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シンプリストになりたいのです

映画・この世界の片隅に(&さらにいくつもの)

恋愛ものとか、コメディとか、歴史ものとか、ゾンビや幽霊などのホラーとか、映画にもいろいろな種類がありますよね。私は血潮が飛ぶような描写や暴力描写が苦手ですので、ホラー系や闘いを描いた映画はあまり観ることがありません。

あと、どうしても苦手なのが戦争をとり上げた映画です。小学4年生の頃、戦争学習の一環で「はだしのゲン」を観ました。前半のシーンはあまり覚えていませんが、それでも原爆投下以降のシーンはとてつもなく印象に残っていて、それがまぁ言ってしまえばトラウマのようになってしまったように思います。それ以降、戦争を題材とした映画には苦手意識が出てしまってジブリの「火垂るの墓」も観れていないのです。

いつか、向き合わなければいけないと思いつつも三十路を越え、最近ではTVで「火垂るの墓」を放映しなくなったように感じます。やっぱりいろいろと難しいのかなって思ったり。

今日はその流れでやっと向き合えた作品についてネタバレ交え綴ろうと思います。

この世界の片隅に

第二次世界大戦下の広島・呉を舞台に、大切なものを失いながらも前向きに生きようとするヒロインと、彼女を取り巻く人々の日常を生き生きと描く。

昭和19年、故郷の広島市江波から20キロ離れた呉に18歳で嫁いできた女性すずは、戦争によって様々なものが欠乏する中で、家族の毎日の食卓を作るために工夫を凝らしていた。しかし戦争が進むにつれ、日本海軍の拠点である呉は空襲の標的となり、すずの身近なものが次々と失われていく。それでもなお、前を向いて日々の暮らしを営み続けるすずだったが…。

(映画ドットコムより引用)

eiga.com

感想

この世界の片隅に」を観ようと思ったのは公開当初の2016年でした。観なくては、観なくてはと思いながら、2023年。7年もの歳月が過ぎてしまいました。

その理由は先ほど述べた戦争映画への苦手意識が原因なんですけれども、そろそろ腰を据えて向き合おうと思ったのが数日前。そして覚悟して再生ボタンを押したのでした。「この世界の片隅に」は戦争賛美でも、戦争反対でもなく、ただ当時の情景をあるがままに写し取ったような映画でした。本当にすずさんという女性がいて、その女性からこんなことがあったんだよと、昔語りを聞くようなそんな感覚になる映画だと思います。

冒頭、「森永チョコレート」の看板から始まる本作。すずさんの幼少期、昭和初期の段階で既に森永のミルクチョコレートやミルクキャラメルなどの甘いお菓子が日常のちょっとした贅沢として溢れ、街頭にはクリスマスのサンタクロースの恰好をした客引きが陽気に声を上げる。そんなシーンから始まります。しかし物語が進むにつれ、戦争が進むにつれ、お菓子はなくなり、普段の食料もなくなり、調味料すらなくなり…とどんどんとなくなっていく姿が、印象的でした。序盤で兄妹へのお土産に何のお菓子を買おうかと悩んでいたすずさんが、ラストで配給の列に並びながら「さぁ。なんでもええですよ、なんでも足らんのですけぇ」と答えるシーンは見事に対比しているようです。

この物語ですずさんは常に何かを失い続けます。食料も、昔馴染みの友人も、家族も、大好きな絵も、あれもこれも。もちろん残る物もあって、0になるわけではないのだけれど、それでも生きていく、前を向いていくって…なんというか、そうせざるを得なかったんだなぁという虚しさのようなものが胸に刺さってとても痛かったです。

さらにいくつもの

この世界の片隅に」には別に「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」という長尺版があります。大まかなストーリーは「この世界の片隅に」とは変わりませんが、(さらにいくつもの)の方が恋愛色が強いと表現すればいいのでしょうか。

どちらの映画でも共通してすずさんは「りん」という遊郭で働く女性と出会います。すずさんが迷子になり、その際に描いていた絵をきっかけに2人は知り合うのです。「この世界の片隅に」ではその場で別れて以降、特に仲を深めることはありませんが、(さらにいくつもの)では、2人は友人のように仲を深めていきます。しかし、自分はその女性の代用品であるかもしれない、そう知ったすずさんの心はとてつもなく不安定に揺らぐのでした。

もともとの原作漫画にはあったけれど、監督がなくなくカットした(?)シーンを追加・再構成した(さらにいくつもの)。もちろんですが、これをみるかみないかでは、物語の受け取り方も変わってきます。

「この町ではみんな誰かを無くし、探している。うちもりんさんを2~3度見た気がした」

この世界の片隅に」でのすずさんのセリフ。これが何故なのかよくわからないでいました。どうしてお母さまじゃないのだろうと。それが気になって「この世界の片隅に」観終わった後に「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」をみて、あぁそういうことかと解りました。あぁそういうことか…と。またすずさんがどうして急に嫁入りすることになったのかとか、その辺りもファンタジーの夢物語としてではなく、リアリティをもって描かれているのも魅力的でした。あぁそんなに簡単な話ではなかったのだと、改めて気が付かされたのです。

お子さんが観るなら「この世界の片隅に」、そして更に深めたいのであれば「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」がいいと思います。

”よかった”

ここからは特に印象に残った台詞を紹介したいと思います。

「よかった」

「よかった」

「よかった」

どこがよかったんか、うちにはさっぱりわからん

いくつもの大切なものを失っていくなか、周囲は残ったものをみて「〇〇がのこってよかった」「××が大丈夫そうでよかった」というような、優しさや心遣いをこめた「よかった」という言葉をすずさんにかけます。

けれどそれは失ったものを見ていない、もしくは見てみぬふりをして流しているようにも聞こえる台詞。なにも良くなんてない。なにも大丈夫じゃない。よくないことは百も承知で、それでも生きていくために「よかった」といって自分達を慰めるしかないような、そんな台詞に私は感じました。大切なものを失って、残っているものをみて「よかった」なんて言えない。よくなんてない。それでも「よかった」と言わざるを得ないんだなぁっと。

なんのために

飛び去っていく。うちらのこれまでが。それでいいと思ってきたものが。だから我慢しようと思ってきたその理由が。

あぁ海のむこうからきたお米、大豆。そんなもんでできとるんじゃなぁうちは。じゃけぇ、暴力にも屈っせんとならんのかねぇ。

あぁ、なんも考えん、ぼぉっとしたうちのまま死にたかったなぁ。

実は、お恥ずかしながら呉が空襲にあっていたということを私はしりませんでした。呉に戦艦があったということは知っていたのですけれどね…。ですがよく考えると、そういった場所が狙われないはずありませんよね。毎日のように空襲警報がなり、時に流れ作業になりつつも、それでも命の危機を感じ、実際に命を落とした人、疎開した人、疎開したくてもできなかった人、そういった人がいたことにまで想像が及んでいませんでした。ですからこの映画の舞台が「呉」だと聞いたとき、さほど戦争に関する描写はなく、困窮した生活の中でもつつましやかに生き、広島に投下された原爆を対岸の火事として知る少女のお話くらいに思ってしまったんです。本当に自分の無知が恥ずかしいですね。

ですが実際に作品に触れてみるとそうではなくて、呉での空襲がいかに大変だったかを知り衝撃をうけました。だからこそ、このすずさんの台詞は本当にささってしまって…。お国のためにとか、戦争のために、世間の目のために、耐えてきたのに、負けてしまっては 今まで自分たちが失ってきた物は我慢してきた物はなんだったんだという…もう悲痛な叫びがね…。なんだったんでしょうね。勝っていれば、それらはもしかしたら名誉の負傷になっていたかもしれないそれらが、崩れてしまったような…そんな感覚がありました。そういう感覚を今まで戦争に関する物語から感じたことがなかったので、困惑してしまいました。戦争反対!というストレートな言葉ではなくて、もっとこうえぐってくるような言葉だと思います。

白米

なにしとんのじゃぁ。せっかくの白い飯が見えん。

終戦後、白米を炊いた北條家(すずさんの嫁ぎ先)にて。お義父さんが電球にかけた暗幕をはずしながら言うシーン。「戦争はおわったのだ」というわかりやすいシーンです。

当時は明りがあると狙われてしまうからと、照明に暗幕をして外に光が漏れないようにしたと習った記憶があります。それを外すということは、もう攻撃されることがないということ。呉の町に、1つ、2つと明りが灯るシーンは、再興していく希望のようにも見えました。なんの変哲もない淡々としたシーンなのに、こんなにもあったかいのはどうしてなのか。

居場所

あんねぇ、売られた子でもそれなりに生きてるんよ。この世界に居場所はそうそう、のうならせんよ。

最後に紹介するのは(さらにいくつもの)でのりんさんの台詞。りんさんの居場所はどこだったのでしょうか。最終的には、北條夫妻の記憶であったり心の中がりんさんの居場所なのでしょうか。それはそれで贅沢な、素敵な居場所のような気もします。

おわりに

片渕須直監督はもともとジブリにおられた方だと記憶しています。だからか、お茶碗の持ち方、箸の持ち方、全てにおいて本当に流れが細かい。もうアニメーションなのにアニメーションではないというか、全ての登場人物にきちんと背景があるような感じがしました。置いてある物にも無駄がなくて、私はこの当時のことを全然いりませんけれどそれでも、きっとこういうものがここにあってしかるべきなんだろうなぁって。だからこういう人たちがいたんだろうなというのも、繋がってきて全体的にリアルに感じました。

絵柄はほんわかとして優しいですし、主張も強くありません。「こうなんだ!」と押し付けてくるわけではなくて、「こういうこともあったんだよ」と。本当にすずさんという女性が生きておられたんじゃないだろうかと、信じるというよりは「知る」ことができた作品でした。

観て、よかった。