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シンプリストになりたいのです

本・新!店長がバカすぎて

今、私が住んでいるところから最寄りの駅には書店がありました。私が昨年、関西から関東に越してきた頃はまだお店はやっていたのですけれど、いつの間にか閉店してしまって、今は雑貨屋さんへと姿を変えてしまっています。

漫画は電子で読みますけれど、小説や実用書はやっぱり紙媒体で読みたいアナログな私。そしてできれば、紙媒体の書籍は街の本屋さんで買いたい。そう、思ってはいるのですけれど、その書店がありませんので仕方なくネットでポチる今日この頃です。

たまに外出先の本屋さんに立ち寄ることもあるのですけれど、本屋さんって不思議と自分のお気に入りの本屋さんを作ってしまいませんか?ぶらぶらと店内をひやかすことはあっても、買うのはいつもの本屋さん…みたいな。関西にいたときはそういったお店があったのですけれど、こちらではまだそういったお店に出会えていません。できれば近くにそういったお店ができると嬉しいんですけれど。

今日は本屋にまつわる(?)小説を読みましたので、ネタバレ含めて紹介したいと思います。

新!店長がバカすぎて

まずは1巻となるこちらから…

こちらは『店長がバカすぎて』という小説の続編となりますので、合わせて紹介したいと思います。

谷原京子、二十八歳。吉祥寺の書店の契約社員。超多忙なのに薄給。お客様からのクレームは日常茶飯事。店長の山本猛という名前ばかり勇ましい「非」敏腕は、人を苛立たせる天才だ。あぁ、店長がバカすぎる!毎日「マジで辞めてやる」と思いながら、しかし仕事を、本を、小説を愛する恭子は…。

(Amazonより引用)

そしてその続編となるのが、今回読んだ『新!店長がバカすぎて』です。

山本猛店長が宮崎に異動になってから三年後。ついに彼が吉祥寺本店に帰ってきた。きっとこの三年で様々な経験を積み、人間的に成長しただろうという京子の期待は、ものの10分で打ち砕かれる。むしろ更に人を苛立たせる能力がグレードアップしていた。そんななか、流行病や、書店や書籍を取り巻く環境は悪化する一方だった。それでも本を、小説を愛する京子は…。

感想

2021年の1番最初に読んだ本が『店長がバカすぎて』でした。そのときはまだ、大学図書館につとめていて、職場は違えど「人と本を結ぶ」という仕事に携わっていた頃です。タイトルからとても面白そうな本だなと惹き付けられる何かがあったことを覚えています。

こばかにした小説と同じストーリーをたどることで動揺する主人公の姿が面白かった。店長は悪い人ではないが絶妙に人をイラっとさせる天才だった。でも実際、こういう人っているよね。

『物語の持つ力の一つは「自分じゃない誰かの人生」を追体験できることだ』(店長がバカすぎて P45より引用)

私はまだまだ、その域にたっせていない。

当時の私の感想です。今でも、小説で自分ではない誰かの人生を追体験できているか、と言われると、できていないと感じます。まだ”知る”程度。もっと深く、キャラクターと自分がシンクロするような体験はできていません。

文豪・太宰治の「人間失格」を読んで、これは自分の物語が書かれている!という感想を抱かれる方が多いと耳にします。少しうらやましいなと思うこともあります。そこまでのめり込めるくらい集中して本を読み、没入できるって…皮肉などではなく、純粋に憧れます。

続編の「新!店長がバカすぎて」ですけれど、実は冒頭の50頁程は読むのがストレスでした。読むのを辞めてしようか…と思ったくらい。それは帰ってきた店長への不快感もありますけれど、何よりひたすら主人公・京子の愚痴を聞かされているような気分になったからです。普段100頁を1時間~1時間半ほどのペースで読みますけれど、今回はなかなか進まなくて、30頁読むのに1時間以上かかりました。すなわち、1時間以上、京子の愚痴を聞かされていたわけです…。起承転結の”起”だから仕方ないのは解っているのですけれど、どうも続きを読む気にならなくて、100頁を越えるのに随分と時間がかかってしまいました。

しかしながら、100頁を越えると本当に面白くて。最後までスルスルと読むことができました。前回も仕掛けがありましたので、今回はどんな仕掛けがあるんだろうとワクワクしながら読むことができました。まさか、まさか。

2冊に共通して言えることは、出版業界や執筆業を生業としている方、そして書店、それらへの敬意や愛に詰まった作品だということ。現状、それぞれにさまざまな問題があると思います。

冒頭にも述べましたが、街の本屋さんをみることは随分と減りました。一時は2万以上だったか、正確な数字は忘れてしまいましたが、それだけあった本屋は今、どれくらい残っているのでしょう。駅やショッピングモールなどに入っている書店はだいたいが大型書店。そういった大型書店ばかりが軒を連ねるようになりました。そして、書籍の多くは電子での出版が増え、さらには電子でも紙媒体でもネットで簡単に購入することができる今。”本屋さんで本を買う必要性”というのが問われているように感じます。

それに抗う…というか立ち向かう書店員の方の姿は勇ましく感じますし、本当に大変なお仕事だと思います。そういった姿を少しでも知ることができたので、読んでよかったと思います。

ここからは、気になったフレーズを紹介していきたいと思います。

蛇足

しかし、やはり小説と人生は違うのだ。私は生きているし、店長も生きている。生きている以上、再び顔を合わせることもある。何も終わっていないし、閉じていない。物語がその後も続いていくということは、閉じてしまうのと同様に残酷だ。

そして、もしまた以前のような日常が訪れるのだとすれば、多くの小説の続編が蛇足と断じられ、成功した一作目にまで傷を負わせてしまうのと同じように、奇跡のような輝きを発したあの日々はあっという間に暗い影にのみ込まれるのだろうということも頭ではわかっていた。それなのに…だ。

(P46より引用)

続編でそれをいわれると、もう何も言えないわと思ったシーンです。続編が蛇足とまではいかなくとも、尻すぼみするなと思うものは確かに多いです。特に1冊目が綺麗におわっていれば終わっているほど。ですので正直途中までは「まさに」と思ってしまいました。覆されてしまいましたけれどね。

未来の書店

小柳さんが苛立ったように指で叩いたのは<将来の夢・目標>の項目だった。その他の欄とは異なり、そこだけ妙に小さい文字でびっしりと綴られていたのは、彼が自ら手掛けようと夢見る書店の未来図だ。

ユーザーはVR機を用いて、自宅にいながらにしてお気に入りの書店を訪問することができるようになるのだという。書店には電子化されたすべての本が棚に揃っていて、ユーザーはその一冊一冊を吟味しながら仮想空間を歩き回ることができる。

VRグローブを用いることで本の手触りが再現でき、もちろんそれらの本をサンプルとして立ち読みすることも可能だ。マスクを着用すればインクの匂いまで嗅ぐことができる。

この空間の一番の売りはAI書店員である。彼ら、彼女ら(それもユーザーの好みと完全に合致した顔と声と服装の)は、ユーザーの普段の読書傾向のみならず、その日の気分や体調、果てはスケジュールや食べたものまで把握し、ユーザーがもっとも必要としている一冊を必ず見つけ出す。一人ひとりにとっての書店員、いうなればコンシェルジュとも呼べる存在だ。

そうして購入した本は、もちろんユーザーのデバイスにダウンロードされたものをリアルに読むこともできるし、VR空間にいたまま、アナログの本のように読むこともできる。その場合はやはり紙の手触り、インクの匂い、ページをめくる音、その居場所まで何もかも再現できるのだそうだ。

(P72-73より引用)

もしこれが実現したとして。私はどちらを選ぶだろうって考えてしまいました。きっとVRを選んでしまいそう。

そこでふと思い出したのが、CLAMP先生がかかれた「ちょびっツ」という漫画。

人型ロボットがパソコンという名前の家電製品として使われている世界が舞台です。人々は人である誰かよりも、自分の理想の姿で、理想の回答をしてくれる便利なパソコンとの時間を優先するようになります。そして、人と人との関係性はどんどんと希薄になっていく…という世界です。

コンシェルジュの件で、このちょびっツの設定を思い浮かべてしまったんです。これ、絶対に私はのめり込んでしまうだろうし、人と関わることも減ってしまいそうだなぁと。だから当然、リアルな書店ではなく、仮想空間での書店に入り浸ってしまいそう。

「この絵空事に打ち勝てる理屈が谷原にはある?」

(中略)

「だから、さっきの大学生が夢想する未来の社会には、リアルの書店が存在しないっていうことでしょ書店が、書店員が存続し続けていく意味をあんたは語れるのかって聞いてるの」

(P74より引用)

私には、語れないなと思いました。このあと、この作品なりの答えも出てくるし、それは私の理想とも近いのですけれど、それでも私の中でこの夢想に立ち向かうだけの答えにはなれませんでした。

図書館司書をしていたときにも同じようなことを感じたことがあります。最近は公共図書館でも自動貸出機は珍しくなくなりました。レファレンスでも、ChatGPTやAIがもっともっと発展していけば、人間と同様の、もしくはそれ以上の働きをするようになるかもしれない。最近の飲食店では配膳のサービスをロボットが担うところもありますが、それと同じように図書の配架もロボットができるようになるかもしれない。配架ができるということは、案内もできるでしょう。さらに全ての配架場所をデータ化していれば、曝書も必要なくなるし、本が迷子になることもなくなるかもしれない。図書の選書も、貸出数などから傾向を割り出し、人がするよりももっと効率的に良書を入れることができるようになるかもしれない。そうなったとき、図書館司書の仕事って何が残るんだろうかって。

「これ、私たちの宿題だね。頭のいい学生さんに突き付けられた宿題だ」

(P 74より引用)

私は結局、自分なりの答えを見つけるより前に図書館業務から離れてしまいました。今でも考えることがありますけれど、感情や居場所的な意味を置いて、論理的な意味を見つけることはできないでいます。図書館業務にもし、戻ることがあるとするなら、その宿題がこなせたときかもしれませんね。

リアリティ

一つだけわかるのは、どちらの意見にも自分が等しくリアリティを感じられないということだ。結婚し、子どもを育てながら仕事をして、その「自己実現」なるものを叶えていく自分の姿も想像できなければ、家に入るということにもイメージは湧かない。

私にとって仕事とは、しなければ生きていけないというものでしかない。少しでも人間らしい生活を手に入れるために一日も早く、正社員になりたくて、だからそれこそ人間の尊厳を奪われるかのような屈辱的な思いにも、途方に暮れるようなルーティン作業にも耐えてきた。

自己実現」という言葉にはどこか空虚な、あるいは時代錯誤なニュアンスが含まれている気がしてならない。一方で、結婚して家に入ったらどうして自分で稼がなくて済むようになるのかわからないし、そもそもその「入った家」の中で何をしているのかということを思い描くこともできない。

(P139-140)

主人公の京子は32歳。私が今33歳ですので、本当に同年代。今でこそ入籍して苗字が変わりましたが、それもまだたった1年のこと。ですのでこの感覚はすごく共感できました。

入籍してみて思ったことは、結局は大きくかわることって殆どないってこと。過去や今の延長に、そういった事柄があるだけ。それを迎えるまではとても大きなことのように思うけれど、迎えて、過ぎ去ってみるとこんなものかって思うんです。そして、そんな”こんなものか”って思えることを、自己実現と言われても、実感がわかないんですよね。今、専業主婦をしているからといって、「家に入った」という感覚もさほどありません。仕事もやめたというよりは、休んでいるという感じに近いです。そんな何も変わらないことに、罪悪感や焦燥感を感じてしまう自分がいます。

右手に店長になる未来、左手に結婚している未来をつかみ、崖の上で運命の二者択一を迫られているという私の迫真の演技を、小柳さんは観ようともしなかった。

「私はそのどっちもの手を引き上げる方法はあると思っているし、両方を放す選択肢だってあると思っている。肝心なのは、何をどう選択したところで、あんたのその後の人生は続いていくっていうことだよ。そこで何も終わらないし、意外と何も始まらない。何を選び取ろうが、取るまいが、苦しさは少し姿を変えるだけで三十五歳のあんたにきちんと降りかかってくる。結局、何も閉じたりしない」

(P150)

京子と私は選んだものが違うだけで、意外と似たようなところにいるのかな…。そうだとしたら、これは追体験っていえるのかな…とちょっとだけ思いました。

書くこと

「いやさ、世の中に本っていっぱいあるだろう?たいして大きくもないこの学校の図書室にさえ、こんなにもたくさんの本がある。今日から気合を入れて、たとえば一日一冊ずつ読んでいったとしても、たぶん死ぬまでに読み切れないと思うんだ。世界にはこの数千倍、数万倍という数の本がすでに存在するはずで、さらに毎日のように新しい本が出版されている。ワケがわからないよね。それなのに、何かを書いてみたいという欲求がたしかに僕の中にもあった。そんな自分を、僕は正しく図々しいと思っていて――」

「ちょ、ちょっと待って。…図々しい?」

私は貯まらず口を挟んだ。普段は強気な丸谷武智くんらしくない言葉だと思ったし、その真意さえわからなかった。

「図々しいってどういうこと?何かを書いてみたいという気持ちが図々しいの?」

「そうだね」

「どうして?何かを表現したい気持ちって、わりと人間の根源的な欲求じゃないのかな」

「どうなんだろう。さっきも言ったように、世の中にはもうこれだけの本が存在している。そのすべてを読んだわけでもないくせに、自分にしか書けないものがあるはずだと思っていることを傲慢に感じるのかな。自分を過大評価しているだけだろうって」

「ごめん全然わからない」

「自分という人間に価値があるって信じているから、文章を書くなんていうナルシスティックなことが平然とできちゃうんだよ。少なくとも僕はそう軽蔑していた。それなのにさ、驚いたことに僕にもその欲求があったんだ。ためしに何か書いてみよう思ったところから始まって、いざ書いてみたらこれまでの人生では味わったことのない気持ち良さが得られた。脱稿の瞬間なんてエクスタシーに近い快感があったよ。

(P235-236)

以前、実は小説家を目指していたことがあるとお話しました。

エクスタシーに近い快感はありませんでしたけれど、私にも文章を書きたいという欲求は確かにあって、しかもそれは今でも強く残っています。だからこそ、ブログという形で今、文章を書いているわけですから。何かを表現したいという欲求の形は変わりましたけれど、これはきっとこのまま消えることはないのでは…と思います。むしろそうであってほしいとも。

最近、またふつふつと物語を書いてみたいという欲求がでてきていて困ります。たぶん、書ききることができないし、何かを書きたいという案があるわけではないんです。ただ、物語を書きたい。本当に0から1を生み出す段階です。それにすら立てていないのかもしれませんけれど。もうしばらく、この胸のもやもやとは付き合っていくことになりそうですね。

書店

思えば、書店というものは不思議なものだ。再販制度のおかげで定価販売が義務づけられ、置かれている本のラインナップにそう違いがあるわけじゃないのに、食指の動く書店とそうじゃない書店というものが間違いなく存在している。

(P245)

冒頭で、お気に入りの書店を作って、それ以外ではひやかしこそすれ、購入はしないというお話をしました。それってこういうことなのかなと。

本は基本的に、中古でなければどこの書店で購入しても一律同じお値段です。そして、大体の書店では新刊本コーナーなどのラインナップは大きな違いはありません。それでも、ココというお店ができる。不思議なんですよね。大きければいいって問題でもないし、人情味があればいいというものでもないんです。早く、そういったお店を見つけられたらいいのですけれど。とりあえず積読ダイエットしつつも、ほしい本が溜まっているので、何冊か購入したい…できれば書店で。

まとめ

続編が出そうなラストで終わりますけれど、実際のところはどうなのでしょうか。そうみせかけて出ないかもしれませんし、やっぱり出るかもしれません。出たらきっと読むんだろうなぁと思います。

とりあえず、おもしろかったです❀