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シンプリストになりたいのです

映画・「ゴジラ-1.0」の感想

Amazonのprimevideoに「ゴジラ-1.0」が5月頭に追加されました。アカデミー賞で視覚効果賞を受賞するなど華々しい賞を受賞しているのを聞いて、ぜひ見てみたいなと思っておりまして。

やっと拝見することができましたので、感想やあらすじなどを ネタバレ交えて 綴っていきたいと思います。

ゴジラ-1.0 の あらすじ

1945(昭和20)年、第二次世界大戦末期。

主人公である敷島浩一は特攻隊として出撃するはずでした。敷島は一人、機体が故障したと小笠原諸島 大戸島にある臨時飛行場に不時着します。しかし整備兵が機体を確認するも、異変は何も問題は出てきません。機体故障は偽りだったからです。

「いいんじゃないですか、あんたみたいなのがいたって。死んでこいなんて命令 律儀に守ったって、この戦争の結果はとうに見えてる」

ふと海を見ると、なぜか数匹の深海魚の死骸が浮いていました。その夜、突然サイレンが鳴り響きます。全長15メートルほどの巨大な恐竜のような生物が彼らに襲い掛かります。

ゴジラってやつじゃ…」

「なんだそりゃ」

「島のやつがそう言ってたんだ。今日みたいに深海魚が浮いた日はゴジラが来るって」

整備兵たちと敷島はなんとかゴジラから逃れようと隠れます。そこで整備兵の一人である橘は、敷島に零戦に搭載されている銃でゴジラを撃ち落とすように言います。しかし、敷島は恐怖で身体が固まり撃つことができません。結果、敷島と、橘以外の兵隊たちはみんなゴジラに襲われて命を落とすのでした。

その後、敷島は船で東京の実家に帰ることになりました。道中、橘はゴジラによって命を落とした整備兵たちが持っていた写真を敷島に渡すのでした。

なんとか敷島が帰宅するも、自宅周辺は空襲のせいで焼け野原でした。隣家に住む女性 太田澄子は、特攻隊になった敷島が戻ってきたことに驚きます。そして我が子を亡くしていたしまった恨みを、彼にぶつけるのでした。そして、敷島の両親も空襲で亡くなってしまったことを告げるのでした。

「生きて帰ってこい」そう言いましたよね…

敷島が闇市で食事をしていると、見知らぬ女性に赤子を託されます。見捨てることもできず困り果てますが、なんとか女性と再会することができました。女性の名前は典子、そして赤子はアキコと言います。典子とアキコの2人は親子ではなく、空襲の際に託されたのだそうです。そして典子も空襲により、家族を失っていたのでした。その後、成り行きで共同生活が始まります。

面倒はごめんだよ

最初こそツンケンとした態度の澄子も手伝って、アキコは少しずつ成長することができました。

敷島はなかなかに職に就くことができないでいましたが、何とか職をみつけることができました。それは米軍が戦時中に残した機雷の撤去作業です。給金ははずみますが、命の保障はない…そんな仕事です。機雷に反応されないための木製の船に乗って、機雷を撤去していく日々が始まりました。

船に同乗しているのは船長の秋津、乗組員の青年 水島、そして元技術士官の野田でした。それからは何とか生活に余裕もでき、バイクを購入したり、家も新にすることができました。

しかし、敷島は過去のトラウマから典子を妻として迎えることはできないでいました。

そんな敷島にいつまでも頼るわけにはいかないと、典子は銀座で事務の仕事を見つけてきました。勤務中は澄子がアキコの面倒を見てくれます。

1947(昭和21)年。再び、敷島の前にゴジラが現れます。以前みたときよりさらに巨大に、そして強靭になっていたゴジラ、なんとかその場でダメージを与え逃げることはできました。しかし、ゴジラはこのまま日本へと進行してくることは目に見えています。なんとか住民の避難や対処をと敷島は言いますが、日本政府は情勢や責任逃れから誰も対処せず、かん口令が出されたのです。

敷島のトラウマも改善されず、ゴジラに襲われ、整備兵たちが殺されていく日々を今でも毎日夢に見ます。

「また悪い夢?」

「…夢?あぁ、そうか。夢…だよな。それとも君が夢か…」

自分が生きているのか、実はすでに死んでいて、これは死んだ自分が見ている夢なのか、それすらわからなくなっていったのです。

「生き残った人間はきちんと生きてゆくべきです」

「典子さんに何がわかるって言うんですか」

「わかります。私の両親は火に焼かれながら生きろと言いました。だから私はどんなことがあっても死んではいけない。そう思ってきました」

そこから、敷島は典子とアキコのためにもう一度、きちんと生きようと心に誓います。

しかし、またもゴジラは敷島の前にやってきます。現れたのは、典子が働いている銀座だったのです。戦争や、それによる空襲をも耐えた銀座の街がゴジラによって壊されていきます。そしてついに典子の目の前にゴジラが迫ってくるのでした。

盛大なネタバレを含んだ感想

ゴジラ映画と戦争映画をうまく融合させた作品だな、というのが一番の印象でした。予告の段階で、戦後すべてが無(ゼロ)になってしまった日本。そこにさらに追い打ちをかけるゴジラ(-1.0)がやってくる…!みたいな内容だったように記憶しています。ですので、戦後日本というのはわかっていましたが、私はどちらかというと、当時の(今よりは乏しい)技術力でいかにしてゴジラを倒すのか?みたいな話だと思っていました。

全体を通して描かれているのが、戦争を生き抜いた(というより生き抜いてしまった)男たちがいかにして自分の中での戦争を終わらせるのか みたいな物語です。

あなたの戦争もおわっていませんよね

であったり、

「今度は役に立てるかもしれないってことがな」

「役に立つ…か」

「俺たちは戦争を生き残っちまった。だからこそ今度こそはってな」

という台詞からそういったテーマが読み取れます。ここまでだと、まぁ今までの戦争もの映画の段取りだよなぁという印象です。

けれど、ここからが個人的には新しい展開なのかな?とも思います。ここからは賛否別れるのかなぁ…と思ったり。

今度の戦いは死ぬための戦いじゃない。未来を生きるための戦いなんです。

そう、ゴジラを倒すために命をかけて戦うぞ!ではなく、ゴジラを倒して かつ みんな生き抜くぞ!というのが目標なんですね。でもそれって、敷島の言う「戦争を終わらせる」とイコールになるのかなって。でも散華することが終わりではない。踏ん切りをつけることがゴールであるというのも、個人的には悪くはないと思いますけれど。

”神風”という言葉は世界的に使われているというのはご存じですか?

神風特攻隊。爆装航空機に乗って、敵艦隊に突っ込んでいく。「死ぬかもしれないところで戦ってこい」ではなく「死んでこい」という命令が成り立っていたのは、世界的に見ても日本くらいだそうです。個人的・組織的な自爆テロなどで、自らの命をかける…という事件はありますが、国がそういう作戦を実行していた。今考えると恐怖でしかありません。

この映画ではそれに対してNO!と表明しているように見えます。だからこそアカデミー賞という舞台にあがったのかな…なんて思ったり。ある意味、日本がつくるポリコレ映画だなとも感じました。

山崎監督は台詞や行動ですべてを説明してくれる監督なので、わかりやすい作品です。とても現代向きなのではないでしょうか。フラグを立てるにしても、とても大きく立ててくれます。ラストシーンは続編に続けますよー!ゴジラ細胞ですよー!というのがよくわかる描写で。

ゴジラとのワクワク戦闘シーンあり、胸熱シーンあり、感動シーンあり、人間ドラマあり!なので、全体的に楽しむことができました。

個人的なおすすめ鑑賞法

ゴジラ-1.0はカラーバージョンとモノクロバージョンがあります。個人的には、モノクロバージョンがおすすめ。

なぜかと言いますと…ですね。これはあくまで個人的な感想ですけれど。全体的に役者の演技が濃いんです。くさい演技というとオーバーなのかもしれませんが、表情も台詞もすべてが濃い!カラーで見ると情報量が多いんです。

それが不思議とモノクロで見ると、そこが中和されるんです。ちょうどいい塩梅になります。背景を知らないので名言できませんが、それが前提で作られていると思うと納得だなと思います。

あと、私はあまり見たことがありませんけれど、昭和・平成初期のちょっとレトロな作品ありますよね。モノクロ時代の映画とか、活劇みたいな。あれを見る感覚で見ると、そこまで違和感はないんですね。

2023年の映画を見る!というよりは、現在の技術を持って、ゴジラが上映された1954年当時風の映画を作りました!だと大成功なのでは?と思います。