンペーパー…、お菓子の包み紙や、その他もろもろ。0にすることはできないけれど、もうすこし広い視点でこれらと向き合うことができたらなぁとしみじみ思っておりますよ。