SIMPLE

シンプリストになりたいのです

汽水域を揺蕩う

来月、12/1に東京ビッグサイト文学フリマ東京39というイベントが開催されます。

以前も綴りましたが、文学フリマ東京39に出品する同人誌に私も参加させていただくことになりました。誌名は『汽水域』。私はエッセイを2本と挿絵を数枚描かせていただき、貴重な体験となりました。bunfree.net  (詳細はこちら↑)

今回は、エッセイの一部のみですがサンプルとしてご紹介したいと思います。

フジツボな私』

三年程前、愛知県にある名古屋港水族館で見たマイワシトルネードに魅了されてからというもの、すっかり水族館の虜になってしまった私。国内の水族館情報を調べては、にやにやと唇を反らせて来館している自分を妄想して悦に入る、というのが最近のマイブームとなりつつあります。

「水族館なんてどこも大して変わらない」なんて、以前の私は思っておりました。しかし、水族館によって飼育されている生きものの種類は様々ですし、展示方法もそれぞれ創意工夫がされています。

「国内ではこの水族館でしか会えない」という生きものに会えたときは、まるで有名人に会えたかのような、そんな喜びさえあるのです。

先日、動画配信サイトを見るともなく見ていたときのこと。流れてくる動画を気に入れば最後まで見て、そうでなければスワイプして次の動画。この一連の動作をただひたすら繰り返すだけの空虚な時間を過ごしておりました。そこでふと、一本の動画が目に留まりました。 

一艇のヨットに乗る男性が、ターコイズブルーの海を漂うウミガメを掬い上げました。ウミガメは前肢をバタバタとさせて抵抗しますが、あまり意味をなしていないようです。そのウミガメをよく見ると甲羅に何かがびっしりと付着しています。どう見てもウミガメの甲羅ではありません。それらは海辺の岩場やテトラポット、護岸のコンクリートなどでよく見るフジツボだったのです。男性は、ウミガメの甲羅にこびりつくように付着していたフジツボを一つ一つナイフで取り除いていきます。そして、無事全身のフジツボを取り除かれたウミガメは、再び海へと帰っていくのでした。

何故かその動画にひどく見入ってしまい、気がつけば繰り返し再生している自分がいました。それ以来、その動画配信サイトのアルゴリズムが気を利かせたのか、同様の動画が多く流れるようになってしまいました。私も見なければいいものを、ついついその都度見入ってしまい、ますます動画の頻度が上がるばかりです。

ただその動画配信サイトもフジツボに寄生されたウミガメの動画ばかりを流していれば、こちらが飽きることを知っているのでしょう。少しずつ動画の種類を変えてきたのです。フジツボに寄生されたウミガメの動画は、いつしかフジツボに寄生されたクジラの動画に変化し、更に今では様々な海洋生物の解説動画へと変貌を遂げています。

これらの動画をきっかけに、水族館にいるウミガメの甲羅と大海原にいるウミガメの甲羅には大きな差があることを知りました。水族館で見たウミガメの甲羅は、赤みを帯びた黄色に濃褐色の斑点が美しく、まるで鼈甲(べっこう)細工のようだと惚れ惚れと眺めておりました。ちなみに鼈甲は、ウミガメの一種であるタイマイの甲羅を加工したものだそう。ウミガメを見て鼈甲細工みたい、なんて思っていましたが、ウミガメそのものだったとは。今までウミガメの柄を模して作っているとばかり思っていましたから、一人驚愕したものです。

更に動画の内容から、未だ骨格標本やレプリカでしか会ったことのないクジラの背中には、たくさんのフジツボが寄生しているのかもしれないと知りました。本当に世の中は知らないことばかりです。

しかしながら、最近流れてくるクジラの動画や海洋生物の解説動画には少し物足りなさを感じてしまいます。どうやら私はウミガメの甲羅や腹から容赦なくこそぎ落とされ、一掃されていくフジツボが見たかったようです。寄生されたウミガメにも、こそぎ落とされてしまうフジツボにも大変申し訳ない限りなのですが、ナイフでベリベリとフジツボがこそぎ落とされていく様子は爽快感すら覚えます。何かが綺麗に掃除されていく様を見ることは、とても気持ちが良いことなのです。

更に、フジツボたちを見ていると、なんとも言えない複雑な感情が沸き起こります。一体この感情の正体は何だろうと、よくよく考えてみました。すると、私はウミガメに寄生しているフジツボに対してズルイと感じ、こそぎ落とされていく様をみて、あろうことかいい気味だと感じていたのです。その反面、こそぎ落とされたフジツボを可哀そうにも感じている。そんな感情が入り混じっているようでした。

私の中でフジツボは、海辺の岩場などで生息する生きものというイメージでした。一度そこに居を構えれば、一生そこに住み続けて頑なに動かない。同じ環境でいることを甘んじて受け入れ、その一生を終えるのだと。

ところが、ウミガメやクジラに寄生しているフジツボは宿主が大海原に乗り出すのに便乗し、本来であれば知ることのできなかった世界に触れることができるというではありませんか。しかもその旅にタダ乗り同然。そして見逃せないのが、寄生されたウミガメは細菌感染のリスクが上がったり、フジツボの重みなどが原因でうまく泳げなくなったりするそうです。他者の自由に勝手に便乗するうえ、その相手に不自由を強いるとは。フジツボ、なんと憎たらしや。これはこそぎ落とされて当然、いい気味だわ、と思っていたのです。

今にして思えば、フジツボ相手に何をそんなにムキになっていたことやらと思うのですけれど。ただどうしても、フジツボがウミガメやクジラの自由を奪っているように見えて仕方なかったのです。

先日、とあるビジネス小説を読みました。そこには〝私の自由の裏側には、誰かの不自由があることを肝に銘じなければならない。そして、私も誰かの不自由を受け入れることで世の中は安定する〟といったことが書かれていました。

(続きは『汽水域』にて)

よもやま話

今回書いたのは『フジツボな私』というフジツボをテーマにしたエッセイと、『深海に沈む』という鯨骨生物群集をテーマにしたエッセイです。

ここは誰でも通り過ぎることができる場所です。だからこそどうしても表現がソフトになることがあります。エッセイではあえて想像したときの”気持ち悪さ”を楽しむ心の偏りのようなものであったりを表現したいと思って綴りました。

もうひとつはブログでも意識していることですが、読んだ人に何か1つでもいいので情報を伝えること。「へぇ~そんなことがあるんだ」みたいな発見であったりをお届けできたら…と常々思っています。ですのでエッセイでも、フジツボの生態や、鯨骨生物群集をテーマにしました。

私のつたない文章を何度かに分けてブラッシュアップしていただきました。文学フリマ東京に行くよ~!というかたは是非、お立ち寄りいただければと思います❀