SIMPLE

シンプリストになりたいのです

映画・クレヨンしんちゃんのすすめ

子どもの頃に観ていた映画を大人になって見返してみると、違った視点で観ることができて、当時はつまらない とか 意味が解らない と思っていた映画がとんでもなく素晴らしいものだったのだと気が付くことが多々あります。そんな風に思うので、基本的に映画は1度見るだけでなく複数回みることが多いです。特に掴み切れなかった映画なんかは何度も何度もみて、やっと気が付くことも。そんな新しい発見を記録していくのが楽しかったりもするんです。

yu1-simplist.hatenablog.com

映画の記録についてはこちら↑

 

夫は自分が子どもの頃に好きになったものを今でも愛し続けるような人です。鉄道も戦隊ものも子どものから今でも好きなものの1つだそうな。そして「クレヨンしんちゃん」もその1つ。漫画もコンプリートしているくらい好きらしいです。たまたまみつけたチョコエッグもコンプリートさせました。

 

f:id:yu1-simplist:20230314203652j:image

 

上段が第一弾。下段が第二弾。これは映画に関係するフィギュアですね。


f:id:yu1-simplist:20230314203701j:image

三十路を越えた大人2人、チョコエッグを2箱 箱買いし開封。もちろんチョコレートも美味しくいただく…ちょっとシュールでした。いえいえ、気持ちはわしゃがなです。

ミニマリストを目指していたころはこれがリビングにあることが、実はあまりよく思えなかったのですが、今はコレクションとして大切に保管するものとして向き合えています。現在は寝室にある本棚に鎮座しているので、こっそりと別の段に私のヤドンコレクションも飾っていたり。こういう飾る収納もシンプリストになってから許容できるようになったように思います。

 

話を戻して。

 

意識して映画を観ているなかで、どうしてもコンプ欲というものがムクムクと湧き出ることがあります。ハリーポッターを見るなら賢者の石だけじゃなくて、やはり死の秘宝2まで観たい(なんなら呪いの子も観たい)し、エヴァを見るならアニメ・旧劇場版・新劇場版、全て観たい。全部観て初めて理解できることもあるので、「意識して映画を観る」というのであれば、その辺りも意識するべきポイントかと思っています。勿論無理のない範囲でね。

 

そんなわけで、クレヨンしんちゃん全映画、2年かけてコンプリートしました~!というお話をしたいわけで。映画コンプまでの道のりをざっくり紹介しようと思います。

 

記録魔としては、まずこちらを制作してから着手することに。

今現在公開されているすべての映画の公開日・タイトルリスト~(のぶよさん風に)

ちょうど30作の作品が2022年までに公開されています。その中で既に観て、よく覚えているものに✓をつけ、そうでないものを観ていくという感じ。ちなみに私が既に観ていた作品は、嵐を呼ぶジャングル・大人帝国・カスカベボーイズ・ケツだけ爆弾・ラクガキングダム・天カス学園・ニンジャ珍風伝。夫と交際するようになってからは毎年劇場で観ていたので記憶に新しいのですが、それ以外は金ローなどで地上波でやっていたものを観た程度。ということで、最近の3作品を除いた27作品を見直すことに決定しました。

夫も全ての映画を観ているわけではなかったようなので、夫のみ観ている映画は水色、二人とも観ていない映画は黄色で塗りつぶし、毎週末何を観るかを決定します。夫は初期の頃の作品がお気に入りのようなので、既に観た作品でもコレなら観る、アレなら観ないといった感じで気分があるようなので臨機応変に。一人で観る場合は平日に観たりもしつつ、全作品コンプできました。

そんなわけで、折角なので個人的に推したい作品を紹介したいと思います。超個人的意見であり、趣味嗜好の世界であるのであしからず。また以下盛大にネタバレを含むのでご了承ください。

 

映画クレヨンしんちゃん推し作品

映画クレヨンしんちゃん バカうまっ!B級グルメサバイバル!!

まずはB級グルメ。一時期流行ったB級グルメをテーマにした映画。

ざっくりあらすじを説明すると、春日部市で行われている「B級グルメカーニバル」に行きたい 主人公 野原しんのすけ や その友人かすかべ防衛隊の面々。そこで販売されているソースの健がつくる焼きそばを食べるため、子どもたちは親に内緒でこっそりと旅に出ることに。道中、とある女性から このソースを健に届けてほしいと頼まれると、それをあっさりとOKしB級グルメカーニバルを目指すカスカベ防衛隊。しかし、そのソースを狙ってA級グルメ機構の刺客たちがやってきて…。

と、こんな感じです。以下感想。まず、まず!!敵であるA級機構のボスであるグルメッポーイのキャストが中村悠一さんなので全力で推したい!!!ここ重要。中村さんの演技が良いんだ。ラストのしんのすけが焼きそばをグルメッポーイに食べさせようとするシーンからは、もうたまらなく良いんです。「…うまいじゃないかっ」の一言は泣ける。たぶんもう一回見ても泣ける。それはいったん置いておいて。クレヨンしんちゃんの主人公であるしんちゃんってなんだかんだまだ5歳なんですよね。5歳児が野宿して、敵と立ち向かって…ってしてて、皆がみんな 善人でいられるわけがないんですよ。そのあたりのフラストレーションがたまってしまって、誰かのせいだ!って追い詰めたり、まさお君が鞄にあったビスケットをみんなに言えず隠していた件など、そういう描写が個人的にはとてもいいなと思いました。

何より、飯テロ映画です。本当に焼きそばが食べたくなる映画で、ソースの匂いが恋しくなる。全体的にストーリーもドタバタ感があり、良いシーンがありと飽きはしなかったように思います。リピートしやすい映画かな。個人的にB級グルメや嵐を呼ぶジャングルなどカスカベ防衛隊が奮闘する作品が好きなので、お気に入りの1つです。

グルメッポーイ推しとしてはエンドロールの健さんとの絡みがたまらなくツボでした。ここだけでも良いから何度でもみたい。もともと根が悪い人間ではないんですよね、彼。だけど親からの英才教育の末、あぁなったわけで。気になるけれど、それはいけないと言われているもので、気になるという感情ですら許されないもので、ならいっそ壊してしまえっていうのは悪役として美味しいと思います。そしてそれが一度ほどけてしまえば、もとの人間にというか、むしろ子どもらしさも兼ね揃えた彼になるわけで。しんちゃんの中でも途中で寝返る系はいますけど、ボスがあぁして改心して、最後健さんの弟子になるっていう描写がエンドロールから読み取れて堪らなく 好き ってなりました。

ちなみになんであれだけで弟子になったかわかるんだ?という件ですが、別作品「シリリ」のワンシーンでお祭りの出店が出てくるんです。そこでグルメッポーイと健さんが屋台で焼きそばを焼いているシーンがあって、そこのグルメッポーイがまた楽しそうで…。シリリは作品自体は微妙でしたが、こういうところが もうっ好き!でした。(愛が溢れて長文になってしまった…!)

 

映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 歌うケツだけ爆弾!

つづいてはこちら。まずあらすじを。沖縄でのバカンスを楽しむ野原一家。浜辺でしんのすけと愛犬 シロが遊んでいると、不思議な円盤を発見する。その円盤は突如しんのすけを襲いだし、すんでのところでシロが助け難をのがれる。しかしその円盤はシロのお尻にぴったりとはまってしまい、はずすことができない。しかもその円盤の正体は宇宙に存在するケツだけ星人の特殊爆弾で…。謎の組織 UNTIや謎のテロ集団 ひなげし歌劇団からシロを救うため、野原一家は奮闘するが…。

と、こんな感じ。以下感想。映画が面白いというよりは、犬好きにはもうシロの健気さが堪らなくて号泣してしまう作品です。全体的にミュージカル風の作品となっているので、突然一家が歌い出し、何事?とはなります。ブリブリ王国の秘宝でも突然歌い出すシーンはあるけれど、それ以上に突然なので、しばし硬直することに。その辺りは慣れてくると、まぁしんちゃんだもんなと納得できました。

この映画でシロを犬としてではなく、終始家族として扱っているのはしんちゃんだけなんですよね。ひろしさんやみさえさんですら事情を聞いていったんは(それはもう無理矢理にでも)シロを組織に渡すことを納得するんです。でもそれって、もし組織の手に渡るのがしんちゃんだったら、野原夫婦は絶対に認めないと思うんですよね。その辺りの格差がみていてリアルだなと思いました。犬だから仕方ないとしてしまえるところに納得してしまえる自分と、でももしこれが自分の愛犬なら絶対に許せないと思う気持ちと。どちらも理解できるからこそ楽しめる映画なのだと思うのです。

 

映画クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者

つづいてはこちら。まずあらすじを。空飛ぶラクガキングダムは、地上の人々による落書きをエネルギーに変換して使用しているが、それが昨今 落書きすることが激減しエネルギー不足の状況に陥ってしまっている。そのため地上の人々に無理矢理落書きをさせるため春日部に攻め入ろうとしていた。それを阻止するためラクガキングダムの姫は、描いたものを実体化させる力をもつ不思議なクレヨンを勇者に託すべく、宮廷画家にクレヨンを持たせラクガキングダムから投げとばす。地上に降り立った宮廷画家は出会ったしんのすけの落書きをみて、彼に不思議な力を持つ「ミラクルクレヨン」を託すが…。

では感想を。まず、まず!!おかえり、ぶりぶりざえもん!!!

ぶりぶりざえもんの声優をされていた塩沢さんが亡くなられてから声付きでの出演がなかったぶりぶりざえもん。新しいキャストに塩沢さんの後輩である神谷さんを迎え、久々の登場です。今回全ての映画をみていく中で初期の頃、ほぼ毎回塩沢さんが出てらしてオカマ役やぶりぶりざえもんを演じている姿を拝見できました。その塩沢さんが亡くなられたというのはとんでもなくショックな出来事だったんだなと思います。当時、私はまだ子どもでしたが新聞で訃報を知り「白鳥刑事の声優さんが亡くなった」というのがショックだったことを今でも覚えています。後任が神谷さんであれば、塩沢さんも笑ってくださっているのではないでしょうか。ちなみに塩沢さんが演じるエドワード(シザーハンズ)がとても好きです。

今作はしんちゃん+新しい仲間がメインで、野原夫婦やカスカベ防衛隊は控えめです。新キャラということは、別れがありますよね。そこのしんちゃんがとてもよかったです。

あと、そもそもしんちゃんの原作漫画って風刺が効いていますよね。ラクガキングダム自体が原作漫画を原案とした作品だからか、いつも以上に映画内で風刺が効いているように感じました。サトーココノカドーから放送を流すあたりとか、身勝手なことをいう大人達とかへの台詞に「しんちゃんという作品の中ででもこういった訴えをするんだ」と驚愕したことを覚えています。面白かった、というよりは描いた絵が動きだしたりと楽しかった作品です。

 

映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園

つづいてはこちら。まずあらすじを。超エリート校である天カス学園に1週間体験入学することになったカスカベ防衛隊の5人。そこは個人の能力やテストの結果によって、待遇が決まる エリートを育成させるための学校だった。入学を希望し必死になる風間君は、カスカベ防衛隊との間に溝ができてしまい、結果喧嘩にまで発展してしまう。部屋を飛び出した風間君を探しに出てみると、時計塔の中でオシリに噛みあとをつけられた状態で倒れていたのだった…。

はい、感想を。しんちゃんでミステリーかぁと気楽に見ていたら、思いのほかちゃんとミステリーをやっていて驚いた作品。(当然しんちゃんなので無理矢理感もありますが)とても面白い!というわけではないけれど、胸あつ展開が目白押して、カスカベ防衛隊が活躍するお話が好きな私にはとてもささる作品でした。

野原一家は今作ではほとんど出てこないのですが、途中ちらちらと「しんちゃんはどうしてるかしら?」と思いを馳せるみさえさんにうるっときたり。私自身30代という年齢になり野原夫婦への感情移入が深まり、親目線(子どもいませんが)でみて、いいなぁと思える作品でした。

あと「オラの引越し物語」でも思いましたが、風間君 しんちゃんのこと大好きすぎないか?いいぞ、もっとやれなんですけどね。しんちゃんも別の作品で好きな物をあげる際に3つ目くらいに風間君の名前を挙げていて、なんか男の子の友情というか性別を超えた「遊び相手としての好き」が愛らしくて、その辺りがオススメポイントなんですよね。

 

さてここからは殿堂入り作品として納得の3作品を。「しんちゃんのオススメなに?」って聞かれたら迷わずに答える3作品です。

映画クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん

屋根の修理で腰を痛めたひろしは、セクシーな美女の誘惑に誘われマッサージをうけるため、エステの無料体験を受けることに。眠りから覚め、帰宅したひろしに驚愕する野原一家。なんと自身の身体がロボットになっていたのだった。

警戒するみさえと打って変わって喜ぶしんのすけ。ロボットとして万能になったひろしは会社でも家庭でも活躍し、ロボットの自分も悪くないのでは…と思い始める。しかし、ひろしのロボット化は謎の組織「父ゆれ同盟」による陰謀だった…。

はい、感想を。まぁ泣きました。メインとなるのは当然ロボとーちゃんであるひろしです。その哀愁がいいのなんのって。結果がまさかっ!じゃないですか。そうするしかないんですけど。応援するしんちゃんの姿がもう悲しくて、ぼろ泣きでした。何より声優好きな私にとって 野原ひろし=藤原啓治さんというイメージが強すぎてですね。こう、ロボとーちゃんに亡くなられた啓治さんを重ねて思いを馳せてしまって…訃報を知った時も泣きましたが、それと同じくらいこの作品では私の中の「ひろし」が詰まっていて…あぁ、という。後任をされている森川さんは自然に啓治さんに寄せてくださっていて愛を感じます。ひろし像を守ってくれてありがとう、帝王。

まぁここまでいってあれですが、正直言うとラストの印象が強くて途中は結構抜けてます。また面白かったか、しんちゃんらしいのか、といった点ではどうなんでしょうね。夫はでっかいロボットがでてきて戦えばそれでええねんとのことなので、男の子にはたまらない作品なんだと思います。

ちなみにあまりロボットものの映画は見ませんが、パシリムを見た人間としては これは?と思うようなところもあって、それはそれでよかったです。

 

映画クレヨンしんちゃん  嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲

まずあらすじを。20世紀博は昭和30~40年代の世界観をコンセプトとしたテーマパーク。大人達はその懐かしさに魅了され満喫してどんどんと20世紀博にのめり込むようになっていた。そして20世紀博のブームは全国に広まり、旧車や懐かしいファッションが再流行するまでになった。そんなある日、20世紀博から「明日、お迎えにあがります」というお知らせが流れる。そして大人達はそれ以降何かに取り付かれ まるで子どもに戻ってしまったかのようになり、ひろしとみさえも我が子であるしんのすけとひまわりを構わなくなってしまった。そして翌日、懐かしいオート三輪が町に現れる。大人達はみんな子どもたちの存在を忘れ、そのオート三輪にのって消えてしまうのだった…。

はい、感想を。人並みな意見ですが、これは「しんちゃん」であって「しんちゃん」ではないんですよね。何言ってんだって感じかもしれませんが。大人帝国と戦国大合戦はしんちゃんであって、それを越えてしまった作品なんですよ。子ども向けとか大人向けとかそんな陳腐なものじゃなくて「作品」なのだなっていうのが初めて見た時の感想でした。全体的に怖さすら感じました。

シンゴジラでも有名な樋口監督が「決まったキャラを売る条件さえクリアされていれば、あとは何をしてもOK。その「抜け道」を利用して作られたのが…」という言葉を拝見したときにまさにだと思いました。あぁこれはルパンではなく「カリオストロの城」という作品なのだと思ったのと同様に、これはしんちゃんではなく「大人帝国」という作品なのだと思ったのです。それに対する賛否はあるでしょうし、しんちゃんであってしんちゃんでない以上それをつくる意義は?監督のエゴでは?とかいろいろ考えてしまうところは確かにあるんです。でもそんなこと些末なことだなと思うんですよね。

私は平成になってからこの世に誕生していますので、昭和という時代をTVや書籍でしか見たことはありませんし、当然においなんて知りません。でもあの映画を観ていれば、とんでもなく昭和のにおいがしてくるんです。映画を観てきた中でにおいを感じたのは初めての感覚だったので、もうびっくりですよね。知らないのにまるでDNAにかき込まれているかのように理解してしまえる不思議。ノスタルジーであり、恐怖でした。どうしてわかってしまえるんでしょうね。

印象に残るシーンも多くありました。まず名シーンであるひろしの回想シーン。自身が子どもの頃から、大人になり、我が子を抱くようになるまでの映像は胸が熱くなります。意識を取り戻し、しんのすけを抱きしめるシーン。まるで自身の夢を捨てて、今であるしんのすけを選ぶ描写が熱いです。足がぐっと体に近づき丸まっていくところに緻密な心理描写がみてとれました。その後、ボスと戦うために懐かしい街並みを駆け抜けますがそこでの「気が狂いそうなんだよっ」とかも葛藤がみてとれてよかったです。そしてしんちゃんが東京タワーのような建築物を必死に駆け抜けるあのシーン。ボロボロになって、血を流しても、走る姿はなんどみてもいいですし「バンバンジー」ですら響くんですよね。

ところで、「オトナ帝国の逆襲」って何なんでしょうかね。逆襲ということは「攻撃されていたもの」が「逆に相手を攻撃すること」です。新しい時代が来ることが彼らからすると「攻撃されている状態」で、オトナ帝国を流布することが「逆に相手へ攻撃すること」なのでしょうか。懐古主義というのはチャコだけならそれでも納得なんですけど、ケンの姿を見ているとなんとなく、それだけじゃないような気がしていて、また改めてみたいなぁと思っています。

 

映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦

最後はこちら、まずあらすじを。ある朝、野原一家は全員が同じ夢をみた。それは時代劇のような恰好をした女性が泉のほとりで悲し気に佇んでいる そんな夢だった。同日、しんのすけが幼稚園に行っている間にシロが庭に穴掘ってしまい みさえはしんのすけが責任もって埋めるように指示する。しかし頑なに穴を埋めさせようとしないシロに困ったしんのすけは穴の中を確認する。するとその穴から「文箱」をみつけ、中を見てみると自分が書いた覚えのない、自分が書いた手紙が出てきたのだった。手紙の文面から、今朝の夢を思い出し思いを馳せるしんのすけ。ふと目を開くとそこは、夢の中でみた泉の畔だった。あたりを探索してみるとそこは天正2年の戦国時代で…。

それでは感想を。これまた、しんちゃんであってしんちゃんではない作品なのだなと思った作品です。

個人的に驚いたのが「戦」をきちんと描いているということ。これまでの作品でも敵を倒す描写はあったけれど、そこで「人の死」に触れられることはなく、基本的には敵が退場するだけという描き方がされています。子ども向け作品ですので当然かとも思います。しかし本作は映画の序盤から戦のシーンがあり、ちゃんと戦で亡くなった民が描かれているのです。それが衝撃というか、あぁ描くんだという気持ちになりました。アニメーションはわざわざ描かなければそこに存在しないんです。だから遺体が存在するということは、わざわざ遺体を描いたということなんですよね。そこからして、あぁこの映画は他とは違うんだなって思いました。

実はこの映画、ラストシーンだけ観たことがあったんです。たまたま地上波か何かでやっていたのを、そのシーンだけ観てしまって。「撃たれたらしい」のあのシーンですね。なので、もう彼らの恋がどうなるのか、彼がどうなってしまうのかも知っている状態でみたから、もう何を観ても辛くて…。この映画は実写映画にもなっているようですので、それだけストーリーが確立されているのだと思います。

ちなみにですけど、誰が撃ったのか?問題ありますよね。気になって調べてみると冒頭で又兵衛を討つはずだった弾がタイムパラドックスを起こさない為に時空を超えてやってきてそれに当たって死んでしまった説とかいろいろあって面白いなと思います。他にも未来人説とかね。

弾が時空を超えた説に関しては、個人的には「んー?」という感じ。そもそも又兵衛がしんのすけに助けられていなければ、野原一家と廉姫の父・康綱が交流を持たなければ、考えを改めることもなく、廉姫様は大蔵井の元に嫁ぐという未来につながっていたわけです。政略姻が取り消されたことで、大蔵井にとって領土拡大の口実ができたわけで。そこで亡くなってしまった人々や逆にそれによって生まれてこなくなった命があったとすればそれはタイムパラドックス的にどうなの?というのが感想です。なぜ又兵衛オンリーにきくタイムパラドックスなのでしょうか。彼がみんなを守れるようになるためにしんちゃんがきて、それが終わったから帰るというのは納得しているんですけど、なぜ弾が時間差でくるの?何より、気になって音声を聴き比べてみたんですけど、冒頭で又兵衛を撃とうとする2回の銃声と、彼の死因となった銃声は音の重みが全然違うんですよ。だから、彼らが撃った弾ではないと思っています。

あと銃声が聞こえてすぐのカットで馬から崩れ落ちる彼の右下に赤い旗が集団で描かれていますよね。味方は黄色い旗、彼は空色の旗、そして敵がもっていたのが赤い旗です。先にも述べたのですが、わざわざそれを描くというのは、そういうふうにも見せたいのでは?ということ。その場合、撃たれた理由としては撃たれる直前に仁右衛門が敵軍をあおっているので、まぁ可能性0ではないかなと。まぁ銃口からすると真後ろから撃たれているから、それも「んー?」なんですけどね。敵軍は右側を歩いているので、真後ろから真っ直ぐ撃つのは可能なのかという点は疑問です。当時の種子島って射程距離が短いそうなんです。それを真後ろからしかも失敗しないで撃つってなると難しいのかな。馬に乗った人間の胸の高さだから、その後ろに続いている人の頭をよけて後方から撃つのは無理でもない気がするんです。すぐ後ろを野原家の車が徐行運転していますが、映像を確認してみると高さ的には問題ないんです。でも十数人後ろにも馬に乗った人がいるしなぁ…。道がカーブしている様子もないしなぁ。なんにせよ、「敵軍が撃った」というふうに見せたいという意図はあると思いますから、ミスリードさせたいのかな?という感じです。

それから種子島の威力で、鎧の後ろから体を突っ切って前まで弾が貫通するとは思えないんですよね。前には障害となるものがないので前から撃ったとしたらまだ理解できるんですけど。あれだけ戦の仕方など時代考証をしっかりしているのに、肝心のシーンだけしていませんってことはないと思うんです。

当然味方が撃つっていうのは、銃を調べた結果ないというのはわかっているのでこれも違うと思うんです。確かに仁右衛門によって銃が調べられ、銃は使われた形跡はありませんでしたし、わざわざそういうシーンを描くということは、そう見せたいのだろうと思います。

ちなみにネットでいろいろ見た中では「タイムパトロール隊が撃った」という説が一番面白いなと思いました。今回の映画はわざと雲黒斎と同じ場所を選んでいます。だからなぞらえているという解釈は面白いです。雲黒斎は捻じ曲げられようとしている過去を元に戻すために、タイムパトロール隊が野原一家に助けを求め、協力することになり戦国時代にタイムスリップするという話なんですけど。そこで春日城がでてきたり接点も多いのです。むしろ設定をかぶらせているのは「タイムパトロール隊のいる世界線ですよ」ということなのかもしれません。タイムパトロール隊が撃ったのであれば、今まであげてきた問題は全部クリアできるようにも思います。

ただこちらも一点引っかかるのが「いや、そこで殺す必要ないやろ」っていう点なんですよね…屁理屈ですけど。タイムパラドックスをおこさないために又兵衛を殺すのは理解できます(したくない)。でもそれなら、ラストのあのシーンじゃなくていいですよね…って思うんです。そもそも野原一家がタイムスリップすることのほうがタイムパラドックスなので、そちらを修正する方が先なのかな…と思ってしまったり。

 

なのでここからは個人的な解釈です。

製作人は犯人をつくらない方法をあえてとったのでは?と思っています。わざとミスリードできるようなシーンや設定をいくつも重ねて、考察できるようにしたのでは?ということ。

絶望先生という漫画を読んだことがある人には理解してもらえると思うんですけど、絶望先生の作者である久米田先生は4か所くらい最終回を作ったからどこで解釈してくれてもいいというようなことを仰っていた記憶があります。そんな感じで、自分の思う犯人を見つけてくれ、もしくは犯人を捜すことの無意味さを表現されたのかなぁと。あえて犯人をあげるとすれば原監督や製作人なのでは…?なんて考えています。あくまで一つの解釈としてですけどね。

 

はてさて、気が付けば1万文字以上クレヨンしんちゃんについて語ることになりましたので、この辺りにしたいと思います。しかし他の作品にも触れたいところはたくさんあるので、また機会があれば…と思っています。あぁ楽しかった。

もし少しでも興味を持っていただければ、ネットフリックスなどでも配信しているので見てみてくださいね。