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シンプリストになりたいのです

本・『片をつける』の感想

GW、皆さまいかがお過ごしでしょうか。おでかけをしたり、お買い物にでかけたり。中には長期休暇を利用して大掃除や断捨離をされているって方も多いのではないでしょうか。

今日はそんな”お片付け”にまつわる小説を読了しましたので、感想をネタバレ交えて綴っていきたいと思います。

片をつける 物語冒頭の詳細

マンションの薄暗い廊下の突き当り、805号室が阿紗の住まい。買い物から帰宅してみると、扉の前には謎の物体が。よく見ると、巨大化したねずみのような老婆がびしょ濡れの恰好でしゃがみ込んでいたのです。老婆は突然の雨に打たれてしまったのだそう。

阿紗はその老婆と会うのは初めてでしたが、彼女が誰なのか知っていました。マンションの契約の際、管理している不動産会社の担当者が言っていたのです。

「お隣の804号室には、ばあさんがひとりで住んでるんですがね。これが相当な変わり者でして。

(P16より引用)

「世の中に対しても人に対しても、とにかくいつも怒っている。不機嫌が服着て暮らしているみたいなばあさんです。つかず離れずっていうより、つかないほうがいいですよ」

(P16より引用)

阿紗は厄介ごとに巻き込まれたくはないと思いつつも、部屋を無くしてしまって困っているという老婆を置いておくこともできません。管理会社の人がくるまで部屋にあげることにしました。

よくよく老婆の話を聞いていると、紛失した鍵はスペアで、部屋の中に本来の鍵があると言います。これ以上、老婆と関わるのは面倒だと思った阿紗は、自宅のベランダから老婆宅のベランダに移動できないかと思いつきます。老婆のベランダを見てみると窓も空いているようです。勝手に眠りこける老婆を置いて、阿紗は老婆の部屋に向かことにしました。

無事、老婆宅のベランダに足を踏み入れてみると、目の前には衝撃の光景が広がっていました。十畳ほどの部屋は足の踏み場もないほど物が散乱し、なんとも言えない臭いが部屋に充満していたのです。

なんとかその部屋に足を踏み入れ、鍵を探しますが見つかりません。老婆はチェストの引き出しの真ん中にちゃんとあると言っていたのに…です。

しばらくチェストの中やあちらこちらを探していたら突然、老婆の低い声が。鍵を開けて扉を開けているのではありませんか。どうしたのか聞いてみると、なんと首から鍵をぶら下げていたというのです。阿紗はどっと疲れてしまうのでした。

 

阿紗はもうすぐ齢40歳を迎えようとしていますが、男性との縁はありません。複雑な家庭環境に育ったため、出産も望んでいませんでした。とはいえ子どもと触れ合わずに歳をとっていくのも寂しい。そんなわけで自宅で子ども達に絵本の読み聞かせをする仕事をしています。

幸い、阿紗には、不労所得がある。

正解でそれなりに名の知られていた母の愛人、つまり阿紗の生物学上の父は、生前、母にこの都内のマンション、三部屋分の所有権を譲った。

三年前に母がなくなり、それがそのまま一人娘の阿紗の物になった。

あれほど嫌っていた男の持ち部屋を譲り受けるのは抵抗があった。だが、これは不幸な生い立ちに対する慰謝料なのだと思い直した。現金な人間だと思う。それでも女ひとり、贅沢しなければ、なんとかやっていけるくらいの保障がほしかった。そんな中で見つけた読み聞かせの仕事だった。業務委託先の会社にしっかりマージンを取られるのでスズメの涙にも満たないほどの収入だ。それでも週に二回、一時間半。近所の子供たちを集めて絵本を読むことに、それなりにやりがいを感じている。

母に絵本を読んでもらった記憶はない。だから、こんなふうに聞かせてほしかったと思うトーンで、大袈裟にならない程度に感情を込めている。

(P32-33より引用)

阿紗の母親は、愛人として我が身を飾ること以外、何もできない女でした。家事も育児もしない。週に1~2回、男が訪ねてくる日はリビングと寝室に散らばっている物全てを阿紗の部屋に押し込めるだけ。阿紗の部屋はゴミ溜めでした。母親のいらないものをすべて押し込んだその部屋で、母親からいらないと邪見にされている阿紗も同様に籠らざるを得なかったのです。

片付けの仕方を教えられることなく社会人になった阿紗ですが、職場の先輩から”片付け”の方法を教えられ、今はきれいで片付いた部屋で過ごすことができています。

 

老婆の部屋から戻り、子ども達に絵本の読み聞かせをしている最中のこと。先ほどの老婆が礼をしに、再び阿紗の部屋にやってきたのです。子ども達に招き入れられ、そのまま上がり込んだ老婆は絵本の読み聞かせが終わり、子ども達が返っても帰宅せず部屋に居座っています。老婆の名前は八重というそうです。

「まぁ、しかし。あんたにも長所はある。まぁ、この部屋を見る限り、掃除はうまい。うちと同じ間取りとは思えないね。絵本を読むより、掃除のほうがうまいんじゃないか」

褒められているのか、けなされているのか。

「それはどうも」

「その長所を見込んでだ、お願いがある」

「お願い?」

思わず身構える。

「実はね」

八重はワンピースの襟ぐりに手を突っ込み、首にかけていた鍵を取り出した。

「これ、預かってほしいんだ」

(P50より引用)

「それと、これからが本題だ。実は昼間にあんたが出ていってから、チェストの中を見たけど、いくら捜しても、あるはずの鍵がないんだ。で、見るけるの、手伝ってほしいんだよ」

不気味な笑顔でこちらもを見る。

「で、ついでに、部屋の片付けも、手伝ってほしい。さっき見ただろ。あのザマだからね。こっちもどっから手をつけていいかわからない」

ゴミ箱をひっくり返したような部屋が思い起こされる。

隣の部屋ではない。

子供時代を過ごした部屋だ。

ゴミの海に浮かぶいかだみたいなベッドの上でヘッドフォンで音楽を聴いている少女。

あの頃、自分も、どうすれば部屋が片付くのかわからなかった。どうすればこのわびしい匂いがなくなるのか、どうすればベッド以外の自分の空間が作れるのか。なんとかしたいのに、なんともできなかった。

(P51-52より引用)

「ちょっと待ってください。どういう論法なんですか、あたしまだOKしたわけじゃ――」

「論法も文法もへったくれもない。きょう、この部屋に来ておもったんだよ、やっぱり、片付いている部屋はいい。汚い部屋は汚いなりに味があるし、落ち着くなんて思っていたけど、とんだ間違いだった。やっぱり部屋はこうでなくちゃ。すっきり片付いて空気まで澄んでいる。この辺がすっとするんだよ」

八重は胸のあたりを撫でた。

「あたしの部屋だって昔はこんなだったんだ」

嘘だ、絶対に。

「だけど、どこでどう間違えたのか、気がつくとあのザマさ。明日こそ片づけよう明日こそって思ってるうちに気が付いたら…。きょうあんたに会ったのは天の思し召しだ。そろそろおもえもいい年だ、万一のときに備えて、部屋の片づけを始めろってね。何度も言うが、あたしも見かけほど若くはない。残り少ない人生、きれいな部屋で過ごしたいじゃないか。流行りの終活ってやつだよ」

(P53-54より引用)

そしてなんだかんだと阿紗は八重に言いくるめられ、半ば強制的に八重の部屋のスペアキーを預かり、マスターキーの捜索と部屋の片づけの手伝いを引き受けるのでした。

阿紗は八重の部屋の片づけを通して、少しずつ八重のことを知ることになります。ペットであるコノハズクのヨハネのこと、実は修道院で見習いをしていたが、分け合って逃げ出してきたこと…。そして同時に、阿紗自身の過去を振り返ることにもなるのでした。

感想

冒頭は少し時系列があちらこちらするので「ん?」となることがありましたが、全体的に小説として読みやすく、起承転結がしっかりしていてとても楽しく読むことができました。

お片付けの方法もわかりやすく、物語に絡めて書かれていて、その辺りも好きなポイントでした❀

何より八重さんのキャラクターがいいですね。憎まれ口をたたきながらも、どこか憎み切れないそんな人。

『殴られたからって、ののしられたからって、あんたの価値が下がるわけじゃない。逆も同じ。褒められたからって、あんたが立派になるわけじゃない。あんたはあんたのままでいい。自由気ままにおやり』

(P169より引用)

そのままでいいよって、なかなか言ってもらえることってありませんから、染みる台詞でした。

気に入ったお片付けポイント と 私の過去回想

私も今は、ミニマリスト的なシンプルな生活をしていますけれど二十代半ばくらいまでは本当に片づけることができませんでした。部屋の中に服の山や飲みかけのペットボトルなんかを放置して…というわかりやすい汚部屋を錬成していたのです。お恥ずかしや。

禅やお片付けの本と出会ったことで今はすっきりとした暮らしができていますが、出会っていなければ と思うと背中がゾワっとします…。

個人的に作中でいいなと思ったお片付けシーンをいくつかご紹介します。

「細かいゴミの分別はあとでこちらがしますから、いらない物はミネラルウォーターの箱のほうに。紙クズとか布きれはポリ袋にいれてください」

分類しすぎないのも、片づけの基本だ。最初から細かく分類しすぎると、「これはどっち?」「どうしたらいいかわからない」と仕分け自体が億劫になってしまう。

「いる、いらないを見極める基準はおまかせしますけど、取っておく物は、ひと目で把握できる数にしてください」

八重は「終活をしたい」と言っていた。人生を畳む準備をしたいのなら、物への執着は極力おさえたほうがいい。

「『これはいる』と思っても、もう一度自問してみてください。『はたしてほんとうにいるのか』と。そこまでして大切な物なら、なぜチェストの底で眠っていたのかと考えてみるといいですよ」

(P59より引用)

お片付け経験者の私としても、まさに基本中の基本であり、すっごく難しいのがここなんです。

いる・いらないの判断は今でも難しいです。意気揚々と初めても、根を詰めすぎるとあとでしんどくなってしまう。最初はざっくり、あとでしっかりの塩梅が難しいんですね。いらないとわかっていても、いまだに捨てられない物も多々…。次の引っ越しではバイバイしようかと思ってはいます。

八重の膝の上には筆記具の山ができている。一日一本のボールペンを使い切るという勉強法を聞いたことがあるが、これから医学部をめざして浪人でもしない限り、すべてを成仏させることはできない。

「ポストカード一枚にスマイルマーク600個。それを四十九枚。29249個書き終えてようやくボールペン一本の寿命が尽きるっていう実験結果を前になんかで読んだことあるんです。ボールペンのインクってそれぐらいたっぷりあるんですよ」

スマイルマークをひとつも書かないままボールペンを死蔵しているほうがよっぽど勿体ない。

(P62-63より引用)

これ、私の実家もなんですけれど、あの大量のボールペンって何なんですかね?文房具を入れいている引き出しには、それはもう山のように筆記具が入っているんです。ボールペン、鉛筆、色鉛筆、シャープペンシル蛍光ペン、マジックペン…それが各種各色ずつとかならいいんですけれど、ボールペンだけで20本、鉛筆だけで30本…ってなると、もう「なんで?」と思うんです。使わないなら処分するか、メルカリにでも出せばと言っても減らずじまい。今度、この話をしてみようかなと思います。

「ふーん、捨てる神あれば拾う神ありだねぇ」

「そうなんですよ。いらないと思った物でも、どこかで誰かが必要としている。そうしてその人がちゃんと使ってくれる。そうやって物のいのちをつないでいくほうが、捨てるより気持ちが楽ですよね。だから、家で死蔵しているくらいなら売ったほうが――」

「はいはい、わかりましたよ」

(P93より引用)

初めての私の断捨離ではゴミ袋は20袋以上を処分し、車で数回の往復が必要な量の衣類やら何やらをリサイクルショップで手放しました。これが結構な金額になりました。その何十倍も無駄遣いしたということです。

こんな無駄買いが抑えられるようになってからも、1~2年に1回くらいはリサイクルショップで物を手放しています。捨てられなかった物をやっと手放せたとか、買ってみたけれど合わなかったとか、理由はいろいろありますけれど。それでも、随分と減ってよかったと思っています。

リサイクルショップやフリマアプリは本当にありがたいものです。私は使い切ることができなかったものを使ってくれる人がいるのは、免罪符のようなそんな気持ちにもなります。ごめんね、ありがとうと。

片づけをしていると、途中で懐かしい物が出てきてしばし作業が中断する。いつまでも思い出に浸っていてはダメだと思い直して再開するが、すぐにまた別の物を見つけ記憶を手繰る。その繰り返しで片づけがなかなか進まないという話をよく聞く。

そんな時間が少し羨ましい。

十八で独り暮らしを始めたとき、荷造りは簡単だった。最低限必要な身のまわりの品と祖母からもらった鳩時計だけを段ボール箱に詰めた。その他の私物は家具以外、すべて捨てた。母と暮らした家には、手にして心が温かくなる物も、振り返りたくなるような思い出も何ひとつなかった。

(P153より引用)

思い出あること、メリットもあればデメリットもあるもの。片づけは確かに捗らないけれど、思い返すことができる思い出があるということはいいことだなと思います。

私は随分と捨ててしまいました。後悔はほとんどしていません。捨てたからこそ解放された柵もありますからね。

ただ捨てるものがないということも、メリット・デメリットあるのだなとしみじみ。

「うまく言えないんだけど、あたしは大きなものを捨てたんです。後悔はしていません。でも、捨てたあとの穴からときどき隙間風がはいってくるんです」

同じ歩幅で角を曲がる。

「だから、なんだってことでもないんですけどね」

「穴は穴さ。小手先のもんで埋めないほうがいい。いつかピタっとした穴塞ぎが見つかるかもしれないし」

(P194より引用)

今、とある大きなものを捨てたくて仕方ないんです。けれどそれを捨てることは、物理的にはできないんです。人間関係で、それはそんなに簡単に手放せる関係じゃないから。捨てることができない、だからこそ距離を置いている。臭い物に蓋をするみたいで、現実から目を背けているだけと言われればそうなのですけれど。

それでもいつか手放す日が来たとき、きっと私は後悔するだろうし、穴も開くと思うんです。そのときのために、この言葉は覚えておかなくてはと思います。

部屋は頭ん中と似ている。あの頃のあたしの頭の中は部屋と同じくらいぐちゃぐちゃで、これが自分の望んでいた生活なのか、考える隙間もなかった。物がないと不安だから買い物がけはやたらとする。それ以外は、何もする気が起きなく、いつもイライラしていた。

そんなときにあんたに出会った。

(P218より引用)

私がミニマリスト的な生活をするようになって、よく言われるのが「なんのためにそんな侘しい生活をするの?」という言葉。

部屋に物が少ない状況は人によっては”侘しく”見えるのだそう。ただ、当の本人は詫びしいどころか、物が溢れかえった頃よりも豊になった気持ちでいます。自分はもうすでに必要な物に満たされている。禅の本には「知足」とか「足るを知る者は富む」なんて表現をされていましたが、そんな状況です。

物が自分のキャパシティーより多くなってしまうと、何処に何があるのかがわからなくて、それはただの障壁になります。物ではなくなってしまう。障壁は私にとってはとてつもないストレスですから、何も考える気もやる気もなくなってしまう。物や周囲の人を大切にしない、そんな私になってしまうんです。

必要最低限の量まで所有物を減らすことで、障壁は物に戻ります。心にゆとりもできますから、どうすべきか考えることができるようになるわけですね。

まとめ

『片をつける』はお片づけの流れについて、結構網羅的に描かれていると思います。お片づけを始めるフランクな導入本になると思います。それに、これからお片づけをされる方のモチベーションアップにもなるのではないでしょうか。

お片づけに興味がありましたら、ぜひ読んでみてください❀