昨年、椹野道流さんの『祖母姫、ロンドンへ行く!』を拝読いたしました。私はこれまで、どちらかというと仏国の…というかパリジェンヌに憧れを抱いていたのですが、最近のマイブームは英国!(勿論今もパリジェンヌは憧れですよ)。
よく考えると、『ハリー・ポッター』や『シャーロック・ホームズ』シリーズであったり、洋服のブランド、英国紳士であったりと、もともと英国って意識していないけれど好きの対象だったんですよね。それが読書を通して、「あ、私、英国とかロンドン、好きだわ」と気が付かせてくれた、大切な1冊となりました。
(『祖母姫、ロンドンへ行く!』についてはこちら↓)
それ以降、英国と、そして著者である椹野さんに興味津々の私。今回、椹野さんの新作『あの人と、あのとき、食べた。』を拝読いたしましたので、感想や素敵だなと思った部分などをネタバレ交えて綴っていきたいと思います。
どんな本?
家族、友達、作家としていちばん影響を受けた人、イギリスで出会った個性的な店主たち、二度と会えない人…。
食べるのも作るのも大好きな著者が、なつかしい人と食の記憶を描きとめた、人生の旅のようなエッセイ。思い出ごと愛おしい料理のレシピ&写真も収録
(Amazonより引用)
感想やら
はじめに
これは、私の脳の中の深いところからそっと掬い上げて並べた、大切な記憶を集めた本です。それぞれの小さな記憶たちは、思い入れという昆布の上に乗せられ、時間というお湯でことことと穏やかに温められて、いつしか湯豆腐のように柔らかく、淡く、優しくなっていました。
誰かと、何かを食べる。
そんな日常的に幾度となく繰り返されてきた行為の中に、忘れ得ぬ思い出が潜んでいました。どの思い出も…たとえつらくて苦いものでさえも、時間経過によって角が取れ、遠い日のかの人にも食べ物にも、愛おしく触れることができるようになっていました。
(P3-4より引用)
Amazonでの紹介にもあるように、本書は著者である椹野さんにとっての”なつかしい人と食の記憶を描きとめた”1冊です。けれど、不思議なもので、読めば読むほど自分のなつかしい記憶が呼び起こされるのです。お節のお話し、クリスマスのお話し、あぁ私にもこんなことがあったなぁ…なんて。
誰かの思い出話をきっかけに、じっと忘れていた自分の記憶が甦るという経験をしたのは、私だけでありますまい。私の思い出に触れることで、読者の方々の心の奥底で、ご自分の古い記憶が共鳴し、再び小さな輝きを放ち始めたら、それは何より嬉しいことです。
(P5より引用)
これが椹野さんが本書を書かれた理由のひとつなんだそう。もうすっかり忘れてしまっていたなつかしい思い出。それは当然、幸せなものばかりではありませんけれど、それを思い出すことができるという行為そのものが幸せでした。
ポパイが好きなやつ
テレビの情報番組で天気予報などを見ながら、お箸でちょいちょいとほうれん草の胡麻和えをつまんで口に運びつつ、美味しいなあ、としみじみ。幼い頃とはいえ、嫌いだなんて言ってごめんね、と心の中で謝ります。
つい、あの思い出すのも恐ろしい日のことを考えてしまうのですが、今にして思えば、あれは三割は私のせい、でも七割は「とばっちり、または八つ当たり」だったんじゃないかと。
若き日の父と母が、育ってきた環境や性格の違いから来る埋めがたい溝や、お互いへの不満や、生活の苦労や、たくさんの「思ってたんと違う」ことや、育児の悩み···それぞれが胸の内に貯め込んだ熱く暗く重たいものたちが、私のほうれん草拒否をきっかけにして、いっぺんに溢れ出したのではないかしら。
まるで、火山の噴火のように。
私の腕を掴んで引きずり、ベランダのてすりまで引き上げようとしていた両親の、怒るでも悲しむでもない、ただひたすらに大真面目だった顔を思い出すと、少しだけ滑稽だったり、申し訳なかったり、僭越ですが愛おしかったりします。
親になってはみたものの、父も母も、自分で思っていたほどには、大人になっていなかったんでしょうね。
というか、人間、そう簡単に「大人」になれないものだと、今、五十歳を過ぎた私はよく知っています。
(P34-35より引用)
私も、今でこそ問題なく食べることができていいますが、幼い頃には全然食べることができなかったという食材がありました。今回のお話しのほうれん草もですし、茄子やネギなど”嫌い”だったものはたくさんありました。焼き魚なんかも好きではなくて、食卓に上がる度に、わかりやすくテンションが下がったものです。
まだ幼稚園くらいの頃でしょうか。夏場の昼食時、どうしても茄子のお浸しが食べられなくて母に怒られたのを覚えています。茄子のふにゃふにゃとした食感が気持ち悪かったんですよね。でもそれを食べるまでは遊びに行っては行けないと言われて、嫌々食べたんです。まるで昔の学校給食のよう。無理矢理食べさせられるということはあまりなかったと思うのですが、だからこそ、この茄子のお浸しが印象に残っているのかもしれません。
今にしてみると親には申し訳ないなぁと思いつつも、でもさすがにこれは八つ当たりだよなと思うこともたくさんありました。そして、椹野さん同様、当時の親の年齢を考えると、まぁ大人にはなりきれていなかったんだろうなぁ…と思うことも。
両親は私を24歳で産んでいます。幼稚園児くらいの年齢だとすると、まだ二十代の中~後半。私なんて、そのころ遊びまわっていた頃ですからね。母からすると不仲の姑もいるし、実家からは離れているところでの暮らしだし…でストレスも溜まっていたんでしょうね。
私自身、35歳(もうすぐ36歳)にして全く大人になれていないのですが、そう考えることができるくらいには、大人になったのかなぁ…なんてしみじみ思いました。
お子様ランチよ、永遠なれ
幼い頃は確実に食べていたはずのお子様ランチ。いったいいつから食べなくなったんでしょう?
私が幼い頃、同じ県内に住む母方の祖父母がよく遊びに連れていってくれていました。それは温泉であったり、公園であったり、子どもの私にはつまらない場所もありましたが、それでも平坦な日常から少しだけはみ出る祖父母とのお出かけは楽しい思い出が詰まっていました。
祖父母とでかけると、ときたまファミリーレストランに連れて行ってくれたのです。名前も覚えていませんが、道路沿いにポツリとあるレストランでした。たぶんよくあるチェーンではなかったように思います。
うどんやハンバーグといった大人向けメニューのなかに、私の目を一際輝かせるメニューがありました。それがお子様ランチです。たしか赤かオレンジがかった車を模した形のお皿に、エビフライやチキンライスが飾られ、何処かの国の旗が刺さっていたと思います。
このお話を読むまですっかり忘れていました。いつからか大人と同じうどんであったりハンバーグ定食を頼むようになり、祖父母とでかけることもなくなり、お子様ランチを卒業してしまったようでした。もっと食べておけばよかったなぁ···
椹野さんのお子様ランチを卒業する際、ちょっと悲しい思い出があったようです。幼稚園の卒業式の日に事件は起きました。まわりにいた子どもに、お子様ランチを注文しているところを笑われてしまったんだそう。勿論お母様がフォローはしてくださったのですが···
しかし、私は何だかとても恥ずかしくて。その子が私のほうを見ながら、自慢げに頬張るサンドイッチが、何だかとても眩しく見えて。
対照的に、いつだってキラキラした宝箱のようだったお子様ランチが、突然光を失って、とても野暮ったい、子供っぽい、恥ずかしい食べ物のように思われてしまったのです。
もう、美味しくも、嬉しくも、楽しくもありませんでした。私の中のお子様ランチは、あの瞬間に死んだのです。以来、私はピタリとお子様ランチを注文するのをやめてしまいました。
(P50-51より引用)
わかるわ…。椹野さんはなんで私のこの過去をご存知なんでしょうか…と疑問になるくらい。お子様ランチではありませんが、こういう子どもならではの何かを周囲の目によって恥ずかしいと感じてやめてしまう感覚…覚えがあるなぁ。
「本当に好きなものなら、他人の言葉に影響を受けたりしないはず」と仰る人も世の中にはいますが、世の中にはそんなに心が強い人ばかりではありません。想いの強さが、真贋や価値の判断基準でもない。たとえ他人と比べて弱々しく脆い「好き」でも、当人にとって、その感情は尊く大切なものなのです。
他人の「好き」を小馬鹿にするようなことは絶対にしてはなりないと、思い出すたびに心の「失言袋」の紐をギュッと結び直したい、苦い記憶です。
(P51-52より引用)
私も同様のことをしてしまわないように、気をつけよう。
ブライトンの、なじみの店たち
この章では、椹野さんが英国へ留学していた頃に外食店で食べたものについて紹介されていました。今よりもなお円が弱かった頃で、何を買っても高価。外食ともなると、さらにさらに高価なわけです。
そんななかでも三軒、行きつけのお店ができ、その一つがフィッシュ&チップスのお店だったのだそう。
そういえば以前開催されていた英国展でもフィッシュ&チップスのお店がありました。夫は洋服や小物を英国のブランドを選ぶくらい英国が好きな人ですし、出張で英国にいったときにフィッシュ&チップスを食べた···なんて話をしていたような。外食先でもフィッシュ&チップスがあると必ず注文しています。そう言われると気になるじゃありませんか。
ところでフィッシュ&チップスといわれてどんな魚を思い浮かべるでしょう?私は勝手に巨大な鱈をイメージしておりました。
フィッシュ&チップスというと、ついビローンと大きなタラの切り身と、大量の揚げたジャガイモを想像してしまいますよね。
もちろんそのとおりなのですが、実は、ジャガイモと取り合わせる魚については、けっこう店ごとにバリエーションがあります。タラにも数種類ありますし、カレイやヒラメもよく使われます。特にブライトンでは、オレンジ色のまだら模様がたくさんあるカレイ(プレイス)がよく獲れたので、カレイは安上がりな選択肢でした。他にも、タラコや、エイ(いわゆるカスベ)も、トーマスさんのお店のメニューにはありました。
(P64より引用)
なんと…!鱈だけではなかったのですね。魚だけじゃなくテナガエビまであるそうで。魚介類を揚げて、揚げたジャガイモを添えたらそれはもうフィッシュ&チップスなのかしらん。

この章ではさらに、トーマスさんのフィッシュ&チップスの作り方の再現レシピが掲載されています。影響されやすい私。勿論チャレンジいたしました。甘鱈を使ったのですが、とても美味しいフィッシュ&チップスができました。(制作時のお話しについてはまだ後日)。こういうチャレンジができるのも、食べ物系のエッセイであったりのお楽しみですよね❀
赤い赤いゼリー
大人になって、自分で働いてお金を稼ぐようになり、猫たちと暮らすようになり、一軒家をひとりで切り回すようになって、両親がどれほど自分にお金と手をかけてくれていたかにようやく思い至ったとき、本当に申し訳なく感じたものです。
母にそれを言うと、「親が子供のためにできることを全部やるのは、当たり前でしょ」と、むしろ不思議な顔をしていました。
いや、当たり前じゃないよ、お母さん。何ひとつ当たり前じゃないんだよ。お母さんは、物凄いことをしてくれたんだよ。
好みのストライクゾーンが狭く、内向的で気難しい娘と、愛嬌があって可愛いけれど、その要領のよさで他人に無闇に甘やかされがち、そしてやたら怪我をする、実は身体の弱い息子。
そんな個性的なふたりの子供をほぼワンオペで育て、しかも途中からは夫の仕事まで手伝わざるを得なくなり。きっと、何度も「もう嫌だ!知らん!」と叫びたくなったはずです。
私たちを放り出さず、いつも私たちのことをいちばんに考えて、自分のやりたいことを後回しにしたりあきらめたりしてばかりだった母のことを、彼女が施設に入ってしまってから、毎日のように考えて暮らしています。恩返しは、どんなに小さくとも、できるときにすぐやったほうがいい。できなくなる日は、ある日突然、思いもよらないタイミングで訪れてしまうから。
(P76-77より引用)
本当、そうですよねぇ。どこのお母さんも、多かれ少なかれ「もう嫌だ!知らん!」を乗り越えて今があるのかもしれません。
私も妹も、まぁ育てにくい分類の子どもだったように思います。私も妹も幼い頃は病弱だったそうですし、いろいろできないことも多くて、親として心配や焦りもあったでしょう。子どもゆえにお金の大切さを理解せずに、あれ買ってこれ買ってとごねて、母自身の欲しい物も買えていなかったんじゃないかな。20代~30代なんて、趣味のものや洋服、化粧品なんかをいくらでも買いたい年代でしょうにね。
実際、私の母は「もう嫌だ!」状態になっているのを見たことがありました。言葉にだして父に言っているのも耳にしたことがあります。母が家出したこともあったなぁ…。それでも、大学卒業まで育ててくれて、今もときたま食材が届き、それなりに気をかけてくれていることに、素直に感謝しなくてはなりませんね。
『赤い赤いゼリー』は、タイトルの通りお母様と椹野さんがご一緒につくったゼリーについてのお話しです。我が家でそういった思い出のデザートと言えば、母がつくるアップルパイでした。
私はカスタードクリームが苦手です。というかシュークリームの臭いがどうしても、頭が痛くなるんです。でも、それでも、母がつくるアップルパイだけは大丈夫で。不思議ですよね。底面のパイ生地が林檎のミツであったりの水分を吸って、ブヨンとするんですが、そこがまた美味しくて。なつかしいなぁ。
刻んで、刻んで
お母様がお父様のお仕事を手伝うようになり、お母様はとても生き生きとされていったようです。専業主婦の方が家庭から社会へ戻られることで、自分の新たな居場所ややりがいを得て、そうなるんでしょうね。
ただ、それまで通りの家事をできるか、と言われるとちょっと難しいですよね。椹野さんのお宅では、どんどんと平日の食卓がシンプルになり、いわゆる時短メニューが増えていき、たまの週末に手の込んだ料理が出るといった具合に。
たまに、週末にシチューやロールキャベツといった手の込んだ料理が出てくると、「こうでなくちゃ」と偉そうに喜んでいた私を、今、げんこつで殴りに行きたいです。このバカタレが。お前が作れ。
いや、それはそれで、母に、怪我や火災の心配までさせてしまうことになったのか。ダメだな。
でも…でも、できることが、たとえ小学生・中学生でも、もっとあったはずです。料理以外の家事でも何でも、やれることは全部、やればよかった。手伝いなんかじゃなく、当然の家族の務めとして、やるべきだった。でも、やらなかった。母に甘えていた。いえ、それは母の仕事だと思い込んでいた。
何故なんだろう。母自身も、そう考えていたふしがあります。今の私には不思議でなりません。不思議な時代、昭和は遠くなりにけり、です。
(P117より引用)
子ども…と言っても、小学生高学年であったり、中学生くらいだったと思います。NHKだったかで、CLAMPさんの『カードキャプターさくら』のアニメが放映されていました。主人公のさくらちゃんは小学生の女の子で、お父さんとお兄ちゃんとの3人暮らし。お母さんは、さくらちゃんがまだ幼い頃に亡くなってしまったそうです。そんなさくらちゃんのお家では、家事は分担制。食事、掃除といった家事が、何曜日は〇〇が担当すると決まっていたように思います。それが私のなかではちょっと衝撃だったんですよね。
椹野さんも仰っていますが、家事は母の仕事だと思っていたので、それをさくらちゃんやお兄ちゃんが担当しているなんて…と。今にして思うと、それに感化されて私も家事をするようになればよかったのですけれど。実家をでる少し前まで、家事をすることはほとんどありませんでした。
私は平成2年生まれ。私が学生だった頃の母の中ではこの”昭和”の考えと言っていいのか、偏見なのかが、残っていたのかもしれません。そしてそれを私自身も当たり前と受け止めてしまっていたのかもしれません。本当に不思議だなぁ…。どうして、食事は待っていたら出てくるものと思って疑わなかったんだろう。自分で作れるものは自分で作ればいいのに‥‥なんて、今だから思ってしまいます。
私が実家をでるころには父も家事に参加していますし、私も少しですが、掃除なんかをしていました。だから”できない”というわけではなくて、そういう考え、価値観の問題なのでしょうねぇ。
ちなみに、結婚した今。家事は主に私の仕事です。専業主婦で働いていないですし、子どもがいるわけでもありません。ですので、家事は私の大切な仕事です。まぁゴミ捨ては夫がしてくれているんですけれどね。もし家庭環境が変わってしまったら、このバランスも変わるんだろうか。それとも、このままなんだろうか…とふと思いました。
初代担当編集さんと、資生堂パーラー
椹野さんが作家デビューされる際、最初の担当になったKさんとのお話し。Kさんは少々癖のある方だったみたいです。打ち合わせも独特で、お仕事の話は5分で終わらせて、あとは主に雑談だったそうです。
でもその雑談にこそ、たくさんの学びがありました。
「知らないもんを書けない奴は小説家じゃねぇ、みたいなことを言うやつもいるけどさ。知ってるほうが書きやすいってのは絶対だよ。知ってりゃ、そのまた先へと想像を広げることができるだろ。何だって、知ってるほうがいい。何でも見て、聞いて、食って、経験しなよ。それが全部、君の財産になるよ」
首都高のすぐ近く、古い雑居ビルの三階にある、どうしたらここに辿り着けるんだろうと首を傾げてしまうような、老いたオカマ(自称)さんが営む小さなバー。縁がすり減ったカウンターに並んで座り、もうすぐ夜が明けるという時間帯に、へべれけの酷い呂律でそんなことを言ってくれたのを、今も覚えています。
(P137より引用)
Kさんは、ご一緒するとなると、とても気が引けてしまう方。でもそれでもとても魅力的な方だなぁ…としみじみ感じさせてくれるお話しでした。
おにぎり・おむすび
炊き立てのご飯をあつあつのうちににぎったあの美味しい愛おしい食べ物を、私は「おにぎり」ではなく「おむすび」と呼びます。特に、誰かが「熱い熱い」と言いながら作ってくれたものは、「お結び」と呼びたいのです。
それは、母と母方の祖母がそう呼んでいたから、というだけのことなのですが。「作った人と、食べる人を結ぶ」食べ物…そんなイメージが言葉の響きにあるような気がして、「おむすび」という名前がとても好きなのです。
(P149より引用)
「おにぎり」と「おむすび」。ものは同じですが、呼び方によってちょっと印象がかわりますよね。コンビニで売られているのは「おにぎり」。でも確かに、自分で、もしくは家族が作ってくれたものは、なんだか「おむすび」という感じがします。
おむすびの思い出といえば、形でしょうか。母が幼い頃につくってくれたおむすびは基本的には三角形で持ち手に海苔を巻いたオーソドックスなものでした。あまり中に何かをいれるということはなく、シンプルな塩結び。でも、それが美味しかったんです。
ですが、父がつくるおむすびは というと俵型だったんです。といっても、基本的に台所に立たない人でしたし、作ったとしても自分用にしか作らない人でしたから、本当に記憶のなかでも一欠けらにも満たないのですけれど。父が俵型につくられたおにぎりに、ゴマをまぶして食べていたのを朧気に覚えています。私も俵型のおむすびを作ろう!と意気込んでも、綺麗に作れないんですよね。それで結局、いつもの三角形に落ち着くんです。あれはどうやって作っていたんだろうか。父は身長が180㎝以上ある大柄な体型でしたから、手も大きかったでしょうし、そもそもの持っている道具が違うから仕方ないのかな?
ただ潔癖症というわけではないと思うのですが、今はコンビニで購入した「おにぎり」か、自分で もしく夫が作った「おむすび」以外は受け付けなくなってしまいました。家族や友人ならラップごしに握ってくれていたらギリギリかな…でも他人がにぎったものは受け付けないですね。なんだか悲しい食べ物になってしまいました。
昔、誰かが「お母さんのおむすびは、手からお母さんの味が出てんねん。せやから美味しいねん」とテレビで言っていました。大阪の芸人さんだったかな。今、その説がにわかに真実味を帯びて、私の胸に迫ります。その「味」というのは、きっと、毎日ご飯を作り続けた自負と、家族を思う気持ちかあrできているんだろうな。
今、ひとりで暮らし、自分のためだけにおむすびを作る私には、どう逆立ちしても出せない味なのかもしれませんね。
(P155より引用)
こういった優しさのような感覚を受け入れて、楽しめていた時代に戻りたいなぁ…。
『炊く』
お正月料理、その中でも黒豆について書かれたお話しにて。
母は、面倒臭いからと、黒豆は一度も炊きませんでした(関西では、煮ることを「炊く」というよく言うのです。今となっては、古い言葉ではありますが)。
(P163 『みんなで食べた、お正月料理』)
もう一つは、筍の味噌炊きについてのお話しにて。
我が家のシグネチャーディッシュ、「筍の味噌炊き」を作りましょう。共通語で言えば、「筍の味噌煮」になるのでしょうが、父方の祖母は大阪ネイティブ。煮るものは何でも「炊く」と表現していました。
関西から出たことのない私も、やはり「炊く」という表現が大好きです。ゆえに、「味噌炊き」で通そうと思います。
(P178『春はあけぼ…いえ、たけのこ!』より引用)
「炊く」という言葉、どのように使いますか?私は大阪生まれの奈良育ちですですが、お米はもちろん「炊く」ですし、水分の少な目の煮物を作るときは「炊く」とか「炊いたやつ」と言います。筑前煮も、私のなかでは水分がなくなるまで煮詰めたいので煮物だけど「炊く」なんです。逆に水分が多いものは「煮る」です。カレーとかシチューは「煮る」食べ物。微妙なニュアンスの違いがありますよね。
この表現、確かにあまり若い方からはお聞きしないし、関東では「煮る」を使用されることが多いように思います。あまり「炊く」って聞かないかも。本書を読むまで気が付きませんでしたが。
それで夫に、「関西と関東では『炊く』って微妙に違うみたい。あと若い人も使わんくなってるんやて」と話したところ、納得していました。そういえば夫の母上はよく「炊く」と言っていたけれど、自分はあまり使わないかも…と。
時代や場所によって変わっていく言葉をリアルタイムで感じられて、なんだか不思議な気持ちになりました。
父と、最後の晩餐
亡くなられたお父様の最後のお食事について。うるっときてしまうお話しでした。そのお話しの締めにあった言葉です。
こうして思い出してみると、父のために流した涙だったのかどうかもちょっと疑わしくなってきました。もしかしたら、イワシとの縁が切れたことを悲しむ涙という意味合いのほうが大きかったかもしれません。
なんかごめん、父よ。
でも、これからも小さなイワシを見るたび、あなたのことを思い出すでしょう。それで勘弁してほしい。死んだからといって、何もかもが美しい思い出に変換できるわけではないし、そういう無理はしないでいようと思います。我々は、徹頭徹尾、気の合わない父と娘でした。それでもずっと、父と娘でした。そういうことでいいのです、たぶん。
(P216-217より引用)
亡き人に関して、その人との因縁には蓋をして、まるで美談のようにしなければならない…という風潮が私には重荷です。私は父方の親族、特に祖父母とは幼い頃から馬が合わず、その溝は年々大きくなり、私が大学に入った頃には、ほぼ絶縁状態でした。
十年近く前に祖母が、そして昨年、祖父が他界しました。それで私のなかで何かが変わったのか、と言われると、やっぱり変わらないんですよね。きっと私にとっては生涯、合わない人たちなんだと思うんです。嫌うことすら面倒で、関わりたくない、無でいたいというのが本心でしょうか。
それに対して、どこか罪悪感のようなものがありました。亡くなって尚、嫌いでいることに対してなのか、碌に葬儀関係にも出席していないことなのかはわかりませんけれど。でも、今はまだそういう無理はしないでいいかな…と思っているんです。
椹野さんのおっしゃるように、徹頭徹尾合わない関係性でも、たぶんいいんだと今は思っています。まぁだからといって、悪口を言って良いというわけではありませんから、ここではきっとこれからもほとんど触れることのない人たちだと思います。
クリスマスの魔法
一つ前がお父様とのお話しでしたが、お次はお母様とのクリスマスの思い出について。
毎日、見るたびに、母と離れて暮らすことになり、母の記憶力がどんどん減退していく今でも、あの夜の幸せな記憶は私の中にちゃんと存在すると感じます。世の中の多くの母子がそうであるように、母と私の間には大波小波、さらに大小の亀裂がありましたが、それでも共にただただ幸せだった暖かな夜が、確かにあったのです。
一枚の絵が呼び覚ましてくれた一夜の思い出が、施設に母を訪ねるたび、衰えていく母と向き合う力を、私に与え続けてくれています。
(P225より引用)
本書ではやはりお父様や弟様より、お母様との思い出が多く、それだけ母子の関係性、そして女同士の家族の関係性の深さであったりを感じました。同性だからこその…ってあると思うんですよね。私と母の間にも大波小波、大小の亀裂がたくさんありました。過去形ではなく、現在進行形の方がいいかもしれません。そのうえで、見て見ぬふりしたり、たまにそれを引き合いに出したりしつつ、母と娘で居続けるのだと思います。
今、お母様は認知症が進み、施設で暮らしておられるそう。自分に重ねると、考えさせられるお話しです。私の両親は今年、60歳を迎えます。世間で言うと、60歳なんてまだまだ若い年齢です。でも、それを少し見方を変えて、自分の両親として考えると、やはりいろいろなところが心配になってくる年齢でもあります。
健康は、仕事は、車の運転は、お金関係は…それらが本当に大丈夫なんだろうか?と心配になることは、一度や二度ではありません。父は昨年まで数年単位で体調を崩していましたし尚更です。実家のある奈良と、今私が住み埼玉ではすぐに帰れる距離というわけでもありません。幸い、妹が実家の徒歩圏に済んでいますので、何かあった時は駆け付けてくれるとは思うのですが、妹は医療関係(理学療法士)ですから、そう簡単にもいかないでしょう。そういった点を思い浮かべれば思い浮かべるだけ、どうしたものか…と。まぁどこのお宅もそんなもんだと思いますけれどね。
…という娘の心配は他所に、実家では新しい家族が増えているようです。昨年、老齢だった実家ワンコが2匹、他界しました。もう1匹、ワンコがいるのですが、女王様気質なりに、1匹だけという環境になったことのない子です。両親が仕事の間、1匹でお留守番をする…ということがいかに彼女にとってストレスであったかは想像に難くないです。そんなわけで、新たに柴犬(メス)が増えたのだそう。
思うところはまぁいろいろありますけれど…。実家とはいえ、自分の家ではありませんので、私は口出しするつもりはありませんけれど。最期まで看取ってあげられるだけの経済力、そして体力・精神力を維持して育ててあげてほしいものでございます。
よもやま話
『あの人と、あのとき、食べた。』も私のなかではとても大切な1冊になりました。既に2周目に入りたいです。

何か美味しいものを食べながら、読むのに本当にピッタリなんですよ。こちらはミスドのドーナツとミルクティー。

こちらはホットミルクとブールドネージュです。
ところで。基本的に単行本サイズは重いので自宅で読みます。文庫本・新書サイズは持ち歩き専用のケースにいれて、自宅や外出先で読むことが多いです。でも『あの人、…』に関しては、カフェとかで読みたくなる本だったんですよね。早く文庫本が出て欲しいなぁ‥‥なんて。いあ、単行本が出たばっかりなんですけれどね。『祖母姫、…』も『あの人、…』も既に読み終えていますが、文庫本がでたら絶対買うと夫に宣言しております。まだかな、まだかな…。
少し話が変わりますが、私には本棚でコレクションする本は文庫サイズで揃えたいというなんとも面倒なこだわりがあります。(森見先生だけは単行本・文庫本の両方を持っています)。図書館で借りて面白いなぁと思った本は文庫本で新たに買い求めますし、一度単行本で購入した本でも、絶対にこれはまた再読したい!と思った本は、文庫本で買い直したりすることも。とにかく、本棚に並ぶのは、まだ読んでいない単行本、もしくは保存用の文庫本みたいな感じが理想なんですよね。
旅行先にも本を持って行くのですが、その際はやはり文庫サイズ。でも、旅先で読みたい本って行ってみないとわからないじゃないですか…。ほっこりが読みたい気分なのか、純文学的な文章の気分なのか…。ですので、2~3冊の文庫本をケースにびっちり入れて持って行くことも。出先で買う…なんていうのも素敵ですよね。だから私にとって文庫本は大切な存在なのです。
よく耳にするのが、単行本が文庫化されるのには1~3年くらいというお話し。勿論、売れ行きなどに左右されたり、最初から文庫でのみ発売なんて本もありますけれど。これがなかなか困りもので。シリーズで集めている本で、単行本は出ているけれど、文庫はまだ出ていない、みたいなことがあったとき、揺らぐんですよね。
もう集めるのは分かっているから、最初から文庫本で買いたい。でも、なかなか文庫本で出ない!1~2年で出るだろう…と高を括っていたら、最新刊の文庫化が全然されない!みたいな。今、好きなシリーズで1冊、そういう本がありまして。買うなら文庫、でも続きが気になる、でもまだ出てない、というか待てど暮らせど発売されないっ!ぐぬぬ
このまま文庫本が発売されない、なんてこともあるんでしょうね。勿論、世の中には単行本でしか発売されていないという本もたくさんあるわけですから。とはいえ、昨今、本のお値段もどんどん値上がりしておりまして、お財布的には文庫本で買い集められると嬉しいなぁ…なんて思ってしまうわけでして。塩梅がね、大事なんですけれど。
本棚の本を断捨離して減らすぞーと思いつつ、既に次に買う本を頭の中で予約しているというなんともアンビバレントな私でした。
はてさて、次は何を読みましょうかね❀
