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シンプリストになりたいのです

映画・ファンタスティック・プラネット

とある映画をみて、ふと思い出したのですけれど。随分と以前にですけれど、華文小説の「三体」の第一部を読みました。いわゆるSFもので100頁を越えるまでは正直つまらな…とさえ感じたのに、それ以降の惹きこまれがとてつもなくって、どんどんと最後まで読んでしまう そんな作品でした。

世界観が独特といいますか、想像上でのみ可能な世界で、映像化するのは困難だろうと思っていたのですけれど、なんと実写化され2023年10月からWOWOWで独占放送されるんだそうな。私はNETFLIXで2024年1月から配信されるのを楽しみにしているのですけれど、どんなふうに表現されているのか、今からとても楽しみであります。

今回はそんな世界観を思い出させてくれた『ファンタスティック・プラネット』という作品について綴っていこうと思います。『ファンタスティック・プラネット』と『三体』のネタバレを含みます。

ファンタスティック・プラネットのあらすじ

舞台は地球ではないどこかの惑星。真っ青な肌に赤い目をした巨人ドラーグ族と、彼らに虫けらのように虐げられる人類オム族の、種の存続をかけた決死の闘いを描く。

フレンチSFのパイオニアであるステファン・ウルの原作『Oms en Série』をもとに、ブラックユーモア溢れる幻想的な画風のアーティスト ローラン・トポールが4年の歳月をかけて原作デッサンを描き、<切り絵アニメーション>という手法で鬼才ルネ・ラルーが1973年に映画化。そのあまりに独創的でファンタジックな世界観で瞬く間に批評家・観客たちを魅了し、アニメーション作品として史上初めて第26回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。

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ストーリーとしては…。

ドラーグ族の戯れによって殺されてしまった人類オム族の女性。彼女の腕にはまだ赤ん坊の男の子が。母親を殺され、一人ぼっちになってしまった赤ん坊を、ドラーグ族のティバという少女が拾い、ペットとして飼うことになります。赤ん坊はテールという名前と首輪とつけられ、やがて彼らの言語を理解し、言葉を覚えるようになるのでした。

ドラーグ族は「学習機」というカチューシャのような形をした学習道具を用いて、脳に直接情報をおくり、映像や情報を学習しています。テールもその学習機を使用し、ドラーグ族について知識を習得することができました。そんなある日、テールはその学習機を持って、ドラーグ族の住み家から逃げ出すのでした。

感想

ストーリーとしてはそこまで難しいものではなかったのですけれど、観終わって一番最初に思ったことは「なんのこっちゃ」でした。さすがになんのこっちゃ過ぎて、いろいろ調べてみたところ、これは地球誕生にいたるまでのお話なんだそう。テールは地球という意味があるのだそうで。そこまでいって、あぁそういうことか、なるほどと納得することができた作品でした。

数年前、日本で公開されたタイミングでの広告だったと思うのですけれど、それ以来気になっていた作品です。全体的に世界観がすさまじく、不気味ななかに美しさがある、魅了されるものがありました。快、不快で問われると不快より。ワンシーン、ワンシーンがまるで絵本の1頁のようでしたし、絵画のようでもありました。

このドラーグ族ですけれど、実は瞑想やそれによる彼らの繁殖行動云々のことは置いておいて、結構人間と似通ったところがあるんです。作品では人類オム族を教養のある”高等人種”とそうでない”野蛮人種”とわけているのですけれど、ドラーグ族はその高等人種よりの行動です。彼らの自治は話し合いがなされていて、論理的に、理性的に、淡々と進んでいきます。打って変わって、人類オム族は、動物を戦わせて生き残った方が正しい…とまぁ結構”野蛮”な方法で物事が決まります。まるで悪者のような、侵略してくる宇宙人のようなポジションの彼らですけれど、最後まで理解するとそうではないということがわかります。私たち人間が害虫に対してそう接するように、彼らは人類オム族に接していただけなのですから。

この立場の入れ替えと言えばいいのかわかりかねますが、この感覚は藤子・F・不二雄先生の描かれた『ミノタウロスの皿』を読んだ後のなんとも言えなさを思い出させました。『ミノタウロスの皿』は言ってしまえば、人間と食肉用の牛の立場が入れ替わっているという物語。はじめて読んだときはとても衝撃を受けましたが、あの読後感のなんともいえない嫌な…というかモヤモヤとした感じ。それに近い物がありました。

地球の常識はあくまで、地球でしか通用しない。そんな当たり前のことを提示されて動揺してしまうのはどうしてなんでしょうかね。

冒頭でお話した『三体』には地球外生命体が出てきます。彼らが地球を侵略しようとしているというなんとも壮大なストーリーです。ただ、地球外生命体の彼らの姿は人とは異なっているようです。姿かたちだけでなく、意思疎通の方法も。地球外生命体の彼らの世界では本音と建て前がありません、だから”嘘”もないのです。それは心の中の声と、口から発する声が別ではないから。心の声がテレパシーのような感じで相手に届くことで意思疎通ができるのであれば、嘘をつくことはできません。そっか、そうなるよな…と、納得してしまったのが強く印象に残っています。

地球外生命体をテーマにした作品は山のようにありますけれど、どれも人間の常識と異なる点を見つけることができてとても面白いと思いました。普段、そういう作品をみないからこそ、そういった作品が私の中では衝撃なのかもしれません。

ファンタスティック・プラネットはたぶん1回見ただけでは、解説を聞いただけでは、全部を理解しきれなくて、またふと気になってみて、新たな発見があって、を何回か繰り返していって、それでもきっと全部は理解できないんだろうな…と思う作品でした。面白かったから見て!というよりは、興味のある人は見てみてくださいという感じですね。