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シンプリストになりたいのです

ゆる ミニマリスト のすすめ

私はミニマリストに憧れていました。ガランとしたリビング。必要最低限のモノだけが理路整然と置かれた室内。電子機器は最新のapple製品を使いこなし、「OK、○○」なんて話しかければカーテンの開閉から何から何まで処理できる、そんな生活。しかしながら実際のところ、私にはあっていなかったらしいです。

そんな私がおすすめしたいのは ゆるミニマリスト。今回はそのことについて綴っていきたいと思います。

そもそもミニマリストとは?

よく耳にするミニマリストとは何なのでしょうか

ミニマリストといえば最小限のモノで生活している人々の総称というのが一般的なイメージなのではないでしょうか。本来は芸術分野で使われる言葉だった…とかいろいろありますが、その辺りは今は置いておくとして。

メディアでとり上がられるミニマリストのイメージは少々過剰なような気もしますが、そんな彼らもミニマリストの 一部 だと解釈してもらえればいいと思います。要は自分にとって必要なモノだけ残し、それ以外は手放した生活スタイルをおくり、モノ・金銭・時間から解放されるというのが魅力だと言えるでしょう。

私にとってのミニマリスト

私が「断捨離」という言葉を初めて目にしたのは25歳頃でした。当時働いていた職場(公共図書館)で目にした本を手に取って、意味を理解したとき とてつもなく感動したのです。

その頃の私は様々な物事に雁字搦めになってしまって、一歩進めば足が絡まり転倒しながらもズルズルとそれらを引きずって生活しているようなものでした。それらを全て捨ててよいのだと、やっと気が付いたのです。

それから8年近くたち、たくさんの断捨離やミニマリストに関する書籍を読みました。そして私自身もミニマリストになるため、かなりのモノを処分しました。衣類、書籍、DVD、雑貨、そして人間関係にいたるまで、手放せるものは随分と手放しました。定数を決め、極力モノを買わない生活を心掛けました。

私にとってミニマリストとは過去からの解放でした。

ミニマリストへの違和感

しかしながら最近ふと思うのです。あれ?なんか違くない?と。増やしたい願望はないのですが、減らせないことへのストレスが常に付きまとうようになりました。

私がどれだけTVは観ないから不要だと伝えたところで、毎朝NHKニュースを観る夫には「必要最小限」の中にTVは含まれることになります。私の不要品=夫も不要品とは当然限らないのです。これがストレスだったのです。

そしてこのストレスの原因は「ミニマリストはTVも手放し、観たい番組はサブスクやスマホで済ます」といった固定概念が私の中にこびりついて、そうなれない自分が嫌だったのだと思います。

8年もミニマリスト生活をしていると周りからも「ミニマリストである自分」が求められるようになります。そしてそのストレスも益々大きくなりました。

そして思い出すのは断捨離を知った、あの頃のこと。私はミニマリストというカテゴライズに雁字搦めになってしまっているではないか?ミニマリストは手段であって目的ではないはずなのに。

…そんなわけで、2023年からミニマリストではなく、ゆるミニマリストになろうと決意したのです。

ゆるミニマリスト

ゆるミニマリスト、その名の通り 緩いミニマリスト。強迫観念的に最小限主義でなくてはと考えないようにすること。

今のところモノをたくさん買うぞー!といった欲求はありません。激しい物欲はミニマリスト時代にどこかに捨ててしまったらしいです。ですので、大きく何かが変わったわけではありません。

現状かわったのはリビングに鎮座するTVにストレスを感じなくなったことくらいです。「私はもうミニマリストではない、だからTVがリビングにあってもいいのだ」と思うようにしています。ちなみにリビングにあるからといって、私にとっては相変わらず不要ですのでリモコンのボタンを押すことはありません。ジブリ金曜ロードショーで公開されるときだけ、TVをつけることにしています。あとはブラタモリかな。

こんな私の暮らしは「シンプリスト」というものに近いらしいのです。

そんなわけで、ミニマリスト改め、ゆるミニマリスト または シンプリストとして暮らしを続けていこうと思っています。

 

 

こういった「カワイイから欲しい」という理由での買い物も悪くないです