SIMPLE

シンプリストになりたいのです

本・たりる生活

マキシマリストだったころ、クローゼットの中には100着以上の衣類が詰め込まれ、本棚からは数百の漫画やらがあふれ出し、部屋中には物の山がいくつも形成されていました。それらを断捨離し、ミニマリストを目指すようになったのが今から7年程前。今はシンプリストとして生活するなかでものは幾分か増えましたが、それでも「ものは少ない方」だと思います。

断捨離をするにあたって様々な本を読みました。「一気に捨てるべき!」とか「週末ごとに数を決めて捨てましょう」とか「1日1捨」とか、まぁいろいろ方法は人それぞれ。私はというと、まとめて捨てて、またしばらくしてその環境に自分が慣れてきたら捨てて…を7年間繰り返してきたように思います。要は、断捨離っておわらないんです。普通に生活しているだけで仕事用のものであるとか、プライベートのものであるとかは意識しておかないと無意識に増えるという不思議。今も定期的に断捨離しては「何故こんなに捨てるものがあるのだ?」と不思議に思うのでした。

今日はとある1冊の本をご紹介したいと思います。

たりる生活・あらすじ

群ようこ著・たりる生活

いつのまにか前期高齢者となり「終活」を意識するようになった著者は1人暮らしには広すぎる部屋と物の多さをどうにかしようと引っ越しを検討するようになります。愛する老猫が一緒のあいだはそのままに、いずれは…と考えていた矢先 愛猫は虹の橋へと旅立ってしまうのでした。

引っ越しするぞと決めたものの、まず部屋探しで難航。ご自身の年齢を加味してインターネット検索するとなかなかにいい間取りが見つからないのです。今住んでいる部屋よりコンパクトな1人暮らしでちょうどいいサイズ感、そして東京都内での家賃の高さ、駅からの距離、そして実際に内見したときの雰囲気…。なかなか希望にあうものは見つかりません。

平行して行われる長年溜めに溜めた物を減らしていく作業もこれまた難航。二十年以上住み続けたその部屋には二十年以上溜めた物で溢れています。またご職業柄たくさんの本を所有していらっしゃるので、これの選別がまた大変。絶版している本、またいつか再読したいと思う本と残したい本は山のよう…。

さて本当にお引越しできるのかしら?といったエッセイです。

感想①終活について

著者のとあるご友人のお話。ご友人のご両親は喜寿を越えいまもご健在。そんななか、まだ五十代半ばの弟さんが急死(心臓発作)されたという。まさか先に逝ってしまうとは信じられなかったというご友人。

年齢も関係なく、そういう出来事は起こる。私も頭でわかっていても、実際に近しい人から話を聞くと、いつ誰に起こってもおかしくないとあらためて思う。よく、明日亡くなってもいいように、一日、一日を過ごそうという言葉を耳にするが、本当にそうだと思いながらも、毎日、そう思っては暮らしていない。必ず自分に明日はやってくると信じている。かといって明日はこの世にいないかもと、びくびくしながら暮らすのも変だし、そういうことは多々あると、肝に銘じていたほうがいいのだろう。

(P13より引用)

亡くなられたご友人の弟さんの遺品であったりを整理する中、一番苦労したのが「パスワード」。PCやスマートフォン、銀行口座、なにをするにも必要な「パスワード」が解らなければ、もう手続きがなにかと大変らしい。

私はいま33歳。普通に病気も事故もなく平穏に過ごしていたら お迎えがくるのはまだまだ先のこと(そうであってほしい)。そう思いながらも、自分にもしものことがあったときはと 月に1度だけでも考えるようにしています。防災鞄の見直しを毎月15日あたりにするのですけれど、そのときが考えるタイミングとして一番多いでしょうか。もし自分にもしものことがあったときどうしてほしいか というのはなかなか誰かに話すことはないでしょうけれど、臓器提供であったり延命処置であったりの意思表示は母と夫には伝えています。今回このお話をよんでみて新たにパスワードやネット銀行なんかについても夫と話しておかなければならないなぁと思いました。

感想②今

引越しのために日々不要なものを処分していく著者。しかし物は一向に減る気配がありません。バザーにだせるものはバザーにだして、それ以外は資源ごみであったりと出せるところに出しているのに、出せど出せど減っているようには見えない不思議。

「わかる…!」と同意ボタン的なものがあれば連打したい気持ちになりました。

保存してあったミニマリスト関係の生地を再び読んでみた。彼、彼女たちの物を処分するときの気持ちの共通点は「今」だった。今、必要ではないものは処分する。そして処分するときはもったいないという言葉は忘れる。自分がなぜ、スムーズに本を処分できないのかを考えてみると、「今」という点の感覚ではなく、「今を含めてこれから先」の線の感覚しか持っていなったからだとわかった。

(P38より引用)

これは難しい課題です。たしかに「今」を基準に物を捨てることができれば、部屋中の物は殆ど処分することが可能です。今も私がミニマリストを目指していれば迷いなく応といえるのかもしれませんが、今は否とまではいかず「中」といった感じでしょうか。

「今」は当然大事です。そして「これから先」も。ただこの「これから先」が本当にある「これから先」ならいいのですけれど、こない場合が殆どなんですよね。例えば綺麗な空き箱を見つけたときに思う「これ何かに使えるかも~」。本では「いつかは来ない」と言いますが、主婦をしていると「いつかが来ることもある」と思わざるを得ないのです。このあたりの線引きが難しいところだと思います。

私としては「捨てる基準」と同じくらい「持つ基準」を持つべきかと思います。数を決めておく、期限をきめておくといった手間は惜しまない方が後々の自分のためになるのです。

あと「捨てる基準」として心がけているのは「過去」。これはこれで難しいのです。過去の栄光であったり、思い出の品…今も持っている物はあります。これから少しずつでも減らしていきたいとは思っています。この辺り、もう少し自分を律せねばならないな…甘いな…と言わざるを得ません。私も大きな断捨離Dayをまた設けてそのあたりを手放そうかと思ってはいます。(いつになることやら)

感想③本

本を処分できたのは、私は本を読むのが好きだったはずなのに、あるとき、ただ所有して並べているのだけが好きなのではないかと気がついたからだった。持っていた本のなかで再読するものもあったが、次から次へと読みたい本を買ってくるので、本は棚に置かれたままだった。いわゆる「積ん読」だが、ふと目をやってそこにあるというだけで満足していた。物には所有する喜びもあるのだけれど、私の場合は、特に稀覯本があったわけでもないし、ただ置いておきたかっただけだと思う。

(P43より引用)

こちらもまさにです。冒頭で数百の漫画を所有していたと書きましたがこれは誇大などではなく本当の話です。中学生くらいから大学生にの頃にかけて漫画をよむことが好きでしたので部屋には漫画を入れるケースがあちらこちらにありました。そしていつからか、小説を買うようにもなり、結構な数の本を持つようになりました。ただ、それらすべてを「楽しんだのか」と問われると微妙なところです。もちろん楽しんで読んだ本もありますけれど、読まずに本棚に並べているだけ、表紙のデザインが好きだから買っただけ…という本も多かったように思います。

感覚ですけれど、所有・消費することが目的となって、それらを摂取することが目的とはなっていなかったように思います。数多くの本を読んでいる自分、所有している自分という偶像を構築することが目的となっていて、その作品そのものを楽しもうという気持ちは薄れていたように思います。

それに気が付いて、多くの本を断捨離したり電子化するようになりました。壁一面が本棚というお部屋も素敵ですけれど、私にはその管理はできません。今のケース2つ分がちょうどいいのだと思っています。今も積読はありますし、読みたい本リストはたまっていく一方ですけれどね。

それでも本を断捨離してからの方が、本とは定期的に触れ合っているようにも思います。適当に読む本、適当に買う本は減りました。図書館で借りる本の選書を適当にしてしまうことはありますけれど、まぁそれは置いておいて。読むと決めた本は正面から向き合いますし、こうしてブログや読書ノートに綴るなどして血肉にしているような、そんな気がしています。

感想④買うのは、ちょっと待て機能

クローゼットの中に足袋だけで八十足以上あったという著者。周囲にその話をすると、なんと木綿のスカートだけで百十着も持っていたという女性があらわれます。

「これ、素敵」とか「コーディネートしやすそう」といった気持ちが先だって、クローゼットにどれだけ枚数があるかなんて、考えもしなかったのに違いない。クローゼットや引き出しの中の衣類を見ると、同じような色や形のものが複数あるという話はよく聞く。それと同じようなものではないだろうか。興味を引かれる新しいものを見たとき、「買うのは、ちょっと待て機能」が働けばいいのだが、それが作動しないと、「買ってみよう機能」だけが働いてしまう。そうならないように、常日頃から、「ちょっと待て機能」が働くような頭の訓練が必要なのだ。

(P205より引用)

いつの間にか増殖する靴下とタイツ。秋の暮れに新たに黒タイツを購入して春の盛りに不要分を処分することが多いのですけれど、いつの間にこんなに増えたの?と思うことが多々あります。分裂したの?増殖したの?と聞きたくなります。

そんな感じでクローゼットのなかに同じようなワイシャツが大量にあることってありますよね。わかります。私は基本的に小花柄のワンピースを除いて、柄のある服を着ません。Tシャツも白無地、ワイシャツも白無地、トップスも白無地(もしくは黒無地)といった具合に気が付けば白無地のオンパレードになることも。レース素材などの衣類をきることもあるのですけれど、それも白や生成り一色なので並べると本当に似た服ばかりが並びます。

普段から買い物を頻繁にするわけではありませんが、たまにする買い物でこのありさまです。「ちょっと待て機能」が切実に欲しいところ。衣類を購入するときは「こういう服が欲しい」と決めていくのでまだいいのですけれど、便利グッズとかってつい購入してしまうんです。隙あらば作動する「買ってみよう機能」、とくにお菓子に対してはゆるゆるですので、もう少しネジだかをしっかりしめていきたいものですね。

感想・全体を通して

前期高齢者でありながら気持ちは35歳の著者。33歳でありながら気持ちは25歳で止まっている感覚でいる私は、わかるわぁと思うことが多々ありました。また、自身が経験した断捨離エピソードと酷似したことも描かれていて、誰しもが通る道なのやもしれぬと悟った気持ちにもなりました。

実は群ようこさんの作品は初めましてだったりします。お名前はずっと以前から存じ上げていましたし、有名な作家さんであることは存じ上げていましたけれど、どんな作品を描かれるのかまでは把握しておりませんでした。

読みやすい文章で、淡々と描かれる描写が好きです。女性がかかれる、女性向けのエッセイですので「わかるわかる」と読むのが楽しい。ところどころに含まれる毒もまたちょうどいい。失礼を承知で「あぁ好きなおばちゃんだな」というのが一番の感想でした。群さんの他の作品も読んでみたいなぁと思えるエッセイでした。

こういった本を読むと、捨て欲がむくむくと湧き上がってくるのがわかります。クローゼットと開かずの扉の中を近日中に整理したい!この欲求がおさまる前に!

そんなわけで片づけをしてきます。それでは